第十七話 白い濁流
「まあ、その程度のことでたどり着けるほど、甘い道のりではありません。……ですが、あなた方も感じたのではないですか? 島全体に轟く、ビャクヤの苦しみの声を」
あの、里を吹き抜けた冷たい波動。
モモはとっさに振り返った。
クロウの手は、もう大剣の柄にかかっている。
「か……隠された、財宝――は、ははっ……はたして見つかりますかねえ……!」
トウヤは肩を揺らし、笑いを噛み殺しきれずにいた。
ふたたび足元の岩盤が揺れ、遠い喧騒の音が、モモの鼓膜を打った。
右手の結晶が、巨大な繭の波長と同調し、明滅を始める。
そんななか、トウヤは目を細めた。
「さあ、行きなさい。優しい君は、この状況を放っておけないのではないですか?」
「そんな……嘘……!」
いま里で起こっていること。
これから起こる、むごい未来。
モモはきびすを返すと、洞窟の出口へと駆け出した。
クロウとシキが猛然とその背を追う。
出口までの道は、来たときよりもはるかに短く感じられた。
岩肌を蹴り、闇をかき分けて駆けるうち、前方に洞窟の口が見えてきた。
差しこんでくるのは月明かりではない。
ちらちらと明滅する、赤い光だった。
洞窟を飛び出す。
裏山の斜面に開いたその口からは、盆地の底に広がる里が、一望できた。
息が、止まった。
白砂の里が、燃えていた。
松明をかかげた人間たちが、わらぶきの家々の間を我が物顔で駆け回っている。
板戸をたたき割る音。
家財を引きずり出す音。
宝はどこだとわめき散らす濁声。
船の上で縄を引き、櫂を握っていた、あの男たちだ。
全身に墨を入れた半裸の男が、かまどの火をわら屋根へ放り投げる。
数刻前まで同じ船にいた男たちが、炎に照らされ、狂熱に紅潮していた。
「やめて……」
声は届かない。
届くはずもない。
斜面を隔てた、ずっと先だ。
逃げまどう白鬼たちの、小さな影。
母親が幼子を抱え、白い角を布で隠し、物陰へ転がりこむ。
その行く手を、大鉾をかついだ巨体が塞いだ。
船長だ。
財宝の在処を吐かせようというのか、逃げる者の襟首をつかみ上げ、怒鳴っている。
そして、燃え上がる家々を背に、あの長老がいた。
杖を取り落とし、それでも両腕を広げ、震える民をかばって、押し寄せる男たちの前に立ちはだかっている。
憐れな白鬼の命を、これ以上もてあそばんでくれ。
ほんの先ほど聞いた声が、耳の奥でこだました。
わたしたちが。
わたしが、この島に渡ることを望んだから。
その望みが、形を変えて、人間を島へ運んでしまったから。
喉の奥が、焼けるように熱い。
目をそらすことも、まばたきすることさえも、できなかった。
「モモ、止まるな!」
クロウの声に、モモは我に返った。
網膜には、炎のなかで両腕を広げる老人の姿が、焼き印となって残っている。
それでも、里へ下る山道へ足を踏み出した。
しかしその足が、すぐに止まった。
下から、来る。
山道を埋めて、紅い肌の兵たちが登ってくる。
先頭が洞窟の前の岩場へ出ると、左右へ広がって、道を塞いだ。
里へ向かう道も、祠へ戻る道も。
その列を割って、ひときわ大きな影が進み出た。
グレンだ。
里の火を背にして、ゆっくりと岩場を上がってくる。
関所から祠を目指してきた。
里の騒ぎには目もくれずに。
グレンはモモたちを一瞥すると、兵に「捕らえよ」と命じた。
自らは、何ごともなかったかのように、洞窟の口へと歩を進める。
兵たちの肩越しに、眼下の里が燃えている。
悲鳴と怒声が斜面を這い上がってきて、黒煙がモモの目を刺した。
