第1話前編-最初の道(Prima Via)
宇宙は停滞していた。
かつて人々は星々を結び、
無限の未来へと手を伸ばしていた。
しかし、その日。
星々を繋ぐ道は断たれた。
繁栄は失われ、
文化は衰え、
技術は忘れられた。
残されたのは、かつての栄光の残滓のみ。
これは後の世に、新たなる道を切り開く者の物語。
ウィアトル――《道を往く者》の物語である。
夢を見ていた。
また、この夢だ。
何度も繰り返し見る、不思議な夢。
そこは知らない世界だった。
空の色も。
大地の姿も。
何もかもが見覚えのない景色。
そして、その中心には一人の少女がいた。
金色の髪。
深紅の瞳。
背には天使のような翼。
人ではない。
そう思ってしまうほど、その姿は神々しく、美しかった。
「危険率97%です」
少女は光の輪へ視線を向けたまま言った。
「じゃあ残り3%あるな」
「私には分かりません」
少女は不思議そうに首を傾げる。
その仕草だけは、どこか人間らしかった。
次の瞬間。
景色が溶けていく。
世界が崩れ、
少女の姿もまた光の中へ消えていった。
「ウィア」
「私のウィア」
優しい声が聞こえた。
母だ。
間違えるはずがない。
ウィアは手を伸ばす。
だが、その姿は光の粒となって崩れていく。
「待って――」
届かない。
指先が触れるより早く、母の姿は光の中へ消えていった。
そこで目が覚めた。
気が付けば日は高く昇っている。
頬には一筋の涙が伝っていた。
今日は成人祭だ。
パルウス村では祝祭の準備が進んでいた。
そんな記念すべき日の朝。
「やばい」
ウィアは飛び起きた。
「長老に怒られる!」
日はすでに高く昇っている。
成人祭に遅刻など前代未聞。
ましてや、その主役が寝坊など聞いたこともない。
間違いなく歴史に残る。
悪い意味で。
ウィアは急いで身支度を整え、家を飛び出した。
眩しい朝日が目に飛び込み、思わず目を細める。
光に慣れた目を開くと、村はすでに祭りの熱気に包まれていた。
村人たちは忙しなく行き交い、そこかしこから笑い声が響く。
肉の焼ける香ばしい匂いが漂い、
子供たちははしゃぎながら広場を駆け回っていた。
大人たちは酒樽を運び、色鮮やかな装飾で村を彩っている。
一年に一度の成人祭。
村中が祝福の空気に満ちていた。
普段はそれぞれの役割に追われる村人たちも、今日だけは顔を綻ばせている。
警護職は村の安全を見守りながら宴を楽しみ、
生産職は装飾や衣装、料理の準備に汗を流す。
食料供給職は食材を運び込み、祭りを支えていた。
誰もが忙しい。
それでも、その表情は明るい。
一年に一度の成人祭は、それほどまでに特別な日だった。
パルウス。
惑星ヴィアトラの巨大な山岳地帯に築かれた、小さな村である。
この惑星では、十六歳で成人となる。
今日の祭りも、その門出を祝うためのものだ。
成人した者は職に就き、共同体を支える。
だが、その中でも特別な職があった。
エクスプロラトル――《探索職》。
古代遺跡へ足を踏み入れ、
忘れられた文明の遺産を持ち帰る者たち。
危険と隣り合わせの仕事だが、彼らなくして村は成り立たない。
この過酷な世界で生きるために必要なものの多くは、遥か昔の文明が残した遺産だからだ。
ウィアの母ルクティアは、村一番の探索職だった。
その強さを、ウィアは誰よりも知っている。
なにせ幼い頃から散々鍛えられてきたのだ。
水も食料も持たされず危険地帯へ放り出される。
そんな訓練が一度や二度で済んだことはない。
当時は泣きそうになったものだ。
だが、その経験は確かに身になった。
今のウィアは、同年代の誰よりも生き延びる術を知っている。
「ウィアの奴はまだなのか・・・。」
小柄だが威風堂々とした立ち姿の女性が呟く。
「ごめんなさい、長老。遅れました!」
息を切らしたウィアが、慌てた様子で式典の場へ駆け込んできた。
「ウィアトル、あんた今何時だと思ってるんだい。」
「今の姿をあんたの母、ルクティアが見たら泣くよ。」
長老と呼ばれる小柄な女性――レクリアは、呆れたようにため息をつきながらウィアをたしなめた。
「まぁまぁ、長老。まだ時間内だ。」
「それに、ルクティアの葬儀からまだ一年だろう? ウィアも……。」
レクリアの傍らに立つ大柄な男が、穏やかな口調で取りなした。
「お黙り!ルクティアはこの村の英雄だ。」
「その英雄の息子が、晴れの日に寝坊してくる。」
「そんなんじゃ、後を託された私がルクティアに合わせる顔がないじゃないか。」
レクリアは視線を伏せる。
その声音には怒りよりも、亡き友への申し訳なさが滲んでいた。
村人たちの笑い声があちこちで弾み、祝祭の熱気が広場を包んでいた。
