第8話-贖罪(Expiatio Peccati)
包帯だらけのウィアとカーデンス、疲労を隠せないフェリア。
そして、その横でいつも通り羽を揺らすエラが会長室へ入った。
重厚な扉が静かに閉まる。
広い室内の中央。
書類の積まれた机の向こうで、オリヴィエが椅子に腰掛けていた。
窓から差し込む夕陽が、その蒼い髪を淡く照らしている。
「任務直後だというのに呼び出してしまって悪いね。」
穏やかな声だった。
「どうやら、かなり大変だったようだ。」
オリヴィエはウィアとカーデンスへ視線を向ける。
二人とも包帯だらけだ。
特にカーデンスは全身のあちこちに治療痕が残っている。
その後、オリヴィエはフェリアへ目を向けた。
「いえ。」
フェリアは背筋を伸ばしたまま答える。
「会長のお呼びですから。」
簡潔な返答。
そして最後に――
オリヴィエの視線がエラへ向けられた。
「さて。」
穏やかな笑みを浮かべる。
「その天使の羽を持つ女性について、隠さず聞かせてもらおうか。」
部屋の空気が少しだけ張り詰めた。
だが当の本人は全く気にしていない。
「エラです。」
エラは胸を張った。
「私の名前はエラです。初めまして。」
さらに腰へ手を当てる。
どこか誇らしげな表情だった。
完全に自己紹介モードである。
ウィアとカーデンスは思わず顔を見合わせた。
――やってしまった。
そんな感想が自然と一致する。
ここまで来たら隠し通せない。
ウィアは小さく息を吐いた。
そしてこれまでの経緯を説明し始める。
エラとの出会い。
遺跡での出来事。
そしてレクリア、クレスと話した先史文明について。
話が終わる頃には、室内は静まり返っていた。
「ふむ……。」
オリヴィエが額へ手を当てる。
「28億年前の文明か。」
珍しく困ったような表情だった。
隣ではフェリアも僅かに目を見開いている。
彼女ほど感情を表に出さない人物でも、流石に衝撃だったらしい。
「つまり。」
フェリアが口を開く。
「試験の際に髪色が変化した力も――」
「エラの力です。」
ウィアが素直に答えた。
少し視線を落としながら。
フェリアは小さく息を吐く。
オリヴィエは腕を組んだ。
「なるほどね。」
そして。
「なぜ嘘をついたんだい?」
真っ直ぐな視線が向けられる。
責めるような声ではない。
純粋な疑問だった。
ウィアは少しだけ言葉に詰まった。
「それは……。」
指先を握る。
「国家レベルの貴重品だと思ったので。」
「研究対象として取り上げられるかもしれないって……。」
言い終わる頃には声が小さくなっていた。
数秒の沈黙。
そして――
「ぷっ。」
オリヴィエの肩が震えた。
「あははははは!」
盛大に吹き出した。
会長室に笑い声が響く。
「いやねぇ!」
オリヴィエは腹を抱えた。
「そんな事する訳ないじゃない!」
その瞬間だった。
口調が完全に変わった。
ウィアは目を瞬かせる。
カーデンスも思わず固まる。
先ほどまでの会長らしい落ち着いた雰囲気はどこへ行ったのか。
「あのねぇ。」
オリヴィエは笑いながら言う。
「私はウィアちゃんのお父さんと親友だったのよ?」
「そんな関係の子に酷い事する訳ないでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間。
視界の奥に何かが差し込んだ。
知らないはずの景色。
若い頃のオリヴィエ。
その隣で笑う黒色と銀色、2色の髪色を持つ男性。
2人で何かを話しながら歩いている。
依頼帰りだろうか。
夕暮れの道。
楽しそうな声。
懐かしい空気。
まるで本当に見たことがあるかのような光景だった。
「……え?」
ウィアは思わず目を見開く。
だが次の瞬間には消えていた。
幻のように。
今のは何だったのだろう。
父の記憶なのか。
それとも――
ウィアは小さく首を振った。
今考えても分からない。
顔を上げる。
すると。
オネエ口調を見せたオリヴィエを、フェリアが冷たい目で見ていた。
氷のような無表情。
だがその瞳だけが語っている。
――また始まりましたか。
オリヴィエは視線に気付いた。
「あら?」
フェリアは無言だった。
室内に微妙な沈黙が流れる。
「……。」
「……。」
