第五十四話 別れと再会
巨大な門がきしむ音を立てながら、閉ざされる。
閂が落とされ、関所は本来の姿へと戻った。
この場に満ちていた熱気が引き、朝の空気に入れ替わっていく。
内庭の隅に、縄で縛られた巨体が転がされていた。
船長だ。
こめかみに青黒い痣をつくり、片目をうっすらと開けている。
その前に、グレンが立った。
「命は取らぬ。あの娘に免じてな」
船長は答えなかった。
「代わりに誓え。二度とこの霧の海に近づかぬと。手下にも、そう伝えよ」
長い沈黙のあと、縄の中で、巨体がわずかに動いた。
うなずきとも、首を落としたとも取れる動きだった。
グレンはそれを見届け、背を向けた。
「船へ運べ」
紅鬼の戦士たちが、縛られた巨体を担ぎ上げていく。
その横で、肩口を布で縛られた赤髪の青年が、壁にもたれていた。
クロウは血のにじむ布を押さえ、顔をしかめながら息を吐く。
「あのまま真っ二つかと思ったぜ」
誇張ではなかった。
大鉾は骨の手前で止まっていたが、肉は深く裂け、押さえた布に、じわじわと血がにじんでいく。
シキは立ち上がり、衣服についた泥を払いながら、あぐらをかいて身体を休めているグレンに顔を向けた。
「助かったよ」
短い謝意に対し、グレンは口元を少しだけゆるめると、わずかに目を細めて応じた。
シキは、クロウと、壁際で膝を抱えているトウヤを振り返る。
「僕は、今すぐ船へ向かう。山や浜へ逃げ散った連中をかき集めて、この島から連れ出さなければならないからね」
その言葉に、クロウは壁にもたれたまま、苦笑まじりに応じた。
「おう、頼んだぜ。だがな、シキ。俺はあの傷で、船に戻る前にくたばったことにしといてくれや。そこの白髪野郎もだ。欲に駆られてまたこの島へ渡ろうなんて奴が、二度と出ねえようにな」
クロウの視線の先で、右腕を結晶化させたトウヤがうなずき、同意を示す。
内庭の中央には、紅鬼の戦士がかけた毛皮にくるまれて、モモが眠っていた。
シキはその寝顔を、少し離れたところから見た。
幾度となく廻りを越え、一度きりの朝を自分の足で歩き、ここにたどりついた。
守り抜けた、とは言えなかった。
守られたのは、こちらだった。
僕に、彼女の隣に立つだけの価値が、あるのだろうか。
「あまり遅くなると、恐怖に駆られて、ろくに人を乗せずに船を出すやつが出てくる。もう行くよ」
シキは腰の刀の柄に手をかけ、相棒を見た。
「モモのこと、頼んだよ」
「わかってるさ」
クロウが笑って胸をたたき、肩の激痛に顔をゆがめたのを見届け、シキはきびすを返した。
巧妙に隠された通用門から、朝の白い霧のなかへ去ろうとする彼の背に向けて、トウヤがか細い声で言葉を投げかけた。
「イルガミの都に、ホルタクという名の商会があります。僕の名前を出せば、無下にはされないはずです。困ったときは、そこを頼ってください」
シキは振り返ることはしなかった。
ただ、白い霧のなかで小さく片手を上げて応じると、そのまま門を抜け、関所を後にした。
◇
それから、三日ののち。
朝の陽が霧を薄めはじめたころ、関所の奥、里へ続く木扉が開かれた。
杖を突いた白鬼の長老に付き添われて、里へ運ばれて三日を眠り通し、ようやく目を覚ましたモモが内庭へと入ってくる。
そしてその左手に引かれるように――雪のように白い髪の少年が、おぼつかない足取りで、朝の光のなかへと歩み出た。
内庭の隅、櫓の陰に身体を預けていたトウヤが、ゆっくりと顔を上げた。
この三日、グレンの許しが下りず、関所から動くことを許されずにいた。
声は、出なかった。
封印の歳月は、少年の姿を何ひとつ変えていなかった。
別れた日のままの幼い輪郭、癖のある前髪、すその長い白い衣。
変わり果てたのは、兄のほうだった。
「兄様」
ビャクヤが駆け出した。
よろけて、転びかけて、それでも止まらずに、やせた胸へと飛びこんだ。
トウヤは受け止めようとして、崩れた。
結晶にのまれた右腕は上がらず、残された左腕だけで弟の小さな背を抱き寄せたまま、膝から地へとくずおれていく。
あの夜のような嗚咽は、もう上がらなかった。
ただ声にならない息だけが震え、瞳から、堰を失った涙が音もなく流れ続けた。
静かな決壊だった。
やがてビャクヤは身体を離すと、兄の右腕――青白く凍りついた結晶に、小さな手のひらをそっと重ねた。
「ごめんね、兄様。僕のせいで」
「違います。これは、僕が自分で選んだものです。後悔など、ありませんよ」
少し離れた篝火のかたわらで、グレンが腕を組んだまま、そのやりとりを黙って見守っていた。
ビャクヤはうなずくと、今度はモモへと向き直った。
「モモ。ひとつだけ、聞いてほしいんだ」
モモは膝を折って、少年と目の高さを合わせた。
朝の光のなか、少年はその瞳をまっすぐに見つめた。
「あれは、僕の咎だった。里を焼いた者を、僕は光で焼いた。それで光が消えなくて、繭に入った。消えない光を、誰かに持っていてほしいと願った。……その咎を、君に背負わせた。ごめんね。それから――ありがとう」
モモは少しだけ黙って、硝子の残った指先を、少年の胸に当てた。
「返しに来ただけ。……もう、ここにあるでしょ」
それから、泣き笑いの顔でこくりとうなずいた。
「ちゃんと、届いたよ。届いたから、わたしはここまで来られたんだよ」
トウヤは、乾ききらない目元のまま、寄り添う二人の横顔をながめていた。
それから、誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやいた。
「ビャクヤの身代わりにしようとは、いささか傲慢でしたね。……いや、それどころか……」
「あん? なんか言ったか、白髪」
「いいえ、何も」
肩を押さえたまま聞きとがめたクロウを、トウヤは澄まし顔で受け流した。
◇
島を発つ朝、長老が手配した舟の出る船着き場に、ビャクヤが来た。
沖で待つ商船へ渡るための舟だ。
長老に止められたのだと、少年は息を弾ませて言った。
長い道を歩けるほど体力が戻っていないのに、杖を借りて、白砂の道をひとりで下りてきたのだ。
「見送りは、いらないって言ったのに」
「そうかもね。でも、僕は君の言うことを、ぜんぶは聞かないよ。兄様の弟だから」
そう言って、少年は笑った。
繭の中では一度も見なかった、ただの子供の笑い方だった。
モモは膝を折って、目の高さを合わせた。
「寒くない?」
「寒いよ。朝だもの」
ビャクヤは、自分の胸のあたりに手を当てた。
「でも、ここは寒くない。光は、ここに戻ってきた。もう呼ばなくても、ちゃんと、ここにある」
モモは、右手を差し出した。
爪の先のひと欠片のほかは、ただの手。
少年がそれを両手で包む。
冷たい。
けれど、繭の中の冷たさとは違う、生きている手の冷たさだった。
「文を書くね」
「僕も。たくさん書く。長老の説教のことも、グレンが本当は優しいことも」
「それ、見つかったら怒られるよ」
「大丈夫。みんな、僕には甘いから」
船から、クロウが呼ぶ声がした。
モモは立ち上がり、少年の白い髪をひとなですると、歩み板を上がった。




