第10話-大いなる旅立ち(Magnus Exodus)
船の最奥。
誰も知らない部屋で、一つの機械が静かに動きを止めた。
低く響いていた駆動音が途絶え、重厚な扉がゆっくりと開いていく。
その奥から、一人の少女が姿を現した。
金色の髪。
真紅の瞳。
そして背には四枚の羽が静かに揺れている。
少女はどこか懐かしむように周囲を見渡し、小さく呟いた。
「対象確認。」
その一言を残し、迷いのない足取りで歩き始める。
世界船は、すでに空間跳躍を終えていた。
だが艦内の混乱は収まる気配を見せない。
惑星ヴィアトラに暮らしていた53万人もの人々が、何の前触れもなく宇宙への旅へ巻き込まれたのだ。
混乱しない方がおかしかった。
中央制御室の一角に設けられた戦略指令室では、この世界船の今後を決めるための会議が開かれていた。
最上席には、ヴィアトラ帝国第182代星守帝カエルム・ヴィアトラ。
その傍らには、帝国宰相レオニス・コンシリウス、帝国軍総司令ガイウス・ヴォルトゥス、そして帝国巡察隊総監察官リウィア・グラヴィスが並ぶ。
探索者協会からは会長オリヴィエと副会長フェリア。
さらに協会最高戦力《五羅針》。
今回の一件の当事者であるウィアたち。
そして、各地に点在する村々から選ばれた代表者たちも席についていた。
広いはずの戦略指令室は、多くの人々で埋め尽くされている。
「すごい人数だね……。」
その光景を見渡しながら、ウィアは小さく呟いた。
人が多い場所は、今でもあまり得意ではなかった。
「ウィア!」
聞き覚えのある声に、ウィアは咄嗟に振り向いた。
「リア婆ちゃんにクレス爺ちゃん……!」
懐かしい顔を見た瞬間、ウィアは思わず2人へ駆け寄り、そのまま抱きしめた。
「まったく……相変わらず場を弁えない子だよ。」
そう言いながらも、レクリアはどこか嬉しそうに目を細める。
「ウィア。ルクティア……お前の母親の映像は見た。」
クレスは沈痛な表情で言葉を落とした。
ウィアは一瞬だけ目を伏せ、それでも静かに答える。
「大丈夫。経緯がどうであれ、母さんは僕の大切な母さんだから。」
その言葉に、クレスは小さく息を吐いた。
「……そうか。ならいい。」
「ウィア、私たちの事いつでも頼っていいからね。」
「ね?」
アルマがカーデンスへ視線を向ける。
「……ああ。」
カーデンスは短く頷いた。
「もちろんだ。」
そのやり取りを見て、クレスは小さく目を見開く。
「随分と、変わったものじゃな。」
驚きと、わずかな安心が入り混じった声だった。
「ウィア」
エラが静かに歩み寄る。
「私も、いつでも頼っていいですからね。」
「ありがとう、エラ。」
ウィアがそう返すと、エラは満足そうに微笑み、四枚の羽を軽く揺らした。
「はい」
その笑みは、どこか誇らしげですらあった。
やがてエラは視線を上げる。
「そろそろ、会議が始まりそうですね。」
その言葉の通り、戦略指令室の空気がゆっくりと張り詰め始めていた。
「諸君、よく集まってくれた。」
星守帝カエルム・ヴィアトラの声が、戦略指令室全体に重く響いた。
その声には、これまでの統治者としての威厳ではなく、ひとりの人間としての切実さが滲んでいた。
「この非常事態を乗り越えるため、我らは一致しなければならない。」
一拍置いて、皇帝はゆっくりと頭を下げた。
「どうか……余に力を貸してほしい。」
沈黙。
次の瞬間、室内にどよめきが広がる。
帝国皇帝が頭を下げるなど、誰も想像していなかった光景だった。
「陛下」
宰相レオニス・コンシリウスが、静かに声を発する。
その声には、この事態の重さを受け止める冷静さがあった。
「よい」
皇帝は短く制したのち、ゆっくりと顔を上げる。
そして宰相へ視線を向けた。
「レオニスよ。説明せよ。」
「はっ」
レオニスは一礼し、集まった全員を見渡した。
「では、現状を整理してご説明いたします。」
彼の言葉と共に、戦略指令室の空気が一段と引き締まる。
