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第四十四話 眠れ、静かに

 視界が開けた。

 川幅は一気に広がり、それまでの激しい水流が嘘のように穏やかになる。

 襲撃を退け、船はついに島の深部へと到達したのだ。

 目の前に広がっていたのは、数隻の小型船が停泊する桟橋だった。


「上陸するよ!」


 船長の号令とともに、船乗りたちが手際よく舫い綱を投げ放つ。

 数人がその縄を伝って浅瀬へと飛び降り、水しぶきをあげて陸へと駆け上がった。

 慣れた手つきで太い木杭に縄を巻きつけ、ぐっと引き寄せると、船体は鈍い音を立てて桟橋に接舷した。


 一度厨房へ引き返したモモは、今度は大きな籠を胸の前に抱えて甲板へと戻ってきた。

 籠の中にぎっしりとつまっているのは、上陸後の行軍に備えて彼女が用意した、竹皮包みの携行食だ。


 額に赤黒いかさぶたを張りつけた半裸の男が、真っ先に籠をのぞきこんだ。


「気がきくなぁ、嬢ちゃん!」


 モモが声をかけるより早く、目ざとく食べ物を見つけた男たちが、ぞろぞろと集まってくる。


 そこでモモは、見てしまった。

 甲板の隅に転がっていた、討ち取ったはずのオニの身体が、ぴくりとかすかに動いたのを。


 生きている。

 そのオニは、気を失っていただけだった。

 にごった紅い眼をうっすらと開け、焦点の定まらない視線をさまよわせている。


 モモは、操舵室から出てきたシキを見た。

 シキはモモに気がつくと、視線の先を追い、理由を察した。

 流れるような動作でモモの前へ滑りこみ、男たちの行く手をはばんで声をかける。


「おっと、そこまでだ。慌てずとも、食事は全員に行き渡るだけ用意されている。下船する者から順に、渡し板の前で受け取るように。さあ、並んだ並んだ!」


 男たちは我先にと、渡し板の前へと押し寄せていった。

 船乗りたちの視線が、モモから逸れた。


 その隙に、モモはとっさに、覚醒しつつあったオニに向けて上着の袖の奥に隠した右腕を差し向けた。

 そこから放たれる、微弱な波動。

 モモは声を出さず、諭すように語りかけた。


 ごめんなさい。

 でも、もう戦わなくていいの。

 そうなるように、これから変わっていくから。

 だから今は、静かに眠っていて――。


 オニはゆっくりと目を閉じると、そのまま動かなくなった。


 届いた。

 考えるより先に動いたとっさの行動が、結果を伴った。


 モモは急いで渡し板の前へと移動した。

 シキの隣に並び、籠から竹皮の包みを取り出しては、船乗りたちに手渡ししていく。


「しっかり食べないと、体力が持たないよ」


 シキの機転のおかげで、無用な流血は防がれた。

 船乗りたちは誰一人として眠ったオニに気づくことなく、携行食を受け取り、次々と桟橋へと降り立っていった。

 籠が空になるころには、甲板から人の声が消えていた。


「全員、船を降りたね」

「ああ」

「ありがと。さすがはシキだね」

「気がついたのが僕でよかったよ」


 シキは桟橋で男たちに囲まれているクロウを見やって、つぶやいた。


「さあ、僕たちも行こう」


 桟橋は、熱気に包まれている。

 呪われた霧の海を越え、お宝の眠る地に足を踏み入れたという興奮が、男たちの顔を紅潮させている。

 その中心で、片目に布を巻いた髭面の船長が腰に手を当て、声を響かせて檄を飛ばした。


「お宝はもう目の前さ。しっかりついておいで!」


 船長はトウヤへ目を向けると、その肩をたたいた。


「さあ、アンタが先頭だよ」


 トウヤは、外套の襟元を指先で直した。

 ていねいな口調で応じる。


「では姐さん、こちらです。足元はひどくぬかるんでいますから、お気をつけて。引き離されぬよう、僕の後をしっかりとついてきてください」


 そう言うなり、夜の山道へと足を踏み入れていった。

 船長が笑みを浮かべてその背を追うと、意気盛んな船乗りたちから順に、武器を鳴らしながら後に続いた。


 最後尾には、六角棍を地面に突き立てたクロウが立っている。


「俺がしんがりだ。万が一、オニの追撃があった時は、俺が足止めをしてやらあ」

「そりゃ頼もしいや」


 桟橋に残り、なかなか山へと足を踏み入れられずにいた男たちも、ならば安心とばかりに、ようやく重い腰を上げた。


 クロウは最後の一人が山道に消えるまで、六角棍にもたれて動かなかった。

 勝手に船へ引き返そうとする者にも、列を乱す者にも、その目は油断なく光っていた。

 やがて船乗りたちが全員、桟橋から姿を消すと、クロウは一度だけモモとシキに向かってうなずき、山道へと去っていった。


 松明の明かりと男たちの足音が、山の彼方へと吸いこまれていく。

 桟橋には、川を流れる水音と、森の音だけが残った。


「わたしたちも行こう」

「道案内は任せたよ」


 あやかしの加護を持つ、少し大きめの上着をひるがえし、モモは右腕を、上着の袖ごと左手で押さえた。

 凍てつくようなうずきは、この島へ来てから大きくなっている。

 今なら、繭の中のビャクヤとも話ができるかもしれない。


 でもまずは、グレンから。


 夜の山影に身を潜めながら、二人は誰に気づかれることもなく、関所を目指す。


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