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ヴィア・ノヴァ-Semina Vitae-  作者: トニトルス(tonitrus)


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第1話後編-新しい道(Via Nova)

――10日後。


ウィアは空を見上げていた。


神々の嵐が近づいている。


吹き抜ける風は冷たく強く、


青白い稲妻は先日よりも明らかに数を増していた。


判断を誤れば命に関わる。


この嵐は、いつ始まり、いつ終わるのか誰にも分からないのだから。


それがテンペスタス・デオールム――《神々の嵐》だった。


今の回収量では足りない。


村を守るために必要な素材には、まだ遠く及ばなかった。


だが、神々の嵐は確実に近付いている。


周囲を見渡しても、避難に使えそうな地形は見当たらない。


ウィアは最初に探索した小規模遺跡を離れ、より大きな中規模遺跡を目指していた。


距離はまだある。


嵐が本格化する前に辿り着けるかどうか、正直なところ分からなかった。


その時だった。


空が青白く明滅する。


一度ではない。


二度でもない。


まるで世界そのものが脈打つように、光が空を走り続けた。


直後――。


轟音。


大地を震わせる雷鳴が連続して響き渡る。


ウィアは思わず足を止めた。


神々の嵐。


その災厄が、ついに始まった。


山の中腹から見下ろした先で、世界が変貌していた。


空を覆う雲は巨大な渦となって回転し、その規模は今なお膨れ上がっている。


黒雲は地平線の彼方まで広がり、まるで惑星そのものを呑み込もうとしているかのようだった。


吹き荒れる風は岩肌を削り、人の存在など許さぬ猛威を振るう。


その中を、青白い閃光が幾度も走った。


轟音。


続いて轟音。


そしてまた轟音。


閃光が大地へ突き刺さるたび、世界の法則そのものが歪んでいく。


山肌は裂け、砕けた巨岩が宙へ浮かび上がる。


遥か遠くの海ですら重力を失ったように天へと持ち上がり、巨大な水柱となって空中に留まっていた。


この世のものとは思えない光景だった。


まるで世界そのものが狂い始めているかのように。


「どうしよう……どうしよう……」


冷たい汗が頬を伝う。


神々の嵐を村の外で経験するのは初めてだった。


空では青白い閃光が絶え間なく走り、轟音が大地を震わせている。


胸の奥で心臓が激しく脈打った。


「簡易保護所を展開して……」


震える声で呟く。


だが、すぐに首を振った。


「いや……駄目だ」


あれはあくまで一時的な避難用だ。


本格化した神々の嵐を最後まで凌げる代物ではない。


風は強さを増し、空はさらに暗くなる。


時間がない。


焦りだけが募っていく。


その時だった。


「ウィア」


不意に聞き慣れた声が耳に届く。


「私のウィア。貴方はどの道を選ぶの?」


母――ルクティアの声だった。


ウィアは咄嗟に振り返った。


そして、目を疑う。


大地が赤く輝いていた。


炎ではない。


雷光でもない。


地面そのものが脈打つように赤い光を放っている。


見たことのない光景だった。


神々の嵐の轟音すら忘れ、ウィアはその光へ引き寄せられるように歩き出す。


一歩。


また一歩。


近付くにつれ、赤い光はさらに強さを増していく。


そして――。


「なっ……」


思わず息を呑んだ。


そこには巨大な裂け目が口を開けていた。


地下へと続く、途方もなく巨大な空洞。


いや。


それは自然にできたものではない。


整然と並ぶ金属の壁面。


風雨に晒されながらも崩れない構造。


誰が見ても分かる。


古代遺跡だった。


しかも、ただの遺跡ではない。


ウィアはこの場所を知っていた。


何度も通った地域だ。


探索職たちも幾度となく調査している。


それなのに――。


今までこんなものは存在しなかった。


まるで神々の嵐によって封印が解かれたかのように。


巨大な地下遺跡の入口が、その姿を現していた。


「なんて……」


思わず言葉が途切れた。


目の前の構造物を形容しようとしても、適切な言葉が見つからない。


巨大。


そんな一言では到底足りなかった。


それは大地に根を張る山脈のようでありながら、精密な意志によって築かれた建造物でもあった。


力強く。


荘厳で。


まるで何かを守るために存在しているかのような威圧感を放っている。


自然と息を呑んだ。


ウィアは母ルクティアに連れられ、これまで数多くの古代遺跡へ足を踏み入れてきた。


探索職としての経験もある。


遺跡そのものは珍しくない。


だが――。


この遺跡は違った。


入口を見上げただけで分かる。


規模も。


技術も。


漂う空気さえも。


今まで見てきたどの遺跡とも決定的に異なっていた。


まるで別格の存在を前にしているかのように。


やがてウィアは最奥へ続く巨大な扉の前へ辿り着いた。


ここに至るまでの道中にも、気になるものはいくつもあった。


壁一面に刻まれた巨大な壁画。


そこには歴史を語るような光景が描かれていた。


九つの光。


それらは何かを守護するように配置され、その先には巨大な宝石のようなものが描かれている。


