第四十五話 参道
「この先に、関所へ続く、オニの目の届かない小道があります」
かつてのトウヤは、そう言っていた。
あの時は三人でこの道を進んだ。
今は、シキと二人きり。
それでもモモは不安を感じてはいない。
この道が関所へ通じることは経験上わかっている。
その後対峙するグレンについても、決して与しやすいわけではないが、以前よりは理解できているはずだ。
それに、この小道の由来に想いを馳せると、なんだか少し幸せな気分にもなれる。
「この小道は、いわば参道です。特別な日を除き、利用することはありません」
今回の廻りでは、トウヤがこうも教えてくれた。
四人で計画を練っている際に、地図を指さしてモモが「ここに小道があるよね」と言ったことに対し、驚きながらも答えてくれた。
「特別?」
「婚姻の儀で使用するのですよ。東から花婿が、西から花嫁が小道へ入り、中央の社で合流した後、そこで初めて出会った日のことを語らうというものです」
「婚姻……オニも、するんだ」
「見た目や風習にこそ違いはありますが、オニと人間、それほど大きな差はないのですよ」
その言葉を胸のなかで反芻しながら、モモは夜道をたどる。
「次を曲がったところに、幹が大きくねじれた古い木があるはず。そこを右に入れば、もう関所のすぐ近くに出られるよ」
「そうか。でもその前に、少し休憩しよう。息を整えてからグレンと対峙するべきだろう。モモの案内のおかげで、余裕をもって到着できたしね」
シキの心遣いに、モモの胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
そのぬくもりとは裏腹に、上着の袖の奥からは骨を芯から凍らせるようなうずきが這い上がってきていた。
袖の内側で、縫い目に沿った紋様がかすかに青く光る。
そのたびに、うずきがやわらぐのを感じる。
「っ……」
不意に右半身が鉛のように重くなり、モモはぬれた斜面で、わずかに足を踏み外しかけた。
「モモ」
背後にいたシキが、モモが滑り落ちるよりも早く、その身体を抱きとめる。
とっさに差し出された彼の指先が、モモの右腕を衣服越しに支えていた。
そして――シキの指が、そこで止まった。
仕立て直された上着の厚い布地を隔ててなお、その冷気は伝わったのだろう。
シキはモモを抱きとめたまま、凍てつく硝子の腕を胸元へと引き寄せ、強く包みこんだ。
「こんなにも……いつからだい?」
「痛みはないの。ただ、ちょっと冷えるだけで」
「嘘をつかないでくれ」
いつも冷静に物事を割り切るシキの瞳が、焦りに揺れている。
「君がこれほどまでに過酷な道を歩んでいたというのに。ただ信じて、ついていくことしかできない僕を、どうか許してほしい」
モモの腕を包む指先が、わずかに震えていた。
「ううん、許すとか許さないとか、そういうのじゃないよ。黙っていたのはわたしなんだし。それに、いつだってシキに頼って、助けられてばかりで。ここへだって、わたしひとりじゃたどり着けなかった。これからも、きっとそう。だから、そんな顔をしないで。……ね?」
二人がふたたび歩き始めたのは、それから間もなくのことだった。
シキはあれから少し言い訳じみたことを言って、「忘れてくれ」とモモに頭を下げた。
モモは「どうしよっかな」と取り合わなかったが、満足そうな顔で、そのまま小休止を終えて関所を目指すこととなった。
ねじれ木の角を曲がると、切り立った二つの巨大な岩壁のはざま、そこに関所が構えられていた。
幾十本もの赤塗りの巨木の幹を、分厚い鉄の帯で幾重にも縛り合わせた総門。
以前は落ち着いて観察する余裕がなかったが、硫黄の結晶が随所に埋めこまれており、篝火の炎を反射して燐光を放っているのに気がついた。
門のあちこちには巨大な獣骨がかかげられ、侵入者に対する無言の警告ともなっていた。
かつてこの門の前で起きた惨劇が、モモの脳裏をよぎる。
モモは赤黒い光のなかにたたずむその影を見つめた。
他のオニたちとは明らかに異なる、異様な体躯。
幾重もの戦傷が刻まれた腕を胸の前で組み、古びた毛皮を肩から羽織っている。
額から天へと伸びる二本の角は重々しく、紅い眼には数多の星霜を生き抜いた者だけが宿す、深い理知と威厳が満ち満ちている。
白鬼の一族をも従えている、紅鬼の首領グレン。
モモは彼に会うため、ここへやってきた。
「誰だ」
グレンは多くを語らない。
この言葉にも、いくつもの問いかけが含まれていることをモモは知っていた。
「わたしはモモ。グレン、あなたと話をするため……そして、ビャクヤを救うために、海の彼方からやってきたの」
グレンの探るような眼を見返しながら、モモは言葉を続ける。
「これからする質問は、じつは二回目なの。最初は、答えてもらえなかった。でも、あの時とは違う。答え合わせのために、同じことを訊くよ」
モモは、上着を肩からはだけると、あらわになった自分の右腕を高くかかげ、グレンの眼前に突きつけた。
「これが何かわかる?」
グレンの視線が、モモの結晶化した腕の上で止まった。
それを見届け、モモはさらに続ける。
「器って、なに」
グレンの喉が、低く鳴った。
それからモモは、ただ待った。
グレン。
あなたひとりで抱えこむことはないんだよ。
これは、ビャクヤとわたしの問題でもあるんだから。
モモの右腕が発光し、波動が一帯を奔り抜けた。
右腕は夜に溶けこむような深い青に戻り、猛烈な疲労によってよろめき倒れそうになったモモを、シキが抱きとめた。
しかしモモの瞳はその輝きを失わず、強い意志をもって、変わらずグレンを見つめている。
関所の前で、グレンは長く沈黙していた。
張りつめた夜気のなか、篝火の炎に照らされたオニの瞳が揺れ動いている。
彼は胸の前で組んでいた腕を解くと、背後の門に向けて一歩、足を踏み出した。
「ついてこい」
その声に、拒絶の響きはなかった。