その空気に耐えきれず、カーデンスが小さく呟いた。
「なんか今、一番怖いのフェリアじゃねぇか?」
「同感。」
ウィアも即答した。
「さて、ウィアちゃん。」
オリヴィエが人差し指を立てる。
「ここからは歴史のお勉強の時間よ。」
そう言って軽くウィンクした。
ウィアは少しだけ身構える。
嫌な予感しかしない。
「フェリア、説明してちょうだい。」
「承知しました。」
フェリアが一歩前へ出る。
その直後、室内の投影装置が起動した。
淡い青色の光が空中へ広がり、巨大な年表が浮かび上がる。
ウィアは思わず息を呑んだ。
「まず確認します。」
フェリアが振り返る。
「現在使われている暦の名称は分かりますか?」
「AP――《アフター・プラエクルソル》です。」
ウィアが答える。
フェリアは小さく頷いた。
「正解です。」
空中の年表に数字が浮かび上がる。
《BP35》
「全ての始まりはBP35年。」
「人類の故郷である太陽系において、先史文明の遺産が発見された年です。」
映像が切り替わる。
漆黒の宇宙。
その中に浮かぶ青白い天体。
「発見場所は冥王星。」
「そこで発見された遺産は、人類史を根底から変えました。」
次々と映像が変化する。
巨大な宇宙船。
建造される移民船団。
星々へ旅立つ無数の光。
「遺産から得られた技術によって、人類は星の海へ進出します。」
「多くの植民船が建造され、星々を繋ぐゲートを建造し、数え切れないほどの移民が未知の惑星へ旅立ちました。」
カーデンスが映像を見上げる。
「今の帝国もそこから始まったってわけか。」
「その通りです。」
フェリアは続ける。
「しかし、人類は発見した技術の全てを理解できませんでした。」
「仕組みも原理も解明できない技術が数多く存在していたのです。」
映像に複雑な機械構造が映る。
人類の研究者たちが頭を抱える様子も表示された。
「そのため人類は敬意を込めて彼らをこう呼びました。」
空中に文字が浮かぶ。
「プラエクルソル。」
「《前を走る者》です。」
静かな声が続く。
「つまり、この文明の正式名称は現在も不明。」
「我々が彼らをそう呼んでいるだけなのです。」
説明が終わる。
オリヴィエが満足そうに頷いた。
「ありがとう、フェリア。」
そして机に肘をつく。
「さて。」
その瞳がエラへ向けられた。
「問題はここからなのよ。」
部屋の空気が少しだけ変わる。
「ペレグリニ。」
オリヴィエはその名を口にした。
「《旅する者》」
「この文明は未来予知を持っていたのよね?」
「はい。」
エラが答える。
「極めて高精度な未来予測能力を有していました。」
オリヴィエはゆっくり頷いた。
そして静かに問いかける。
「じゃあ。」
「もし人類の大移民が始まらなかったら?」
誰も答えない。
「もしゲートが繋がらなかったら?」
「もしゲートが停止しなかったら?」
オリヴィエの声が少しずつ低くなる。
「もしウィアちゃんがこの惑星で生まれなかったら?」
ウィアの肩が僅かに揺れた。
「もしウィアちゃんがあの遺跡へ行かなかったら?」
沈黙。
会長室が静まり返る。
カーデンスが口を開いた。
「おい……。」
その声は僅かに震えていた。
「まさか。」
オリヴィエは笑わない。
珍しく真剣な表情だった。
「そう。」
静かな声。
「人類大移民時代の始まりも。」
「九文明による盟約も。」
「ゲート停止という歴史的事件も。」
「そして。」
オリヴィエの視線がウィアへ向けられる。
「ウィアちゃんがあの遺跡に辿り着いたことさえも。」
誰も息をしない。
そう錯覚するほどの沈黙。
そして。
「全部、計算の内だったとしたら?」
その言葉が落ちた瞬間。
空気が凍り付いた。
ウィアの背筋を冷たいものが走る。
偶然だと思っていた出来事。
運命だと思っていた出会い。
その全てが誰かの設計した道筋だったとしたら。
それは未来予知などという言葉では済まない。
人類史そのものを盤上の駒のように扱う存在だ。
オリヴィエは椅子にもたれかかった。
「もちろん証拠は無いわ。」
「全部ただの憶測。」
そう言って肩を竦める。
しかし。
「だけど本当だったら――」
その先を誰も口にしない。
言う必要がなかった。
この部屋にいる全員が理解していたからだ。
