第5話-果ての都(Urbs Terminus)
果ての門を抜けた瞬間。
ウィアは思わず立ち尽くした。
そこにあったのは都市だった。
だが、それは村人が思い浮かべるような街ではない。
山脈に囲まれた巨大な盆地。
その全てを埋め尽くすように白銀の建造物群が広がっていた。
空を飛ぶ飛行艇。
地上数十メートルの高さには、高架軌道が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
柱に支えられたその道を、車両は音もなく滑るように走っていた。
「空を走ってる……?」
そして夜でもないのに輝き続ける無数の光。
地表を走る装甲列車。
街の至る所に埋め込まれた古代構造物。
巨大な発掘機械。
そして人々。
無数の人々。
それら全てが一つの都市として機能していた。
「すごい……。」
それしか言葉が出なかった。
果ての都は星々の盟約時代に建設された都市だ。
正確には。
当時建設された都市が、そのまま今も使われている。
文明は衰退した。
多くの技術は失われた。
だが都市だけは残った。
理解できなくても使える設備。
原理が不明でも動き続ける発電所。
修理方法すら失われた超技術。
それらの上で人々は暮らしている。
まるで巨人の遺した家に住み着いた子供達のように。
やがて巨大な外壁が目前まで迫った。
その高さは100メートルを超えている。
見上げても頂上が見えない。
壁面には無数の古代文字が刻まれていた。
かつて人類はこんなすごい物を築けた。
ウィアは自然と息を呑んだ。
果ての都。
それは都市であると同時に、この惑星最大の遺跡でもあった。
3人は都市の光景に圧倒されながらも中央広場へ向かって歩いていた。
「ねぇ、あれって……。」
ウィアが指差す。
人混みの向こう。
灰色の毛並みを持つ狼のような耳を生やした男が歩いていた。
その隣には大きな角を持つ女性もいる。
村で生まれ育ったウィアにとって、初めて見る人々だった。
「獣人です。」
エラがどこか嬉しそうに答える。
「獣人?」
エラの光輪が小さく明滅した。
「人類が星々への植民を開始した際、《ノヴァ・テラ・ユニオン》――新世界連合が結成されました」
「うん」
「そして人類は他文明と遭遇します。」
ウィアは再び周囲を見回した。
狼の耳を持つ者。
羽毛に覆われた腕を持つ者。
鱗の浮かぶ肌を持つ者。
確かに人間とは違う。
だが不思議と会話は成立しているようだった。
「見た目は大きく異なっていました。」
「しかし遺伝的特徴や言語体系には、極めて高い類似性が確認されています。」
「へぇ……。」
「その後、人類と各文明は友好的な盟約を締結しました。」
「それが《パクトゥム・ステラルム》――星々の盟約です。」
エラは少し誇らしげに続ける。
「私の記録では、人類、エルフ、ドワーフ、鼬人、狼人、梟人、海豚人、鹿人種、蜥蜴人種の9種族が主要構成種族でした。」
「でした?」
「はい」
エラは少し視線を落とした。
「正式な呼称は分かりません。」
「申し訳ありません。」
四枚の羽がしゅんと垂れる。
だがウィアは笑った。
「別に謝ることじゃないよ。」
「果ての都なんだから、そういうのを調べる場所だってあるでしょ。」
「正式な名前だって、そのうち分かるさ。」
エラの光輪がぱっと明るく輝いた。
「そうですね。」
「調査しましょう。」
その声は少しだけ嬉しそうだった。
中央広場には、一際大きな像が立っていた。
白い石で作られた巨大な立像。
長い外套をまとい、遠くを見据えるその姿は、まるで今も人々を導いているかのようだった。
「あれは?」
ウィアが像を見上げる。
すると、エラが待っていましたと言わんばかりに前へ出た。
「初代星守帝、アウレリウス・ヴィアトラですね。」
どこか誇らしげな声だった。
「盟約時代末期に存在した星系統治官です。」
「星系統治官?」
「はい。星々の盟約時代における惑星統治責任者ですね。」
エラは光輪を明滅させながら説明を続ける。
「ゲートネットワーク停止後、この惑星は深刻な物資不足へ陥りました。」
「食料、医療資材、工業製品。」
「その多くが星間物流へ依存していたためです。」
ウィアは思わず像を見上げた。
今の果ての都からは想像もつかない話だった。
「当時、各地の都市では飢餓や混乱が発生しました。」
「アウレリウスは文明崩壊を防ぐため、果ての都以外の都市を放棄し、
