第五十三話 本気の芝居
「それでこそ!」
吼えたクロウが、地をうがつ一撃で金砕棒を迎え撃つ。
鉄と鉄がぶつかり合う轟音が戦場を切り裂いた。
重い。
話は通っているはずだろうが。
狂言の打ち合わせなど、なかったかのような一撃だった。
受け止めた六角棍ごと、クロウの身体が半歩押しこまれ、両腕の骨までしびれが走る。
返す薙ぎ払いを横っ跳びでかわせば、いままで立っていた地面が砕け、土塊が頬をたたいた。
グレンの紅い眼が、クロウを射抜いている。
芝居に付き合う価値が貴様にあるのか。
命も張らずに我の前に立ったのか。
言葉より雄弁に、その眼はそう問うていた。
上等だ。
やってやる。
クロウは腹の底から吼え、小手先をやめた。
当てにいく。
潰しにいく。
渾身の連撃が火花を散らし、グレンの反撃が本気のうなりを上げてクロウの外側をかすめ、汗を飛び散らせる。
どちらの動きにも、示し合わせの色などない。
ひとつ受け損なえば命が消し飛ぶ、正真正銘の削り合い。
六角棍が空気を割り、金砕棒が大地を鳴らす。
踏みこみ、はじき、かわし、また踏みこむ。
得物が交わるたび、散った火花が、明け方の薄闇を焦がした。
いつの間にか、周りの怒号が消えていた。
紅鬼も船乗りも、この競演に見入っていた。
◇
モモは、関所の通用門にたどり着いた。
門を守る紅鬼は、モモの姿を見ると槍を下ろして内庭へ続く通路をあごで示す。
壁を伝って、内庭の縁に出た。
盾の列の向こうで、クロウとグレンが戦っている。
どうして。
息が詰まった。
グレンは、追い返すと約束してくれたはずだ。
クロウは、トウヤと一緒に山にいたはずだ。
それがなぜ、二人きりで、命を削り合っているのか。
紅鬼も船乗りも手を出さず、遠巻きに見守っている。
わからない。
何が起きているのか、わからない。
モモは盾の列の隙間に目を走らせた。
シキなら知っている。
シキなら、きっとこの場のどこかで――内庭の端、踏み荒らされた土の上。
白い衣が投げ出されていた。
うつぶせのまま、ぴくりとも動かないシキの姿。
声にならなかった。
ほかを探す。
船乗りたちが固まっている一角に、白い髪が見えた。
トウヤだ。
男の一人に半ば抱えられるようにして、首を垂れ、ぐったりと身体を預けている。
結晶にのまれた右腕が、だらりと下がっていた。
そのトウヤのすぐ横に、大男が立っていた。
船長だ。
片目を布で縛り、大鉾の柄を握ったまま、身じろぎもしない。
周りの男たちが一騎打ちに声を上げかけては、のみこんでいるなかで、船長だけが、笑いもせず、叫びもせず、残った片目を細めて、二つの影を追っていた。
見物しているのではない。
待っているのだ。
モモの背筋を、冷たいものが這い上がった。
もう一度がない。
やり直すことは、もうできない。
気づいた時には、モモはクロウとグレンに向かって駆けだしていた。
足がもつれた。
祠からここまで、何度も転んだ足だ。
それでも止まらなかった。
盾の列の隙間へ身体をねじこむと、紅鬼の戦士が身を引いた。
内庭の土の上へ、転がるように這いだした。
近づくほどに、クロウの荒い息づかいが聞こえてきた。
六角棍を振るうたびに、肩が大きく上下する。
汗が異様に噴き、息を継ぐ間もなく打ち合い続けたせいで、唇も、頬も、紫に染まっていた。
あんなクロウを、モモは知らない。
クロウが踏みこんだ。
これまでにない速度の突きが、グレンの額を襲う。
だが、かすめたのは角だけだ。
跳ね上がる金砕棒。
はじかれる六角棍。
クロウの手から、得物が離れた。
がら空きになった胴。
防ぐ盾も、逃げるいとまも、もうどこにもない。
グレンの金砕棒が、高々と振りかぶられる。
視界の端で、大男が動いた。
巨体に似合わない、音のない踏みこみ。
誰もが金砕棒の行方に目を奪われた隙に、大鉾の切っ先がグレンの脇腹へ向けて滑り出す。
「だめ!」
考えるより先に、声が出ていた。
内庭の壁に、モモの声が跳ね返った。
酒場で親方に「呼びこみの口上より客を寄せる」と笑われた、よく通る声だった。
船長の隻眼が、こちらを向いた。
一騎打ちの場へ、オニの陣の側から駆けこんできた、モモを。
「アンタ……!」
その隻眼から、モモは目を離せなかった。
前の廻りではトウヤの羽根で、この廻りではオニの投げ矢で、片方の眼が潰れた。
潰れ方は違うのに、残った片目は同じ光で、同じように、自分を捉えている。
「目くらましの娘が、なんでオニの側から出てくるのさ!」
大鉾の切っ先が、グレンの背からそれた。
船長は向きを変えると、一息に歩をつめ、モモへと肉薄した。
逃げられない。
駆けてきた足は、もう一歩も動かなかった。
モモの視界が、赤く血で染まった。
しかし――それは自分の血ではなかった。
目の前に、赤い髪があった。
得物を失ったクロウが、身ひとつでモモの前へ飛びこんでいた。
大鉾の刃が切り裂いたのは、その肩口だった。
噴き出した血が、モモの頬を、まぶたを打っていた。
クロウの大きな身体がのしかかるように倒れ、二人は内庭の土へ転がった。