「長老、ホントにごめんなさい。」
「僕もこれじゃ駄目なのは分かってるんだ。」
ウィアは俯きながら言葉を紡ぐ。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
「母さんがいなくなってから、ずっと……ずっと立ち止まってた。」
「でも、今日は成人祭だ。変わる。変わってみせるよ。」
ウィアは顔を上げ、まっすぐ前を見据えて言い切った。
「仕方ないね。分かったよ。」
「では、問おう。ウィアトルよ。お前が望む道は何れか。」
長老は杖をウィアトルの肩に当てる。
先ほどまでの気安い口調は消え、その声は儀式を執り行う者のものへと変わっていた。
「ぼ、・・・私、ウィアトルはエクスプロラトル(探索職)を新たなる道とします。」
一瞬、いつもの一人称が口をつきかけた。だが今日だけは違う。
ウィアは背筋を伸ばし、堂々と宣言した。
「よろしい。」
「ウィアトルよ! 明日よりプリマ・ヴィア――《最初の道》へ旅立つが良い!」
長老の宣言が式典の場に響き渡る。
それは少年が一人前として認められた証だった。
「ウィア、これにて儀式は終了だ」
「今日はたっぷり祭りを楽しめ。明日からは忙しくなるからな」
大柄な男はそう言って豪快に笑う。
その声には、少年の門出を祝う温かさが込められていた。
「ありがとう!長老も、クレス爺ちゃんも!今日は楽しんでくる」
ウィアは村の広場へ走り去っていった。
クレスは成人の記念碑にウィアトルの名を刻んでいた。
その隣には、かつて同じように刻まれたルクティアの名もある。
「ルクティア……やっとこの日が来たよ。」
長老は空を見上げた。
まるで、その向こうにいる亡き友へ語りかけるように。
村は祝いの熱気に満ちていた。
一年に一度の贅沢な料理が並び、村人たちは歌い、踊り、笑い合う。
明日への不安も昨日までの悲しみも、この夜だけは忘れて。
村を警護していた男の一人が、ふと空を見上げた。
「……光っている」
青白い光が、空の向こうで脈打っている。
テンペスタス・デオールム――《神々の嵐》。
今年もまた、その季節がやってきた。
村人たちの顔から笑みが消える。
遠い空で、青白い光が脈打った。
惜しまれながらも、祝いの宴は終わりを告げた。
そして翌朝――。
村が日常を取り戻しつつあるその朝。
ウィアは死にかけていた。
もちろん魔物に襲われたわけではない。
ただ単に食べ過ぎたのである。
「うぅ……お腹が……」
床を芋虫のように転げ回る。
昨日までの決意に満ちた姿はどこへ行ったのか。
これが英雄の息子の現実だった。
しばらくして、扉が開いた。
「ウィア、入るぞ」
クレスが部屋へ足を踏み入れる。
「ウィア……お前、まさか」
そこで言葉が止まった。
床を芋虫のように這い回る少年を見て、クレスは何とも言えない表情を浮かべる。
呆れと同情が半々といった顔だった。
「お腹が痛い……」
ウィアは床に突っ伏したまま呻く。
「ぶはっ……!」
クレスの肩が震えた。
「ははっ……だ、駄目だ……! ぶわっはっはっはっ!」
ついに堪えきれず、大声で笑い出した。
刹那、強烈な殺気が走った。
ウィアは悟る。
これは神々の嵐などではない。
本物の死だ。
「ウゥゥゥゥゥゥゥィア~~~」
地の底から響くような声が聞こえてくる。
「探索職出発式にも現れず、何をしてるのかと思ったら」
そこにいたのは長老レクリアだった。
にこやかに笑っている。
とてもにこやかに笑っている。
なお、目は笑っていない。
ウィアは最後の希望を託し、クレスへ視線を向けた。
クレスもまた真剣な表情で見返してくる。
そして無言のまま首を横に振った。
『すまん、ウィア……』
『これは援護できん』
『ワシも死にとうはない』
その意思は痛いほど伝わった。
完全に見捨てられたのである。
ウィアはそっと目を閉じた。
迫り来る運命を前に、ただ静かにその時を待った。
――数刻後。
長老のお説教を受けたウィアは、ひたすら謝り続けていた。
言い訳はしない。
反論もしない。
ただ謝る。
全力で謝る。
その甲斐あって、どうにか命だけは助かった。
そう。
土下座こそが最強の生存術なのである。
「ウィア、あんたなら分かってると思うけどね」
レクリアはウィアが背負うフィールドキットを軽く叩いた。
「この中には水や食料が入っている」
「それに、神々の嵐すら一時的に防げる簡易テントもだ」
「使い方はもちろん分かるね?」
ウィアは力強く頷いた。
「母さんが教えてくれたよ。リア婆ちゃん」
その言葉に、レクリアはほんの少しだけ目を細めた。
だが次の瞬間、その頬がかすかに赤く染まる。
「公の場では長老とお呼び!」
