6,乗り込んできた者たち
ステーキを食べた時のご主人様の表情が、忘れられなかった。
眉が動いたわけでもない。
目が輝いたわけでもない。
なのに、ライラには変化が分かった。
美味しかったのだ。
ご主人様が、美味しいと思ってくださった。
ライラはその夜、眠れなかった。
もっといい食材を、もっといい料理を。
もう一度、見たい。
翌朝、ライラは城の外に出た。
手には使い込まれたナイフと、素材を入れるための布袋。
城の周辺から魔物は逃げているが、少し離れれば話は別だ。
ライラは沼地の外縁を歩いた。
最初の獲物は、ぬかるみに隠れて獲物を待つ中型の魔物、この辺りでは珍しくない種類だ。
魔狩人なら一人で仕留めるのに十分以上かかる相手だ。
ライラは三秒で仕留めた。
魔物が何が起きたか分からないまま沈んでいくのを見届けてから、ライラは魔核を取り出した。
小さいが、きれいな色をしている。
次に牙を二本。
爪を四枚。
ライラは丁寧に布袋に収めた。
それから次を探して、また歩き出した。
にこにこしながら。
───
同じ頃、城から少し離れた場所で。
十二人の男たちが、隊列を組んで沼地に踏み込んでいた。
全員、それなりの装備をしている。
革鎧だけでなく、金属鎧を着込んだ者もいる。
腰には剣、背中には弓を背負った者もいた。
隊長格の男、ベルトが前を歩きながら後ろに声をかけた。
「臆するな。俺たちは正式な依頼で来ている」
依頼元は、ファルネイス共和国の商業ギルドだ。
南の城の実態を確認し、可能であれば接触せよ。
危険と判断すれば撤退してよい。
そういう依頼だった。
だが、ベルトは撤退するつもりがなかった。
この依頼を成功させれば、ギルドとの繋がりができる。
それだけの価値がある仕事だ。
「城が見えてきたぞ」
後ろから声が上がった。
木々の向こうに、黒い城壁が見え始めた。
ベルトは足を止めずに前に進んだ。
「城門まで行く。旗を掲げろ。交渉の意思があることを示せ」
白い旗が掲げられた。
城門は閉じていた。
静かだった。
ベルトは城門の前に立ち、大きな声を出した。
「我々はファルネイス商業ギルドの依頼を受けた者だ。城の主に話がある。開門を求める」
沈黙があった。
返答はなかった。
ベルトは仲間と目を合わせた。
「行くぞ」
城門に手をかけた。
鍵はかかっていなかった。
───
地下では。
俺は部屋に備え付けられた本棚から一冊抜き出して、ベッドに寝転がっていた。
この世界の歴史書だ。
二国の戦争の経緯が書いてあった。
ふうん、と思いながら読んでいた。
そこにノックの音がした。
「カキンオー様」
セバチャだった。
「城門より来訪者が十二名。ファルネイスの商業ギルドからとのことです」
俺は本を閉じた。
十二人か。
今度は多いな。
「いかがなさいますか」
俺はしばらく考えた。
そのとき、廊下から音が聞こえた。
複数の足音だ。
速い。
城門を開けて入ってきたのではなく、乗り込んできたらしい。
俺は本を置いて立ち上がった。
人前に出るなら、ちゃんと装備してからだ。
指輪に意識を向けた。
黒鎧が纏わりつき、兜が頭を覆い、マントが広がる。
セバチャが深く頭を下げた。
「御意のままに」
───
ベルトは廊下の奥から現れた人影を見た瞬間、足を止めた。
黒鎧。
白く縁取られたマント。
松明の光を受けて、全身が鈍く輝いている。
兜の奥に顔は見えない。
ただ、そこに立っているだけで、廊下の空気が変わった。
「……あれが」
後ろの仲間が息を呑んだ。
ベルトは剣を抜かなかった。
まだ交渉の余地がある。
「我々はファルネイス商業ギルドの依頼で来た。戦うつもりはない。城の主と話がしたい」
黒鎧は答えなかった。
ただ、ゆっくりと腕を組んだ。
ベルトは続けた。
「返答を頼む。俺たちは」
後ろで弦が鳴った。
ベルトが振り返った。
仲間の一人が、勝手に矢をつがえていた。
「やめろ」
制止が間に合わなかった。
矢が二本、同時に放たれた。
───
飛んできた矢を見た瞬間、俺の中で何かが切り替わった。
ああ、これはボス戦だ。
久しぶりだ。
右手を動かして一本を掴んだ。
もう一本は兜で弾いた。
金属音が廊下に響いた。
静寂があった。
俺は掴んだ矢を、ゆっくりと見た。
それから、矢を放った二人に向かって、静かに投げ返した。
狙いは足元だ。
二本の矢が、それぞれの足元の床に深々と突き刺さった。
石床に、金属の矢が刺さる音が廊下に響いた。