だが、ウィアには意味が分からなかった。


古代文字も読めなければ、この壁画に描かれた歴史も知らない。


理解できたのは、それが何らかの重要な記録だということだけだった。


しかし――。


ウィアが気になっていたのは別のことだ。


「おかしい……」


思わず呟く。


古代遺跡には必ず機械兵がいる。


探索職なら誰もが知る常識だ。


だからこそ危険であり、同時に貴重な資源でもある。


だが、この遺跡には一体も存在しなかった。


それだけではない。


複合素材も。


エネルギーパックも。


機械兵の残骸と思われる部品すら見当たらない。


まるで誰かが意図的に取り除いたかのように。


あるいは最初から存在しなかったかのように。


「一体、この遺跡は……」


呟きながら、ウィアは目の前の巨大な扉を見上げた。


まるで何かを隠し続けてきたかのように、扉は静かにそこに佇んでいた。


「母さんだったら、あの壁画を見て何か分かったのかな……」


ウィアは寂しそうに呟いた。


惑星学者でもあった母なら、この遺跡の正体にも見当が付いたかもしれない。


そんなことを考えながら、目の前の巨大な扉へ視線を向ける。


試しに短槍で叩いてみる。


甲高い金属音が響いた。


もう一度。


さらにもう一度。


だが、傷一つ付かない。


「頑丈すぎるだろ……」


思わず顔をしかめた、その時だった。


――パァン。


乾いた音が響く。


直後、右肩に灼けるような熱が走った。


「え――」


一瞬、何が起きたのか分からない。


だが次の瞬間。


激痛が遅れて襲ってきた。


「ぐっ……ぁぁっ!」


肩から鮮血が噴き出す。


撃ち抜かれていた。


「くっ……!?」


理解が追い付かない。


敵はどこだ。


機械兵か。


それとも別の何かか。


周囲を見渡そうとするが、激痛で身体が思うように動かない。


血が滴り落ちる。


赤い雫が床へ広がっていく。


「一体……何が……」


視界が揺れる。


体勢を保てなくなったウィアは、そのまま巨大な扉へともたれかかった。


「おやおや」


暗がりの奥から声が響いた。


「君は、あの二刀流探索職の息子かな?」


聞き覚えのない男の声。


だが、その言葉だけで十分だった。


二刀流探索職。


そんな呼び方をされる人物を、ウィアは一人しか知らない。


母、ルクティア。


肩を撃ち抜かれた激痛は消えていない。


それでも今は、それ以上に強い感情が胸の内を支配していた。


怒りだ。


「お前……」


ウィアは血の滲む肩を押さえながら顔を上げる。


暗闇の中から、一人の男が姿を現した。


隻腕だった。


失われた右腕の代わりに、左腕には異様な武具が装着されている。


巨大な籠手。


その先端からは獣の牙を思わせる鋭い爪が伸びていた。


そして男の背後には、武装した男たちが並んでいる。


10人。


いや、20人近い。


どの顔にも友好的な色はない。


明らかに戦闘を前提として集められた集団だった。


隻腕の男はゆっくりと笑みを浮かべる。


その目には、獲物を前にした肉食獣のような光が宿っていた。


「お前の母親に落とされた右腕がな」


カーデンスは失われた腕の断面を撫でる。


「疼くんだよ」


その声には、煮えたぎり続けた憎悪が滲んでいた。


「血縁を血祭りにあげれば、この痛みも少しは癒えるかもしれねぇ」


口元が吊り上がる。


「だから――しっかり殺さねぇとな」


カーデンスは左腕の武具から伸びる爪を舐めた。


その仕草は狂人のそれだった。


「お前が……母さんの……」


ウィアは息を呑む。


全てを理解した。


この男だ。


母ルクティアの命を奪ったのは。


胸の奥から熱い感情が噴き上がる。


怒り。


憎しみ。


今すぐ槍を突き立ててやりたい衝動。


だが――。


ウィアは歯を食いしばった。


怒りに身を任せれば負ける。


相手は母を殺した男だ。


そんな相手に感情だけで挑めば、待っているのは死しかない。


槍を握る手が震える。


肩の傷から血が流れ続ける。


それでもウィアは目を逸らさなかった。


震える呼吸を押さえ込み、必死に冷静さを繋ぎ止める。


母から教わった生存術の中で、最も重要な教えを思い出しながら。


――怒りは視界を狭める。


死にたくなければ、生き残る道を考えろ。


ウィアは静かに槍を構えた。


両者の膠着を破ったのは、遺跡そのものだった。


突如として重低音が響く。


まるで長い眠りから目覚めるように。


巨大な扉がゆっくりと動き始めた。


「なに?」


「どうなってやがる!?」


カーデンスの部下たちがざわめく。


明らかに想定外の事態だった。


その一瞬。


武装集団の意識が扉へ向いた。


隙だった。


ウィアは迷わない。


なぜ開いたのか。


自分の血か。


偶然か。


そんなことを考えている余裕はなかった。


生き残る。


今はそれだけだ。


ウィアは全力で開いた扉の中へ飛び込んだ。


その先に広がっていたのは、想像を超える空間だった。


巨大な円形の部屋。


天井は遥か高く、奥行きも果てが見えない。


中央には見たこともない巨大な装置が鎮座している。


そして、その周囲を囲むように九つの巨大な結晶が配置されていた。


宝石にも見える。


