9,求人
夕食の片付けをしながら、ライラはカキンオー様の横顔を見ていた。
ベッドの端に腰かけて、本を読んでいる。
先週の買い出しの帰りに、村の子供が読み終わったからと持たせてくれた一冊だ。
絵本だった。
動物たちが旅をする、他愛のない話だ。
「面白いですか」
ライラは聞いた。
答えが返ってこないのは分かっていた。
それでも聞いた。
答えてくれなくてもいい。
この横顔を見られるだけで、十分だった。
カキンオーはページをめくった。
ライラは食器を重ねながら、その手元を眺めた。
絵本のページに、子供たちが川で遊んでいる絵があった。
カキンオーがそのページで、少し手を止めた。
子供の頃のことを、ふと思い出した。
今ほどひどくはなかった気がする。
友達と話せていたし、笑えていたし、外で遊んでいた。
いつからこうなったのかは、よく分からない。
気がついたら、誰かと話すのが怖くなっていた。
俺はページを眺めながら、小さく呟いた。
「子供って、いいよな」
部屋に静かな時間が流れた。
ライラが動きを止めた。
食器を持ったまま、固まっていた。
内容は、よく分からなかった。
ただ、カキンオー様が言葉を発した。
自分から、ぽつりと。
それだけで、ライラの胸がいっぱいになった。
目に涙が浮かびそうになったのを、ライラはこっそりと堪えた。
カキンオーはまたページをめくった。
自分が何かを言ったことには、気づいていないようだった。
───
翌朝、ライラはセバチャの執務室に向かった。
扉を開けると、セバチャが机の上に書類を広げていた。
「昨日、カキンオー様が」
ライラが言いかけた。
セバチャが顔を上げた。
「言葉を、発されましたか」
ライラが頷いた。
セバチャが静かに息を吐いた。
「良いことです」
二人の間に、短い沈黙があった。
「それで、今日はどのようなご用件ですか」
ライラが表情を切り替えた。
「人の件です。来訪者は使者か魔狩人ばかりで、雑用には向きません。村で働き手を探せないでしょうか」
セバチャが頷いた。
「私も同じことを考えていました。問題は給金です」
「今の所持金では厳しいですか」
「現金は余裕があるとは言えません」
セバチャが書類の一枚を取り出した。
「ただ、倉庫に売っていない魔物の素材が大量にあります。ライラが狩りで集めたものと、城の周辺に落ちていたものです。これを売れば、相応の金になります」
ライラが頷いた。
「いくらくらいになりますか」
「素材の種類によりますが、まとめて売れば数ヶ月分の給金は出せるかと。少し高めに設定すれば、村からも人が来やすいでしょう」
「高めに設定する理由は」
セバチャが静かに答えた。
「カキンオー様の格の問題です」
「格、ですか」
「帝国の使者が来て、宗教の使者が来て、ギルドが乗り込んでくる城です。そこで働く者の給金が安ければ、カキンオー様の格に傷がつきます」
ライラが深く頷いた。
「カキンオー様に見合う城である必要があります。それは給金一つにも表れます」
「分かりました。私が村で聞いてきます」
「くれぐれも」
「穏便に、ですね」
「はい」
「分かっています」
ライラがにこりと笑って、執務室を出た。
───
村に着いたライラを、老人が出迎えた。
以前より、表情が少し柔らかかった。
完全に打ち解けているわけではない。
ただ、最初の頃の剥き出しの警戒は、薄れていた。
「また来たか」
「はい。今日は少し、お願いがあって」
老人が腕を組んだ。
「なんだ」
「城で働いてくれる方を探しています。雑用です。給金は、この辺りの相場より少し高めに出せます」
老人がしばらく黙っていた。
村人たちが遠巻きに聞いていた。
その中から、若い男が一人前に出た。
二十歳前後だろうか。
少し痩せていて、目だけが妙に真剣だった。
「俺でも構わないですか」
ライラが微笑んだ。
「もちろんです。お名前を聞かせてください」