まず語られたのは、この世界船の正体だった。
次に、先史文明の存在。
そして、突如として現れた侵略者――《マネンテス》。
さらに、その中心にいる――《エラスムス》。
それらの名が出た瞬間、場の空気がわずかに揺れた。
理解ではなく、「未知」に対する反応だった。
誰もが言葉を失いながら、ひとつずつ事実を受け取っていく。
レオニスの説明が一段落した瞬間、戦略指令室に重い沈黙が落ちた。
誰もが理解していた。
今語られた事実は、ひとつひとつが国家規模の危機では済まない。
いや――惑星規模ですら収まらない。
「……つまり。」
沈黙を破ったのは帝国軍総司令ガイウス・ヴォルトゥスだった。
「我々は今、正体不明の“船”の内部におり、その船は先史文明の遺産であり、さらに別次元の存在から攻撃を受けている、ということか。」
「その理解で間違いありません。」
レオニスが即座に答える。
ガイウスは低く息を吐いた。
「馬鹿げているな……。」
だが、その声には否定ではなく、現実を受け入れざるを得ない重さがあった。
「でも、残念ながら事実なのよ。」
探索者協会会長オリヴィエが静かに続ける。
「実際にヴィアトラにいた人々は“世界船”の内部へ転移させられちゃったし。」
「そして、先ほどの戦闘で確認したけど、通常兵器や発掘品の枠では対処できない存在も居るってわけ。」
その言葉に、フェリアの視線がわずかに揺れた。
「……あれを通常外で片付けるのは控えめすぎる表現ですね。」
彼女の声は冷静だったが、その奥にわずかな警戒が滲んでいる。
五羅針の面々は沈黙していた。
先ほどまで圧倒的な存在感を誇っていた彼らでさえ、あの影の前では結果だけを突きつけられたに過ぎない。
勝敗ではない。
戦闘ですらない。
ただ「無効化された」という事実だけが残っていた。
「どうしたら良いと思う。」
帝国宰相レオニスが皆に問う。
「このままでは、我々はこの船に閉じ込められたままだ。」
「違うわ。」
その言葉を遮ったのは、オリヴィエだった。
彼はゆっくりと視線を上げる。
「閉じ込められたんじゃないの。」
「……何?」
「この船は、すでに動いているのよ。」
静寂。
オリヴィエは続ける。
「私たちの意思とは関係なく、この世界船は目的地へ向けて航行を開始してるの。」
「つまり――」
一拍。
「ここは閉鎖空間じゃ無くて移動する国家って事ね。」
その言葉に、室内の空気が変わった。
閉じ込められた。
ではない。
連れて行かれている。
その意味の違いが、全員の表情を変える。
「……冗談ではないな。」
ガイウスが低く呟く。
そのとき、戦略指令室の照明がわずかに揺れた。
まるで何かが船全体を通して呼吸したかのように。
一瞬だけ、誰もが同じ感覚を抱く。
この船は生きている。
そして今なお、進み続けているのだと。
数十億年という時の果てで起きている事態に、誰もが理解を追いつかせられずにいた。
「星々の盟約」以前の歴史など、今この場にいる誰一人として正確には把握していない。
沈黙の中、星守帝カエルムがゆっくりと口を開いた。
「エラ殿」
「はい。」
即座に返る声は、どこか人間的でありながらも、明確に異質な響きを持っていた。
「確認したい。」
皇帝は真っ直ぐエラを見据える。
「この旅を我らが終えたとき、我らは惑星ヴィアトラへ――すなわち故郷へ帰還できる。」
「その認識に相違はないか?」
一瞬の静寂。
エラは小さく頷いた。
「はい。お約束します。」
そして一歩進み出ると、空間へ向かって静かに呼びかけた。
「中枢AI応答を。」
その瞬間、戦略指令室全体に機械音声が響いた。
『はい。応答します。』
無機質でありながら、確かな意志の反射を感じさせる声だった。
『私に与えられた最上位命令は以下の通りです。』
『艦内文明の保護』
『エラスムスの保全および誘導』
『記憶領域の完全開放』
『以上が最優先命令となります。』