だが、その存在感は鉱物の域を遥かに超えていた。


まるで九つの星が地上へ降り立ったかのようだった。


ウィアは中央装置の背後へ滑り込む。


荒い呼吸を押し殺す。


肩の傷から流れた血が床を濡らした。


だが、安心などできない。


「どうすれば……」


掠れた声が漏れる。


探索職としての実力には自信がある。


同年代で自分に勝てる者はそう多くない。


だが、それは1対1の話だ。


相手は20人近い武装集団。


しかも銃器まで所持している。


正面から戦えば結果は明白だった。


勝ち目がない。


時間の問題だった。


やがて扉の向こうから複数の足音が響き始める。


一歩。


また一歩。


死が、確実に近付いていた。


「遺伝適合確認」


機械的でありながら、どこか澄んだ声が響いた。


「2,800,022,740年ぶりの起動を確認」


直後。


中央の装置が低い駆動音を響かせながら動き始めた。


幾重にも重なっていた外殻が花弁のように開いていく。


その中心にあったのは、一つの赤い結晶だった。


心臓のように。


脈打つように。


淡い光を放っている。


「貴方の名前は何でしょうか?」


声が聞こえた。


近くではない。


遠くでもない。


耳から聞こえている感覚とも違う。


まるで頭の内側へ直接語り掛けられているようだった。


「……誰だ?」


ウィアは思わず周囲を見回す。


誰もいない。


装置以外には何も存在しなかった。


「貴方ですよ、少年」


優しい声が返ってくる。


「名前を教えてください」


「僕のことか?」


反射的に問い返す。


その時だった。


ふと部屋の入口へ視線を向ける。


そして。


「なっ……?」


息を呑んだ。


思わず目を見開く。


追手たちは確かにそこにいた。


数十メートル先。


だが。


誰1人として動いていない。


走っていた男は片足を上げたまま。


銃を構えていた男は引き金へ指を掛けたまま。


怒鳴っていた男は口を開いたまま。


全てが停止していた。


まるで時間そのものが凍り付いたかのように。


理解できない。


理解できるはずがなかった。


肩から流れ落ちた血ですら、床へ落ちる寸前で静止している。


世界から動きという概念だけが消え去っていた。


「そう」


声は穏やかに答える。


「貴方のことですよ」


恐怖も。


焦りも。


不思議と感じさせないほど、その声は優しかった。


「どうか、名前を教えてください」


まるで旧い友人に語り掛けるように。


「僕はウィア。探索職のウィアトルだ」


ウィアは迷いなく答えた。


すると声は、どこか嬉しそうに応じる。


「そうですか」


「ウィア。探索職のウィアトルですね」


一瞬の沈黙。


そして。


「初めまして、ウィア」


「私は開路支援AI、エラスムス」


声は静かに名乗った。


「28億年ぶりに――道を開きます」


その言葉が終わると同時に。


部屋全体が震えた。


轟音。


低く重い振動が遺跡全体を揺らす。


次の瞬間。


周囲を囲む九つの巨大な結晶が一斉に輝いた。


まるで互いに呼応するかのように。


緑。


青。


金。


銀。


様々な色彩の光が空間を満たしていく。


「なっ……!?」


ウィアは思わず目を見開いた。


中央の赤い結晶が脈動する。


一度。


二度。


三度。


鼓動のような光が強さを増し――。


直後。


天を衝く光柱が放たれた。


赤い奔流は天井を貫き。


遺跡を突き抜け。


山を貫き。


神々の嵐が荒れ狂う空へと昇っていく。


その光は嵐に呑まれない。


青白い雷光すら押し退けるように。


まるで失われた道を示す灯火のように。


まるで天と地を再び結び付ける道標のように。


遥か彼方まで伸び続けていた。


眩い光に耐えきれず、ウィアは目を閉じる。


どれほどの時間が経ったのか分からない。


やがて振動が収まり。


静寂が訪れた。


恐る恐る目を開く。


そして息を呑んだ。


中央にあったはずの赤い結晶は。


跡形もなく消え去っていた。


「おい! ここは何だ?」


男たちの怒声が響く。


武装集団が次々と部屋へなだれ込んできた。


ウィアは咄嗟に中央装置の陰へ身を隠す。


まずい。


時間がない。


先ほどまで停止していた世界は、完全に動き始めていた。


入口は一つ。


出口もない。


追い詰められている。


(何が、まずいのですか?)


不意に声が響いた。


頭の中に。


先ほど聞いた声だ。


(えっ!?)


ウィアは思わず周囲を見回す。


誰もいない。


だが不思議と恐怖はなかった。


むしろ妙な安心感があった。


(どこにいるんだ?)


(貴方の左腕ですよ)


声は当然のように答える。


(起動の際、適合可能だったので移動しました)


ウィアは左腕へ視線を落とした。


そして目を見開く。


母の形見であるワイヤーアーム。


その中心に埋め込まれていた碧い宝石が、いつの間にか赤く変化していた。


(まさか……)


(はい。現在、私はそこにいます)


どこか誇らしげな声だった。


だが今は驚いている場合ではない。


部屋の入口からは足音が近付いてきている。


(それで、まずいとは何ですか?)


