第16話-毒の起源(Origo Veneni)
鹿人の長――大樹守エルシアスの案内で、一行は巨大樹の内部へと足を進めた。
枝葉をそのまま利用した回廊を抜けるたび、木漏れ日が柔らかく差し込み、心地よい風が頬を撫でる。
やがて案内されたのは、大きな食堂だった。
室内には木の香りが満ちている。
長い木製の食卓には、色鮮やかな料理が所狭しと並べられていた。
真っ赤に熟した果実。
みずみずしい野菜。
木の実や香草をふんだんに使った料理。
甘い香りのする焼き菓子まで並び、そのどれもが丁寧に盛り付けられている。
毒の惑星に存在するとは思えないほど、生命の恵みに満ちあふれた食卓だった。
「わぁ……すごい。」
アルマの瞳がきらきらと輝く。
料理を見つめるその表情は、まるで子どものようだった。
「本当に美味しそうです。」
エラも思わず目を輝かせる。
アルマと顔を見合わせると、二人は同時に小さく頷いた。
その様子を見て、ウィアは思わず笑う。
「うちの女性陣は、本当に食べることが好きだね。」
「いいことじゃねぇか。」
カーデンスが腕を組みながら笑う。
「健康なのが一番だ。」
「食事は生命活動の基本です。」
エラは真面目な顔で答える。
「それに、美味しい物を食べると幸せになります。」
「……結局、食べたいだけだよね?」
ウィアが苦笑すると、エラは少しだけ視線を逸らした。
「……否定はしません。」
そのやり取りに、一同から自然と笑みがこぼれる。
少し離れた場所では、五羅針の一人であるネイラが、鹿人たちと楽しそうに話していた。
「ほぉ……。」
感心したように周囲を見渡す。
「どの植物も見事じゃのう。」
案内役の鹿人が嬉しそうに説明を続ける。
ネイラもまた、同胞と言葉を交わせることが嬉しいのだろう。
その表情には、普段よりも柔らかな笑みが浮かんでいた。
穏やかな笑い声が食堂に広がる。
戦いとは無縁の、温かな時間。
その空気に包まれながら、ウィアたちは新たな文明との最初の食卓を囲もうとしていた。
◇
「それでは――異邦より訪れし旅人たちとの出会いに。」
エルシアスが静かに杯を掲げる。
その声に応えるように、食堂に集った鹿人たちも一斉に杯を掲げた。
木の器が軽やかな音を立てる。
穏やかな宴が始まった。
食事を囲みながら、ヴィアトラ帝国側は自分たちの歩んできた道を語る。
ゲート停止後に新たな国家を築いたこと。
世界船で星々を巡る理由。
この船を造り上げた『旅をする者』という先史文明。
そして、その旅を阻む『存続する者たち《マネンテス》』の存在。
エルシアスたちは、一言一句聞き漏らすまいと静かに耳を傾けていた。
やがて話題は、この惑星へ移る。
エルシアスは手にした杯を静かに置いた。
その表情には、深い悲しみが滲んでいる。
「ゲート停止後……。」
「惑星シルヴァリスは、しばらく平穏でした。」
「この星は緑豊かで、自然の恵みが尽きることはなかったのです。」
穏やかだった声が、少しずつ重くなる。
「ですが、ある日。」
「毒を操る怪物が現れました。」
食堂の空気が静まり返る。
「奴は永遠の樹へ侵入し、その一部を侵食したのです。」
エルシアスはゆっくりと天井を見上げた。
巨大樹の奥深く。
そこには今も怪物が潜んでいる。
「我らは何度も討伐を試みました。」
「しかし……誰一人として届かなかった。」
苦しげに拳を握る。
「やがて永遠の樹は毒に侵され、この星全体へ毒を撒き散らす樹へと変わってしまいました。」
沈黙が流れる。
誰も言葉を発することができない。
「『ドワーフ《ストルクトレス》』には、本当に申し訳ないことをした。」
エルシアスは静かに目を伏せた。
「彼らはインフラ整備や建築を担う、我らの良き隣人でした。」
エラは焼き菓子を片手に、もう片方の手で果実を持ったまま首を傾げる。
「都市を築く種族ですね。」
「ええ。」
エルシアスは頷く。
「彼らがどうなったのかさえ、分かりません。」
「毒が広がって以来、一度も連絡が取れていないのです。」
その言葉に、食卓は再び静まり返る。
やがてエルシアスは、ゆっくりと立ち上がった。
そして深々と頭を下げる。
「異邦の旅人たちよ。」
「もし、あなた方が我らにはない力や知識を持つのなら。」
「どうか――。」
震える声で願う。
