↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/56

第四十二話 嵐の前

 その夜のこと。

 遠い波の音のするなか、見張りの交代を終えたモモが甲板の手すりにもたれていると、外套の頭巾を目深にかぶった白髪の青年が隣へ並んだ。


「眠れないのですか」

「トウヤこそ。あ、お酒はもう平気?」


 おのれが引き起こしたことなのに、その顛末を伝聞でしか理解していないのだろう。

 トウヤは決まり悪そうに、視線をそらした。


「不思議なものですね」


 トウヤはぽつりと言った。


「僕はずっと、ビャクヤを取り戻すことだけを考えて生きてきました。あの子の面影を探して、海を渡って……はじめて君を見たときも、あの子と重ねていた。それなのに」


 言葉が、そこで途切れる。

 どう受け取っていいかわからず、モモはうつむいた。


「わたしね」


 口を開く。


「ずっと、誰かに呼ばれて、守られて、ここまで来たの。二度目の夜に、こっちだ、って道を選んだつもりだった。でも今思うと、あれも、知っている死から逃げただけ。選んだんじゃなくて、選ばされてた。トウヤは違うでしょう。全部、自分で選んできた」

「褒められた選び方では、なかったようですが」

「それでも、選んできたよ。わたしも、そうなりたい」


 言いながら、モモは船室のほうへ目をやった。

 この船の上で、クロウは一度、翼のあやかしと斬り結んだ。

 シキは一度、モモを信じられずに後ずさった。

 二人ともそれを知らず、今夜も船室で、明日の段取りを話し合っている。


 トウヤはしばらく黙って、モモの横顔を楽しげにながめていた。

 モモはそれを直視できずにいる。

 やがてトウヤは、視線を空へと移した。


「なら、その時は。君が選んだものを、僕にも教えてください」


 答えの代わりに、潮風が二人の間を通り抜けていった。


 何も、まだ決まってはいない。

 ただ、この夜のことを、モモはきっと忘れないのだろうと思った。



    ◇



 海での生活に慣れるに従って、空と海を彩っていた青は、いつしか失われていった。

 空は隠れ、鉛色ににごった波が船腹をたたくようになった。

 潮風には冷気がまじり、これまでの旅路が嘘のように、船内から陽気な喧騒が消え失せていた。

 代わって這い寄ってきたのは、視界を白く塗り潰す、異常なほどに濃密な霧。

 オニの領域を守る結界だ。


 隠ヶ島への上陸は、目前だった。


 厨房でモモは、包丁を左手に持ち替えてしなびた芋を乱切りしながら、芋を押さえる右手へと視線を落とした。

 感覚はなく、以前のようには動かない。

 ただつかみ、移動する。

 その動作だけであれば、かろうじて使い物になっている。

 トウヤの服を仕立て直した、あやかしの加護を持つ上着。

 その袖の奥で右腕が、芯から凍りついてしまったと錯覚する。

 痛みはないが、うずきはする。

 この霧の海のどこかにいるビャクヤの悲鳴が、結晶を通じて直接、モモの魂に届いている証拠だった。


 ここからが本当の戦いだ。


 うまくいく。

 そしてみんなで、笑って帰るんだ。


 上陸後の携行食の仕込みを進めながら、モモはその時を待った。



    ◇



 十歩先すら見通せない白一色に視界が染まるなか、操舵室ではシキが羅針盤と海図を交互ににらみつけ、船の振動と波の音に神経をとがらせていた。


「霧の海域から船が戻らないのには、いくつかの理由がある。そのひとつが、隠れ根が連なる海底の地形なんだ。前方への監視を強めるよう、見張りに伝えてくれるかい?」


 シキの指示に、伝令役の小男が「へい」と短く応じ立ち去っていく。

 そこへ入れ替わるように、白い息を吐きながらトウヤが入ってきた。

 見張り台から戻ったのだ。

 風と霧で体温を奪われ、唇がうっすら紫色に染まっている。


「この速度なら、日が暮れるころには瀬戸に入ります。切り立った岩壁に沿うように船を進めてください。岩壁の亀裂に潮が流れこむ水路があるので、見逃さず、舵を切って船を島へと入れるように」


 トウヤは船長へと向き直ると、言葉を続ける。


「姐さん、その亀裂は、島を横断するように流れる激流の水路です。島の要所ですので襲撃を覚悟してください。ただしその先、上陸してしまえば、激しい戦いはもうありません」


 船長がぎょろりとした目をトウヤに向け、ニタァと唇をゆがませて発言をうながす。

 トウヤは一呼吸入れると、冷え切った目つきで船長を見返した。

 左手を胸に当て、首をかしげると、ささやくように付け加える。


「難所ですが、山を抜けることができれば、その先がオニの里です」

「ひゃあ……! いよいよだねえ!」


 船長はうっとりとした表情を浮かべると、霧の向こうにある莫大な宝に、想いを馳せるのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。