ペレグリニという文明が、想像を遥かに超える存在だということを。
「まぁ。」
オリヴィエが肩を竦める。
「結局のところ、今は何も分からないのよね。」
ペレグリニ。
その目的も。
エラがここにいる理由も。
未来予知の果てに何を望んでいたのかも。
誰にも分からない。
オリヴィエは椅子に深く腰掛け直した。
そして人差し指を立てる。
「な・の・で。」
わざと区切って言う。
「一番大事なのは本人の希望よね。」
その視線がエラへ向けられた。
「エラちゃん。」
優しい声だった。
「貴女はどうしたいのかしら?」
室内が静かになる。
エラは少しだけ首を傾げた。
まるで答えなど最初から決まっているかのように。
「エラは。」
四枚の羽がふわりと揺れる。
「ウィアと旅を続けます。」
迷いのない声だった。
「ウィアと往けば、そこに新しい道が出来ます。」
淡い光が羽根から零れる。
「そして。」
エラは少しだけ胸を張った。
「エラと名付けてくれたのはウィアですから。」
その言葉に一切の迷いはなかった。
ウィアは少し照れくさそうに頭を掻く。
オリヴィエは満足そうに頷いた。
「そう。」
「分かったわ。」
そして満面の笑みを浮かべる。
「今後は私とフェリアがしっかりサポートするわ。」
「困ったことがあったら何でも頼りなさい。」
「本当に何でもよ?」
妙に力が入っていた。
「またそのような安請け合いを。」
フェリアが即座に釘を刺す。
しかしオリヴィエは全く気にしない。
「何よ。」
「いいじゃない。」
両手を広げる。
「親友の忘れ形見なのよ?」
そしてウィアを指差した。
「私の息子みたいなものじゃない。」
少し考える。
「いや。」
さらに考える。
「もう息子よ。」
「違います。」
フェリアが即答した。
一切の間が無い。
あまりにも綺麗な否定だった。
その上。
氷のような瞳でオリヴィエを見る。
まるで路上に落ちている何かを見るような目だった。
「ひどい。」
オリヴィエが胸を押さえる。
「フェリアちゃんが冷たい。」
「冷たくされる理由があります。」
「辛辣!」
会長室に笑いが広がった。
激戦の疲労は残っている。
だが今だけは少しだけ肩の力を抜くことができた。
その時だった。
コンコン。
軽いノックの後。
会長室の扉が開く。
「お姉ちゃーん。」
幼い声が響いた。
「いるぅ?」
入ってきたのは白鼬人の少女だった。
真っ白な耳。
ふわふわした尻尾。
年齢は10歳前後に見える。
そして。
「アルマ!」
普段のフェリアからは想像もできない声が飛び出した。
次の瞬間。
フェリアが動く。
凄まじい速度だった。
残像すら見えた気がした。
気付けば少女――アルマは抱き締められていた。
「あぁ……アルマ……。」
フェリアの声が蕩ける。
「お姉ちゃん今日は疲れました……。」
ぎゅう。
さらに抱き締める。
「癒してください……。」
尻尾がぶんぶん振られている。
物凄い勢いで。
ぶんぶんぶんぶん。
止まらない。
「……。」
「……。」
「……。」
ウィア。
カーデンス。
エラ。
三人とも完全に固まっていた。
思考が追いつかない。
あの。
白氷のフェリアが。
探索者協会最高戦力の一人が。
冷徹無比で有名なあのフェリアが。
尻尾を振りながら妹に甘えている。
世界観が崩壊した。
「お姉ちゃん?」
アルマが首を傾げる。
「今日はいっぱい頑張ったんです。」
フェリアは幸せそうだった。
完全に別人だった。
そして。
数秒後。
フェリアの動きが止まる。
ゆっくりと顔を上げた。
我に返ったらしい。
その視線がウィアたちへ向く。
静寂。
「ウィアトル様。」
「カーデンス様。」
「エラ様。」
声音はいつものフェリアだった。
問題は目だった。
氷青色の瞳が鋭く光る。
凄まじい圧力。
今まで出会った誰より怖い。
「今。」
一拍。
「何か見ましたか?」
殺気すら混じっていた。
ウィアは即答した。
「いえ、何も見てません。」
「あぁ。」
カーデンスも全力で頷く。
「何も見てねぇ。」
「私も何一つ観測していません。」
エラまで便乗した。
完璧な連携だった。
「そうですか。」
フェリアは満足そうに頷く。
どうやら正解だったらしい。