人と物資を一箇所へ集約する政策を実施したそうです。」
「それで助かったんだ。」
「はい。」
エラは頷く。
「多くの犠牲は出ました。」
「ですが、その決断が無ければ惑星文明そのものが消滅していた可能性が高いです。」
カーデンスが像を見上げながら鼻を鳴らした。
「随分と思い切った奴だったんだな。」
「そうですね。」
エラは少しだけ微笑んだ。
「ちなみに本人は、帝国建国へ否定的だったそうです。」
「え?」
「民から皇帝になって欲しいと請願された際、一度断っています。」
「ですが――」
エラは像の台座へ刻まれた文字を指差した。
「我らには導く星が必要だ。」
「そう民に請われ、ゲート停止から10年後にヴィアトラ帝国を建国しました。」
ウィアは少し驚いた。
今や53万人が暮らす帝国。
その始まりは、そんなやり取りだったのか。
「有名な言葉も残しています。」
エラが得意げに胸を張る。
「文明とは建物ではない。」
「文明とは人である。」
広場を吹く風が像の外套を揺らしているように見えた。
「人が生きる限り、道は失われない。」
「そして再び拓かれる。」
ウィアはその言葉を反芻した。
不思議と胸の奥へ残る言葉だった。
説明を終えたエラが、ちらりとこちらを見る。
どう見ても褒めて欲しそうだった。
「エラ、物知りだね。」
その一言で。
エラの光輪がぱっと明るく輝いた。
続けてエラは誇らしげに解説を続けた。
光輪を明滅させながら得意げに話す姿は、褒めてもらうのを待つ犬のようだった。
ウィアはそんな考えが頭をよぎり、少しだけ笑ってしまった。
「ウィア、この果ての都の三輪をご存じですか?」
「三輪?」
「はい。この都市には帝国を支える三つの機関があります。」
エラは四枚の翼をぱたぱたとはためかせる。
村で学んだ知識を披露したくて仕方がない。
そんな様子だった。
広場には巨大な建造物が集まっている。
「まず三輪を説明する前に、あちらをご覧ください。」
エラが指差した先。
街の中心には、天を突くかのような白銀の塔がそびえ立っていた。
「果ての城塔です。」
「帝国の省庁が集約されており、皇帝陛下がお住まいになっています。」
ウィアは思わず見上げた。
村の見張り塔とは比べ物にならない。
本当に空へ届きそうだった。
「ヴィアトラ帝国は、この惑星唯一の国家です。」
「都市が一つ。そして各地に点在する村々で構成されています。」
「さらに、惑星人口53万人のうち約九割が、この果ての都で生活しています。」
「九割!?」
ウィアは思わず声を上げた。
「はい」
「村が何万個も集まっているような規模ですね。」
「多すぎるよ……。」
ウィアは改めて周囲を見渡した。
人、人、人。
どこを見ても人がいる。
村の人口が100人ほどだったことを思うと、もはや想像もつかない数だった。
エラは満足そうに頷き、説明を続ける。
「それでは三輪の一つ目。」
「あちらが帝国軍司令部です。」
果ての城塔の隣には、雷を象った紋章が掲げられた巨大な建物が建っていた。
「帝国軍のシンボルは雷です」
「神々の嵐を象徴する青白い雷から取られたと言われています」
「標語は――フルグル・ノン・フランギト《雷は我らを砕けない》」
エラは教師のように指を立てた。
「彼らが重視するのは規律、忍耐、そして生存です。」
「危険生物の討伐。」
「神々の嵐による災害対応。」
「辺境集落への救援活動。」
「この惑星の人々を守る盾として信頼されています。」
「ふーん。」
ウィアは感心したように頷く。
「救助隊みたいな仕事もするんだね。」
「はい。戦うためだけの組織ではありません。」
そして次の建物を指差そうとした、その時だった。
「おい」
カーデンスが口を挟む。
「まだ続くのかよ……。」
「はい」
エラは即答した。
「三輪の説明はあと二つ残っています。」
「長い!」
「重要です。」
「絶対今じゃなくてもいいだろ!」
「今が最も効率的です。」
エラは胸を張る。
カーデンスは頭を抱えた。
「こいつ絶対止まらねぇ……。」
「では続けます。」
エラは何事もなかったかのように次の建物を指差した。
「3輪二つ目は、帝国巡察隊です。」
建物の正面には、重力井戸を模した紋章が掲げられている。
「帝国巡察隊のシンボルは重力です。」
「標語は――オムネス・アド・レーゲム《全ては法の下へ》」
「彼らは帝国の法執行機関です。」
