第二十三話 大水路
甲板へ出た三人を迎えたのは、すべてを白く塗り潰す、底冷えのする濃霧だった。
頬に細かな水滴がまとわりつき、吸う息が肺の奥で重くなる。
この先に何が起きるかを、モモは知っている。
火矢、座礁、上陸戦。
知っている光景が、また始まる。
果たして、火矢の雨が降り、船底が浅瀬をかみ、甲板がかたむいて止まった。
すべて記憶のままだ。
違うのは、人間の側だけだった。
隻眼となった船長の号令で、男たちは木盾をかかげ、火矢を蹴り折り、我先にと浅瀬へ飛び降りていく。
背後にいるのは、オニより恐ろしい船長だ。
男たちは血に酔った勢いのまま、砂浜のオニの群れを一方的に蹴散らしていった。
浅瀬に降り立った船長は、大鉾を無造作に振るってオニを退けると、鼻で笑った。
「戦いってもんをわかってないねえ」
分散し、無計画に突っこむだけのオニは、統率された人間の前には無力だった。
生き残りを縛り上げにかかる手下たちを満足そうにながめ、船長は砂浜を歩いていく。
◇
「今よ。ついてきて」
モモはクロウとシキに合図を送ると、霧にまぎれ、岩陰の死角をぬって、その場を後にした。
急ぎ足のまま東の砦を横目に、かつて記憶の中で上陸した、険しい崖がそびえる島の裏手へと、足音をしのばせ進んでいく。
シキは、冷え切った指先を軽く握りこみながら、その小さな背中を見つめていた。
初めて訪れた、霧と暗闇に覆われたこの島で、モモが選ぶ道はことごとくオニの気配を外し、起伏の険しい地形を避け、意志をもって進んでいる。
そのあまりの確かさに、シキの胸の奥で、言葉にならない違和感がいつまでも拭われずにいる。
臆病なのに勇気があって、考えるよりも先に行動してしまう。
二人の幼馴染を振り回しながらも守られていた少女の面影を、そこに見出せない。
いくら考え、観察したところで、答えは出ない。
いや、本当はわかっているのかもしれない。
こうあってほしいという、シキが望む答えに到達しないだけなのかもしれない。
やがて、岩肌をかむ水の音が、地鳴りめいて低く響き始めた。
視界が開けたのは、切り立った崖の縁だった。
眼下には、墨を流したような水路が滔々と流れている。
両岸の黒岩は垂直に切り立ち、はるか下方の水面は、夜の闇と深い霧にさえぎられて、輪郭すら定かではない。
対岸には、目的の山が険しくそびえ立っている。
しかし、この高低差と幅を前にしては、跳んで渡ることなど到底不可能だった。
モモは崖の端にたどり着いたとたん、膝から崩れた。
湿った岩肌に手を突き、荒い呼吸を整える。
額と首筋からは大粒の汗が流れ落ち、服をぬらしていた。
「少し休憩しようぜ」
クロウはモモを座らせると、竹筒を手渡す。
モモは胸を押さえ、水を喉へ流しこんだ。
「ゆっくり飲め。無理に話さなくていい」
クロウの優しさに甘え、モモはひとつ深呼吸をすると、そっとうなずいてみせる。
シキは痛ましげに顔をゆがめながらも、視線を崖の向こうへと向けた。
そこへ、モモが声をかける。
「あの山へ、行かなければならないの。その先に里があるから。でも、渡れそうにないね。このあたりにはオニが潜んでいるかもしれないから、できれば避けたかったのだけど」
モモの言葉を聞きながら、シキは険しい岩壁の連なりと、水路の先にあるはずの島の全景を、頭の中で描き出していた。
霧の向こうの深い闇を、じっと見すえる。
「これほどの大水路だ。オニたちが使わない手はない。どこかに渡り場がある。島の中心に向かおう」
シキの進言に、モモは息を整えながら、深く、頼もしそうにうなずいた。
「うん。それでいこう」
ここからはクロウを先頭に、三人は身をかがめて岩の障壁を伝った。
湿った苔のにおいと、粘りつく霧が肌にまとわりつく。
島の内奥へ進むほどに木々はうっそうと茂り、月光すらさえぎられた暗がりのなかを、ただ互いの息づかいだけを頼りに進んでいく。
どのくらいの距離を歩いただろうか。
突如として、視界を塞いでいた霧のとばりが風に裂かれ、巨大な谷の裂け目が姿を現した。
崖と崖のはざまに、蜘蛛の糸のように細く、頼りない吊り橋が一本、渡されている。
古びた縄と朽ちかけた木板で編まれたそれは、谷底から吹き上げる風にさらされ、ギィ、ギィと悲鳴を上げていた。