「お姉ちゃんー。」
アルマが袖を引っ張る。
「お腹空いたぁー。」
「はい。」
フェリアの声が一瞬で柔らかくなった。
「すぐ帰りましょう。」
そして一度だけ咳払いをする。
「こほん。」
何事も無かったかのように姿勢を正した。
「本日はお疲れ様でした。」
優雅に一礼する。
「帰ってゆっくりお休みください。」
こうして会長室での話は終わった。
ウィアたちは宿へ戻った。
激戦の疲労に加え、会長室で見たフェリアの意外すぎる一面まで重なり、心身ともに限界だった。
簡単に夕食を済ませると、寝室へ向かう。
ベッドへ身体を預けた瞬間、重かった瞼が閉じる。
明日のことを考える余裕すらなかった。
ウィアたちは、そのまま深い眠りへ落ちていった。
――翌日。
ウィアたちは昨日の奪還作戦で得た報酬を使い、朝から少し豪華な食事を楽しんでいた。
焼き立ての肉料理に香草のスープ。
普段なら滅多に頼まない品々がテーブルを埋めている。
「うまい……。」
ウィアは思わず呟いた。
「昨日、働いた甲斐はあったな。」
カーデンスも珍しく機嫌が良い。
その隣ではエラが料理ではなく、食卓の上に置かれた金属製の調味料容器を興味深そうに眺めていた。
「エラ、それ食べ物じゃないからね。」
「分かっています。」
「少し気になっただけです。」
そう言いながらも名残惜しそうに容器を見つめている。
朝食を終えた三人は、新たな依頼のため果ての都を出発した。
向かう先は都から一日ほど離れた小さな村。
周辺で機械兵の目撃情報があり、討伐依頼が出されたらしい。
昨日の事件との関連も疑われていた。
草原を抜け、村へ到着した時だった。
見覚えのある白い耳が視界に入る。
「あれぇ~?」
こちらへ気付いた少女が首を傾げた。
「昨日の人たち?」
「貴方たちも依頼を受けたのー?」
フェリアの妹――アルマだった。
陽光を受けて白い髪が揺れる。
その姿はどう見ても幼い少女だ。
「貴方たちもって……」
ウィアが首を傾げる。
「君も探索者なの?」
アルマは胸を張った。
「もちろん。」
「探索者のアルマよ。よろしくね。」
そして何でもないことのように付け加える。
「ちなみに、ランクはコンパスだよ。」
「は?」
カーデンスが固まった。
「俺より上かよ。」
信じられないものを見る目だった。
ウィアも思わずアルマを見つめる。
「でも……君、10歳くらいじゃ――」
「何言ってるのよ。」
アルマは呆れたようにため息を吐いた。
「私は21歳。」
「立派な大人だよぉ。」
ウィアとカーデンスは揃って沈黙した。
どう見ても10歳前後にしか見えない。
その反応を見ていたエラが、どこか得意げに説明する。
「人類文明以外の種族には、長寿種が多数存在します。」
「種族ごとに成長速度も異なります。」
「つまり見た目だけでは年齢は判断できません。」
まるで授業の教師だった。
「へぇ……。」
ウィアは素直に感心する。
カーデンスはまだ納得していない顔だった。
「私は医療関係の依頼で来たの。」
アルマは手を振る。
「じゃあ、またねぇ。」
軽やかに駆け去っていく後ろ姿を見送りながら、カーデンスが呟いた。
「世の中って分かんねぇな……。」
「同感。」
ウィアも頷いた。
その後、3人は本来の依頼へ向かう。
機械兵が目撃されたという村の外れ。
警戒しながら進んだものの、遭遇した機械兵は数体だけだった。
地下施設で戦った大群に比べれば脅威にもならない。
カーデンスの拳が一撃で機械兵の胴体を砕く。
ウィアのワイヤーが脚部を絡め取り、倒れた機械兵へ追撃が叩き込まれる。
最後はエラがエネルギーパックの場所を正確に指摘する。
戦闘はあっという間に終わった。
依頼完了。
残骸の中から回収されたエネルギーパックを抱えながら、エラは満足そうに光輪を回転させていた。
「収穫です。」
「今日は良い日ですね。」
その様子にウィアは苦笑する。
「エラは本当にそれが好きだね。」
「当然です。」
エラは胸を張った。
「これは、とても美味しいのです。」
そう言って嬉しそうにエネルギーパックを抱き締める姿は、どこかお菓子を手に入れた子供のようだった。
村で依頼完了の報告を済ませていた時だった。
「あんたは……。」
震える声が響く。