「犯罪者の追跡。」
「治安維持。」
「各地の巡察。」
「日々、法を守るために活動しています。」
「あ、それなら分かる。」
ウィアが手を上げた。
「巡察隊には何度か会ったことあるよ。」
先日捕らえた略奪者達も、帝国巡察隊へ引き渡したばかりだった。
帝国各地の村々を巡回し、治安維持を行う存在。
ウィアにとって最も身近な公的機関でもある。
「ユスティティア・ビーコン《正義の執行》も彼らの装備ですね。」
「犯罪者を確保した際の回収要請に使用されます。」
「なるほど。」
エラは満足そうに頷く。
そして最後の建物を示した。
「三輪の三つ目。」
「探索者協会本部です。」
その瞬間。
ウィアの目が輝いた。
「そこだ!」
エラは嬉しそうに微笑む。
探索者協会は、ウィアが果ての都へ来た最大の理由だった。
建物の正面には特徴的な紋章が掲げられている。
「中央の羅針盤を九つの円が囲む意匠です。」
「九つの円は、星々の盟約を構成していた九文明を表しています。」
「標語は――《失われた道を再び繋げ》」
エラの声が少しだけ真面目になる。
「未知を恐れず。」
「未知の土地、遺跡、現象の調査を行い。」
「発見を共有し。」
「得られた知識を独占せず、皆へ還元する。」
「そして最後に未来へ繋ぐ。」
「それが探索者協会の理念です。」
ウィアは探索者協会の建物を見つめた。
ここに母も所属していたのだろうか。
そう思うだけで胸が高鳴る。
「ふふん」
エラが胸を張った。
知識を披露できたことがよほど嬉しいらしい。
光輪を明滅させながら、くるくると宙を回っている。
「エラ」
「はい!」
「教えてくれてありがとう」
その一言で、エラは満面の笑みを見せた。
花が咲くように、という表現では足りない。
彼女が笑った瞬間、世界が少しだけ明るくなったような気さえした。
嬉しそうに輝く瞳と、曇りひとつない笑顔。そのあまりの眩しさに、ウィアは思わず視線を逸らしかける。
けれど、なぜか目を離すこともできなかった。
「どういたしまして!」
四枚の翼が嬉しそうに大きくはためいた。
「なぁ、そんな雑学はどうでもいいから、早く探索者協会に行こうぜ。」
カーデンスがうんざりした顔で言った。
「さっき、果ての門で死にかけてたんだぞ。」
「流石に休ませろ。」
そう言われて、ウィアは先程の戦いを思い出した。
42体の幼体。
そして全長48メートルのマーテル・フォッソル。
緊張が解けた途端、どっと疲労が押し寄せてくる。
「うっ……。」
足元がふらついた。
「たしかに、ちょっと疲れたかも。」
「はい」
エラがこくりと頷く。
「探索者協会で登録を行いましょう。」
「宿泊施設の紹介や食事の手配も受けられます。」
「それと私のエネルギーパックも購入できます。」
最後だけ少し声が弾んでいた。
「エラ」
「はい」
「僕、あんまりお金持ってないんだけど……。」
ウィアが恐る恐る言う。
エラは一瞬だけ考えるような仕草をした。
そして。
「では、たくさん稼いでたくさん買いましょう。」
満面の笑みだった。
「解決になってないよ!?」
ウィアが思わず叫ぶ。
エラは不思議そうに首を傾げた。
「問題を解決するための最適解だと思いますが。」
「そういうことじゃないんだよ……。」
ウィアは額を押さえた。
そんな2人を見ていたカーデンスが大きくため息を吐く。
「だから早く行くぞ。」
「俺は腹も減ってるし眠いんだ。」
「賛成!」
「私もです。」
こうして三人は探索者協会の建物へ向かって歩き始めた。
建物の入口をくぐる。
そこには巨大なホールが広がっていた。
正面には長い受付カウンターが並び、その傍らには用途ごとに分類された端末が整然と設置されている。
さらに奥には探索者達が利用する大食堂が併設されていた。
受付の脇には二階へ続く大階段が設けられている。
白い石材と金属で造られた内装は重厚で、それでいてどこか洗練されていた。
まるで小さな城の中へ足を踏み入れたようだ。
「まずは受付を済ませましょう。」
エラは上機嫌そうに四枚の翼をはためかせながら、ウィアの周囲を飛び回る。
受付へ向かってホールを進んでいると、不意に天井付近の空間へ光が走った。
次の瞬間。
様々な映像が宙へ映し出される。
探索者達への依頼情報。
遺跡調査の募集。
危険地帯の警報。
無数の情報が空中に浮かび上がっていた。
(エラ、これって?)