一拍置いて、音声は続く。
『なお、全命令達成後はエラスムスの指示に従うよう設定されています。』
沈黙が落ちる。
エラはその言葉を受け止めるように、静かに目を伏せたあと、皇帝へ視線を戻した。
「以上の通りです。」
「私の記憶が完全に復元されれば、私はあなた方を故郷へ帰還させることが可能になります。」
その言葉に、室内の空気がわずかに変わる。
重圧の中に、一筋だけ“希望”が差し込んだ。
皇帝はゆっくりと息を吐き、そして決断するように告げた。
「分かった。」
「ならば――」
一拍。
「ヴィアトラ帝国は、この世界船と共に旅を続ける。」
その言葉は、命令ではなかった。
だが、この場においてそれは国家そのものの意思決定に等しかった。
戦略指令室に、再び静寂が落ちる。
だが今度の静寂は、混乱ではない。
覚悟の形をした沈黙だった。
皇帝の言葉が落ちたあと、しばし誰も動かなかった。
「……共に、だと?」
最初に反応したのはガノンだった。低く笑うような声だが、その奥には警戒がある。
「帝国ごと、この船と旅をするということか。」
ドルガが腕を組み、天井を見上げる
「前代未聞じゃな。」
ヴェルナは周囲を一瞥し、わずかに目を細めた。
「子供たちを危険な場所に連れて行くなど…。」
その視線は皇帝ではなく、むしろ船そのものを測っているようだった。
ネイラだけが静かに息を吐く。
「ふむ……それでも、選ぶしかない状況ではあるのう。」
その言葉は諦めではなく、現実の受容だった。
総監察官リウィアは静かに目を伏せていた。
艶のある黒と紫が混じる髪は乱れず、外套も微動だにしない。
(法の外側にある事象。)
彼女はそれをそう定義した。
惑星規模の強制転送、先史文明、世界船。
いずれも帝国法の想定を超えている。
「……秩序の前提が崩れています。」
小さく呟く声は冷静だった。動揺ではない。再定義の問題だ。
彼女にとって法とは、世界を支える重力そのもの。
だが今、その重力は一度宙に浮いている。
リウィアは胸元の重力の印に触れる。
思考が整列する。
(裁きではない。)
(必要なのは空白の補完。)
顔を上げ、紫の瞳で室内を見渡す。
「現時点の帝国法は本件を想定していません。」
「よって本事象は法の空白域に該当します。」
一瞬の静寂。
それでも彼女の声は揺れない。
「しかし秩序なき状態は許容できません。」
「帝国巡察隊は暫定治安維持権の行使を要請します。」
これは支配ではない。
空白に重力を戻すための宣言だった。
「未知であろうと規模が宇宙であろうと。」
「法は必要です。」
その言葉を受け、皇帝と宰相は小さく頷いた。
一方で、オリヴィエは、表情を変えないまま沈黙していた。
だがその内側では、静かに崩れ始めているものがあった。
(テネブロース……)
その名は、ただの敵性存在の識別ではない。
もっと古い。
もっと個人的な響きだった。
脳裏に浮かぶのは、親友の顔だった。
アステル。
3歳の頃、突然“時間の外側”へ放り出された存在。
そこで出会ったのが、テネブロースだったらしい。
あの時のアステルはまだ幼く、世界の理も知らないまま、そこに当然のように存在していた。
――親友だと、彼は言っていた。
だが。
(そんなもの、あるはずがない。)
オリヴィエはずっとそう思ってきた。
時間跳躍。
先史文明。
消えた歴史。
幼少期の記憶。
すべてが断片的で、裏付けもなく、あまりにも非現実的だった。
だから彼は結論づけた。
アステルの作り話だと。
あるいは、幼少期の混乱が生んだ幻想だと。
しかし今。
あの影が動揺した。
テネブロースという名に。
アステルという存在に。
(……じゃあ)
思考がそこで止まる。
止めていた何かが、音を立ててひび割れる。
ならば自分が今まで否定してきたものは――。
オリヴィエはわずかに目を伏せる。
呼吸が一拍だけ乱れた。
(……私は何を、見落としていた?)
