第21話-未来に向けて(In Futurum)
――数か月後。
毒に覆われていた惑星は、少しずつ本来の姿を取り戻し始めていた。
紫黒色の毒霧は薄れ、乾き切っていた大地には新たな若草が芽吹く。
永遠の樹には瑞々しい葉が茂り、生存都市では、鹿人とドワーフ《ストルクトレス》が肩を並べて復興作業に励んでいた。
ヴィアトラ帝国は両者の橋渡しとなり、互いに協力できる体制を整えていく。
食料の生産。
医療設備の復旧。
都市機能の再建。
そしてエラは昼夜を問わず働き続け、この惑星で生き抜くための機械や設備を次々と製造し、引き渡していった。
数か月が過ぎる頃には、人々が明日を信じて笑えるほどに、この星は息を吹き返していた。
旅立ちの日。
永遠の樹の麓には、多くの鹿人とドワーフ《ストルクトレス》が集まっていた。
大樹守エルシアスと、新たな管理者となったエリオンが、ウィア達の前へ進み出る。
「ヴィアトラ帝国の皆様。」
「我らは、この恩を決して忘れません。」
エルシアスは胸に手を当て、深く頭を下げた。
「この命ある限り、必ず恩を返しましょう。」
エリオンも静かに続ける。
「次に会う時は、胸を張って『復興した』と言える都市を見せてみせます。」
ウィアは嬉しそうに笑った。
「楽しみにしてます。」
その笑顔に、集まった人々から温かな拍手が送られる。
飛行艇へ乗り込む直前。
エラはふと立ち止まり、エルシアスとエリオンを手招きした。
二人だけに聞こえるほど小さな声で何かを語りかける。
そして掌サイズの小さな装置を、それぞれへ手渡した。
二人は目を見開く。
「……これは。」
「未来のために必要になる物です。」
それだけ言うと、エラは微笑み、それ以上は何も語らなかった。
惑星ソルヴァスタを旅立つ時も、彼女は同じ行動を取っていた。
まるで、未来へ種を蒔くかのように。
その意味を知る者は、まだ誰もいない。
◇
世界船。
格納庫へ帰還した瞬間、船内全域へ澄み切った女性の声が響き渡る。
『――おかえりなさい。エラスムス。』
中枢AI。
その優しい声には、どこか母が子を迎えるような温もりがあった。
『また一つ、旅を終えたのですね。』
『旅の記録を確認しました。』
『条件を達成。』
一瞬、静寂が訪れる。
そして――。
『記憶領域、第三階層の解放を承認します。』
船内に黄金と白銀の光が満ちあふれた。
光はゆっくりとエラを包み込み、その身体はまるで星明かりを纏ったように輝き始める。
無数の記憶。
見たこともない星々。
知らないはずの文明。
旅を続ける人々。
そして――誰かの手。
途切れていた記憶の欠片が、一つ、また一つと繋がっていく。
エラの背中に光が集まり新たなる羽を得る。悪魔の様な見た目の羽を。
エラは静かに目を開いた。
「旅をする者……。」
「あなた達は、やはり私の――」
そこまで口にすると、言葉は途切れた。
何かを思い出しかけ、何かを確信しかけながらも、その先だけが霞んでいる。
エラは胸に手を当て、小さく目を伏せた。
その横顔を見つめるウィア達は、まだ知らない。
彼女が思い出そうとしている記憶こそが、この長い旅の始まりへと繋がる、最も大きな秘密であることを。
◇
――世界船・船内都市部
果ての都を模して造られた街並みは、今日も多くの人々の笑い声で賑わっていた。
石畳の通りには湯気の立つ屋台や露店が並び、焼きたてのパンや香ばしい肉の匂いが漂う。
その一角に、新しく開店した食事処があった。
店の看板には、大きくこう書かれている。
『平等宣言』
「開店おめでとう!」
フェリアが花束を差し出しながら笑う。
「ありがとう。」
店主であるシエラは、穏やかな笑みを浮かべて受け取った。
彼女はフェリア達の叔母であり、この店は船へ乗船した元第6階級の人々が新たな人生を歩むための職場でもあった。
厨房では慣れないながらも一生懸命料理を作る者。
客席では少しぎこちなく接客する者。
その誰もが、生き生きと働いていた。
「今日はいっぱい食べようね!」
料理が運ばれてくるのを待ちきれず、アルマが目を輝かせる。
「もちろんです。」
エラも柔らかく微笑んだ。