「タルドといいます」
「タルドさん。なぜ働きたいと思ったんですか」
タルドが少し考えてから答えた。
「金が必要なのと、あの城がどんな場所か気になって」
正直な答えだった。
ライラが深く頷いた。
「分かりました。セバチャに話を通してきます。後日、改めてご連絡します」
老人が低い声で言った。
「タルド」
「はい」
「何かあったらすぐ戻ってこい」
タルドが頷いた。
ライラは深々と頭を下げた。
───
帰り道、ライラは沼地を歩いていた。
タルドの件をセバチャに伝えれば、話が進む。
そう思いながら歩いていると、茂みの奥で何かが動いた。
立ち止まった。
魔物ではない。
もっと小さい。
茂みをかき分けると、女の子が座っていた。
五歳くらいだろうか。
泥だらけで、膝を抱えていた。
髪も服も、ひどく汚れている。
ライラは周囲を見回した。
沼地の中ほどだ。
村からも、街道からも遠い。
なぜこんな場所に。
人の気配は、どこにもなかった。
ライラは女の子に声をかけた。
「一人ですか」
女の子が小さく頷いた。
「お父さんとお母さんは」
女の子が首を振った。
目が赤かった。
ずっと泣いていたのかもしれない。
このまま放置すれば、夜になる前に魔物に見つかる。
ライラは一瞬だけ考えた。
急いで戻らなければならない。
タルドの件も伝えなければならない。
踵を返しかけた瞬間、昨夜の言葉が蘇った。
子供って、いいよな。
ライラは立ち止まった。
振り返った。
女の子がライラをじっと見ていた。
「一緒に来ますか」
女の子が少し考えてから、立ち上がった。
ライラが手を差し伸べると、小さな手が握り返してきた。
泥だらけで、冷たかった。
「城に行きましょう。温かいものを食べましょう」
女の子が小さく頷いた。
───
城に戻ったライラを、セバチャが出迎えた。
その後ろに女の子がいるのを見て、セバチャが目を細めた。
「それは」
「沼地の中ほどで見つけました。一人でいました」
「親は」
「いませんでした。どこから来たのかも分かりません」
セバチャが女の子を眺めた。
女の子がセバチャを見上げた。
セバチャが静かに口を開いた。
「お名前は」
女の子が小さな声で答えた。
「レリス」
「レリスさん。親御さんのことは分かりますか」
レリスが首を振った。
セバチャが頷いた。
「分かりました。今夜はここにいなさい。明日から親御さんのことを調べます」
ライラがレリスの手を引いて、中へ入った。
───
城の廊下でライラがレリスに夕食を食べさせていると、地下から上がってきたカキンオーと鉢合わせた。
カキンオーが廊下に出てきたのは、本を取りに行こうとしたからだった。
別に理由はない。
ただ、廊下の先にライラがいて、その隣に小さな女の子がいた。
女の子がカキンオーを見た。
カキンオーもレリスを見た。
泥だらけだった。
髪も服も顔も、ひどく汚れている。
スープを食べながら、大きな目でこちらをじっと見ていた。
ライラが慌てて立ち上がった。
「カキンオー様、こちらは沼地で保護した子で」
カキンオーはレリスを見たまま、少し考えた。
汚れている。
かなり汚れている。
風呂が必要だな。
それだけ思った。
ライラに視線を向けた。
ライラが頷いた。
「まず、きれいにしませんと」
カキンオーが何かを言ったわけではない。
ただ視線を向けただけだ。
それでもライラには伝わった。
カキンオーは踵を返して地下への石段を降りていった。
レリスがその背中をじっと見ていた。
「だれ」
小さな声で聞いた。
ライラが微笑んだ。
「ご主人様です」
レリスが少し考えてから、またスープを飲んだ。
───
地下では。
俺は本の続きを読んでいた。
城に子供がいる。
しかも汚れていた。
風呂、あったか?
確認したことはないが、城の設備としてあるだろうか?
まあ、ライラがなんとかするだろう。
本のページをめくった。
静かだった。