ウィアが見上げながら尋ねる。
(はい。)
エラは得意げに胸を張った。
(私と同系統の投影技術ですね。)
(ただし――)
光輪がぴかりと明滅する。
(私の方が何倍も高性能です。)
(そこ張り合うところなの?)
(重要です。)
即答だった。
エラはどこか誇らしげな表情でウィアを見つめている。
なぜそんなに自慢げなのか。
ウィアは思わず笑ってしまった。
受付では何人もの職員が業務に当たっていた。
「お次にお並びの方、こちらへどうぞ。」
「お、お願いします。」
ウィアは少し緊張していた。
大勢の人々。
村とは比べ物にならない喧騒。
果ての都へ着いてからというもの、圧倒されっぱなしだった。
受付の女性はそんな様子を見て微笑む。
「ずいぶんお若いですね。」
「探索職に就かれて間もないのですか?」
緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。
「あっ、はい。」
「探索職になったのは先日です。」
「パルウス村の成人祭で。」
そう答えた瞬間だった。
受付の女性が目を瞬かせる。
「パルウス村ですか?」
「えっ、はい。」
周囲の職員達が小さくざわついた。
「あら。」
「では、貴方がウィア君ですね。」
優しそうな笑顔が向けられる。
「はい?」
「あれ、なんで僕の名前を……。」
「ふふっ。」
「長老のレクリア様から事前に連絡を頂いているんです。」
「それに――」
受付の女性の目が輝いた。
「紅嵐のレクリア様。」
「翡翠の巨人クレス様。」
「そして何より、未踏のルクティア様を輩出したパルウス村の出身者ですもの。」
受付の女性はすっかり興奮した様子だった。
「あの方々を知らない探索者なんて、この都市にはほとんどいませんよ。」
「えっ。」
ウィアは固まった。
そんな反応をされるとは思ってもいなかった。
隣ではカーデンスが感心したように鼻を鳴らす。
「なるほどな。」
「通りで強者ばっかりだった訳だ。」
髪をかき上げながら続ける。
「ちっ。」
「襲う村を間違えたってことか。」
「あ、あの……。」
話についていけない。
そんなウィアをよそに、受付の女性はさらに熱が入る。
「あっ、失礼しました。」
「今は紅嵐ではなく、夕焼けの杖聖でしたね。」
「後進育成に専念されてから呼び名が変わったんです。」
私はちゃんと知っていますよ。
そんな顔だった。
ウィアは困ったように立ち尽くす。
正直に言えば。
ごめんなさい。
どれも初耳です。
そう言いたかった。
「いい加減になさい。お客様がお困りでしょう。」
落ち着いた女性の声がホールに響いた。
奥から一人の獣人女性が歩いてくる。
鼬を思わせる尖った耳と氷青色の瞳。
銀縁の眼鏡をかけたその姿からは、知性と落ち着きが感じられた。
(エラ、彼女って)
ウィアが問いかける。
(ええ。身体的特徴から判断すると鼬人種の系譜ですね)
エラが即座に答えた。
「副会長!」
受付の女性が慌てて姿勢を正す。
先ほどまでの熱弁が嘘のように表情が引き締まっていた。
「パルウス村のウィアトル様ですね。」
副会長と呼ばれた女性はウィアへ向かって軽く一礼した。
「受付の者が失礼をいたしました。」
「い、いえ!」
突然謝罪され、ウィアは慌てて首を振る。
副会長は小さく微笑んだ。
「しかし、お許しください。」
「彼女が挙げた3名は、我々探索者にとって伝説とも呼べる人物なのです。」
「伝説……。」
思わずウィアは呟く。
副会長は静かに頷いた。
「紅嵐のレクリア様。」
「翡翠の巨人クレス様。」
「そして未踏のルクティア様。」
「いずれも果ての都に名を残した偉大な探索者です。」
「我々の憧れでもあります。」
ウィアは思わず黙り込んだ。
村ではただの長老であり、頼れる大人たちだった。
だが、この都では違うらしい。
自分が思っていた以上に、3人は有名な存在だったのだ。
「受付手続きにつきましては、レクリア様より事前に連絡をいただいております。」
副会長は話題を戻した。
「そのため、探索者登録は既に完了しております。」
「えっ?」