「クロウ!」
のしかかった身体が、熱かった。
「……って、えなあ……」
歯を食いしばった声が、耳のそばでした。
クロウは片腕で土を押し、肩から血を流しながら、モモの上から身を起こした。
傷つき、唇から色を失い、それでも生きている。
その肩越しに、船長が見えた。
勝ち誇った笑みを浮かべたまま、大鉾をもう一度振りかぶり――そのまま、動きを止めた。
大鉾が振り抜かれるより早く、グレンの太い腕が船長のこめかみを捉えていたのだ。
鈍い音とともに、笑みを張りつけたまま、船長の隻眼がぐるりと裏返った。
巨体が、音を立てて崩れた。
紅鬼たちがどよめき、人間たちは後ずさった。
グレンが、こちらへ向き直った。
金砕棒を握ったまま、こちらへ歩み寄ってくる。
モモの身体は、またしても勝手に動いていた。
立ち上がろうとしたクロウの前へ這うようにして回りこむと、両腕を広げた。
膝が笑って、まともに立てていない。
それでも、広げた腕だけは下ろさなかった。
背中に、クロウの息がかかる。
肩から流れる血のにおいがする。
「なんで……」
声が裏返った。
「なんで、クロウを……。約束、したのに……追い返すって、殺さないって、あなた……っ」
言葉が、ばらばらにほどけていく。
何を問いたいのかも、自分でわからなかった。
わかっているのは、目の前のオニが、クロウを殺そうとしていたことだけだ。
何度も、何度も、この人はわたしの大切な人を――。
「どういうこと、これ、いったい……!」
グレンは答えなかった。
紅い眼がモモを見下ろしている。
両腕を広げて震える、血まみれになった角無しの娘を。
その背にかばわれた、赤髪の男を。
グレンの肩が、揺れた。
喉の奥から、低い音が漏れる。
それが笑い声だと気づくまでに、しばらくかかった。
地の底から湧き上がるような、太く、腹に響く笑い。
紅鬼の戦士たちが、グレンを見ている。
グレンは笑いを収めると、モモの肩越しに視線を投げた。
その先にいるのは、クロウだった。
背後で、クロウが小さく息を吐くのがわかった。
笑ったのかもしれない。
「決着はついた」
グレンの声が、内庭に響き渡った。
モモにではない。
この場にいる、すべての者に向けた声だった。
「お前らの首魁は倒れた。死ぬまで戦う矜持を見せるなら、相手をするが」
金砕棒の石突が、地を打つ。
紅鬼の戦士たちが、一斉に武器を構え直した。
モモの肩に、大きな手が置かれた。
クロウだった。
血にぬれた手が、モモをそっと横へずらす。
クロウは片腕をだらりと下げたまま、モモの隣に並んだ。
「戦う力なんざ、もう残っちゃいねえ」
かすれた、けれどよく通る声だった。
「俺たちの負けだ」
ざわ、と人間たちの間に波が走った。
クロウは構わず続ける。
「それによ。ここには宝なんてもんは、ねえ。……そうだろう?」
最後のひと言は、モモに向けられていた。
モモがクロウを見上げる。
紫の色はまだ唇に残っていて、肩の衣は赤く重い。
それなのに、その目だけが、いたずらを仕掛けた子供のようだった。
モモはただ、見てきたままを口にした。
「え……う、うん。わたし、オニの里を見てきたよ。そこは、貧しい山村で……宝なんて、なかった」
自分の声が、ひどく頼りなく聞こえた。
けれど、それは嘘ではなかった。
白砂の道。
干からびた菜っ葉。
煙の細いかまど。
それだけだった。
人間たちのざわめきが、大きくなった。
「宝が、ねえ……?」
「嬢ちゃんが、見てきたって……」
「じゃあ、俺たちは何のために……」
グレンは何も言わなかった。
ただ、片手をゆるりと上げた。
紅鬼の戦士たちが、槍を、斧を、盾をかかげる。
誰一人声を出さず、首領の手が振り下ろされるのを待っている。
その沈黙が、どんな怒号よりも重く内庭を圧した。
「……前払いの分は、働いたぜ」
最初の一人が、斧を落とした。
全身に墨を入れた半裸の男。
三度目の廻りで、かまどの火をわら屋根に放った男。
この廻りでは、竹皮の包みを受け取って「気がきくなぁ」と笑った男。
船長の酒瓶で額を割られて、翌朝には何事もなかったように樽を担いでいた男。
男はきびすを返し、門へ向かって駆けだした。
二人目が槍を捨て、三人目が刀を投げ打った。
それから、男たちは我先にと、雪崩を打って逃走した。
グレンの手は、最後まで振り下ろされなかった。
内庭の端で、白い衣が身じろぎした。
シキが、土に手をついて身体を起こしている。
船乗りたちが逃げ去ったあとには、トウヤがひとり、地べたに座りこんで、走り去る男たちの背を見送っていた。
二人とも、生きている。
ようやく、モモにもわかった。
そのとたん、広げていた腕から力が抜けた。
紅鬼の誰かが叫んだ。
「勝鬨だ!」
紅鬼たちは勝利の喜びを叫びへと変えた。
幾重にも重なった雄叫びが、白んでいく空へと、高く立ちのぼっていく。
白鬼の里にまで届きそうな声だった。
その声を、モモは遠くに聞いていた。
すべてを出し尽くし、緊張の糸が切れると、そのまま崩れて眠りへと落ちた。




