第二十八話 白鬼の過去
拒絶の言葉が室内に響くと、これまでシキの背後に控えていたモモが、入れ替わるように一歩前へと進み出た。
「長老」
モモは衣服の袖を、ゆっくりとまくり上げた。
時をさかのぼるたびに侵食の度合いを増し、結晶化した右手。
それを、老人の目の前へと差し出した。
五指から手首までが半透明の硝子細工へと変貌し、結晶の奥から青白い光が漏れ出て、そこだけが別の生き物であるかのように脈打っている。
長老はその右手を目にするなり、腰を浮かせようとして失敗した。
杖を取り落として床に手をつくと、半身を支えながらうめき声をあげる。
「これは……そんな、馬鹿なことが。その結晶、あの祠を埋めつくすものと、全く同じじゃ。いや、それだけではない。お主のその手から伝わってくる重苦しい波動……なぜ、ビャクヤ様と同じものが、人の身から放たれておるのじゃ!」
長老は、突きつけられた結晶の手と、モモの顔へと視線を往復させ、その声を険しくとがらせた。
「トウヤめ……このことを知っておったのか。知っていて、お主をここへよこしたのか。一体何をさせるつもりじゃ。ビャクヤ様を、あの祠をどうする気じゃ。狂うたかトウヤ! あやつに、ビャクヤ様を渡すわけにはいかん!」
老人の身からむき出しの警戒の念が放たれ、たちまち怒気が室内に満ちる。
「待ってください、長老」
シキが即座にモモの前に割りこみ、長老の視線をさえぎった。
「大きな誤解です。僕たちはトウヤの仲間でもなければ、彼に命じられてここへ来たわけでもありません。むしろ、奴の暴走を止めるためにここへ来たと言ってもいい。僕たちもトウヤが何をたくらんでいるのか、そのすべてを把握しているわけではないのです」
「見え透いた嘘を! ならばなぜ、その娘がビャクヤ様と同じ呪いを宿しておる!」
「嘘なんかじゃない!」
モモはシキの横へと並び、身を乗り出すと、老人の薄紫色の瞳をまっすぐに見つめ返した。
その瞳には敵意も欺瞞もなく、ただ静かで、ひたむきな誠意だけが宿っている。
「わたしたちは、この里を滅ぼすために来たんじゃない。わたしのこの右手の結晶が、一体何なのか……その答えを知りたいだけなの!」
モモは自分の冷たい右手を左手でそっと包みこみ、言葉を紡ぎ始めた。
「どこのお医者様に診てもらっても、どんな学者様に尋ねても、この手のことは誰にもわからなかった。ただひとつ見つけたのが、古い昔話の一節――『オニがつかう呪いに、人を結晶に閉じこめる術がある』という伝承。だから、オニの住処と聞いたこの島へ渡ってきたの」
モモは右手を胸元へ引き寄せた。
「でも、島へ近づき、この里へ足を踏み入れた今なら、はっきりとわかる。わたしは、この島にいる誰かに、ずっと呼ばれていた」
モモの声に、熱がこもる。
「わたしを呼び続けているのは、ビャクヤという名前の少年。トウヤの弟。長老、お願い、教えてほしいの。ビャクヤはなぜ、封じられているの? この呪いは、解くことができるの?」
さえぎる者もない室内。
長老は、モモの結晶化した指先と偽りのないまなざしとを幾度も見比べていたが、やがてこわばらせていた身体から、脱力とともに怒気を霧散させた。
長老はため息を漏らすと、視線を囲炉裏の灰へと落とした。
「……よかろう」
二人の侵入者は、ようやくにして、客人として部屋へと招き入れられた。
◇
長老は杖の頭に目を落とし、ゆっくりと語りだした。
「かつてこの島には、白鬼と紅鬼が、ともに暮らしておった。――あの夜までは」
モモの右手が、大きく脈打った。
囲炉裏の灰が、白く見えた。
灰ではない。
里が、白い。
結晶を通して、モモの目に別の夜が流れこんでくる。
白砂の道に倒れた白鬼たち。
翼を持つ影が、家々の間を飛び回っている。
たたずんでいた小さな少年が、両手を広げて、何かを言った。
たちまち里が、白一色に塗り潰されていく。
翼の影も、倒れた同胞も、燃える家も、音ごと消えていく。
なかったことに。
ぜんぶ、なかったことに――。
その中にあって、ひとつの炎だけが形を保っていた。
炎――真紅の巨体が少年を抱えこみ、光ごと押さえつけている。
少年の口が動く。
ごめんなさい。
それとも、ありがとう。
モモは息を吐いた。
灰は、灰に戻っていた。
「見たのじゃな」
長老の声は、問いではなかった。
「浄化の光は、オニを根絶やしにする。白鬼も、紅鬼も、等しくじゃ。……あの光を押さえこんだのがグレンよ」
長老はそこで言葉を切り、囲炉裏の灰を、杖の先でゆっくりとかき回した。
「生き延びるためとはいえ、あのお方を檻へと閉じこめる儀式を、ワシ自らが手伝ってな。あのお方は最後まで、ワシに何も言われなんだ」
老人の声が、悔恨に震える。
「同胞を裏切り、その犠牲の上にのうのうと息をする……それが、我ら一族の呪われた因果よ」
話を聞き終えたモモは、胸をしめつけられるような痛みのなかで、毅然と長老を見すえた。
「同じ景色を、知っているの。わたしも見たの。トウヤがビャクヤを繭から連れ出したら、里も、島も、白く消えてしまった」
灰をかき回していた杖の先が、止まった。
「あやつは――トウヤは、もうそこにおる。夜半、里の者が裏山の祠へと降り立つ何者かの姿を見た。そのようなものは、白鬼とあやかしの間に生まれた、トウヤしかおらぬ。夜明けを待って、ワシ自らが祠へおもむき、あやつを問いただす手はずになっておったのじゃが……」
長老の言葉が、モモとシキの脳天に、衝撃となって突き刺さった。
もはや、一刻の猶予もない。
二人は目だけで示し合わせ、立ち上がった。
「長老、その役目、僕たちに任せていただけませんか」
「始まってしまったら、もう止められない。でも、わたしとシキなら!」
長老は杖を突くと、遅れて立ち上がった。
「ワシも追って駆けつけるゆえ……!」
その言葉を聞くや否や、シキは上がり框の刀をつかみ、モモとともに家から飛び出した。




