第二十五話 吊り橋
目が合った。
見張りたちが、はじかれたように動いた。
オニの顔が凶暴にゆがみ、喉の奥から咆哮が上がる。
こうなってしまえば、もう隠れてはいられない。
囲まれる前に動くしかなかった。
「俺が引きつける! シキ、モモを連れて橋へ走れ!」
誰よりも早く動いたのは、クロウだった。
オニたちが武器をかかげて殺到するなか、クロウは二人を背に隠して立ちはだかり、その広い背中から大剣を、鋭い金属音とともに引き抜いた。
襲いかかってきた最初の一体の鉞を大剣の腹で受け止めるなり、力任せの押しこみではじき返す。
剛と柔を切り替え、立ち位置を変え、猛攻をしのぐクロウ。
その足が、半歩、後ろへ滑った。
二体目が回りこめば、それで終わる。
その打ち合う音が、呼び水となった。
霧の向こう、森の奥や水路の先といった別の場所からも、無数の足音が近づいてくる。
この数は、さばききれない。
このままここで足を止めれば命運が尽きる。
迫りくる死の気配を前にして、クロウは大剣を握り直した。
「シキ、モモを頼んだぞ!」
言うなりクロウは、守りから攻めへ転じた。
大剣を振り回してけん制しながら、自らに隙を作り、敵の攻撃を誘い出す。
身の安全の一切を投げ打ち、体当たりを敢行する。
鉄と鉄、肉と肉が激突する凄まじい音が響き、橋への道筋が開かれた。
「だめ!」
これまで必死に感情を殺していたはずのモモが、初めて、金切り声を上げた。
その顔にあるのは、おのれに迫る死への恐怖などではなかった。
顔をクシャクシャにゆがませ、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちていく。
モモはクロウの衣服をつかもうと、必死にその小さな手を伸ばした。
「クロウ! そうやっていつも、わたしをかばって、先に死んじゃうんだから! こうならないために、わたしは……わたしは……!」
首を振り、叫び続けるモモ。
その言葉を耳にして、シキの全身を、落雷が貫いた。
いつも、先に死ぬ――。
シキはモモの腰に腕を回し、その軽い身体を半ば引きずって、吊り橋へと駆けた。
「クロウを救いたければ、まず君がこの場を逃れるんだ。でないと、いつまでたってもあいつは無茶をやめない!」
走って渡れば、この心もとない吊り橋は、ひとたびの揺れで制御を失う。
シキの声に導かれ、モモは恐怖をこらえながら、一歩一歩、古びた木板を一枚ずつ確かめて進み出した。
吊り橋の半ばで、背後から凄まじい衝撃が橋を襲った。
数体のオニが、吊り橋へと踏みこんできていた。
異形の巨体がもたらす重みによって、吊り橋は生き物さながらに上下にのたうった。
木板がきしみ、暴れ狂う。
モモの身体が、大きくよろめいた。
シキはとっさにモモの腕をつかみ、綱を握らせる。
細い背を前へと押し出すと、自らは進行方向とは逆に、迫りくるオニの側へと向き直った。
吊り橋の途中で足を止め、その身を盾にして立ちはだかる。
「そのまま前だけを見て進むんだ!」
背後でモモが必死に足を進め、かろうじて対岸の岩場へとたどり着き、湿った土へと這い上がっていく気配がした。
だが、しんがりを務めるシキのすぐ目の前には、すでにオニの影が肉薄していた。
篝火の赤黒い光を背後から浴びた異形が迫る。
太くただれた腕が伸ばされ、シキの衣服へつかみかかろうとして、虚空を裂いた。
この不安定な足場で、刀を抜く猶予などない。
シキは瞬時に左右の親綱をつかみ、全体重をかけて、足元の木板を蹴りつけた。
波打つような衝撃が、ふたたび吊り橋を狂わせる。
綱が引き絞られ、木板が左右に大きくかたむいた。
シキに迫ろうと体勢を崩しかけていたオニは、その予期せぬ揺れに足元をすくわれ、たまらず綱にしがみつく。
その一瞬の隙を、シキは見逃さなかった。
かたむく板を強引に踏みしめ、一気に残りの距離を駆け抜ける。
対岸へと転がり、モモのかたわらへと滑りこんだ。
安堵の息を漏らすいとまは、与えられない。
オニは即座に体勢を立て直し、猛り狂った眼でシキをにらみつけ、大きく足を踏み出した。
さらにその背後、吊り橋のたもとには、次なる異形の群れが、今まさに殺到しようとしている。
対岸へ伸びようとする、悪夢の連なり。
それを、クロウは見ていた。
殺到する刃を大剣ではじき、土を巻き上げる大振りでオニを飛びのかせる。
同時に、クロウは地を蹴ってきびすを返した。
一足で、吊り橋へ。
迷いも、よどみもない。
身体をひねる力のすべてを刃に乗せ、吊り橋の太い麻縄の結び目へとたたきつけた。
親綱が、はじけ飛ぶ。
支えを失った吊り橋が、オニを乗せたまま虚空でのたうち、はるか下方の激流へと崩れ落ちていく。
谷底へのまれていく、異形どもの咆哮。
モモとシキの目の前で、里へと続く道と、クロウのいる対岸とが分断された。
「いやだ! そんなの!」
奈落のふちで、モモの絶叫が夜空へとこだまする。
対岸に残されたクロウの背後には、退路のない断崖。
前方からは無数のオニ。
それなのにクロウの口元はゆるみ、満足げに息を吐いた。
誰に聞かせるでもなく何事かを小さくつぶやくと、猛然と駆けだし、その勢いのまま、足元の土を蹴り上げる。
オニが顔をそむけ、腕で土を防ごうとした一瞬の隙を、大剣が裂いた。
さらに切りこんでいくその苛烈な姿は、次々と群がるオニの波に隠れ、暗闇と霧の向こう――モモたちの視界から、消えていった。




