第26話-冬の終焉(Finis Hiemis)
ようやく頭頂部へたどり着いたウィア達は、その光景に息を呑んだ。
そこは雲海よりも高い世界。
燦々と降り注ぐ陽光が、純白の体毛を黄金色に照らしている。
雪も吹雪も届かない。
静寂だけが支配する、まるで天上の楽園だった。
「……綺麗。」
アルマが思わず呟く。
「これほどの景色が、この星にあったなんて。」
エラも静かに見つめる。
ウィアは一歩前へ出る。
「聞こえるか!」
「お願いだ、話を聞いてくれ!」
何度叫んでも返事はない。
「アルマなら……声を届けられるかもしれません。」
エラが静かに言った。
「え?」
「惑星環境改善機械群なら意思を伝達できる可能性があります。」
ウィアはアルマを見る。
「お願いだ。」
真っ直ぐな瞳。
アルマは小さく息を吸った。
「……できるか分からないよ?」
「それでも。」
「頼むよ。」
アルマは小さく笑った。
「もう……失敗しても怒らないでよ?」
両手を胸の前で重ねる。
無数の惑星環境改善機械群が光の粒となって集まり始めた。
「お願い。」
「この羊さんと……お話をさせて。」
金色の光が空へ伸びる。
巨大な羊へ。
そして――
二つの意識が繋がった。
「ウィア。」
「今。」
アルマが頷く。
「僕の言葉を伝えて。」
「エラ。」
「タイミングを見て写真を。」
「了解しました。」
その時だった。
頭頂部の純白の毛並みが揺れる。
そこから無数の小さな羊が生まれ、四人へ襲い掛かった。
「こっちは任せろ!」
カーデンスがブーストナックルを噴かす。
「お前らは話してこい!」
拳が閃く。
小羊達を吹き飛ばしながら、一人で群れを引き受けた。
「聞いて。」
「お願い。」
アルマが声を届ける。
すると。
『……誰だ。』
頭の中へ優しい声が響いた。
『どこにいる?』
「通じた!」
アルマの顔がぱっと明るくなる。
「僕たちは今、君の頭の上にいる。」
ウィアは静かに語りかける。
「教えて欲しい。」
「どうして星を凍らせるんだ。」
しばらく沈黙。
やがて。
『君たちは弱い。』
『すぐ死んでしまう。』
『だから凍らせればいい。』
『凍っていれば永遠だ。』
悪意など微塵もない。
本気で救いだと思っている声だった。
『私の友達は死んだ。』
『事故だった。』
『何も出来なかった。』
『もう……あんな思いはしたくない。』
『だから全部凍らせる。』
『極寒暴走』
瞬間。
世界中の吹雪が勢いを増した。
惑星全体が悲鳴を上げる。
「本当に……それでいいの?」
ウィアは静かに尋ねた。
『……何がだ。』
「君は満足なの?」
『私は皆を救っている。』
「違う。」
ウィアは首を振る。
「それは救いじゃない。」
「別れが怖い。」
「だから凍らせる。」
「それじゃ誰も笑わない。」
「誰も歌わない。」
「誰も新しく生まれない。」
「君は……永遠に独りぼっちになる。」
羊は沈黙した。
「君は。」
「友達と話したくないの?」
その言葉に。
『違う!!』
羊の叫びが世界を震わせる。
『君たちは皆いなくなる!』
『私を置いて!』
『こんな苦しみを味わうくらいなら!』
『私は――』
その瞬間。
エラが静かに映像を投影した。
そこに映るのは。
狼人と蜥蜴人の子供達。
雪の中を笑いながら走り回る小さな命。
「見て。」
ウィアは優しく言った。
「この子達の中に。」
「君の友達の面影はない?」
羊は黙って映像を見つめる。
笑顔。
泣き顔。
転んで。
また笑う。
命が生きている。
『……似てる。』
小さく。
震える声。
『この子も。』
『あの子も。』
涙のように巨大な雫が流れ落ちる。
「人は弱い。」
「いつか死ぬ。」
「でも。」
「想いは次の誰かへ繋がる。」
「だから前へ進める。」
「君の友達も。」
「きっと、この子達みたいに笑っていてほしいと願うはずだ。」
長い沈黙。
そして。
凍眠羊王は、天を仰ぎ――
悲しみを吐き出すような大きな鳴き声を上げた。
その鳴き声はどこまでも響き渡る。
やがて。
吹雪が止んだ。
黒い雲はゆっくりと割れ。
幾年ぶりかも分からない青空が惑星を照らす。
暖かな陽光が雪原へ降り注ぎ。
世界は静かに春を思わせる光に包まれた。
地上では。
数え切れない羊と戦っていた探索者達が、その場に倒れ込んでいた。
頭頂部では。
最後まで小羊達を食い止め続けたカーデンスも、大の字になって雪へ倒れる。
「……終わった、か。」
その呟きとともに、彼も静かに意識を手放した。
それほどまでに苛烈な、惑星規模の物量戦だった。
◇
静かになった凍眠羊王は、ウィア達についてきた。
かつて星全体を凍らせていた巨大な存在。
しかし今、その瞳にあったのは怒りでも悲しみでもない。
穏やかな光だった。
『私は……彼らと共に生きるよ。』
巨大な声が響く。
『私が傷つけてしまった分。』
『これからは、彼らを見守りたい。』
その言葉に、フェンリスとセルペンスはしばらく言葉を失った。