ウィアが目を丸くする。
「もう終わってるんですか?」
「はい。」
「会長がお会いしたいとのことですので、その前に手続きを済ませておきました。」
「会長が?」
今度はカーデンスが眉をひそめた。
副会長は落ち着いた様子で頷く。
「どうぞこちらへ。」
そう言って奥へ続く通路を手で示した。
「会長がお待ちです。」
副会長は再び丁寧に一礼する。
ウィアは思わずカーデンスと顔を見合わせた。
果ての都へ着いたばかりだというのに。
どうやら、いきなり偉い人物と会うことになりそうだった。
副会長の案内に従い、ウィアたちは協会の奥へと進んだ。
やがて、一つの小部屋の前で足を止める。
壁も扉も白銀色の金属で作られており、どこか古代遺跡を思わせる造りだった。
「あの、この部屋は?」
ウィアが首を傾げる。
フェリアは少しだけ目を丸くした後、納得したように微笑んだ。
「ああ、パルウス村にはありませんでしたわね。」
「これはエレベーターと呼ばれる昇降装置です。」
「盟約時代の遺産を利用した設備で、人を高所へ運ぶためのものですわ。」
「高所へ?」
ウィアが聞き返した瞬間。
軽い振動が足元から伝わった。
コウン――
部屋全体が静かに動き始める。
「うわっ!?」
思わず壁へ手をついた。
だがフェリアは慣れた様子で微動だにしない。
「ご安心ください。」
「落ちたりはしません。」
やがて側面の窓の外に景色が広がった。
果ての都。
白銀の塔群。
空を行き交う飛行艇。
無数の人々が行き交う街路。
それらが徐々に小さくなっていく。
「すごい……。」
ウィアは思わず息を呑んだ。
まるで鳥になって空を飛んでいるようだった。
エラも窓の外を眺めながら静かに光輪を明滅させる。
(盟約時代の昇降設備としては良好な保存状態ですね。)
(そこ評価するところなの?)
ウィアは苦笑した。
やがてエレベーターが静かに停止する。
扉が左右へ開いた。
その先には広い執務室が広がっていた。
天井まで届く本棚。
壁一面の地図。
そして大きな窓からは果ての都を一望できる。
部屋の中央。
重厚な机の向こうにモノクルを着けた一人の男性が座っていた。
年齢は40代ほどだろうか。
整った身なりに無駄のない姿勢。
座っているだけにもかかわらず、不思議と目を引く存在感があった。
「ウィアトル君。」
男性が穏やかな笑みを浮かべる。
「君を待っていたよ。」
その声は静かだった。
だが自然と耳へ届き、心へ残る力があった。
「初めまして。」
「私は探索者協会会長、オリヴィエ・セレストだ。」
ウィアは思わず背筋を伸ばした。
この人が探索者協会の頂点。
世界中の探索者を束ねる人物。
そう考えるだけで緊張してしまう。
「そして。」
フェリアが一歩前へ出る。
「私が副会長のフェリア・ヴァイスです。」
改めて名乗るその姿にもまた、長年組織を支えてきた者の風格があった。
果ての都へ到着してまだ半日も経っていない。
それなのにウィアは今、帝国でも有数の大人物たちと向かい合っていた。
「ウィアトル君。」
オリヴィエが机の上で指を組む。
「ここへ来てもらったのは他でもない。」
「先日、惑星全域を襲った神々の嵐。」
「そして、それをかき消すように出現した赤い光の柱についてだ。」
穏やかな口調だった。
だが、その瞳は鋭くウィアを見据えている。
「レクリア殿から報告は受けている。」
「しかし、できれば当事者である君自身の口からも聞いておきたい。」
ウィアは少しだけ迷った。
長老がどこまで報告したのかは分からない。
そしてエラスムスの存在は、まだ誰にも話すべきではない気がしていた。
だから彼は慎重に言葉を選びながら、遺跡で起きた出来事を語り始めた。
遺跡の探索。
カーデンスとの戦い。
紅い宝石との接触。
そして天へ伸びた巨大な光の柱。
エラスムスについてだけは伏せたまま。
話を聞き終えたオリヴィエは静かに頷いた。
「なるほど。」
視線がカーデンスへ向く。
「そこのカーデンス君が遺跡内で君を襲撃。」
「その後、宝石が何らかの反応を起こし、あの光の柱が発生したと。」
