第四十一話 姐さんと色男
出航から二日。
船は順調に南へと進路を取っていたが、トウヤのもくろみは、早くも小さなつまずきを迎えていた。
島への唯一の案内人として船長の手綱を握るはずが、理屈っぽい口調で海図を説明しようとするトウヤの言葉に、船長は耳を傾けようとはしなかった。
「あー、細かい話はいいわよ。アタシは島に着いてからお宝を分捕る算段だけが知りたいの。それまでアンタは、黙って道案内だけしてりゃいいのよ」
そう言って煙管の煙を吹きかけると、船長は視線をめぐらせる。
その先には、船乗りたちにまじって大樽を軽々と運び、豪快に笑っているクロウの姿があった。
表裏がなく、気のいいクロウは、船員たちからもかわいがられ、すっかりこの船になじんでいた。
船長は、品定めをするようなねっとりとした笑みを浮かべると、声をあげた。
「そこの赤髪! いい身体してるじゃないさ。いつでもアタシの部屋へ来なさい。美味い酒を飲ませてあげるわよ!」
「本当かい? ありがてえや。船長直々のお誘いとあっちゃ断る理由がないぜ!」
その夜、六角棍を磨いていたクロウの背後に、白い人影が立った。
「やあ、赤髪の。少し耳を貸しなさい」
外套の頭巾をかぶったトウヤが、不機嫌さを隠そうともせず、つめ寄ってくる。
「なんだよ、白髪。俺はこれから船乗りたちと博打の約束があるんだが」
「約束などどうでもいい。君は、一体どんな不届きな術を使って、姐さんの気を引いているのですか」
トウヤは真剣そのものの表情で、クロウに疑問をぶつけた。
「はあ? 姐さんって、あの髭面の船長のことか? あいつ、どう見ても男だろ」
「そんなことは百も承知です。ですが、あの人の心は完全に女性でしょう。僕はその本質を突いた言葉を選んでいるというのに、なぜ君が下品に笑うだけで、あの人は嬉しそうに身を乗り出すのですか。これでは僕が、島での主導権を握れません。悔しいですが、君のその、人を惹きつける秘訣を僕に教えなさい」
大真面目に悩むトウヤの姿に、クロウは呆れ果てて、髪をかきむしった。
◇
その後、トウヤが向かったのは、厨房だった。
「モモ、こんなことを頼むのは気が引けるのですが……。ただ勘違いしてほしくないのは、決して、ビャクヤへの想いが他へ移ったわけではない、ということです」
「え? ……なに?」
「意中の相手の心をつかむには、手料理と酒が有効であると聞き及びました。僕を助けると思って、その準備を手伝ってほしいのです」
間もなく――宴会中の船長の元へ、やや顔を上気させたトウヤがやってきた。
その手には、大ぶりの骨付き肉と、飲みかけの地酒の瓶が握られている。
「姐さん、よろしいでしょうか。この船で、もっとも島のことを理解し、そして姐さんに尽くしたいと願っているのは、この僕です。それなのに、どうして僕を放っておいて、こんなところで宴会に明け暮れているのですか」
トウヤは外套を大袈裟にひるがえし、いつになく芝居がかった振る舞いで、船長の前に立ちはだかった。
「この肉を喰らい、酒を飲み干しなさい。そうすれば、僕の想いが伝わるはずです」
「わははは! なんだいアンタ、急に色気づいたような声を出して!」
船長は大笑いしながら、トウヤの差し出した肉をひったくるように奪った。
「まぁ、いい心がけじゃないか。アタシの船に乗る男は、これくらい生意気なほうが……」
と、そこへ、船長の話をさえぎるようにして、酒が回って墨の上まで赤くなった半裸の男が割りこんできた。
「若造! いくら相手をしてもらえねえからって、よりによって姐さんとぼわぁっ!」
演説をはじめようとした男に、船長の前蹴りで吹っ飛んだ木箱が命中した。
間髪をおかず、船長はトウヤから酒瓶を奪い取ると、そのまま男の頭上に振り下ろす。
「誰の許可があって、その臭い口を開けているのかしら?」
船長は割れた瓶の首を握ったまま、足元で目を回している墨の男を見下ろした。
突然の惨状に、一気に酔いがさめた男たちは、船長の顔色をうかがった。
「野郎どもよくお聞き! お前たちの命の使い所を決めるのは、このアタシ。お宝を分捕るまでは、アタシが立っているかぎり、オニが相手だろうがあやかしが相手だろうが、お前たちはアタシの駒。ここで飲む酒は、その前払いよ。もし、これ以上アタシに異を唱える不届き者がいたら、その場で四肢を切り刻んで魚の餌にしてやるから。それと……アタシを姐さんと呼んでいいのは、あの白髪の色男だけよ! 肝に銘じておきなさい!」
◇
翌日。
操舵室の片隅で、潮気を吸ってふやけた航海日誌に筆を走らせながら、シキがトウヤに問いかけた。
「なあ、何があったんだ?」
以前は当たりが強かった船乗りたちのトウヤに対する態度が、一夜明けると、目に見えて変わっていたのだ。
「それが、僕にもよくわかってないのですよ。ようやく僕の価値が、皆に理解されたということでしょうか。それよりも、聞いてください。なぜだか、モモから避けられている気がして……ああ、今すぐに会いに行けないこのもどかしさ、気がおかしくなってしまいそうです」