その問いだけが、静かに胸の奥へ沈んでいった。
部屋の喧騒の中、エラがわずかに揺れていた。
「……っ」
誰にも気づかれないほど微細な反応。
だが内部では明確な変化が起きている。
情報ではない。
理解でもない。
流入だ。
エラの視界の奥で、世界船ウィア・ムンディの構造情報が再構築されていく。
制御権限の深層。
封印領域。
未解放の記憶層。
そのさらに奥。
(これは……。)
(まだ先がありますね。)
エラの指先がわずかに震える。
羽が一瞬だけ逆立つように広がり、すぐに収まった。
誰も気づかない。
だが確かに、何かが開きかけている。
(記憶領域解放は……まだ途中。)
(そしてこれは……私の記憶じゃない?)
エラはゆっくりと目を閉じる。
その奥で、膨大な誰かの記録が、扉の向こう側で音を立て始めていた。
皇帝はすぐさま、指示を下した。
「住民たちの居住場所の確保。仕事の提供。そして――民心の安寧の徹底だ。」
命令は短く、だが重かった。
現実的な問題が一気に宰相へと降りかかる。
「承知しました。」
レオニスはすぐに頷き、端末へと指示を飛ばす。
だがその背後では、すでに別の動きが始まっていた。
エラが静かに手を上げる。
「船内都市構造を再構築します。」
その言葉と同時に、世界船の内部構造が書き換わっていく。
果ての都の街並みが、空間上に再現される。
区画、道路、広場、居住ブロック。
まるで記憶をそのまま現実へ転写するかのように、都市が生成されていく。
「自律稼働型工事機械、展開」
次の瞬間、無数の建設ユニットが艦内を駆け巡った。
金属が組まれ、建物が立ち上がり、街が形を成していく。
それは数日どころか、数時間単位で完了していった。
「……本当に、街が出来ていくな。」
カーデンスは呆然とその光景を見上げた。
頭が追いつかない。
起きていることがあまりに大きすぎる。
「なんとか、まとまれそうだね。」
アルマの言葉は、安堵というよりも現実を必死に追いかける確認に近かった。
さらに、各地の村の住民たちは新たな枠組みに組み込まれていく。
共同体単位での居住は維持されるが、生活基盤と職業は果ての都の都市機構へと接続されることになった。
「生活圏は維持しつつ、労働圏を統合する形ですね。」
エラが淡々と補足する。
「急激な環境変化による精神的負荷を最小限に抑えています。」
その合理的な説明の中に、わずかだけ配慮が混じっていた。
最後に、皇帝の決定が全体へと共有される。
先史文明やマネンテスの詳細は、住民には伏せられること。
そして今回の旅の目的はあくまで「惑星への帰還」であること。
情報は意図的に整理され、恐怖ではなく目的として再定義された。
混乱を抑えるための、国家としての選択だった。
「……情報は、そう整理するしかないな。」
誰かが小さく呟く。
その声は誰にも届かず、しかし確かに場の空気を象徴していた。
ウィアはその一連を見ながら、ゆっくり息を吐いた。
「……ほんと、目の前で世界が作り変わっていく感じだ。」
追いつけていないのは自分だけではない。
そう思うことで、ようやく少しだけ現実に立っていられた。
果ての都が再構築された直後、住民たちは新しい都市の中に立っていた。
最初に広がったのは沈黙だった。
見上げた先にあったのは、青空ではなく星々が瞬く宇宙。
「……空が、違う。」
その一言をきっかけに、混乱が一気に広がる。
「どこだ、ここは……。」
「夢じゃないのか……?」
足元の安定とは裏腹に、世界そのものが変わったという事実が恐怖を呼んだ。
泣き出す子供を抱く親、言葉を失う者、膝をつく者。
広場には不安だけが渦を巻く。
だが次第に、その混乱は別の形へと変わっていく。
見慣れた村の共同体が同じ区域に集められていることに気づいた者たちがいた。