鋭い眼差しが向けられる。
「……ちっ。」
カーデンスは小さく舌打ちしながら視線を逸らした。
先ほどまでの不遜な態度が少しだけ影を潜める。
オリヴィエは再びウィアへ目を向けた。
「その後、宝石は消失。」
「クレス殿の救援を受けて帰還した。」
「報告書の内容とも一致しているな。」
彼は一つ息を吐く。
「ありがとう、ウィアトル君。」
「確認したかったのはそれだけだ。」
ウィアは内心で安堵した。
だが、その直後。
オリヴィエの視線がエラへ向けられる。
「ところで。」
「その金髪の女性は何かな?」
ウィアの心臓が跳ねた。
「映像投影の類に見えるが。」
エラも一瞬だけ動きを止める。
ウィアは咄嗟に答えた。
「あ、あの……。」
「僕のワイヤーアームに搭載されている補助機能です。」
「発掘品の一種でして。」
自分でも苦しい言い訳だと思った。
しかしオリヴィエは表情を変えない。
「ほう。」
興味深そうにモノクルの奥の瞳が細められる。
「非常に高度な投影機能だな。」
数秒の沈黙。
その沈黙がやけに長く感じられた。
やがてオリヴィエは小さく笑う。
「まあいい。」
「探索者が不思議な発掘品を持っているのは珍しいことではない。」
ウィアは胸を撫で下ろした。
「ありがとう。」
「今日はちょうど大集約の日だ。」
「果ての都でも最大級の祝祭だからね。」
オリヴィエは窓の外へ視線を向ける。
遠くから祭りの喧騒が微かに聞こえていた。
「せっかく都へ来たんだ。」
「ぜひ楽しんでいくといい。」
「はい。」
ウィアは深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
フェリアも静かに一礼する。
「それではご案内はここまでです。」
ウィアたちは部屋を後にした。
扉が閉まる。
その瞬間、ようやく張り詰めていた緊張が解けた。
「……生きた心地がしなかった。」
ウィアが呟く。
「同感だ。」
珍しくカーデンスも頷いた。
エラだけは首を傾げる。
「なぜです?」
「会長は終始穏やかでしたよ?」
「だから怖いんだよ。」
ウィアは少し俯いた。
「嘘をついているわね。」
ウィアたちが退室した後。
静かになった部屋で、オリヴィエがふっと息を吐いた。
先ほどまでの威厳ある口調は消え、どこか砕けた話し方へ変わる。
「根拠は何でしょうか?」
フェリアは表情一つ変えずに問い返した。
「あの子、自分で言っていたじゃない。」
『ワイヤーアームの付属機能です』って。
オリヴィエは椅子の背にもたれながら肩をすくめる。
「有り得ないわよ。」
「あれは未踏のルクティアが発掘した発掘品だもの。」
「少なくとも、私が知る限り、あんな高度な人格投影機能なんて存在しないわ。」
フェリアは黙って聞いていた。
オリヴィエはさらに続ける。
「それに――」
「あの子の武器に埋め込まれていた宝石。」
「以前の記録では碧色だったはずよ。」
フェリアの眉がわずかに動いた。
「しかし、本日は紅色でしたね。」
「ええ。」
オリヴィエは頷く。
「報告では、失われた宝石の色は紅。」
「そして、あの光の柱。」
「全部を繋げると――ね?」
オリヴィエは人差し指を唇の前に立てる。
「まだ推測の段階だけれど。」
秘密よ。
そう言いたげな笑みだった。
フェリアは小さくため息を吐いた。
「相変わらず気持ちの悪い記憶力ですね。」
「探索者協会の職員はもちろん、所属探索者の装備、得意分野、過去の功績。」
「挙げ句の果てには食事の好みまで記憶している。」
冷たい視線がオリヴィエへ向けられる。
「人間機械と呼ばれても文句は言えませんよ。」
「失礼ねぇ。」
オリヴィエは不満そうに頬を膨らませた。
「会長たるもの、協会員のことはちゃんと覚えておくべきでしょう?」
「普通は覚えません。」
即答だった。
「でしょうね。」
オリヴィエは苦笑する。
そして窓の外――果ての都を見下ろした。
「でも、面白い子が来たわ。」
「未踏のルクティアの後継者。」
「それとも――もっと別の何かかしら。」
その瞳には、僅かな期待の色が浮かんでいた。
