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八百万の神々は今日も残業中です  作者: 隅乃 けい


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第7話 管理する神は間違える

その不穏な言葉が部屋に響いた、まさにその瞬間だった。


――ガアアアアアアン!!

――ガアアアアアアン!!


突然、鼓膜を激しく震わせるような金属音が響き渡った。

局内に設置された非常用の警鐘だ。


ただ事ではない。宮全体がみしりと地鳴りのような音を立てて激しく震え始める。


「な、なんだ、何が起きたんだ!?」


弥彦が飛び上がるのと同時に、執務室の外がにわかに騒がしくなった。

バサバサと黒い翼を震わせ、顔を真っ青にしたカラス神使たちが、廊下を大慌てで駆け抜けていく。


一羽の鴉神使が息を切らせて部屋へ飛び込んできた。


「天石門別神様! 第参だいさん封印門に異常反応です! 境界からの神力の流量が急速に上昇中!」


「なんだと……っ! 術式の強度はどうなっている!」


「激しく摩耗しています! 封印術式の完全な劣化を確認、このままでは異界の歪みが逆流し、高天原に空間の裂け目が広がります!」


天石門別神の、氷のようだった表情が、初めて驚愕と戦慄に染まった。


「馬鹿な、定期点検の予定はまだ先のはず……!」


彼は椅子を蹴立てるようにして立ち上がると、風のような速さで廊下へ駆け出した。


「おい、ちょっと待て!」


ソウもまた、前世の社畜時代に何度も味わった「大規模システム障害」と同じ、直感的で最悪な予感に突き動かされるように、弥彦を連れてその背中を追った。




現場である管理課の最奥へ向かう廊下は、パニックに陥った鴉神使たちでごった返していた。

黒い羽毛を飛び散らせながら右往左往する彼らを、ソウは走りながら捕まえて問い詰める。


「おい、何がどうなってんだ!?」


「第参封印門です! 昔閉鎖した異界への門なんですが、定期点検が追いついてなくて……!」


「術式が完全に崩れ始めてるんです! このままだと門が決壊する!」


ソウは走りながら思わず眉をひそめた。


「定期点検? なんでそんな大事なものを放置してたんだ!」


「人手不足で……どうしても後回しに……っ」


「またかよ!!」


ソウは走りながら思わず頭を抱えた。


高天原に来てから、何度この「人手不足」「現場の限界」という言葉を聞いただろうか。

どこの世界に行っても、組織というものは同じ過ちを繰り返すらしい。




辿り着いた目的の重厚な門の前では、すでに天石門別神が必死に両手を突き出し、青白い光を放ちながら術式を維持していた。

しかし、門の隙間から吹き付ける異界の嵐は凄まじく、彼の額には大粒の汗が浮かんでいる。


「門は……門は悪くない……っ」


天石門別神は、歯を食いしばりながらぽつりと呟いた。


「門の術式は、常に正しく動いている……!」


その時、背後の鴉神使たちが「もうダメだ!」「高天原が吹き飛ぶ!」と絶望し、完全にパニックに陥って羽をばたつかせながら逃げ惑い始めた。


その悲鳴と混乱が、集中すべき天石門別神の耳を打つ。術式の展開に、微かな狂いが生じかけた。


「おい、そこを動くな!!」


鼓膜を震わせるソウの怒声が、通路のパニックをピシャリと止めた。

前世のデスマーチで修羅場を幾度もくぐり抜けてきたソウの目は、冷静そのものだった。


「二次災害を起こしたいのか! 現場を混乱させる奴は百害あって一利なしだ、動けない奴は下がれ! 泣く暇があるならそこの予備の玉串たまぐしを天石門別神の足元へ運べ! ほら、動けッ!」


宇迦之御魂神ウカノミタマの元で神使たちの働き方を見てきたソウは、神具である玉串が「周囲の神力を一時的にブーストする触媒」であることを学んでいた。この状況下で、神の魔力を底上げする最大のバックアップ電源になると瞬時に判断したのだ。


「ひっ、は、はいっ!」


現代のシステム障害対応における「インシデントリーダー」さながらの的確な役割振りに、鴉神使たちは気圧されたように各個の動きを取り戻す。数羽の鴉神使が、必死にたくさんの玉串を抱えて天石門別神の背後へと並べた。


直後、玉串に宿る清浄な気が、天石門別神の身体へと一気に吸い込まれていく。

それと引き換えに、青々と輝いていた玉串のサカキの葉は、みるみるうちに茶色く枯れ果て、パサリと音を立てて全ての効力を失い、灰のように崩れ去った。


しかし、その機転によって、天石門別神の目つきに圧倒的な鋭さが戻った。


(……見事な場への介入、そして神具の最適運用。だが、こちらもこの程度でへこたれるわけにはいかん!)


天石門別神は増幅された神力を以て、超高速で複雑な術式を頭の中で編み込み、溢れんばかりの力を一本のくさびへと変えていく。卓越した処理能力。完璧な形式主義ゆえの、寸分の狂いもない術式構築。


「――『開かれし境界よ、我が命によって静謐に帰せ』!」


天石門別神が放った強烈な神力の楔が、第参封印門の裂け目へと突き刺さった。


ドオオォォン!!