「……うちの村だ。」
「みんな、いる……。」
断片的な元の世界が残されていることで、恐怖の中にわずかな安心が生まれる。
やがて誰かが小さく呟いた。
「……帰れるんだよな。」
その声を境に、住民たちは少しずつ現実を受け入れ始める。
完全な理解ではない。
それでも、人々は新しい空の下で動き始めていた。
会議は一応の結論を見せつつあった。
多くの者が、それぞれの立場で新たな目的と役割を受け入れ始めている。
その空気が、ようやく落ち着きを取り戻しかけた時だった。
戦略指令室の扉が、静かに開く。
そこに立っていたのは――少女だった。
裸のままの、人間の身体。
「……対象を発見しました。」
淡々とした声。
その瞬間、室内の空気が凍りつく。
次の瞬間。
少女の胸元へ、紅い光が一直線に走った。
光の発生源は彼女自身ではない。
ウィアのワイヤーアーム――そこに埋め込まれた、エラの本体の宝石だった。
宝石が脈動し、制御不能なほどの紅光を放つ。
閃光は少女の身体を貫き、空間そのものを揺らすように収束した。
そして光が収まった時。
そこに立っていた少女は、確かに変わっていた。
エラだった。
「ウィア」
彼女はぱっと顔を上げる。
「見てください。ホントの体です。」
無邪気な声。
だが状況との落差は、あまりにも危うい。
室内の空気が一瞬で固まった。
次の瞬間、女性陣がほぼ同時に動き出す。
「……ちょっと待って。」
「まず服着なさい、服!」
「見ちゃダメなやつよ、これは!」
それぞれが視線を遮るように、即席の遮蔽陣形を組み上げていく。
動きに一切の迷いがないあたり、もはや戦術行動だった。
その中でレクリアの声が鋭く室内を切り裂く。
「男どもは一歩も動くんじゃないよ!」
「見たら最後だと思いな!」
その一言で、空気が完全に制圧される。
男性陣は一斉に動きを止めた。
ガイウスは咳払いをして視線を天井へ逃がし、
カーデンスは無言で一歩後退し、
ウィアは反射的に両手で顔を覆う。
「……了解した。」
誰かが小さく答えるが、声には明らかな緊張が混じっていた。
もはや戦略指令室ではない。
視覚情報に関する国家級緊急封鎖区域と化していた。
だが、その中でただ一人。
エラだけが首をかしげていた。
「なぜ皆さんは視線を制限しているのですか?」
純粋な疑問だった。
「この身体は既に観測可能状態にあります。情報的には問題ありません。」
さらに小さく、分析するように続ける。
「羞恥という概念は、身体所有者の主観に依存する反応ですね。」
一拍置く。
「つまりこれは、文化的防御行動?」
その瞬間、室内の温度がさらに下がった。
ウィアが小声で呟く。
「いや、そういう問題じゃないと思う……。」
カーデンスは目を閉じたまま言う。
「説明しない方がいいやつだ。」
レクリアは深くため息をついた。
「この子は後で教育が必要だね……。」
エラは一人だけ納得したように頷いた。
「理解しました。では次回は視線制御プロトコルを事前に実装します。」
女性たちに服を着せられてる間、エラは頬を膨らませていた。
早く、ウィアに感動を伝えたいのにと言う顔だった。
やがて服を着たエラがウィアに声をかける。
「ウィア、カーデンス、アルマ。」
エラは弾むような声で彼らを呼ぶと、一歩前に出た。
「見てください。私も、人の体を手に入れました。」
そう言うなり、彼女は嬉しさを隠しきれず、くるりとその場で回転した。
裸足の足が床を軽く蹴り、四枚の羽が遅れて風を切る。
羽ばたきではない。ただ体が空間に慣れていないような、ぎこちない浮遊だった。
その動きすら、本人にとっては新鮮そのものらしい。
「……生身の肉体でも、そんなことできるんだね。」
ウィアは目を丸くしたまま、どこか呆れと感心が混ざった声を漏らす。