「ところでフェリア。」
オリヴィエが机に突っ伏した。
「今日の会食、何とか断れない?」
「駄目です。」
即答だった。
「即答!?」
「当然です。」
フェリアは書類から目も離さない。
「資金援助者との会食。」
「探索任務の承認。」
「探索者の昇格審査。」
「未知遺跡の危険度判定。」
「発掘品管理。」
「帝国との交渉。」
「村の探索職監督。」
「殉職者の管理。」
「探索者の適性を考慮したパーティー編成。」
淡々と読み上げられる業務一覧。
オリヴィエの顔色がどんどん悪くなっていく。
「やめて。」
「まだあります。」
「やめてぇ。」
フェリアは容赦しなかった。
「私にも重要な仕事があります。」
「問題児への対応です。」
「問題児?」
「貴方です。」
「ひどくない!?」
机を叩いて抗議する。
だがフェリアは無視した。
「そもそも貴方は働かなさすぎです。」
「働いてるわよ!」
「毎日20時間ほど。」
「それでも終わらないのよ!」
オリヴィエは頭を抱える。
「死ぬわ。」
「このままじゃ本当に死ぬ。」
「私の睡眠時間、一日一時間よ?」
「一時間睡眠でも活動可能になる古代遺産が無かったら、とっくに過労死してるわ。」
「それは同情します。」
フェリアが珍しく頷いた。
オリヴィエの目が輝く。
「じゃあ――」
「仕事を減らすとは言っていません。」
「でしょうね!」
希望は一秒で砕かれた。
フェリアはようやく顔を上げる。
氷のような青い瞳がオリヴィエを見据えた。
「貴方の負担が大きいことは理解しています。」
「ですが、その仕事が無くなれば。」
「もっと多くの探索者が死にます。」
部屋が静かになる。
フェリアは静かに続けた。
「だから仕組みを作りましょう。」
「効率化しましょう。」
「人材も育てましょう。」
「ですが、それまでは。」
一拍。
「まだまだ働いてもらいますよ。」
フェリアは微笑んだ。
その笑顔はまるで氷河のように冷たかった。
「蒼の羅針盤さん。」
「はい……。」
オリヴィエは力なく項垂れる。
その姿に、もはや伝説的探索者の威厳は欠片もなかった。
人々は言う。
探索者協会を率いるのは蒼の羅針盤オリヴィエ・セレストだと。
だが協会職員たちの間では、別の説が有力だった。
真の支配者は――
白氷のフェリア・ヴァイスである、と。
ウィアたち三人は中央広場へ戻ってきていた。
ちょうど大集約の日のパレードが始まったところだった。
広場は見渡す限りの人、人、人。
沿道を埋め尽くした群衆の歓声が空へ響いている。
やがて、装飾を施された馬車がゆっくりと姿を現した。
その前後を帝国軍の兵士たちが警護し、さらに巡察隊員たちが周囲へ目を光らせている。
「すごい人だ……。」
ウィアは思わず呟いた。
村の祭りとは比べ物にならない。
何万人もの人々が一つの通りへ集まっているのだ。
歓声が広場を揺らす。
そしてパレードが始まってしばらくした時だった。
「あっ――!」
誰かの悲鳴が上がる。
幼い少女が群衆の隙間をすり抜け、車道へ飛び出したのだ。
その直後。
少女を追いかけていた女性が駆け出し、その小さな身体を抱き寄せる。
さらに遅れて、一人の男性も慌てた様子で二人のもとへ駆けつけた。
周囲がざわつく。
だが、その時には既に数人の兵士が現場へ到達していた。
帝国軍の兵士たちが周囲を警戒しながら安全を確保する。
同時に巡察隊員たちが三人を囲み、何事かを確認し始めた。
群衆の歓声が消える。
広場を包んでいた熱気が、一瞬で静まり返った。
誰もが固唾を飲んでその様子を見守っていた。
その時、馬車から一人の男性が降り立った。
第182代星守帝。
カエルム・ヴィアトラである。
「陛下、ここは――」
兵士が制止しようとする。
だがカエルムはその言葉を手で制した。
「其方たち。」
穏やかな声が響く。
「武装した者が取り囲んでは、余計に怯えさせるだけではないか。」
そう言うと、カエルムは兵士たちの間を抜けて歩き出した。
「陛下、娘が非礼を働き申し訳ございません。」
「どうかお許しを――」
父親が深々と頭を下げる。