空間を揺らす重低音とともに、おぞましい金属音がピタリと止まる。


……やがて、静寂が戻った。

門の術式は強引に再封印され、空間の歪みは消え去っていた。


「はぁ……はぁ……っ」


天石門別神は壁に背を預け、肩を激しく上下させながら、自身の美しい漆黒の装束が汗で濡れるのも構わずその場にへたり込んだ。限界以上の力を絞り出したのは一目瞭然だった。周囲の鴉神使たちも、安堵で羽をだらりと落とし、腰を抜かしている。


ひとまずは、初期消火完了だ。


だが、ソウだけは厳しい目のまま、周囲に散らかった埃を被った点検記録や、決裁の止まった修繕申請書の山を冷淡に見つめていた。




「……ひとまずは、お見事です」


ソウは床から一枚の保守台帳を拾い上げ、パタパタと灰を払いながら言った。


「でも、これ『今回だけ』の話ですよね? 次にまた別の門が限界を迎えたら、あなたのその優秀な処理能力、今度こそ破綻するんじゃないですか?」


ハッとしてソウを見上げる天石門別神に、ソウは容赦なく言葉を重ねる。


「壊れたのは門の仕掛けじゃない。それを運用するあなた方の管理体制だ。……完全に察しましたよ。この広大な天路管理課において、門の点検業務が実質的に『あなた一人』に集中している。完全な業務の属人化だ」


「くっ……私とて、手をこまねいていたわけではない……!」


天石門別神は悔しそうに歯を食いしばり、壁を背にしたまま、絞り出すように声を震わせた。


「人員の補強が必要なことなど、分かっていた! だが、門の微細な摩耗具合や歪みを見極めるには、高度な神力感知の技術がいる。極めて繊細な力の機微なのだ! 基準を言葉にできない以上、未熟な鴉たちに任せて見落としがあれば、それこそ大惨事になる。だから……私が自ら回るしかなかったのだ……!」


彼は怠慢だったわけでも、他者を見下していたわけでもない。

あまりにも生真面目で、完璧主義で、責任感が強すぎたのだ。


現場の「人手不足」という悲鳴を理解しながらも、それを解消する具体的な『仕組みの作り方』が分からず、誰にも助けを求められないまま、ただ一人で限界まで抱え込んでいた。


それを見たソウは、かつて前世のデスマーチで、同じように責任感から仕事を抱え込んで潰れていった優秀な同僚たちの姿を重ね、小さくため息をついた。


「だから、あなたの頭の中にしかない『力の機微基準』を、誰でも動かせる『手順書マニュアル』に落とし込むんですよ。それが管理マネジメントです。……部屋に戻りましょう。俺から提案があります」




執務室に戻るなり、ソウは天石門別神の机の上に真っ白な紙をバサリと広げ、筆を執った。


「いいですか。まず、高天原にある全ての門を『危険度』で分類します。異界との距離や、過去の摩耗率を基準にするんです」


ソウの淀みのない筆跡が、紙の上に瞬く間に表を描いていく。


「事故が起きたような『高危険度』の門は毎月一回、必ず点検。安定している『中危険度』の門は三か月に一回。完全に閉鎖されている『低危険度』の門は半年に一回。こうして優先順位をつけて、限られた人手を効率よく割り振る。これなら、全員がすべての門を常に監視する必要はなくなります」


天石門別神が、弾かれたように顔を上げた。


「さらに、あなたの『神力感知』の感覚を、数値や確認項目として言語化します。点検担当を複数人の小集団にして分担させ、点検記録はすべてこの台帳に様式を統一して記入。管理局の全員で共有してください。『あの人にしか分からない』という不透明な状態を、今この瞬間から完全に無くすんです」


周囲で恐る恐る聞き耳を立てていた鴉神使たちが、ぽかんとした表情で顔を見合わせる。


「そ、そんな、今までやってこなかった規律を勝手に導入して、本当にいいのか……?」


「しなきゃ、また数ヶ月後に同じことが起きて、今度こそあなたたちが吹き飛びますよ。どっちがいいんですか?」


ソウが冷たい視線で一蹴すると、鴉神使たちはヒッと息を呑んで首をすくめた。




数日後。


ソウの提案した「定期点検制度」は、天路管理課の新たな最高法規として正式に導入された。


保守担当の鴉神使たちは大幅に増員され、ホワイトな輪番制が敷かれた。

執務室の壁には大きな進捗管理表が掲げられ、どの封印門が今どんな状況にあるのかが、一目で全員に分かるようになった。


「……そこの書類の整理、お前に任せる。終わったら、この状況確認書チェックシートに沿って報告を」


「は、はい! お任せください、天石門別神様!」


あの、完璧な規律を求めるあまり一人で苦悩を抱え込んでいた天石門別神が、明確な基準を設けることで、初めて部下を信頼し、仕事を任せるようになった。

管理局の空気は、見違えるほど風通しの良いものへと変わっていた。


「……門は間違えない」


夕刻。帰路につこうとするソウの背中に、天石門別神がぽつりと声をかけた。


「だが、それを管理する神は間違える」


それは、誇り高い彼なりの、最大限の感謝と反省の弁だったのだろう。

自分を責め、孤独なデスマーチを続けていた神が、ようやく組織の長として前を向いた証でもあった。


ソウは足を止め、少しだけ苦笑して振り返った。


「人間も同じですよ。どれだけ優秀な奴が集まってても、仕組みがなけりゃ誰だって失敗するんです。神様も人間も、そこは変わりません」


天石門別神は、初めて微かに口元を緩め、黙って頷いた。

その切れ長の目を少しだけ真剣なものに変えて、ソウを見つめる。


「だからこそ――お前の『記録のない入界』が、私はますます気にかかる。完璧な門の術式をすり抜けたお前は、一体何者なのだ」


ソウは答えず、ただ肩をすくめて、夕暮れの高天原の街へと歩き出した。


自分自身の謎を背負ったまま、ソウの「高天原業務改革」は、図らずもまた一歩進んでしまったのだった。


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