第三十四話 硝子の腕と短刀と
トウヤはモモの華奢な背中に腕を回すと、骨がきしむほどきつく抱きしめ返した。
「ビャクヤ……ビャクヤ……いや、違う。君は、ビャクヤではない」
ささやきが、震えながら熱を帯びていく。
すがるようだった腕が、その意味を変えていく。
長い指先が、モモの細い首筋へと這い上がった。
「なぜ。なぜ君が、あの子と同じ気配を放っているのですか。まさか君は、あの子を、僕から奪うためにここへ来たのですか」
喉元に、指先が震えながら食いこんでいく。
それでもモモは、逃げなかった。
目を閉じることさえせず、ただその悲痛な錯乱を、真っ向から受け止めた。
ふ、と。
モモの袖の奥から、冬の水底のような冷気が立ちのぼった。
トウヤの指が止まる。
首にかかっていた手が、火に触れたかのように離れた。
見開かれた薄紫色の瞳が、袖からのぞく硝子の右腕と、眼前の少女とを、交互にさまよう。
自分はいま、何をしようとしていたのか。
「僕は……っ」
モモは身体を離すと、硝子の腕を左手で持ち上げ、頬を伝うトウヤの涙に、その指先を添えた。
「冷たいでしょう? ビャクヤは、ずっとこの中にいるの」
トウヤはその冷たい指先に、自らの手を重ね、祈るように目を閉じた。
長い沈黙ののち、絞るような声が漏れる。
「君は、何者なのです。どうして僕の名を知っている。その腕は、一体……」
問わずにはいられない。
弟を求める狂おしいほどの渇望が、トウヤの声を震わせた。
モモは涙を袖で拭い、見つめ返した。
「驚かせてごめんなさい。こうして直接あなたに触れなければ、きっと信じてもらえないと思ったから」
モモは結晶と化した右腕に目線を落とすと、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「わたしはね、何度もあの島へ渡り、そのたびにビャクヤの心に触れてきたの。暗闇のなかで凍えていた彼の光を、この身に浴び続けた。この腕を通じて、わたしは彼の本当の願いを知ったんだよ」
トウヤの指が、モモの硝子の指から離れなかった。
「あなたの復讐の果てを、わたしは見てきたの。欲に狂った人間たちを島へ引き入れれば、待っているのは虐殺だよ。あなたが憎む里の者たちだけでなく、女も、幼い子供たちも、残らず死に絶える。そして何より、そんなことをしても、ビャクヤは救われない」
「君に、何がわかるというのです!」
トウヤが激昂し、腕を大きく振った。
それに呼応するように背中に翼が現れ、部屋中に羽根が舞った。
「あいつらはビャクヤの優しさに胡坐をかき、裏切り者とののしった。弟がおのれを犠牲にしてまで守ろうとした同胞が、あんな醜い奴らであるはずがない。僕は、ビャクヤをあの薄汚い繭から救い出し、里のすべてに報いを受けさせる。そのために人間を利用する。僕の何が間違っていると言うのですか!」
「ビャクヤは、誰も憎んではいないよ。それに、あなたに代わってほしいとも望んでいない」
トウヤの瞳が、虚空をさまよう。
モモの姿に、ビャクヤが重なる。
「嘘です。あの子は、あの暗闇のなかで、ずっと僕を待っている。僕が身代わりになってでも、あの苦痛から引きずり出してあげなければ、誰があの子を救うというのです」
「身代わりになろうとしてはだめ」
モモはトウヤの痛々しい視線を受け止めながら、言葉を重ねた。
「あなたがどれほどそれを望んでも、ビャクヤはそれを拒むよ。大好きな兄様を犠牲にして自分が生き残るなんて、あの子は受け入れない。その結果、あの子の心は引き裂かれて、力を暴走させて消滅してしまうの。そんなの、あなたの望む結末じゃないでしょう?」
「ふ、ふふ」
トウヤの喉から、乾いた笑いが漏れた。
「見てきた、ですって。まるで先の出来事を、その目で確かめてきたかのような口ぶりだ。ああ、なるほど。ようやく得心がいきましたよ」
あざけりの色を浮かべたまま、トウヤはモモから距離を取り、ふところの短刀を音もなく抜き放った。
月明かりを受けた切っ先が、モモの喉元へと向けられる。
「グレンの差し金ですか。それとも長老の入れ知恵か。哀れな復讐者を甘い言葉でたぶらかし、計画を捨てさせるための策でしょう。その腕の気配とて、何かの紛い物やもしれません。答えなさい。次第によっては、君を生かして帰すわけにはいきません」
しかし、突きつけられた刃にも、放たれる殺気にも、モモが退くことはなかった。