エラは一瞬だけ首をかしげ、それから得意げに胸を張った。
「できます。私の羽は高性能ですから。」
言い切ったあと、ふふん、と小さく鼻を鳴らす。
まるで“身体を持つことそのもの”を遊び道具のように楽しんでいるようだった。
だがその無邪気さの裏で、どこか噛み合っていない違和感が残る。
息の吸い方。
瞬きの間。
感情の出方。
すべてが学習直後の人間のように整いすぎている。
「でもさ。」
アルマが少しだけ首を傾げる。
「急に肉体って……どうして?」
その問いは純粋だった。
だが同時に、この場にいる誰もが心の奥で抱いていた疑問でもある。
エラは一拍だけ間を置いた。
そして、答える前に一度だけ自分の手のひらを見つめる。
指を開き、閉じる。その感覚を確かめるように。
「……必要だったからです。」
短い言葉。
それ以上は説明になっていないのに、不思議とそれ以上聞いてはいけない気がした。
彼女は顔を上げ、いつもの調子に戻ったように微笑む。
「この旅には、直接存在することが必要だと判断されました。」
新たな仲間として、正真正銘の人間の身体を得たエラが加わったその日、盛大な宴が開かれた。
ウィア一行に加え、オリヴィエ、フェリア、五羅針、レクリア、クレスも集い、戦いの余韻を一時だけ忘れるように酒と食事が並んだ。
笑い声と乾杯の音が交錯し、世界船の広大な一角は束の間の日常を取り戻していた。
それから一か月。
船内に移されたヴィアトラの住民たちは次第に落ち着きを取り戻し、異なる文化と技術の中にも生活の基盤が形になり始めていた。
一方でウィア達は、次の戦いに備えて装備の再調整や発掘品の検証に追われていた。
エラとアルマはといえば、人間の身体を得たことを確かめるように、甘味を求めて船内都市へと出かけていった。
「ねえ、エラさっきのくるくる回るの、もう一回やってよ!」
「さっきのですか?あれは推奨動作ではありませんが……。」
「いいからいいから!ほら、今度は一緒に回ろ!」
「一緒に回る……了解しました。」
次の瞬間、アルマがエラの手を取る。
「わ、こうやって走るのも変な感じ!」
「重心制御が少し難しいですね。ですが、楽しいです。」
エラはほんの少しだけ間を置いてから、ぽつりと付け足す。
「楽しいというのは、こういう状態を指すのですね。」
「そうそう、それそれ!」
アルマは笑いながら前を向く。
「じゃあ今日はさ、甘いの全部制覇しよ!」
「許容範囲を超える可能性があります。」
「大丈夫大丈夫!ウィアに怒られたらその時考えよ!」
「合理的ではありませんが……同意します。」
世界が大きく揺れた直後とは思えないほど、そこには静かな日常が流れていた。
そのような中でウィア達には、五羅針の誰か一人が必ず護衛として同行するという方針が定められていた。
その日はガノンだった。
「前回は皆を巻き込むことを危惧して、本気を出せなんだ。」
炎を宿した瞳を細め、豪快に笑う。
「じゃが次に奴らと会うたら、今度こそ焼き尽くしてやるわい。」
その言葉には冗談の余地はなく、ただ純粋な戦意だけがあった。
別の日。
フェリアはカーデンスを真っ直ぐに見据えていた。
氷のような青い瞳には、抑えきれない感情が沈んでいる。
「カーデンス。あなたが私の敬愛するルクティア様を殺めたことは、絶対に許しません。」
空気が一瞬で凍る。
だが彼女は続けた。
「ただし、私は仕事が多くアルマを常に守ることはできません。」
「だから代わりに、あなたがアルマを守りなさい。」
一拍置いて、冷たく言い切る。
「そうすれば、許しはしませんが……少しだけ認めましょう。」
「……ああ。わかった。」
カーデンスは短く答えた。
そのやり取りの直後だった。
「もう、お姉ちゃん心配しすぎだよぉ。」