振り返ると、一人の女性が立っていた。
見覚えのない顔だった。
だが、その女性はカーデンスを見た瞬間に顔を歪めていた。
怒りと憎しみ。
そして悲しみ。
その全てを混ぜ合わせたような表情だった。
「あんた……なんでここにいるのよ。」
次の瞬間。
女性は腰からナイフを抜き放った。
そして迷いなくカーデンスへ突き立てる。
「ぐっ……!」
鈍い音が響く。
刃が腹部へ深く沈んだ。
「カーデンス!」
ウィアが駆け出そうとする。
だがカーデンスは片手を上げて制した。
「来るな。」
短い言葉だった。
その視線は女性から逸れない。
女性は震えていた。
怒りで。
悲しみで。
涙を流しながら叫ぶ。
「夫を返してよ!」
再びナイフが振り下ろされる。
「返してよぉ!!」
刃が肉を裂く。
血が飛び散る。
それでもカーデンスは避けなかった。
反撃もしない。
防ごうとすらしない。
ただ、その場に立ち続ける。
ウィアはカーデンスを見つめていた。
あれが彼の選んだ道なのだろう。
正しいかどうかは分からない。
それでも逃げずに歩みを続けるその姿から、目を離すことができなかった。
気付けば周囲には村人たちが集まっていた。
誰も止めない。
誰も声を掛けない。
静かに見つめている。
その中にはアルマの姿もあった。
彼女もまた黙って成り行きを見守っていた。
「申し訳なかった。」
カーデンスが言う。
掠れた声だった。
「申し訳なかった……。」
「ふざけないで!!」
女性は叫んだ。
何度も。
何度も。
何度もナイフを振るう。
その度にカーデンスの身体へ傷が増える。
血が地面へ滴り落ちる。
だが彼は一歩も退かなかった。
ただ怒りを受け止め続けた。
やがて女性の腕から力が抜ける。
ナイフが地面へ落ちた。
カラン、と乾いた音が響く。
女性は肩で息をしていた。
もう立っているのも辛そうだった。
それでも涙だけは止まらない。
カーデンスはゆっくり頭を下げる。
地面へ額が触れそうなほど深く。
「本当に申し訳なかった。」
血が滴る。
それでも頭を上げない。
女性は震える声で言った。
「私は……あんたを許さない。」
「ああ。」
「当然だ。」
カーデンスは静かに頷く。
「俺に許される資格なんて無い。」
しばらく沈黙が流れた。
そして女性は絞り出すように言う。
「……もう二度と来ないで。」
「え……?」
思わずウィアが声を漏らした。
女性は涙を拭いながら続ける。
「あんたを見ると思い出す。」
「夫のことを。」
「失ったもの全部を。」
唇を噛む。
「だから来ないで。」
「私が前に進めなくなる。」
カーデンスは目を閉じた。
そして小さく頷く。
「ああ。」
それだけだった。
女性は踵を返す。
泣きながら走り去っていった。
村人たちの多くが彼女を追う。
残されたのは重い沈黙だった。
やがて村長が前へ出る。
年老いた顔には複雑な感情が浮かんでいた。
「この者は……10年ほど前、この村を襲った賊だ。」
周囲がざわつく。
「似ているとは思っていたが……。」
その時だった。
ドサリ。
重い音が響く。
カーデンスの身体が地面へ崩れ落ちた。
「カーデンス!」
ウィアが駆け寄る。
腹部から大量の血が流れていた。
地面が赤く染まっていく。
エラの光輪が高速で回転する。
解析。
診断。
そして。
「ウィア」
エラの声が僅かに強張った。
「出血量が危険域です。」
「このままでは生命維持が困難になります。」
ウィアの顔から血の気が引いた。
「そんな……。」
目の前のカーデンスは薄く笑う。
まるで当然の報いだと言うように。
だがウィアは拳を握った。
それだけは認められなかった。
「無茶するのね。」
背後から呆れたような声がした。
振り返ると、アルマが腕を組んで立っていた。
白い耳がぴくりと動く。
「死ぬつもりだったの?」
カーデンスは苦笑した。
唇の端から血が流れている。
「あれ以外……気持ちを受け止める方法が分からなかった。」
声は弱々しい。
だが、その瞳だけは真っ直ぐだった。
「俺が犯した罪だ。」
「なら、その結果も受け止めなきゃならねぇ。」
アルマはしばらく黙って彼を見つめていた。
やがて小さく肩を竦める。
「ふーん。」