二人が飛び上がった。
声にならない悲鳴が上がった。
俺は一歩前に出た。
床を踏む音が、低く廊下に沈んだ。
もう一歩。
また一歩。
剣を持った者たちが、一歩後退した。
俺は止まった。
そして、低く静かな声を出した。
「貴様らにもう希望はない」
廊下が、凍った。
俺は続けた。
「だが、俺は慈悲深い」
一拍置いた。
「武器を捨てよ」
誰かの剣が、床に落ちた。
続いてもう一本。
また一本。
ベルトが最後まで剣を握っていたが、やがてそれも床に落ちた。
十二人が、ほぼ同時に膝をついた。
───
帰り際、ライラがベルトたちに向かって深々と頭を下げた。
「本日はお越しいただきありがとうございました」
ベルトが呆然としながら頷いた。
「次回お越しの際は、城門にてお申し出ください」
ライラが続けた。
「謁見をご希望でしたら謁見の間へご案内します。戦闘をご希望でしたら、然るべき場所をご用意します」
ベルトが固まった。
「……戦闘の申請ができるのか」
「はい」
ライラがにこりと笑った。
「カキンオー様のお時間をいただくことになりますので、事前にお知らせいただければ助かります」
ベルトは返す言葉がなかった。
───
帰り際、俺は指輪から回復薬を十本と、装備品を人数分取り出した。
廊下に並んでいる連中の前に置いた。
量産品だ。
指輪の中に山ほどある。
ベルトが回復薬を手に取り、眺めた。
「……これは」
「お土産です」
横からライラが言った。
「カキンオー様からです」
ベルトが俺を見た。
俺は何も言わなかった。
早く地下に戻りたかった。
ベルトが深く頭を下げた。
「……ありがとう、ございます」
他の連中も頭を下げた。
俺は踵を返して廊下を歩き出した。
───
その夜、ファルネイスの商業ギルドに向けた報告書が書かれた。
ベルトは震える手でペンを走らせた。
城の主は存在する。
戦闘能力は計り知れない。
矢を素手で掴んだ。
十二人を一人で制圧した。
しかし、こちらを殺さなかった。
去り際に、回復薬と装備品を渡された。
ベルトはそこで一度ペンを止めた。
理由は分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
あの城の主は、俺たちを脅威と見ていない。
それが、一番恐ろしかった。
───
城の二階では。
セバチャが報告書を書いていた。
本日、武装した来訪者十二名が城内に侵入した。
カキンオー様は自らお出ましになり、最小限の実力行使でこれを制圧された。
死者なし。
重傷者なし。
帰り際にお土産を渡された。
セバチャはそこで一度ペンを止めた。
殺さなかった。
傷つけなかった。
そしてお土産を渡した。
セバチャは静かに考えた。
カキンオー様は、なぜこの者たちを帰したのか。
殺すことなど、容易にできたはずだ。
しかしそうしなかった。
なぜか。
セバチャは羽根ペンを置いて、窓の外を眺めた。
カキンオー様は大陸の中央に城を構えておられる。
東西の魔王領を分断する位置に。
二国の中央に最も近い場所に。
そこから、一歩も動かれない。
動かなくても、世界の方から来る。
そしてカキンオー様は来た者を、殺さずに帰す。
帰した者たちは、カキンオー様の存在を外に伝える。
噂が広まる。
さらに多くの者が来る。
やがて国が動く。
宗教が動く。
大陸全体が、この城を中心に動き始める。
セバチャは静かに結論を出した。
カキンオー様は、大陸を支配するおつもりなのだ。
力ではなく、沈黙と慈悲によって。
血を流さずに、ただそこにいることによって。
なんと恐ろしい御方か。
なんと深謀遠慮な御方か。
セバチャは報告書の末尾に、震える手で書き添えた。
一切合切が、全力でズレていた。
───
同じ頃、ライラが地下の扉をノックした。
返事がないまま扉が開く。
ライラが布袋を取り出した。
「カキンオー様、今日の収益です」
布袋の中には、銀貨が数枚入っていた。
「魔核と牙と爪を売りました。少ないですが、始まりとしては悪くないかと」
俺は銀貨を一瞥した。
ライラが少しだけ胸を張った。
「次は、もっと稼いできます」
俺は何も言わなかった。
でも、悪くないと思った。
ライラが扉を閉めた後、俺は本棚から続きを取り出した。
静かだった。
今日は久しぶりに体を動かした。
矢を一本掴んだ。
ラスボスムーブも、まあ悪くなかった。
恥ずかしかったけど。
本を開いた。