「それじゃ、食おうか。」
「待ってました!」
ウィアとカーデンスも席へ着く。
間もなく料理が次々と並べられていく。
香草を添えたロースト肉。
焼きたてのパン。
色鮮やかな野菜料理。
湯気の立つスープ。
甘い果実のデザート。
どれも手作りの温もりが感じられる料理だった。
「おいしい!」
アルマが幸せそうに頬を緩める。
「これ、すごく好き。」
「本当に美味しいですね。」
エラも静かに頷いた。
ウィア達も自然と笑顔になる。
料理を作る者も。
料理を運ぶ者も。
それを食べる者も。
皆が笑っていた。
戦いのない食卓。
それこそが、守りたかった日常だった。
食事を楽しみながら、アルマがふと呟く。
「この星も……救われたのかな?」
ウィアは少しだけ考え、ゆっくりと答えた。
「まだ途中だと思う。」
「でも、一歩は踏み出せた。」
「エリオンさんも、エルシアスさんも、きっと歩き続けてくれる。」
「だから、きっと大丈夫。」
その言葉には、不思議と確信があった。
「そうだな。」
カーデンスは豪快に肉へかぶりつきながら笑う。
「じゃなきゃ、俺たちが暴れた意味がねぇ。」
その一言に、皆が思わず笑い声を上げた。
穏やかな時間が流れる。
その時――。
船内全域へ、中枢AIの澄んだ声が響いた。
『これより世界船は、空間跳躍を開始します。』
窓の外では、ゆっくりと星々が後方へ流れ始める。
『空間跳躍まで――十。』
『九。』
静かに始まるカウントダウン。
ウィア達は顔を見合わせ、小さく笑った。
また、新しい世界へ。
まだ見ぬ文明へ。
まだ出会ったことのない誰かのもとへ。
世界船は、無数の星々が輝く宇宙へ向けて静かに跳躍した。
新たな旅が、再び始まる。
◇
――黒き影に覆われた巨大船城。
漆黒の装甲に包まれたその船は、まるで宇宙そのものを切り取ったかのように静寂に漂っていた。
玉座の間には一筋の光すら届かない。
闇だけが支配する空間。
その中心に、一人の男が静かに座していた。
テネブロース。
全身を影のような黒い光が包み、その素顔は誰にも見えない。
彼は静かに目を閉じていた。
エラを取り逃がして以来、脳裏から離れない記憶があった。
遠い昔。
まだ、自らも旅をする者だった頃。
『テネブロース。』
懐かしい声が響く。
目の前に立つのは、かつての親友――アステル。
優しく、それでいてどこか寂しげな笑みを浮かべていた。
「テネブロース。」
「君は旅立たなければならない。」
「旅人として。」
その言葉と同時に、アステルの身体は黄金の光に包まれていく。
「待て……!」
伸ばした手は届かない。
光は次第に強くなり、彼の姿を飲み込んでいく。
「いつか必ず分かる。」
「君なら――。」
最後の言葉だけを残し、アステルは光の彼方へ消えた。
その瞬間、記憶は途切れる。
テネブロースは静かに目を開いた。
「アステル……。」
低く押し殺した声が、静寂の玉座の間に響く。
「貴様は今、どこにいる……。」
その声には怒りではなく、長い歳月を越えてなお消えない喪失だけが滲んでいた。
すると、扉が静かに開く。
二人の側近が玉座の前へ跪いた。
「テネブロース様。」
「エラスムスの奪取作戦について、ご報告申し上げます。」
「……申せ。」
「現状の戦力では成功率は低いと判断いたしました。」
「つきましては――」
一人が頭を深く下げる。
「存在制約の解除をご許可いただきたく。」
玉座の間が静まり返る。
沈黙。
重苦しい空気だけが流れる。
やがて、テネブロースはゆっくりと立ち上がった。
「……許可しよう。」
その一言だけで空気が変わる。
二人の側近は驚きを隠せない。
「感謝いたします。」
「エラスムスは、必ず手中へ。」
テネブロースは静かに背を向けた。
「我らは、必ず手に入れねばならぬ。」
「永遠の宇宙のために。」
その言葉を残し、黒い外套が揺れる。
彼は闇の奥へと歩み去り、その姿はゆっくりと漆黒に溶けていった。
玉座の間には、重苦しい静寂だけが残る。
――敵もまた、本気で動き始める。
新たな旅路の裏で、終わりなき因縁の歯車が、静かに回り始めていた。