エラスムスが改めて尋ねる。


ウィアは即座に状況を整理した。


(武装集団がおよそ20人)


(全員が銃器持ち)


(入口は一つだけ)


(この遺跡の壁は硬すぎる。ワイヤーが刺さらない)


(正面から戦えば勝てない)


脳裏で言葉を並べる。


探索職として培った分析だった。


(せめてワイヤーによる高速機動戦ができれば……)


その瞬間。


エラスムスは迷いなく答えた。


(理解しました)


声は穏やかだった。


だが、その奥には確固たる自信があった。


(開路支援AIエラスムス)


(これより、ウィアの新たな道を開きます)


赤い宝石が輝く。


一度。


そして、もう一度。


眩い光が左腕から全身へ駆け抜けた。


「っ――!?」


身体の奥を熱が走る。


血液が沸騰するような感覚。


同時に視界が鮮明になっていく。


世界の輪郭が研ぎ澄まされる。


ウィアの碧い瞳が赤い輝きを帯びた。


そして。


風もないのに黒髪が揺れる。


一本。


また一本と。


夜のような黒が、月光のような銀へと染まっていく。


やがて髪の全てが、美しい銀色へ変わった。


左腕の宝石は強く輝き続けている。


まるで28億年の時を超え。


再び動き始めた運命そのものを祝福するかのように。


「そこか!」


男たちの声が響く。


次の瞬間。


中央装置の陰へ黒い物体が投げ込まれた。


手榴弾だ。


ウィアがそれを認識した刹那――世界が揺らいだ。


爆発に巻き込まれる世界。


爆発に巻き込まれない世界。


二つの光景が同時に見えていた。


片方では爆炎が身体を呑み込み。


片方では紙一重で死を回避している。


まるで重なり合う二枚の絵を無理やり見せられているかのようだった。


だが、そのどちらも現実だった。


不安定に揺らぎながら、二つの可能性が確かにそこに存在している。


「これは……一体……何が?」


ウィアは思わず声に出していた。


理解が追いつかない。


理解できるはずもなかった。


ほんの一瞬前まで存在しなかった光景が、今は当たり前のように見えているのだから。


「未知を探し、道を掴み取る――ヴィア・ノヴァ。《新たなる道》です」


エラスムスの声が頭の中で響く。


その声音には、どこか誇らしさがあった。


「また、私と同調している間は思考加速が行われます」


「現在の貴方は、通常時を遥かに超える速度で思考しています」


ウィアは息を呑んだ。


だからなのか。


飛来した手榴弾は、まるで空中で静止しているかのように見える。


揺らぐ二つの未来も、はっきりと認識できていた。


爆炎に呑まれる未来。


爆炎を回避する未来。


「そんな……凄いことが……?」


信じられなかった。


だが、目の前の光景は紛れもない現実だった。


エラスムスの言葉が真実かどうかは分からない。


それでも。


もし本当に――。


「そんな力があるのなら……」


ウィアは揺らぐ未来へ視線を向ける。


生き残る道。


死ぬ道。


二つの可能性。


「僕は掴み取ってみせる」


その言葉と共に手を伸ばした。


爆発に巻き込まれない未来へ。


存在しなかったはずの可能性へ。


そして――。


ウィアは、その未来を選び取った。


爆発によって巻き上がった煙が視界を覆う。


男たちは足を止めた。


「仕留めたか?」


誰かが呟く。


確認のため、1人の男が慎重に前へ出た。


煙の奥を覗き込む。


その瞬間だった。


鋭い閃光が走る。


「え――」


男の腹を短槍が貫いていた。


鮮血が宙を舞う。


「なっ!?」


周囲がどよめく。


煙の向こう。


そこには銀髪の少年が立っていた。


そして次の瞬間には姿が消える。


いや。


速すぎて見えないだけだった。


ウィアは空間を駆けていた。


本来ならば不可能な軌道で。


本来ならば刺さるはずのない場所へワイヤーを撃ち込みながら。


遺跡の壁面。


天井。


柱。


超硬度の構造物を貫くワイヤーが、次々と新たな軌道を作り出していく。


「ふざけるな!」


男たちが一斉に銃を向けた。


発砲。


無数の弾丸が空間を埋め尽くす。


だがウィアには見えていた。


身体を貫く未来。


肩を掠める未来。


そして。


生き残る未来。


幾重もの可能性の中から。


ただ一つの道を掴み取る。


弾丸が頬を掠める。


その直後にはもう別の場所へ移動していた。


「どこだ!?」


「見失った!」


男たちの叫びが響く。


だが、その声が終わるより早く。