レクリアの怒声が響いた。
「あはは、ごめんなさい」
ウィアは笑いながら謝る。
レクリアは母を亡くしてからの一年、ずっと自分を気に掛けてくれた。
厳しくも優しく。
時には叱り、時には支えてくれた。
ウィアにとっては、もう一人の家族のような存在だった。
「さて、旅立つ探索職たちには真実を伝えておく」
レクリアの声音が変わった。
先ほどまでの柔らかな空気は消え、長老としての顔になる。
「シールド発生装置の整備に必要な素材が不足し始めている」
その言葉に、ウィアも表情を引き締めた。
「どれくらいなの?」
「半年か、もってその程度だ」
レクリアの表情はさらに険しくなる。
「だから、お前たちには整備に必要な複合素材。それとエネルギーパックを重点的に回収してきてほしい」
村の命運が懸かった依頼だった。
「分かった」
ウィアは力強く頷く。
「長老、任せてよ」
そう言うと、ウィアは立ち上がった。
背負い慣れたフィールドキットを肩に担ぐ。
「僕は、英雄ルクティアの息子なんだからさ。」
力強く言い放つと、ウィアはフィールドキットを背負ったまま門へと駆け出した。
迷いのない背中は、どこか母の面影を感じさせる。
「やれやれ、落ち着きのない子だね」
レクリアは呆れたように肩をすくめる。
だが、その顔には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「どうか、ウィアの選ぶ道が良きものでありますように」
クレスは遠ざかる背中を見つめながら、静かに祈る。
その祈りを乗せるように、朝の風が村を吹き抜けた。
村を出たウィアは、左腕に装着したワイヤーアームを構えた。
狙いを定める。
次の瞬間、鋼鉄のワイヤーが勢いよく射出された。
「よっと!」
身体が一気に宙へと引き上げられる。
同時に半重力装置が起動し、ウィアの身体はその勢いのまま空中を滑るように駆け抜けた。
眼下には山が広がり、遠くには古代の遺跡群が見える。
ワイヤーアーム。
遺跡から発掘された最高品質の遺物の一つだ。
今では到底再現できない先史文明の技術が詰め込まれている。
そしてこれは、かつて村一番の探索職だった母ルクティアが発見した品でもあった。
ワイヤーアームの中心に埋め込まれた碧い宝石が淡く輝く。
まるで旅立つウィアを見守るかのように。
「母さん、僕は進むよ。」
形見のワイヤーアームに触れる。
返事はない。
それでもウィアは小さく笑った。
「見ててよ、母さん。」
そう呟き、彼は旅立った。
この星で生きていくためには、多くの古代技術が欠かせない。
一年に一度吹き荒れるテンペスタス・デオールム――《神々の嵐》。
その災厄は植物を枯らし、水を汚染する。
生き物が住める環境は限られ、この星には原生生物もほとんど存在しない。
だが、危険は自然だけではなかった。
古代遺跡にもまた、人々を脅かす脅威が眠っている。
かつて都市や施設を守るために造られた機械兵たち。
長い年月の中で主を失い、与えられた使命さえ忘れ果てた彼らは、今では侵入者すべてを敵として襲い掛かる。
存在意義を失いながらも動き続ける機械の兵士たち。
人々は彼らをグレクス・アウトマトールム――《忘れられ、忘れた者たち》と呼び、恐れていた。
――数日後。
ウィアは追われていた。
機械の兵に。
背後から響く金属の足音。
その音は徐々に近づいてくる。
人を遥かに超える速度。
鋼鉄の肉体から繰り出される圧倒的な膂力。
そして遠距離では金属弾を放ち、目からは光の柱すら放射する。
古代遺跡を守る機械兵。
今、その一体がウィアの命を狙っていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、ウィアは岩場へと駆け込んだ。
「よし……ここら辺でいいかな」
足を止めると、左腕のワイヤーアームを操作する。
射出されたワイヤーが岩場を巡り、見えにくい高さで周囲を一周した。
即席の罠だ。
ウィアが準備を終えた直後――
ガギン。
ガギン。
不気味な駆動音を響かせながら、機械の兵が姿を現す。
緑の光を灯した眼が、逃走者を捉えていた。
「来たか」
次の瞬間、機械兵が腕を持ち上げる。
銃口が火を噴いた。
鋼鉄の弾丸が空気を裂く。
「うおっ!」
ウィアは身を捻ってそれを躱す。
さらに機械兵は速度を落とさない。
銃撃を続けながら、そのまま突進してくる。
人間なら躊躇する距離。
だが機械には関係ない。
「今だ!」
ウィアは地面を蹴った。
ワイヤーアームが射出される。
身体が一気に宙へと引き上げられた。
次の瞬間。
岩を砕きながら突進した機械兵の身体に、仕掛けていたワイヤーが絡みついた。
ガギギギギッ!
