第二十二話 信じる男、疑う男
シキは、クロウが飛び出していった扉に目をすえたまま、日が落ちるまで立ちつくしていた。
答えを探そうとすればするほど思考の迷宮に囚われ、身体が動かなくなる。
船体が波を割る鈍い音すら、今のシキには届かなかった。
どれほどの時間が流れただろうか。
ようやく、声を出す。
「モモ。君は、何を知っているんだ」
困惑を超えて、恐怖がにじんでいるのが自分でもわかった。
モモは寝台にぽつんと腰かけたまま、膝を抱きかかえ、シキの視線をまっすぐに受け止めている。
「君の言うことは、ただの予知や、あやかしの噂話の範疇を超えている」
シキは一歩、モモのほうへ足を踏み出す。
乾いた喉から、やっと言葉が出た。
「確信に満ちすぎているんだ。これから起きる惨劇を、まるで一度その目で見てきたかのように断言する。それに、どうして、僕を頼らない? 爪の変異におびえた夜も、島へ行こうと決めた日も、モモは、いつだってひとりじゃなかった」
モモは右手に視線を落とすと、困ったような表情でシキに答えた。
「わたしは、シキみたいにいくつものことを同時に考えられるほど器用じゃないんだ。今だって、なにが正解かはわかっていないし、これからのことを考えると、もうそれだけで頭がいっぱいになっちゃうんだよ。伝えたいことはたくさんあるけど……ぜんぶ話していたら手遅れになるくらい、余裕がないんだよね」
モモの声は変わらず平坦で、押し殺されている。
「これから起こること。この船の誰もが、島でオニに殺されるの。入り江で、水路で、砦で、関所で。里までたどり着けても、またそこで。なにをしても、うまくいかない。それはシキもだよ。いつだって、わたしをかばって……。でも、もうそんなの、絶対にいやなんだ」
モモはシキを見つめ、言葉をつなげた。
「お願い、シキ。わたし、やってみたいことがあるの。でも、どうしてと言われても、たぶんそうするしかないんじゃないかな、としか言えないの。へへっ、ごめんね」
これまでにないほどの、感情のこもった言葉だった。
シキに向けられたモモの瞳は、今にも涙がこぼれそうなほどにうるんでおり、膝を抱えた指先には、袖が握りこまれていた。
それでも、シキの心は追いつかなかった。
どこまでが本気で、どこからが嘘か、わからない。
本当のモモと、目の前のモモとが、違って思えてしまう。
懇願と拒絶が同居する幼馴染の姿に、どうしても畏怖が勝ってしまう。
シキは一歩、後ずさった。
モモの目から光が引いた。
膝を抱えた腕が、少しだけ深く抱え直される。
シキには、その理由がわからなかった。
巨大な船体が悲鳴を上げ、足元の床が大きくかたむいた。
甲板から、船乗りたちの怒号と、太綱を引く音が響いてくる。
船が、大きく針路を変えた。
間もなく、扉が開け放たれ、クロウが部屋に飛びこんできた。
よほど急いでいたのだろう。
肩を上下させ、呼吸も荒い。
しかし、その瞳には強い光が宿っている。
クロウはモモを見るなり、床につかんばかりの勢いで頭を下げた。
「モモ、お前が正しかった、すまねえ!」
謝っているのか、怒鳴っているのか。
「あの白髪の――流れ着いてきた野郎は、人じゃなかった。翼を持ったあやかしだ。せっかくモモから聞いていたのに、まんまと逃がしちまった」
シキは、床に頭を下げたクロウから目を離せずにいた。
「俺はもう迷わねえ」
クロウは顔を上げ、モモを見すえた。
「お前は、お前だ。何か、事情があるんだろ。それは、あとで聞かせてくれたらいい。ただ俺は決めたんだ。お前を信じる。だから、俺のことも信じてくれ」
モモはふっと、硬くこわばらせていた表情をゆるめた。
いつものモモの、柔らかく、愛らしい笑顔を浮かべて応じた。
「ありがとう、クロウ」
シキはその笑顔を見つめながら、心からは同調できずにいた。
「待てよ、クロウ。君は本当にそれでいいのか?」
シキはたまらず声を荒らげ、クロウの背中につかみかかろうとした。
「確かにモモの言う通りになった。だが、だからこそだ。万が一にもモモが僕たちを置いて、どこか遠くへ行ってしまったとき、僕たちはなにを信じて、どこを目指したらいいのか、わからなくなってしまうんだぞ!」
「いい加減にしろ、シキ!」
激昂したクロウが振り返り、シキの胸ぐらを乱暴につかみ上げた。
「モモがあやかしの正体を見破ったのは事実だろ。ただ言えねえだけで、でも、俺たちのために必死になって、何かやろうとしているんだ。わかるだろ? 俺たちが信じてやれなくて、どうする!」
いつもなら、弁舌ではクロウを圧倒するはずだった。
だが今のシキは、胸ぐらをつかまれたまま、唇をかみしめ、うつむくだけだった。
「わかっているんだ。でも、僕にはどうしても、あのモモが……僕たちの知っている彼女に見えない」
震えるシキの姿を、モモは見ていた。
「残念だけど、本当にもう、時間がないの」
モモは立ち上がり、張りつめた声で二人をうながした。
「もう島が見えてくると思う。そうしたら、上陸前にオニが来る」
激情に揺れる三人の想いを乗せたまま、船は白く深い霧のなかを突き進んでいく。




