49,冬
朝、広間でライラとレリスが向かい合っていた。
机の上に、紙と石板が置かれていた。
「では今日は計算の続きです」
「さんすう!」
「そうです。昨日の続きから」
ライラが石板に数字を書いた。
「3たす4は?」
レリスが指を折り始めた。
三本折った。
さらに四本折ろうとして、手が足りなくなった。
「て、たりない」
「足を使ってもいいですよ」
レリスが靴を脱いだ。
足の指も折り始めた。
「なな!」
「正解です」
レリスが嬉しそうにした。
「つぎ!」
「では、7たす8は?」
レリスが両手と両足を全部使い始めた。
全部折っても足りなかった。
「たりない!」
「では、数え方を変えましょう」
ライラが丁寧に説明し始めた。
そこにユキナが広間に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよう! ユキナ、さんすうわかる?」
「分かるよ」
「おしえて!」
ライラが少し止まった。
「私が教えています」
「ユキナにもおしえてもらう!」
「私だけで十分です」
「ふたりのほうがいい!」
ユキナがライラを見た。
ライラがユキナを見た。
レリスが二人を交互に見た。
ユキナが椅子を引いて座った。
「じゃあ一緒に教えようか」
「結構です」
「ライラさん、二人で教えた方が効率いいよ」
「結構です」
「レリスのためだよ」
「結構です」
レリスが首を傾げた。
「けっこうってなに?」
「いらないということです」
「なんでいらないの」
「いらないものはいらないんです」
ユキナが苦笑いした。
レリスがユキナを見た。
「ユキナ、7たす8は?」
「15だよ」
「じゅうご!」
レリスが石板に15と書いた。
ライラが静かに続きを教え始めた。
ユキナが黙って隣で見ていた。
ライラはユキナが見ていることに気づいていたが、何も言わなかった。
ユキナはライラが教えるのを黙って見ていた。
丁寧だった。
レリスの目線に合わせていた。
ユキナは少し目を細めた。
この人は、本当にカキンオーのことが好きなんだな。
そう思った。
───
昼過ぎ、カキンオーは作業場で付与の練習をしていた。
感電の強さを細かく調整する練習だ。
弱い電流を金属に流す。
少し強くする。
少し弱くする。
繰り返した。
だいぶ制御できるようになってきた。
春までには間に合いそうだった。
カキンオーは棒を手に取った。
試しに付与してみた。
軽く触れた。
ピリッとした。
死なない程度だった。
悪くない。
もう少し調整が必要だが、方向性は合っている。
カキンオーは棒を作業台に置いた。
次の剣の素材を取り出そうとした時、扉がノックされた。
「カキンオー様、お昼のお食事をお持ちしました」
ライラだった。
扉が開いた。
トレイを持ったライラが入ってきた。
「今日の昼食は根菜のシチューです。寒いので温かいものを」
カキンオーが頷いた。
ライラがトレイを置いた。
「レリスが15の計算ができました」
カキンオーが少し動いた。
「嬉しそうに報告したかったのですが、カキンオー様に言ったらもっと喜ぶと思って」
カキンオーは小さく頷いた。
ライラが微笑んだ。
「ユキナという方が、算数を一緒に教えようとしてきました」
カキンオーが少し止まった。
「お断りしました」
カキンオーが頷いた。
「でも、正直に言うと」
ライラが少し間を置いた。
「あの方の教え方、悪くないんです」
カキンオーが顔を上げた。
ライラが苦笑いした。
「認めたくないですが、レリスへの接し方は自然で、子供の扱いに慣れている感じがして」
カキンオーは何も言わなかった。
「まあ、私の方が上ですけどね」
ライラが扉を閉めた。
カキンオーはシチューを食べた。
うまかった。
───
夕方、カキンオーが作業場から廊下に出た。
ライラに頼む用事があった。
素材の補充を頼もうと思っていた。
廊下を歩いていると、角を曲がったところで人とぶつかりそうになった。
ユキナだった。
二人が廊下で向かい合った。
ユキナが固まった。
カキンオーも少し止まった。
ユキナの目が大きくなった。
カキンオーが視線を外そうとした。
「待って」
ユキナが言った。
カキンオーが止まった。
「逃げないで」
カキンオーは逃げようとしていたわけではなかった。
でも、足が止まった。
ユキナがカキンオーを見た。
カキンオーはユキナを見た。
沈黙があった。
「久しぶり、だね」
カキンオーは答えなかった。
「覚えてる? 私のこと」
カキンオーは少し間を置いた。
小さく頷いた。
ユキナが少し笑った。
「そっか」
カキンオーは答えなかった。
「ゲームで何回も会ったもんね」
答えなかった。
「代行ばっかり出してきてたけど」
答えなかった。
「気づいてたよ、代行だって」
カキンオーが少し固まった。
「いつも見てたでしょ」
答えなかった。
「まあ、いいけど」
ユキナが少し間を置いた。
「元気だった?」
カキンオーは少し考えた。
元気、という言葉が少し変な気がした。
でも、まあ。
小さく頷いた。
「そっか。よかった」
ユキナが続けた。
「私も元気だったよ。まあ、最後の方は色々あったけど」
カキンオーは答えなかった。
「この世界、来るとは思わなかった」
答えなかった。
「カキンオーさんがいるとも思わなかった」
カキンオーが少し動いた。
「でも、いた」
ユキナが笑った。
「それだけで、まあ、いいかって思った」
カキンオーは答えなかった。
ユキナがカキンオーを見た。
カキンオーがユキナを見た。
「迷惑だった? ゲームの頃」
カキンオーは少し間を置いた。
正直に言えば、迷惑だった。
かなり迷惑だった。
でも、それを今ここで言えるほど、言葉が出てこなかった。
カキンオーは首を横に振った。
嘘をついた。
ユキナが笑った。
「嘘くさい」
カキンオーは答えなかった。
「まあ、正直に言わなくていいよ」
ユキナが少し真剣な顔をした。
「一つだけ聞いていい?」
カキンオーが頷いた。
「ここで、静かに暮らせてる?」
カキンオーは少し止まった。
静かに、暮らせているか。
ユキナが来てから、静かではなくなった。
でも、それ以外は。
小さく頷いた。
ユキナが微笑んだ。
「そっか。よかった」
それだけ言って、ユキナが廊下を歩いていった。
カキンオーはしばらどその場に立っていた。
思ったより、悪くなかった。
そう思った。
───
夜、カキンオーはベッドに横になっていた。
天井を見ていた。
ユキナと話した。
短かったが、話した。
迷惑だったかと聞かれて、嘘をついた。
迷惑だったのは本当だ。
でも、なぜ嘘をついたのか。
自分でもよく分からなかった。
静かだった。
───
同じ頃、ライラは台所で後片付けをしていた。
タルドが入ってきた。
「ライラさん、さっきカキンオー様とユキナが廊下で話してるのを見ました」
ライラの手が止まった。
「そうですか」
「少しだけ話してました。カキンオー様が答えてるのも、少し見ました」
「そうですか」
ライラが皿を拭き続けた。
「ライラさん」
「何ですか」
「大丈夫ですか」
ライラが微笑んだ。
「大丈夫です」
「本当に?」
「本当に大丈夫です」
タルドが少し黙った。
「まあ、そうですね」
タルドが台所を出ていった。
ライラは皿を拭き続けた。
静かだった。
大丈夫だった。
大丈夫だと思った。
思ったが、皿を拭く手が少し強くなった。
───
遠く、大陸の上空で。
何かが動き始めていた。
雲の上、さらに上。
天空の大陸が、静かに揺れていた。