短槍が閃く。


1人。


また1人。


武装した男たちが地面へ崩れ落ちていく。


戦場を駆ける銀の軌跡は、もはや人間の動きではなかった。


やがて。


立っている男たちは数人だけになっていた。


銀の軌跡が駆け抜けるたび、仲間が倒れていく。


勝てない。


誰もがそう理解していた。


「くそっ!」


「やってられるか!」


ついに男たちは逃走を選んだ。


武器を捨てる者までいる。


我先にと入口へ駆け出した。


だが。


入口には1人の男が立っていた。


隻腕の男。


カーデンスだった。


「頭!?」


「どいてくだ――」


最後まで言い切ることはできなかった。


一閃。


何かが振るわれた。


次の瞬間。


男たちの身体が崩れ落ちる。


腕が。


脚が。


胴が。


まるで紙細工のように切り裂かれていた。


鮮血が噴き出す。


誰一人として何が起きたのか理解できないまま。


男たちは肉片となって地面へ散った。


静寂。


血の匂いだけが残る。


「あ~あ」


カーデンスは肩を竦めた。


まるで壊れた玩具でも眺めるように。


「ひでぇ奴だなぁ、お前」


口元が歪む。


「お前が死んでくれてりゃ、俺の愛すべき部下たちも死なずに済んだのによぉ」


陽気な声だった。


だが、その言葉には欠片ほどの悲しみもない。


むしろ楽しんでいるようにすら見えた。


ウィアは槍を握り直す。


本能が警鐘を鳴らしていた。


危険だ。


今までの連中とは格が違う。


カーデンスは左腕をゆっくり持ち上げた。


巨大な武具。


人の上半身ほどもある異形の籠手。


拳は異常なまでに肥大化している。


その先端からは鋭い爪が伸びていた。


さらに武具の付け根には、液体の入った小瓶が装着されている。


毒か。


薬品か。


判別はできない。


そして肘の部分には金属製の大型ブースター。


圧縮されたエネルギーが低く唸りを上げていた。


一目で分かる。


あれは単なる武器ではない。


人を殺すためだけに作られた怪物だった。


そして。


それを扱う男もまた――怪物だった。


「速い――」


そう理解した時には、巨大な拳が頬を掠めていた。


衝撃だけで体が吹き飛びそうになる。


ウィアは咄嗟にワイヤーを射出し、空中で体勢を立て直した。


(エラスムス、あいつ速い!)


(思ったよりずっと強い!)


短槍を構え直す。


数度の交錯。


拳と槍が激しくぶつかり合う。


火花が散った。


そして。


ウィアは見つけた。


勝利へ至る未来を。


カーデンスの懐へ踏み込み。


喉元を短槍が貫く未来。


確実に当たる。


そう見えた。


「もらった!」


だが――


カーデンスの腕が霞んだ。


次の瞬間。


ガギィンッ!!


凄まじい衝撃と共に短槍が弾き飛ばされる。


「なっ……!?」


ウィアの目が見開かれた。


見えていた未来が覆された。


そんなことがあり得るのか。


動揺を押し殺しながら即座に次の一手を選ぶ。


ワイヤーを射出。


死角へ回り込む。


背後。


完全な死角。


今度こそ終わりだ。


そう確信した瞬間――


槍は空を切った。


「……は?」


確かにいた。


だが。


そこにはもう誰もいない。


背筋を冷たいものが走る。


「くくくくく……」


笑い声。


すぐ後ろ。


「お前だけが特別だと思ったのか?」


振り向く。


カーデンスがいた。


異様な笑みを浮かべながら。


「ガキが」


左腕の巨大な武具が不気味な駆動音を鳴らす。


肘のブースターから蒸気が噴き出た。


「この武具は特別製だ」


「遺跡発掘品を持つのは――」


カーデンスの目が異様な興奮に染まる。


薬物の影響か。


あるいは狂気そのものか。


「お前だけじゃねぇんだよ!!」


咆哮と共に地面が砕けた。


地面を蹴る。


同時に、肘部のブースターが爆ぜた。


轟音。


次の瞬間にはカーデンスの姿が消えていた。


「っ!?」


横。


咄嗟に身を捻る。


巨大な拳が鼻先を通過した。


風圧だけで頬が裂ける。


(速い……!)


ウィアはワイヤーを射出し距離を取る。


だが。


見えている。


確かに見えているのだ。


拳を躱す未来も。


反撃する未来も。


致命傷を受ける未来も。


幾つもの可能性が。


しかし――掴めない。


未来が激しく揺らいでいる。


定まらない。


(エラスムス!)


(どうなってる!?)