鋼鉄の巨体が無理やり引き止められる。
「引っ掛かった!」
ウィアは空中でワイヤーを引き絞った。
半重力装置によって軽減された体重を活かし、そのまま全身の力を込める。
機械兵の身体が浮いた。
そして――
轟音と共に地面へ叩きつけられる。
岩肌が砕け、砂煙が舞い上がった。
「もらった!」
着地したウィアは、ワイヤーアームの一部を短槍へと変形させる。
碧い宝石が淡く輝いた。
短槍を握り締め、一気に駆ける。
狙うのは頭部。
正確には、目に存在するビーム射出口だ。
全力の一撃。
短槍が装甲を貫き、内部機構へと突き刺さる。
バチバチッ!
激しい火花が散った。
機械兵の緑光が明滅する。
やがて、その巨体は力を失い動きを止めた。
「ふぅ……」
額の汗を拭いながら、ウィアは腰を下ろす。
「村を出て数日だけど、良いペースで集まってるな」
そう呟くと、慣れた手付きで機械兵の解体を始めた。
整備用の複合素材。
高密度エネルギーパック。
どちらも村では貴重な資源だ。
探索職にとって、機械兵は脅威であると同時に宝の山でもあった。
その様子を遠くから見ている男がいた。
右腕を失った隻腕の男。
カーデンスである。
バイクに跨る彼の周囲には、武装した部下たちが集まっていた。
「頭、村からは多くの探索者どもが旅立ったみたいですぜ」
部下の報告を聞き、カーデンスは鼻で笑う。
「そうか」
失った腕の断面を撫でながら、カーデンスは呟く。
「なら、一人残らず見つけ出して殺してやる」
その瞳には、狂気じみた憎悪が宿っていた。
「あれは……」
隻腕の男が遠くを見る機械で見つめる。
遠くで機械兵を解体する少年。
その顔に見覚えがあった。
「あの女の……ガキか」
途端に、カーデンスの表情が歪む。
失った右腕の断面を無意識に撫でながら、憎しみに満ちた視線をウィアへ向けた。
「絶対に許さねぇ……。」
低く漏れた声には、怨嗟が滲んでいた。
「頭、いつ村を襲いやすか?」
部下の一人が尋ねる。
カーデンスは鼻を鳴らした。
「村は後だ」
冷たい笑みが浮かぶ。
「まずはガキから葬る」
遠くでは何も知らないウィアが、機械兵の解体を続けている。
「え? 頭、絶好の機会なんですぜ? 一年ま……」
何かが飛んだ。
部下は目を瞬かせる。
何が起きたのか分からない。
口を開こうとして――違和感に気付いた。
一拍遅れて。
首が地面へと落ちた。
「あのガキがどこへ向かうのか尾行しろ」
「残りの連中も集めておけ」
「招集に応じなかった奴には伝えろ」
「逃げても無駄だとな」
「血の果てまで追いかけて、地獄を見せてやる」
部下たちは震えながら頷く。
誰も異を唱えなかった。
先程の光景を見た後では、その勇気など残っていなかった。
やがて彼らは各地へ散っていく。
嵐は迫る。
空の彼方では、青白い光が絶え間なく瞬いていた。
その輝きは徐々に強さを増し、稲妻の走る間隔も短くなっていく。
誰にも止められぬ災厄が、確実に近づいていた。