「この毒の元凶、『菌糸巨人』を討つため、力を貸していただけないでしょうか。」
苦悶に満ちた表情だった。
この星を守れなかった長としての悔しさ。
民を救えない無力さ。
その全てが滲み出ていた。
食堂がざわめく。
鹿人たちは固唾を呑み、旅人たちの返答を待っている。
「このまま……。」
エルシアスは絞り出すように言った。
「この星を、死の惑星にはしたくない。」
「もう一度。」
「緑あふれる、美しいシルヴァリスを取り戻したいのです。」
真っ直ぐな眼差しだった。
その願いに、偽りは一切ない。
ウィアは静かに立ち上がる。
そして迷うことなく笑った。
「もちろん、お手伝いします。」
あまりにも即答だった。
「……またそうやって即決する。」
フェリアが呆れたように額へ手を当てる。
「少しは相談というものを覚えなさい。」
「でも。」
ウィアはエルシアスへ向き直る。
「見てみたいじゃないですか。」
優しく笑う。
「毒に覆われた星じゃなくて。」
「本当に、この星が持っていた景色を。」
「みんなが笑って暮らせる、緑いっぱいの世界を。」
その言葉を聞いたエルシアスは、大きく目を見開いた。
やがて、その瞳に涙が滲む。
「……ありがとうございます。」
長としてではない。
一人の住人としての、心からの感謝だった。
こうして――。
毒に蝕まれた惑星シルヴァリスを救う戦いが、静かに幕を開けた。
◇
世界船。
艦橋では、オリヴィエが通信端末越しに報告を受けていた。
しばらく黙って話を聞いていた彼女は、小さくため息をつく。
「……また、あの子は。」
肩を落としながら苦笑する。
「勝手に引き受けちゃって。」
「どうして一言、相談できないのかしら。」
その声には呆れと、少しの心配が混じっていた。
通信越しのフェリアが、くすりと笑う。
「そういうところは、オリヴィエ様にそっくりですよ。」
「……え?」
オリヴィエは思わず目を丸くした。
「ちょっと、どこがよ。」
頬をふくらませて抗議する。
フェリアは穏やかに笑った。
「困っている人を見ると放っておけないところです。」
「危険だと分かっていても、助ける道を選ぶところも。」
「ウィアは、ちゃんと見て育ってますよ。」
その言葉に、オリヴィエは少し照れくさそうに視線を逸らす。
「そうかしら……。」
「前に一度。」
フェリアが冗談めかして続ける。
「『私の息子みたいなもの』って仰っていましたよね。」
「血筋じゃなくても、似るものなんですね。」
「……言うじゃない。」
オリヴィエの口元に笑みが浮かぶ。
張りつめていた空気が少しだけ和らいだ。
しかし、その笑みはすぐに消える。
「それで。」
瞳が真剣な色へ変わる。
「攻略できそう?」
フェリアも自然と表情を引き締めた。
「私たちを誰だと思ってるんですか。」
迷いのない声だった。
「五羅針が三人。」
「それに、《紅嵐》のレクリア様もいます。」
「この戦力で突破できない敵なら、最初から勝負になりません。」
自信に満ちたその言葉に、オリヴィエは満足そうに笑う。
「ふふっ。」
「愚問だったわね。」
少し間を置いてから、優しく続ける。
「でも、ウィアはまだ未熟よ。」
「あの子は気持ちばかり先走る。」
「だから、ちゃんと支えてあげて。」
「……お姉ちゃんなんだから。」
「っ……!」
フェリアの肩がびくりと震えた。
みるみる頬が赤く染まっていく。
「そ、それは……。」
視線を泳がせながら慌てて弁解する。
「ルクティア様のご子息だからです!」
「可愛いからじゃありません!」
「はいはい。」
オリヴィエは楽しそうに笑う。
「可愛いんでしょう?」
「だったら、しっかり守ってあげなさい。」
フェリアは観念したようにため息をつき、小さく頷いた。
「……はい。」
「必ず。」
短い返事だった。
だが、その声には強い決意が宿っていた。
その時、オリヴィエの表情が再び曇る。
「それと。」
「人型拠点の方だけど……。」
艦橋の空気が一変する。
「外交は失敗したわ。」
「先方から攻撃を受け、使節団は撤退している。」
重い沈黙が流れる。
同じ惑星に存在する二つの文明。
片方は温かく迎え入れ、もう片方は問答無用で砲撃した。
その対照的な反応が、この惑星に隠された深い闇を物語っていた。




