第十一話 炎の瀬戸
やがて船は、慎重に速度を落としていった。
瀬戸へと侵入し、上陸地点を求めて水流任せに進んでいる。
両岸を高い崖に囲まれたせまい水路。
そのせまさゆえに流れが速く、一度引きこまれてしまえば、自力で停船することも、反転して逃げ出すこともできなくなる。
モモは船尾の物陰で、自分の右手を強く抱えこんでいた。
右手の結晶が霧の冷気を吸い上げて、ピキピキとかすかな音を立てている。
骨の奥をえぐるような痛みが、徐々に強くなっていく。
オニたちの領域へ、あの惨劇の舞台へと、確実に近づいている証拠だった。
水音のほかに、何も聞こえない。
そんな中、左右の岩壁の上から無数の赤い光の筋が現れ、夜空を埋めつくした。
降り注ぐ火矢の雨が帆を焼き、夜の水路が赤黒い炎の道へと変わっていく。
「敵襲! オニだ、オニが出たぞ!」
燃えさかる火の光に照らされ、崖の上から太い縄を伝って、異形の影が次々と滑り降りてきた。
この瀬戸も、崖からの襲撃も、モモには初めて見る光景だ。
それなのに、あがる悲鳴と怒号だけは、あの砂浜で聞いたものとまったく同じだった。
耳になじんだその音に、喉の奥が引きつり、あの水底の記憶がよみがえりかける。
崩れ落ちそうになったところへ、シキが正面へ回りこみ、モモの凍える右手を、自分の両手で痛いほどに強く握りしめた。
「モモ、僕を見て。クロウだって、そこにいる。君をおいては、どこへも行かない」
手のひらに走る鋭い痛みと、言葉のくさび。
モモの意識は現実の戦場へと引き戻され、呼吸がつり合いを取り戻していった。
「まあ、なんとかなるだろ」
クロウの大剣が、肉薄した一体を受け止めざま、激流へたたき落とす。
シキはモモを背にかばったまま、倒れたオニから手斧を奪うと、まだ中空にあったオニへと投げつけた。
二人が斬り開いた空白を、船は炎を引きずったまま進んでいく。
それでも船全体の戦況は、劣勢の度を深めていった。
頭上から降り注いでいた火矢はすでに止んでいる。
にもかかわらず、屈強な船乗りたちは火の雨への恐怖から抜け出せず、降下してきたオニの勢いにのまれ、一方的に追いやられていく。
◇
物陰から、白い髪が見えた。
トウヤが、船長の背後に音もなく近づいていく。
「船長殿」
おびえきった奴隷のふりはそのままに、トウヤは船長の衣服のすそを弱々しくつかみ、何かをささやいた。
船長の両の目が、ぎらりと光った。
「――野郎ども、聞いていたかい! 奴らは矢を撃ちつくしちまったってさあ! 崖の上にはもう、案山子のひとつも残っちゃいないわ!」
死角から放たれた槍の一撃を野性的な反応でかわすと、船長は、そのオニを蹴倒し、さらに踏み潰す。
そして、大きく息を吸った。
「男を見せなぁ!」
雷鳴じみた檄が、崩れかけていた手下たちの戦意を強引につなぎ止める。
奮起した男たちは頭上へのおびえを振り払い、燃えさかる甲板の物陰から一斉に這い出して、目の前の敵へ武器を突き出し始めた。
トウヤがふたたび、船長の耳元へ身をかがめた。
左手を自分の胸に当て、首をかしげている。
「へぇ……。やられっぱなしでいられるかってのよ。逆にオニの拠点を襲撃してやるわ。根こそぎ奪って、とっととこの島をずらかるわよ」
船長は手下どもへ向けて、侵攻の指示を怒鳴り散らした。
何も知らずに欲にのまれた男たちが、あおり立てられていく。
船長が巨体を震わせながら操舵室へ向かい、舵手に命を下す。
船体が引き裂かれる悲鳴を上げ、大きくかたむいた。
うねりとともに、炎を巻き上げる船首が、水路の最奥――桟橋へと激しく乗りつけた。
接岸の凄まじい衝撃に、甲板の全員が体勢を崩す。
船はついに、黒煙を巻き上げながらも、隠ヶ島の裏手へと深く突き刺さって停止した。
その衝撃が収まるよりも早く、操舵室から飛び出してきた船長の怒号が響き渡る。
「お宝は目と鼻の先よ。拠点の発見者には、報奨金を弾むわよ!」
船長の声に奮起した男たちは、松明をかかげ、我先にと船べりから桟橋へと飛び降りていった。
興奮冷めやらぬ、人のふりをした獣の群れが、眠っていた夜を踏み荒らしていく。