「相手の身体能力は貴方を大きく上回っています」


エラスムスは冷静に分析する。


「加えて薬物による強化が確認できます」


「私との同調による思考加速にも部分的に追従しています」


カーデンスが嗤う。


まるで獲物を追い詰める獣のように。


「このまま戦闘を継続した場合、敗北確率は58%です」


「58……」


ウィアは歯を食いしばる。


ほぼ五分。


だが。


それは決して安心できる数字ではない。


むしろ最悪だった。


ヴィア・ノヴァは万能ではない。


可能性を見つける力。


未来を掴み取る力。


だが。


掴み取るべき未来を選ぶ時間が必要だ。


考える余裕が必要だ。


未来を見極める余裕が。


カーデンスはそれを与えてくれない。


未来が次々と書き換わる。


掴もうとした可能性が消える。


別の可能性が現れる。


その繰り返し。


「このままじゃ……」


ウィアは理解する。


未来は見えている。


だが。


見えているだけでは勝てない。


先ほどよりもさらに加速したカーデンスの拳が、何度もウィアを掠める。


掠めただけ。


それなのに衝撃波が全身を揺らした。


頬が裂ける。


腕が痺れる。


一撃でも直撃すれば終わりだ。


その確信だけが脳裏を過ぎる。


「仕方ありません」


エラスムスが静かに告げた。


「私の能力を使用します」


「ウィア。次の攻撃で敵を斬ってください」


「全力で」


その声音には迷いがなかった。


何か策があるらしい。


「……信じてるよ」


ウィアは短く答える。


そして付け加えた。


「エラ」


数秒。


沈黙が流れた。


「エラ」


エラスムスが繰り返す。


まるで未知の単語を解析しているようだった。


「私の名称はエラスムスですが」


「長いから」


ウィアは即答した。


一瞬の間。


そして。


「エラ、ですか」


小さな呟きが返ってくる。


赤い宝石が淡く明滅した。


「あれ?」


ウィアが首を傾げる。


「エラ、なんか嬉しそうじゃない?」


「嬉しそうではありません」


即座に否定が返ってきた。


「私に感情はありません」


言い切る。


だが。


返答が妙に早かった。


「ほんとに?」


「本当です」


「怪しいなぁ」


「怪しくありません」


また赤い宝石が明滅する。


先ほどより少し強く。


ウィアの口元に思わず笑みが浮かんだ。


その瞬間だった。


轟音。


カーデンスが地面を砕きながら迫ってくる。


巨大な拳が振り上げられていた。


「来るよ、エラ!」


「はい、ウィア」


今度の返答は妙に早かった。


「ぶつぶつと……独り言を喋ってるんじゃねぇぇぇぇ!!」


カーデンスが怒りの咆哮を上げた。


肘部のブースターが限界まで噴射される。


轟音。


床が砕ける。


次の瞬間。


カーデンスの姿が消えた。


速い。


これまでで最速。


ウィアの視界に映る未来が激しく揺らぐ。


だが。


その中に一つだけ道があった。


「エラ!」


「はい」


即答だった。


「いくよ! 今だ!」


ワイヤーが射出される。


壁面へ突き刺さる。


身体が一気に引き寄せられた。


最速。


今までで最も速い機動。


迫り来る巨大な拳。


迎え撃つ短槍。


そして――


衝突の瞬間。


赤い宝石が輝いた。


紅い光が迸る。


稲妻にも似た光がカーデンスの武具を走り抜けた。


「なっ?」


カーデンスの表情が初めて変わる。


困惑。


驚愕。


理解不能。


武具の表面に無数の亀裂が走っていた。


ミシリ。


ミシリ。


嫌な音が響く。


「何をしやがった……!?」


叫びと同時に。


武具が崩壊した。


砕ける。


割れる。


分解される。


まるで長い年月を一瞬で経たかのように。


巨大な武具は無数の破片へ変わっていった。


防御を失った胸部へ。


ウィアの短槍が深々と突き刺さる。


轟音。


衝撃波が空間を揺らした。


カーデンスの身体が吹き飛ぶ。


岩壁へ叩き付けられ。


鈍い音と共に崩れ落ちた。


静寂。


「エラ……これって……」


ウィアは槍を握ったまま呟く。


勝った。


だが何が起きたのか理解できていなかった。


エラは当然のように答える。


「相手の武具の硬度を少し変更しました」


「少しだけ?」


思わず聞き返す。


「はい」


エラは平然としていた。


「分解と再構成」


「それが私の能力です」


赤い宝石が静かに明滅する。


「――ペレグリニ・レソルティオ《先史文明の失われた技術》」


ウィアは崩れた武具を見る。


つい先ほどまで。


圧倒的な力を見せていた遺跡発掘品。


それが今では瓦礫のように砕け散っていた。


「少しだけって……」


ウィアは呆然と呟く。


「十分すごいと思うんだけど」


ウィアは思わず息を呑んだ。


エラの力は、自分が想像していた以上のものだった。


「エラ、ありがとう」


「助かったよ」


素直に礼を告げる。


すると赤い宝石が小さく明滅した。


「問題ありません」


「私は貴方を支援するために存在しています」


相変わらず機械的な口調だった。


だが。


不思議とその声は少しだけ柔らかく聞こえた。


その時だった。


「くっ……そ……」


苦しげな声が響く。


ウィアの視線が向く。


岩壁にもたれ掛かるカーデンス。


胸を貫かれながらも、なお生きていた。


口から血を吐き。


身体を震わせながら。


それでも立ち上がろうとしている。


その姿を見た瞬間。


ウィアの表情から笑みが消えた。


思い出していた。


この男は誰なのか。


