第五十二話 耳打ち
作戦を伝え終えると、三人は息を殺して物陰を伝い、戦況を指図していた船長の元へと近づいていく。
クロウは結晶化の進むトウヤの身体を抱え直し、痛ましげな表情を取り繕って、船長の前へと踏み出した。
「船長、あの山での奇妙な光は、トウヤの身体を内側から焼いちまう呪いだったらしい。こいつはもう、指一本動かせそうにねえ」
「姐さん……敵の力を甘く見ていたようです。目の前に、憎きオニの首領グレンがいるというのに、僕はご覧の通り、もう。最後の最後で役に立てず、申し訳ない……」
消え入りそうな声で敗北を演じるトウヤを、船長は残った片目を乱暴にこすりながら、フンと鼻を鳴らして見下ろした。
「不甲斐ない野郎だねえ。だが、そうかい、アイツが首領かい。アイツさえ何とかできれば……」
船長が忌々しげににらむ先には、微動だにせず戦いの趨勢を見守るグレンの姿があった。
「そうは言ってもよ、船長。あいつは、相当だ。まともに打ち合ったら、十を数えるころにはあの世いきだ」
そこへシキが、言葉を滑りこませた。
「このまま消耗戦になっては、勝ち目がない。グレンをこの場へ引きずり出す。あいつは誇り高いオニの首領だ。そこを突く。クロウが一騎打ちを申し出る。勝負がつく前に僕が邪魔立てする。激昂させれば、一度きりの機会ができる」
「まあ、他に手はなさそうだしな。付き合ってやるよ」
二人のやり取りを、船長は黙って聞いていた。
一騎打ち。
誇り高い首領。
目を引く、一度きりの隙。
まかれた言葉の種が芽吹いていくのが、隻眼の光の変化でわかった。
大鉾の柄を握る指が、ぎり、ときしんだ。
「いいわ。派手にやりな。アンタたちが囮になってくれるなら、アタシにも考えがあるってもんよ」
彫りの深い顔が、まがまがしくゆがむ。
その「考え」の中身を、シキはあえて訊き返さなかった。
クロウは、船長のかたわらに控えていた男にトウヤを託すと、オニたちの防衛陣の正面へ、堂々と歩み出た。
黒鉄の六角棍を高々とかかげると、大きく息を吸って、この場にいる全員の鼓膜を破らんばかりの大声を上げる。
「紅鬼の首領グレン! 後ろに縮こまって、手下どもを盾にしているだけの腰抜けめ! そのでかい棍棒は、見かけ倒しか。その巨躯に見合うだけの肝があるなら、隠れてないで、この俺と戦え!」
戦場に響き渡る、無礼な挑発。
さしもの荒くれ者たちも、紅鬼の戦士たちも、色めき立ってクロウへと注目する。
金砕棒を地に突き立てたグレンは、身じろぎもせず、ただクロウの視線を受け止めている。
この程度では動かない。
誰もが動きを止め、事の成り行きを見守ろうとした。
ただ一人動いたのは、シキだった。
「ハッ!」
叫ぶと同時に、シキは矢の速さで突進した。
隙間なく並ぶ鋭い槍の穂先。
その死線を見切ったシキは、身をひねって跳躍し、槍の列を鮮やかに飛び越えた。
さらに、壁となって連なる盾の隙間に足をかけると、それを踏み台にして、一気に陣の最奥へと肉薄する。
グレンのふところへと飛びこんだシキは、その太い首筋へと組みつくと、腰の刀に手を伸ばそうとした。
しかしグレンは、その腕をつかむと、組みついたシキを力ずくで引き剥がしにかかった。
「六角棍の男は味方。後ろの大男を討ち取るための狂言だ。話を合わせてくれ」
シキはグレンの耳元で、彼にだけ届くささやきで、一息に告げた。
グレンの紅い眼が、わずかばかり細められた。
シキの身体を羽虫でも払う手つきでたやすく引き剥がし、唖然と立ちつくすクロウの足元へと、力任せに投げつけた。
地面を二転三転したシキは、咳きこみ、そのままぐったりと動かなくなる。
誰の目にも、返り討ちにしか見えなかった。
グレンは地に突き立てていた金砕棒を引き抜くと、一歩踏み出した。
「下がっていろ」
紅鬼の首領への忠誠心と、その強さを信じて疑わぬ戦士たちは、即座に左右へと広がり、首領のための道を作った。
グレンは悠然とした足取りで前へと進み出ると、クロウの眼前に立ち塞がり、無造作に武器を振りかぶった。