モモはグレンの覇気に押されそうになりながらも、通り過ぎようとするその巨体の前に必死に立ち塞がり、叫んだ。
「そんなことより、里が! お願い、ここを通して。グレン、あなたも、どうしてこんな……!」
モモの悲痛な叫びを見下ろし、グレンは表情ひとつ変えず、声を放った。
「勘違いするな、人間の娘」
その声には、対話を一切許さない、断絶の響きがあった。
「これは白鬼どもが自ら招いた、その報いだ。それに、この奥――浅はかな振る舞いで島に危機をもたらす羽虫から、封印を護らねばならぬ」
なにを。
なにを言っているの。
最初から、何ひとつ届いてなどいなかった。
洞窟の奥から、一人の少年を抱きかかえたトウヤが姿を現した。
彼の瞳からは、もはや正気は感じられない。
腕のなかにいるのは、白鬼の少年――ビャクヤだった。
少年の身体から白光があふれ、足元の岩に白い亀裂が走っていく。
モモの右手が、焼けるようにきしんだ。
「大丈夫ですよ、ビャクヤ……いま、僕が代わってあげます。もう我慢せずとも、いいのですよ」
トウヤは爪の割れた血まみれの手のまま、弟の放つ光をすべて我が身で受け入れようと、優しく微笑んだ。
光に灼かれて、麻布の背が焦げていく。
それでも腕をゆるめない。
しかし、それはかなわなかった。
「――だめだよ、兄様」
暴走する白光のなかで、ビャクヤは氷の涙を流しながら、ゆっくり首を振った。
モモの右手が、その拒絶に共鳴して脈打った。
結晶を通して、少年の想いが流れこんでくる。
兄にこんな因果を背負わせることも、自分に代わってもらうことも、少年は望んでいない。
それに――兄の腕では、この光は受け止めきれない。
ビャクヤは最後の力を振りしぼり、トウヤを優しく拒絶した。
「なぜ……なぜ拒むのです、ビャクヤ! 君を救うために、僕がやってきたことを、なかったことにしないでください。僕を……僕を、置いていかないでください!」
トウヤの絶叫が響き渡る。
しかし、いや増して輝きを広げた光はすべてを包みこみ、視界を白く奪いながら、トウヤの腕の中からビャクヤの身体を遠ざけていく。
トウヤの顔から、表情が消えた。
声も出さず、伸ばした腕を下ろすこともできず、白髪の若者はただ立ちつくしている。
制御を失ったビャクヤを中心に、破滅の光がほとばしった。
紅蓮の炎を。
凄惨な戦場を。
人間たちの醜い欲を。
そして、すべてを利用したつもりになっていたトウヤも、グレンとその軍勢も、等しく押し潰すように、里の全域を白光が覆いつくしていく。
「モモ!」
それは、誰の声だったか。
いや、声ですらすでになかったかもしれない。
押し寄せる光の濁流のなか、クロウが、シキが、なすすべもなく迫る崩壊から、モモの身体をかばって立ちはだかった。
だが、人の身の武勇など、何の意味もなさなかった。
二人の身体が光のなかに溶けて崩れ、その気配が消えた。
「嫌……嫌あああああッ!」
わたしのせいだ。
わたしが話そうとしたから。
わたしが、頼ったから。
「もう、信じない。わたしだけで、わたしの力だけで、すべてを……!」
モモの意識が、後悔と憎悪にのまれかけた。
彼女の右手が異様なまでの輝きを放ち、結晶が急速にその侵食を広げ、右手のすべてをのみこんでいく。
内奥からあふれ出た遡行の光が、暴走する白光と溶け合って世界を均一に塗り潰し、頭蓋をたたき割るような激痛が、モモの意識を引き裂いていく。
消えていく意識の底で、世界はまたしても、あの始まりの白闇へとさかのぼる。
モモを、新たな旅路へと連れ去っていく。




