第二十七話 二人の夜路
斜面を登り、沢を越え、森の中をひたすらに進む。
道すがら、モモは乱れる息の合間に、知る限りのことをシキへ伝えた。
トウヤの狙いは、里の裏山の祠に封じられた弟を連れ出すことであるらしいこと。
その弟の名はビャクヤ。
モモの右手を呼び続けているのも、そのビャクヤなのだということ。
祠のなかが、この右手と同じ結晶で埋めつくされているのだということ。
そして、いつかの時の廻りで、グレンが自分を見下ろし、「器」という言葉を口にしたこと。
長老から聞いた伝承の一節、『光を受くる器、咎を廻り、時を渡り来たる』も。
シキはひとつひとつを胸に刻み、黙ってうなずいた。
それから足をゆるめないまま、独り言めいて口を開いた。
「時を渡る、か」
モモは答えず、ただ結晶の右手を胸元へ引き寄せ、小さくうなずいた。
短い休みを取るたび、シキは腰の鞘をあらためては、その先端のくぼみに、火薬を固く練りこんだ炸裂玉を仕込み直していた。
袖の暗器も、同じように点検する。
クロウの行方が知れない今、やれるだけの準備をしておかなければならなかった。
そしてついに、どちらへ進むべきか判別のつかない、自然にできた分かれ道に差しかかった。
モモが不意に足を止め、うっそうと生い茂る茨の奥を指差した。
「こっち」
シキは、ぎょっとした。
時を廻る彼女の記憶が、この暗闇のなかでそこまで正確に地形をたどれるものなのか。
それに、その茨の先からただよってくる、ただ事ではない禍々しい気配。
シキの顔を見たモモは、ふと、かつての幼馴染としての距離感を思い出させる、いたずらっ子の顔で笑った。
「道を知っているわけじゃないよ。ただ、この右手が、行き先を教えてくれるの」
結晶化した右手は青白く輝き、脈動した。
そして指し示した方向へ向かって、かすかに引きずられていた。
それが何を意味するのか、シキにはわからない。
複雑なまなざしをその右手に向けながらも、深くうなずき、先頭に立って茨をかき分けて進んだ。
モモの息は依然として荒かったが、その足取りには迷いや脆さはなかった。
やがて、行く手をさえぎる巨岩の裂け目を抜けると、風が吹き抜け、景色が一変した。
月の光が、霧の薄れた山肌をうっすらと照らし出す。
そこは、すり鉢状にくぼんだ山腹に隠されたせまい盆地だった。
この島で何が起こっても、ここにはその残響すら届かない。
そんな場所だ。
「ここが……」
シキのつぶやきが、冷え切った空気の中に白く消える。
眼下に広がっていたのは、物音ひとつしない集落――白鬼の里だった。
原木を組んだ家々の間に白砂の道が伸び、骨が散らばっているかのように白く浮かび上がっている。
陽が昇る前の、最も寒気が極まる時間帯。
今夜この島には荒くれ者の集団が押し寄せ、乱戦があった。
それなのにここには、戦支度の気配も、生活のにおいすら存在しない。
ただ、軒先の提灯だけが、ともることもなく夜風に揺れていた。
「夜明け前であることを差し引いても、この静まり方は腑に落ちない」
シキのつぶやきに、モモはただ、里の情景から目を離さなかった。
「行こう。ここが、わたしたちの目的地だから」
家々の軒先をすり抜け、二人は里の外れへと向かった。
シキはいつでも抜刀できるよう脱力し、モモの隣を歩く。
モモを守る盾は、自分しかいない。
その事実に、これまでいかにクロウに頼っていたかを思い知らされた。
囲炉裏に火の気はなく、煙も立ちのぼっていない。
だが、家々の中はもぬけの殻ではなかった。
暗がりの奥、むしろの上に横たわる者たちの希薄な息づかいが感じられる。
住人たちは確かに、そこにいる。
ただ息をしているだけの抜け殻のように。
板戸の隙間からのぞく子オニの姿。
今夜は、それすらない。
モモの足取りに迷いはなかった。
周囲を見回すことなく、集落の外縁にたたずむ、ひときわ頑強な造りの家へと歩みを進めていく。
「前は、ここで長老が出てきたの」
モモがその家の古びた板戸の前で足を止め、シキを振り返った。
シキは無言でうなずくと、音もなく板戸へ手をかけた。
土間へ立ち入ると、薄暗い部屋の奥、火の落ちた囲炉裏の前に一人の老人が座している姿が目に入った。
長く白いひげをたくわえ、杖をわきに置いている。
その薄紫色の瞳が、じっとシキたちを射抜く。
「何者じゃ、お主らは」
灰が崩れるような、ひび割れた声だった。
老人は、物音ひとつ立てずに眼前に現れた二人の若者をにらみすえ、杖を引き寄せると、その先を突きつける。
「グレンの遣いであれば、このような忍ぶ真似はせぬ。されど、関所を真っ向からねじ伏せてくるような剛の者には見えぬな。なれば、あやかしか。何をたくらんでワシの前に現れた。我らは何も持たぬ。語る言葉も、とうの昔に奪われたわ。お主らの目的は何じゃ。何をすれば、この里から立ち去る」
シキは腰から刀を鞘ごと抜き、上がり框にコトリと置いた。
手のひらを見せて害意がないことを示すと、口を開く。
「こちらの素性を測る必要はありません、長老。すべてお話しして、その上で、お尋ねしたいことがあるのです。お察しのとおり、僕たちは島の住人ではないし、あやかしでもありません。ただ、あえていうなら『招待された』とでもいうべきでしょうか。トウヤという名の、白髪の男にね」
「……っ!」
長老の息が鋭く空気を震わせ、杖を握る手が床を打つ。
「あやつ……いや、なぜその名が……」
「僕たちを運んできた船の船長を焚きつけたのも、あの男です。財宝があると吹きこみ、潮の道を教えて、この島へ誘いこんだ。いまも島のどこかで、人間とオニが斬り合っている」
「……あやつなら、やりかねん」
「狙いは騒ぎそのものです。グレンの目を入り江と関所へ引きつけて、その隙に何かをする。そのために白鬼の里が巻きこまれることもいとわない。封じられた弟も、です」
長老は震える息を吐き出し、細められた瞳でシキをじっとにらみすえたまま、かたくなに唇を閉ざす。
動揺は隠しきれず、その沈黙も、わずかな間しか続かなかった。
「去れ。よそ者に語る言葉など、何ひとつないわ」