何をしたのか。


母を殺した男。


ルクティアを奪った男。


あの日から何度も見た光景が脳裏を過ぎる。


帰ってこなかった母。


空になった家。


もう聞くことのできない声。


触れることのできない温もり。


胸の奥から何かが込み上げてくる。


熱い。


苦しい。


そして。


どうしようもなく黒い感情。


「お前は……」


ウィアは槍を握る。


指が白くなるほど強く。


「お前達は……」


声が震える。


悲しみで。


怒りで。


「何故、人を傷つけるんだ」


カーデンスは答えない。


ただ血を吐きながら笑っていた。


その笑みを見た瞬間。


怒りが溢れる。


止まらない。


心を埋め尽くしていく。


母を失ったあの日から積もり続けた感情が。


今。


堰を切ったように溢れ出していた。

母との日々を思い出していた。


優しく。


そして誰よりも強かった。


この過酷な世界で生き抜く術を教えてくれた人。


探索職としての技術も。


諦めない心も。


全部、母から貰ったものだった。


17年前。


この男たちはパルウス村へやって来た。


遺跡が点在するこの地へ入植したい。


そう村へ申し出たのだ。


最初、村人たちは彼らを受け入れた。


同じ人間同士。


助け合うべきだと考えたからだ。


だが、それは嘘だった。


奴らは村の生産物を盗んでいた。


食料を。


資材を。


生きるために必要なものを。


そして盗みが発覚した時。


奴らは逃げた。


何人もの村人を殺して。


父と母は追跡隊に加わった。


逃げる盗賊たちを追うために。


その時だったという。


父が死んだのは。


ウィアは父の顔を知らない。


声も知らない。


どんな人だったのかも知らない。


知っているのは母から聞いた話だけだった。


「優しい、強い人だったよ」


母はよくそう言っていた。


それだけしか知らない。


それだけしか残っていない。


だからこそ。


母だけは失いたくなかった。


たった1人の家族だったのだから。


そして、1年前。


奴らは戻ってきた。


復讐のために。


神々の嵐が迫る時期を狙って。


多くの探索職が物資集めに出払っていることを知った上で。


村が最も無防備になる瞬間を待ち続けていたのだ。


60名。


奴らの数だ。


村で戦える者は10名ほど。


最初から虐殺するつもりだった。


母は強かった。


この時も、1人で30名近い敵を切り倒した。


首魁であるカーデンスすら追い詰め、その利き腕を武器ごと斬り落としていた。


誰もが勝利を確信した。


もう終わったのだと。


村は守られたのだと。


だが――。


その時だった。


敵の1人が、1人の子供を連れて現れた。


首には刃が突き付けられている。


村の子供ではなかった。


見たこともない子供だった。


村の子供ではない。


名前も知らない。


どこの誰かも分からない。


それでも――。


母は見捨てることができなかった。


助けを求める命を。


恐怖に震える子供を。


村を率いる者の1人として考えるなら。


冷酷に切り捨てるのが正解だったのかもしれない。


1人を見捨て、多くを救う。


それが合理的な選択だったのだろう。


だが。


母は優しかった。


優しすぎた。


だから刀を、短槍を止めた。


だから敵は笑った。


そして――。


母は無抵抗のまま身体を貫かれた。


赤い血が舞う。


その光景を、今でも忘れられない。


母は大地に崩れ落ちた。


「殺す……必ずだ。この村の奴ら全員、ひとり残らず殺してやる」


失った右腕の断面から血を滴らせながら、カーデンスは憎悪に満ちた目で村を睨みつけた。


その瞳に宿るのは敗北への悔しさではない。


純粋な怨嗟だった。


「覚えてやがれ……」


呪詛のような言葉を吐き捨てると、カーデンスは生き残った部下たちを引き連れ闇の中へ消えていった。


その後のことは、あまり覚えていない。


狼煙を見たリア婆ちゃんやクレス爺ちゃんたちが戻ってきたらしい。


らしい、というのは。


僕自身の記憶が曖昧だからだ。


泣いていたと聞いた。


ずっと。


泣き続けていたと。


母の葬儀が終わる頃までの記憶は、ところどころ抜け落ちている。


何を見て。


何を聞いて。


どう過ごしたのか。


今ではほとんど思い出せない。


ただ――。


ひとつだけ。


何か大切な約束をした気がする。


母と。


あの日。


確かに。


「なぜ、お前たちは罪のない人々を殺すんだ。」


隻腕の男――カーデンスを見下ろしながら、ウィアは再び問いかけた。


槍を握る手に力が入る。


今すぐ喉を貫いてしまいたい。


その衝動を押し殺しながら、答えを待った。


「くくく……何故だと?」


カーデンスは血塗れの口元を歪める。


「罪が無いだと?」


乾いた笑い声が遺跡へ響いた。


「強い者は奪う。」


「弱い者は奪われる。」


「それだけだ。」


血を吐きながらも、その目には狂気が宿っている。


「それこそが普遍のルールだ。」


「この惑星ヴィアトラで生きる者なら、誰だって知っている。」


「力が全てだ。」


「生きる価値も。」


「命の値段もな。」


カーデンスは嗤う。


まるでそれが真理であるかのように。


「お前の母親が死んだのも同じだ。」


「弱かったから死んだ。」


「弱者を救う?」


「くだらねぇ。」


「そんな世迷言を信じた愚か者だったから死んだんだ。」


その瞬間。


何かが切れた。


頭の中が真っ赤になる。


母が弱い?


誰よりも強かった母が?


命を懸けて人を守った母が?