アルマがフェリアに抱きつく。
その瞬間まで張り詰めていた空気が、一瞬で崩れ落ちた。
氷のように冷たい殺気は跡形もなく霧散し、フェリアの瞳から鋭さが抜ける。
まるで刃が鞘に戻るというより、最初からそんなものは存在しなかったかのような切り替わりだった。
次の瞬間には、フェリアは一歩も迷わずアルマを腕の中に抱き込んでいた。
「……私の可愛いアルマ。」
声の温度が、明らかに変わっている。
先ほどまでの威圧はどこへ消えたのか、そこにいるのはただの過保護な姉の化身だった。
抱きしめる力はやや強い。だがアルマは慣れた様子で笑っている。
「もう、お姉ちゃん心配しすぎだよぉ。」
「心配するに決まっているでしょう。あなたはすぐ危ない所へ行くんだから。」
言葉は厳しいのに、腕はまったく離す気配がない。
そのままフェリアは、完全に保護対象溺愛モードへと移行していた。
頬を軽く撫で、髪を整え、離れては、もう一度抱き直す。
もはや協会の最高戦力ではなく、完全に一人の保護者だった。
その光景を見ていたウィアは、そっと視線を逸らす。
「……僕たちは何も見てないよね。」
カーデンスも無言で天井を見上げる。
「ああ、何も見てねぇ。」
エラは一拍遅れて首をかしげる。
「記録する価値のある行動ですが、危険度が増大します。」
三人は揃って、何も見ていないことにした。
遠くでフェリアの声だけが柔らかく響いていた。
「今日はもう少しだけ一緒にいましょうね。」
「うん!」
そして二か月後。
世界船は、とある惑星の軌道上に静かに佇んでいた。
目の前に広がるのは、黄土でも赤でもない。
乾いた金属が太陽に焼き続けられたような色をした惑星――ソルヴァスタ。
『惑星ソルヴァスタ、これより着陸態勢に入ります。』
中枢AIの機械音声が艦内に響く。
その直後だった。
『警告。惑星地表に高エネルギー反応確認。』
『エネルギー収束。目標:当艦。』
空気が一瞬で張り詰める。
「緊急防御プロトコル発動!」
エラの声が鋭く響いた。
『了解。緊急防御シールドを展開。』
『エラスムス記憶領域の未完全開放により、防御性能は23%です。』
次の瞬間だった。
惑星表面から放たれた高エネルギー光が、空間そのものを裂きながら接近する。
それは光というより、質量を持った灼熱の槍だった。
艦の周囲に無数の幾何学構造が展開し、淡い光の膜が幾重にも重なる。
直後。
光線が衝突した。
轟音。
音という概念を押し潰すような圧力が艦内を揺らす。
シールド表面に無数の亀裂状の光が走り、空間そのものが歪んでいく。
押し込まれる。
削られる。
耐える。
「……っ!」
艦体フレームが悲鳴を上げる中、シールドと光線は拮抗したまま空中で固定された。
まるで宇宙そのものが押し合っているかのような静止。
しかし次の瞬間、光線側がわずかに圧を増す。
シールドが軋み、出力ゲージが急降下する。
『出力維持限界まで残り17%』
『外部エネルギー干渉増大』
光が押し勝とうとした、その刹那。
艦側シールドが逆流のように光を押し返した。
一瞬だけ均衡が崩れ、空間が白く焼き切れる。
そして――
光は霧散した。
『シールド強制展開によりエネルギー出力低下。』
『緊急着陸を実行します。』
船体は制御を失ったまま降下し、惑星の極点へと叩きつけられた。
扉が開くと、目の前には果てしない砂漠が広がっていた。
乾いた金属のように光を鈍く反射する地平線。風はないのに、空気そのものがざらついている。
そしてその砂漠の遥か向こう。
一瞬だけ、何かが立ち上がったように見えた。
ウィアの視界の端で、それはすぐに消える。
まるで最初から存在しなかったかのように。
ただ一つだけ確かなのは――
今この惑星は、こちらの着陸を知っていた。