「お兄さん、思ったより良い人なんだね。」
「え?」
「もっと嫌な奴かと思ってた。」
悪びれもせず言う。
そして軽く手を叩いた。
「仕方ないなぁ。」
「今回は助けてあげる。」
アルマはその場へしゃがみ込む。
そして両手を胸の前で合わせた。
「みんな、力を貸して。」
その瞬間だった。
淡い緑色の光が周囲へ広がる。
風が吹いた。
いや、違う。
無数の粒子が集まってきているのだ。
草木から。
土から。
空気の中から。
目に見えない何かが呼びかけに応えるように集まってくる。
やがて緑の光はアルマの掌へ収束した。
まるで小さな星を握っているかのようだった。
「うわぁ……。」
ウィアは思わず息を呑む。
アルマはそのまま掌をカーデンスの腹部へ当てた。
光が溢れる。
傷口を覆う。
裂けた肉が繋がり、
失われた血管が再生し、
砕けた組織が元の形へ戻っていく。
信じられない光景だった。
ほんの数秒前まで致命傷だったはずの傷が、見る間に消えていく。
「エラ、これって……。」
ウィアが呟く。
エラの光輪が激しく回転した。
「解析を開始します。」
光輪が明滅する。
そして――。
「これは医療用発掘品ではありません。」
珍しくエラの声に動揺が混じった。
「惑星環境改善機械群。」
「通称ナノマシンです。」
「え?」
ウィアが目を見開く。
アルマは得意げに笑った。
「そう。」
「私はね、もう役目を終えた彼らの声が聞けるの。」
掌の上で緑の光が踊る。
まるで生き物のように。
「長い年月の中で役割を変えた子たち。」
「私はその子たちとお話できるんだぁ。」
そして胸を張る。
「探索者アルマ。」
「別名――《星声のアルマ》。」
白い尻尾が誇らしげに揺れた。
「よろしくね。」
まるでおとぎ話だった。
神話に登場する精霊使い。
あるいは奇跡を起こす聖女。
そんな存在が目の前にいるように見えた。
そして何より。
あらゆる知識を持つはずのエラまで驚いている。
その事実が、この力の異質さを物語っていた。
しばらくして治療は完了する。
アルマは額の汗を拭った。
「うん。」
「これで大丈夫。」
カーデンスはゆっくりと身体を起こす。
傷は跡形もなく消えていた。
「助かった。」
「やっぱりこの星の人間は頑丈だね。」
アルマが笑う。
「普通なら間に合わなかったよ。」
「普通なら?」
ウィアが首を傾げる。
アルマは当然のように答えた。
「この星の人間はみんな体内に大量のナノマシンを持ってるからね。」
「それが高い身体能力と回復力の理由だよぉ。」
ウィアは思わず自分の腕を見る。
そう言われれば、この星の人々は確かに頑丈だ。
「アルマとフェリアさんは?」
アルマは首を振った。
「私は普通。」
「重い物なんて全然持てないよぉ。」
そして少しだけ照れたように笑う。
「お姉ちゃんは、オリヴィエ様の計らいで、後からナノマシンを入れて貰ったんだぁ。」
「つまり――」
エラが静かに問いかける。
「貴方たち姉妹は、この星の出身ではないのですね。」
アルマはあっさり頷いた。
「そうだよぉ。」
その瞳はどこか遠くを見ていた。
「私も、お姉ちゃんも。」
「ずっと遠い星系から来たんだぁ。」
ウィアは村長に深く頭を下げた。
カーデンスも続く。
エラも小さく頭を下げた。
それ以上何を言うこともなく、3人は静かに村を後にする。
帰り道。
夕陽はすでに傾き始めていた。
長く伸びた影が街道を覆っていた。
誰も言葉を発さなかった。
アルマが見せた奇跡のような力。
遠い星から来たという話。
そして、この世界にはまだ自分たちの知らない事実が数え切れないほど存在するという現実。
様々な思いが胸の内を巡っていた。
やがてウィアは足を止め、ゆっくりと空を見上げる。
夕焼けに染まっていた空は少しずつ色を変え、その向こうには薄く星々が瞬き始めていた。
果ての都。
この惑星。
そして、そのさらに先。
自分が知る世界は、まだほんの一部に過ぎないのだろう。
星は広い。
そして宇宙は、もっと広い。
まだ見ぬ景色がある。
まだ知らない人々がいる。
まだ歩いたことのない道がある。
ウィアは胸の奥に湧き上がる高揚を感じながら、再び前を向いた。
その先にはきっと、新しい道が待っているのだから。