「そして俺は強い。」


カーデンスは笑う。


醜く。


歪んだ笑みを浮かべながら。


「だから奪う。」


「犯す。」


「殺す。」


「全部、俺の自由だ。」


「強者の権利だからなぁぁぁぁぁぁぁ!」


怒りが爆発する。


槍を握る手に力が籠もる。


心臓を貫く。


今すぐ。


この場で。


その衝動のまま、ウィアは踏み込もうとして――。


「それが、貴方の選ぶ道なのですね? ウィア。」


エラの声が頭の中に響いた。


静かに。


責めるでもなく。


止めるでもなく。


ただ問い掛けるように。


その直後だった。


もう聞けるはずのない声が聞こえた。


「ウィア。」


優しく。


温かく。


懐かしい声。


「私の可愛いウィア……。」


心臓が大きく跳ねる。


「貴方は、どんな道を選ぶの?」


母の声だった。


その瞬間。


忘れていた記憶が脳裏を駆け巡る。


涙に濡れた景色。


冷たくなっていく母の手。


震える自分の声。


そして――。


母が最期に遺した言葉を。


ウィアは思い出した。


体を貫かれた母の元へ駆け寄る。


血に濡れた身体を抱き締めた。


「母さん!」


返事はない。


いや、あった。


弱々しく。


それでも優しい声だった。


「ウィア……。」


母は悲しそうに。


そして愛おしそうに微笑んだ。


「私の可愛いウィア……。」


血に染まった手が頬へ伸びる。


震える指先がそっと頬を撫でた。


「ごめんね……。」


掠れた声。


「もっと……傍にいて……あげたかった……。」


「母さん……。」


涙が止まらない。


「母さん!」


「どうして……。」


「僕は……。」


喉が震える。


言葉にならない。


「僕は母さんがいないと――」


その瞬間。


母はそっと指を当てた。


続きを言わせないように。


優しく。


本当に優しく。


「ウィア。」


激しく咳き込む。


赤い血が唇から零れ落ちた。


それでも母は話を続けた。


「私は……。」


「貴方に……。」


「生きる術を全部教えたわ……。」


苦しそうに息を吐く。


それでも母の瞳はまっすぐだった。


「この星は……生きるには過酷な世界。」


「でも……。」


「貴方なら選べる。」


「きっと……。」


「新しい道を掴み取れるわ。」


どうして。


どうしてそんな顔ができるんだ。


今にも死んでしまいそうなのに。


母は少しも恐れていなかった。


ただ。


息子の未来だけを見ていた。


「ウィア。」


母は笑った。


どこまでも優しく。


どこまでも温かく。


「信じているわ。」


「貴方なら。」


「新たなるルールを見つけ出せる。」


「新しい道を作れると。」


そして――。


母は最後まで笑っていた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


ウィアは叫んだ。


怒りを。


悲しみを。


喪失を。


胸の中に溜め込んでいた全てを吐き出すように。


涙が止まらない。


震える手で槍を突き出した。


鋭い穂先が走る。


そして――。


槍はカーデンスの顔のすぐ横を貫いた。


轟音と共に床へ深々と突き刺さる。


あと数センチ。


それだけで男は死んでいた。


だが。


ウィアは外した。


意図的に。


殺さなかった。


殺せなかったのではない。


殺さなかったのだ。


「それが貴方の選ぶ道なのですね、ウィア。」


エラの声が聞こえた。


静かな声だった。


けれど。


どこか柔らかく聞こえた。


「エラ。」


涙を拭いながら問い掛ける。


「この道が嬉しいのかい?」


数秒の沈黙。


そして。


「ウィア。」


「私に感情はありません。」


エラはいつものように無機質な声で答えた。


「そうかな。」


ウィアは小さく笑う。


なぜだろう。


今の返答は少しだけ笑ってるように聞こえた。


「……気のせいです。」


返ってきた答えに、思わず笑みが零れる。


涙はまだ止まらない。


それでも。


先ほどまでとは違う涙だった。


ウィアは倒れている男たちへ視線を向けた。


ワイヤーを射出する。


一人。


また一人。


逃げられないよう拘束していく。


ヴィア・ノヴァ。


新たなる道。


その力で、ウィアは致命傷を避ける未来を選んでいた。


だから生きている。


敵も。


カーデンスも。


全員が。


母の仇でさえも。


「しかし、どうやって村へ連れて帰るか……」


拘束された男たちを見回しながら、ウィアは呟いた。


このまま置いていけば、遺跡の中で生き残れないだろう。


そんなことを考えていた時だった。


(ウィア)


頭の中にエラの声が響く。


だが、その声はどこか弱々しかった。


(私は蓄えていた力の大半を使い果たしました)


(少しの間、眠ります)


「エラ?」


思わず左腕を見る。


赤い宝石の輝きは先ほどより明らかに弱くなっていた。


(次に目覚めた時も……)


僅かな沈黙。


そして。


(エラと呼んでくれますか?)


その問いは不思議だった。


感情などない。


そう言い続けていた存在とは思えないほど。


どこか寂しそうで。


どこか不安そうで。


まるで捨てられるのを恐れる子供のようだった。


「当たり前だろ!」


迷う理由なんてなかった。


即答だった。


「エラスムスなんて長いしさ。」


「エラはエラだろ。」


ウィアは笑う。


それが当然だと言うように。


(……そうですか。)


ほんの少しだけ。


嬉しそうに聞こえた。


(ありがとうございます。)


赤い宝石が一度だけ明るく輝く。


そして。


静かに光を失った。


「エラ?」


返事はない。


もう一度呼ぶ。


「エラ。」


それでも返事は返ってこなかった。


左腕の宝石は沈黙したままだ。


眠ったのだ。


それが分かっていても。


ウィアはしばらく宝石から視線を離せなかった。


途方に暮れていた、その時だった。


遠くから誰かの声が聞こえてきた。


「この遺跡は一体……。」


「神々の嵐が、一瞬で……。」


距離があるせいで上手く聞き取れない。


だが、もし敵だったら。


もう戦う力は残っていなかった。


不安に駆られながら、ウィアは巨大な石の陰へ身を隠す。


足音が近付いてくる。


一歩。


また一歩。


そして――。


「この縛られた男たちは……」


「これはウィアのワイヤーか?」


聞き慣れた声だった。


「クレス爺ちゃん……」


全身から力が抜ける。


張り詰めていた緊張が一気に解けていった。


「ウィア!」


「おい、ウィアよ!しっかりしなさい!」


慌てた声が聞こえる。


その声が不思議と心地良かった。


大丈夫だ。


もう戦わなくていい。


そう思った瞬間。


意識が闇へ沈んでいく。


クレスの優しい声を最後に聞きながら。


ウィアは静かに意識を失った。


こうしてプリマ・ヴィア――《最初の道》は終わりを迎えた。


これは後に旅人《道を往く者》と呼ばれる少年。


ウィアトルの最初の冒険。


宇宙の停滞を打ち破る物語は、まだ始まったばかりだった。

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