カエルムはその肩にそっと手を置いた。
「気にすることはない。」
優しく告げると、そのまま少女の前へ歩み寄る。
そして膝を折り、少女と同じ目線になった。
「お嬢さん、どうしたのかな?」
その声は、まるで我が子へ語りかける父親のように優しかった。
少女は涙を拭いながら答える。
「ねこちゃんがいたの」
「危ないよって教えてあげたくて……」
泣きながらも懸命に伝える姿に、周囲の緊張が少しだけ和らぐ。
カエルムは小さく微笑んだ。
「猫か。」
「余――いや、私も猫は大好きだよ。」
少女が不思議そうに見上げる。
「そうか。」
「自分が危ないかもしれないのに、その猫を助けようとしたんだね。」
「とても勇気のある行動だ。」
「本当?」
少女の瞳が少しだけ輝く。
「ああ、本当だとも。」
カエルムは頷いた。
「だが、君まで怪我をしてしまったら、お父さんもお母さんも悲しむ。」
「次からは大人を呼ぶんだ。」
「約束できるかな?」
少女はこくりと頷いた。
「うん!」
それを見たカエルムは満足そうに微笑み、少女の頭を優しく撫でた。
その様子を見守っていた宰相らしき男性が前へ出る。
そして少女へ小さな人形と風船を差し出した。
「わぁ……!」
少女の顔に笑顔が戻る。
周囲からも安堵の空気が広がった。
カエルムは立ち上がる。
そして群衆へ向き直った。
広場は静まり返る。
数万人の視線が皇帝へ集まっていた。
カエルムはゆっくりと口を開く。
「余はこの惑星の皇帝である。」
その声は決して大きくない。
だが広場の隅々まで不思議と響き渡った。
「しかし。」
「冠は支配のためにあらず。」
「民を守るためにある。」
静寂。
誰も言葉を発しない。
「星には帝国がある。」
カエルムは胸に手を当てた。
「だが。」
「帝国とは城ではない。」
「軍でもない。」
「法でもない。」
そして真っ直ぐ群衆を見据える。
「帝国とは――其方たち民そのものである。」
一瞬の静寂。
そして。
「おおおおおおおお!!」
広場を揺るがす歓声が巻き起こった。
誰かが叫ぶ。
「民の皇帝カエルム!」
その声に別の誰かが続く。
「民の皇帝カエルム!」
「民の皇帝カエルム!」
「民の皇帝カエルム!」
歓声は波となり広場全体へ広がっていく。
老若男女を問わず、人々は拳を掲げた。
その中心で。
カエルムはただ穏やかに微笑んでいた。
そしてパレードが再開された、その時だった。
ドォン――。
腹の底まで響くような轟音が空へ響く。
「なっ!?」
「何だ今の!?」
ウィアとカーデンスが同時に空を見上げた。
次の瞬間。
夜空に巨大な光の花が咲く。
赤。
青。
金。
色とりどりの光が夜空を埋め尽くした。
続いて二発、三発。
無数の光の華が咲き乱れる。
「綺麗だね……。」
ウィアは思わず呟いた。
故郷のパルウス村では見たこともない光景だった。
夜空そのものが輝いているように見える。
「あれは花火ですね。」
エラが説明する。
「花火?」
「はい」
「火薬を用いて空へ光を描く芸術の一種です。」
「芸術……。」
ウィアは空を見上げたまま呟く。
確かにそうだった。
消えてしまう一瞬の輝き。
だが、その一瞬があまりにも美しい。
ドォン。
再び光が咲く。
歓声が上がる。
パレードは夜遅くまで続いた。
ウィアたちも屋台で食事を楽しみながら、その光景を眺め続けた。
そして夜。
探索者協会が手配した宿へ辿り着く。
柔らかな寝具へ身体を沈めると、旅の疲れが一気に押し寄せてきた。
果ての門。
マーテル・フォッソルとの死闘。
初めて見る大都市。
探索者協会。
民に慕われる皇帝。
そして夜空を彩る花火。
村で暮らしていた頃には想像もできなかった出来事ばかりだった。
「果ての都か……。」
ウィアは小さく呟く。
まだ見ていない場所が沢山ある。
知らない人々もいる。
そして、きっとまだ数え切れないほどの冒険が待っている。
胸の奥が少しだけ高鳴った。
「明日は何があるんだろう。」
そんな期待を抱きながら。
ウィアは静かに目を閉じた。
果ての都での最初の夜が、こうして更けていった。