「……まさか。」
フェンリスが呟く。
「本当に……成し遂げるとは。」
長い沈黙。
惑星を凍らせた災害。
そう呼ばれていた存在が。
今では、この星を守ろうとしている。
セルペンスは静かに笑った。
「ウィア殿。」
「あなたは本当に、不思議なお方ですね。」
ウィアは首を傾げる。
「そうですか?」
「ええ。」
「普通なら倒すことを考えるでしょう。」
「ですが、あなたは相手がなぜそうなったのかを考える。」
セルペンスは凍眠羊王を見上げた。
「それが、この結果を生んだのでしょう。」
その横ではエラが何かの装置を取り出し、フェンリスとセルペンスへ説明をしていた。
「これは将来的に必要になる技術です。」
「環境制御用機械。」
「そして、この巨大な身体を利用した都市構築案です。」
「都市……?」
フェンリスが目を丸くする。
凍眠羊王が少し照れたように声を響かせた。
『私の背中に街を作るんだって。』
『みんなが暮らせる場所を。』
「……背中に都市か。」
ウィアは思わず笑顔になる。
「それ、凄く楽しそうだね。」
雲より高い場所。
巨大な羊の背に築かれる新たな都市。
かつて災厄と呼ばれた存在は、これから新しい未来を背負っていくのだった。
◇
――世界船
帰還したウィア達を、中枢AIの声が迎える。
『おかえりなさい。エラスムス。』
『また一つ、旅を終えたのですね。』
その声と同時。
『記憶領域解放を承認。』
『第二階層の解放を承認。』
船内に光が満ちる。
黄金の光。
それはエラへと集束していく。
「……っ。」
エラが目を閉じる。
真紅だった瞳が、ゆっくりと黄金色へ変化していく。
そして。
背中の六枚の羽が震えた。
四枚の純白の翼。
そして三枚の漆黒の翼。
合計七枚。
天使を思わせる白き翼と。
悪魔を思わせる黒き翼。
相反する二つの存在が、同時にエラの背に宿る。
「……記憶が。」
エラは小さく呟く。
「また……戻りました。」
ウィアが心配そうに近づく。
「エラ、大丈夫?」
エラはしばらく黙っていた。
そして。
「はい。」
いつものように微笑む。
しかし、その表情の奥には明らかな動揺があった。
「私は……何者なのでしょうね。」
小さな呟き。
誰にも聞こえないほどの声。
だが。
世界船の深部では。
失われた古き記録が、静かに再生を始めていた。
旅をする者。
エラスムス。
そして――
彼女が本当に担っていた役割。
その答えへ向けて、また一歩近づいていた。
◇
世界船では、新たな旅立ちを祝う宴が開かれていた。
場所はシエラの店。
平等宣言。
そこにはウィア達一行。
五羅針。
クレス。
レクリア。
そしてオリヴィエ。
旅を共にした仲間達が集まっていた。
「ウィア、あんたねぇ……。」
オリヴィエが深いため息を吐く。
「少しは考えて行動してよ。」
「僕、そんなに無茶してます?」
ウィアが首を傾げる。
その瞬間。
「してるわよ!」
オリヴィエが即座に返した。
「あんたが勝手に話を始めるたびに!」
「陛下や各方面の有力者に説明して頭を下げてるのは誰だと思ってるの!?」
「私よ! 全部私!」
オリヴィエは涙目になりながら訴える。
その姿を見て。
「ふふ。」
「はっはっは。」
五羅針達が笑い出す。
「笑い事じゃないわよ!」
オリヴィエが睨む。
そんな中。
ウィアは真っ直ぐな瞳で言った。
「でも……。」
「挑戦することを諦めたら。」
「それはもう探索者じゃないと思うんです。」
一瞬の静寂。
そして。
「わっはっはっは!」
クレスが豪快に笑った。
「流石ウィアじゃのう!」
「そこだけは昔から変わらん。」
「クレス、笑い事じゃないよ。」
レクリアが呆れたように言う。
そしてオリヴィエを見る。
「オリヴィエ。」
「こいつは駄目だ。」
「ルクティアと同じだよ。」
「一度こうと決めたら、誰にも止められない。」
「昔からな。」
そう言うレクリアの顔には、呆れではなく誇らしさが浮かんでいた。
オリヴィエはしばらくウィアを見つめる。
そして。
「……はぁ。」
大きなため息。
「仕方ないわね。」
「無茶をする子供を支えるのも、大人の役目ってことかしら。」
その言葉に。
「その通り。」
「全くだ。」
「我らの役目じゃな。」
大人達の声が重なる。
ウィアは笑った。
「ありがとうございます。」
その時。
世界船全体に、中枢AIの声が響く。
『これより本船は空間跳躍を開始します。』
『目的地設定完了。』
『新たなる星系へ向かいます。』
窓の外。
氷に覆われた惑星が、ゆっくりと遠ざかっていく。
凍り付いていた世界は。
今、少しずつ未来へ向かって歩み始めていた。
そして。
世界船もまた、新たなる未知へ向かって進んでいく。
次の星系には何が待つのか。
新たな文明か。
新たな危機か。
それとも――。
また救うべき誰かとの出会いか。
ウィアの旅は、まだ終わらない。




