42,ただいま
南への街道は、長かった。
カキンオーは黙って歩き続けた。
手のひらにアモンが乗っていた。
まだ寝ていた。
時々、小さな寝言が聞こえた。
「うるさいチュ」とか「面白いチュ」とか。
寝言でも口調が変わらなかった。
カキンオーは揺らさないように歩いた。
日が傾いてきた。
沼地が見えてきた。
城が見えてきた。
黒い城壁が、夕暮れの空に浮かんでいた。
カキンオーは少し止まった。
城を見上げた。
また歩き始めた。
───
城門の前で、ライラが待っていた。
タルドも立っていた。
セバチャも立っていた。
レリスも立っていた。
全員が南の街道を見ていた。
タルドが最初に気づいた。
「来ました」
全員が一斉に見た。
黒いローブを纏った、痩せた青年が歩いてきた。
片手に何かを乗せていた。
ライラが城門を開けた。
走り出しかけた。
セバチャがライラの肩に手を置いた。
「落ち着いて」
ライラが止まった。
深呼吸をした。
一回。
二回。
三回。
足が震えていた。
カキンオーが城門の前まで来た。
全員がカキンオーを見た。
カキンオーが全員を見た。
沈黙があった。
レリスが走り出した。
「おじさん!!」
カキンオーの腰に飛びついた。
カキンオーが少しよろけた。
アモンを乗せた手を高く上げて、バランスを取った。
「おじさん、どこいってたの!」
カキンオーは答えなかった。
でも、空いている方の手で、レリスの頭を一度だけ撫でた。
レリスがカキンオーの顔を見上げた。
「かえってきた?」
カキンオーが小さく頷いた。
「よかった」
レリスが腰にしがみついたまま離れなかった。
───
ライラが前に出た。
目が赤かった。
でも、笑っていた。
「お帰りなさいませ、カキンオー様」
カキンオーは頷いた。
ライラは一歩近づいた。
カキンオーの顔を見た。
傷はなかった。
疲れた顔をしていたが、無事だった。
ライラはもう一歩近づいた。
それから、深く頭を下げた。
頭を下げたまま、しばらく動かなかった。
声が震えていた。
「ご無事で、本当によかったです」
カキンオーは何も言わなかった。
ライラが顔を上げた。
目に涙が浮かんでいた。
こぼれなかった。
こぼれないように、笑っていた。
「お腹が空いたでしょう。すぐにお食事の準備をします」
カキンオーが小さく頷いた。
ライラが踵を返して城の中に走り込んだ。
走りながら、袖で目を拭っていた。
タルドがそれを見て、小さく息を吐いた。
セバチャが深く頭を下げた。
「ご無事で何よりです。詳しいお話は後日改めて伺います」
カキンオーが頷いた。
城門をくぐった。
レリスが腰にくっついたまま、一緒に歩いた。
「ねえねえ、どこいってたの」
カキンオーは答えなかった。
「カイトのとこ?」
小さく頷いた。
「カイトは?」
カキンオーは少し止まった。
首を横に振った。
レリスが少し考えた。
「まだむこうにいるの?」
頷いた。
「かえってくる?」
カキンオーはしばらく考えた。
小さく、頷いた。
レリスが頷いた。
「わかった。まってる」
また歩き始めた。
───
台所では。
ライラが動き続けていた。
目が赤いままだった。
でも、手は止まらなかった。
今日一番のものを作ろう。
カキンオー様が帰ってきた。
それだけで十分だった。
でも、もっとよくしたかった。
スープを火にかけた。
肉を切った。
パンを焼き始めた。
甘い菓子も出そう。
果物も用意しよう。
タルドが台所に入ってきた。
「手伝います」
「ありがとうございます」
「ライラさん、目が」
「料理の煙です」
「煙出てないですよ」
「出てます」
タルドは黙って野菜を切り始めた。
しばらく二人で黙って動いた。
タルドが小さく言った。
「よかったですね、カキンオー様が帰ってきて」
「はい」
「ライラさん、昨日からずっと城門の前にいたじゃないですか」
「そんなことないです」
「夜中も立ってましたよね」
「気のせいです」
タルドが苦笑いした。
ライラが鍋をかき混ぜた。
「タルドさん」
「はい」
「カキンオー様は、すごい方です」
「そうですね」
「言葉はなくとも、伝わります」
「まあ、そうですね」
「私、カキンオー様のおそばにいられて、本当によかったと思ってます」
タルドは何も言わなかった。
ライラが続けた。
「カイトさんのために、一人で城を出て行かれた」
「はい」
「誰にも言わずに」
「はい」
「止めたかったです。止めて、一緒に行きたかったです」
ライラの手が、少し止まった。
「でも、カキンオー様は一人で行かれた。それが正しかったと思います」
「なぜですか」
「あれは、カキンオー様とカイトさんの間のことだから」
タルドが頷いた。
ライラが鍋をかき混ぜ続けた。
「カイトさんは、戻ってくると思いますか」
「戻ってくると思います」
「なぜですか」
「カキンオー様が待ってるから」
ライラが微笑んだ。
「そうですね」
───
夜、ライラが地下の扉をノックした。
返事がないまま扉が開く。
トレイを持って入った。
スープ、焼いた肉、パン、果物、甘い菓子。
いつもより品数が多かった。
カキンオーが作業台に座っていた。
金属を触っていた。
疲れているはずなのに、手が動いていた。
「カキンオー様」
ライラがトレイを置いた。
「今日は、本当にお疲れになったでしょう」
カキンオーは答えなかった。
「無事に帰ってきてくださって、ありがとうございます」
カキンオーが少し止まった。
「ご報告はしなくていいです。詳しいことは、セバチャが後で調べます」
カキンオーが頷いた。
「ただ」
ライラが少し間を置いた。
「カキンオー様が一人で城を出て行かれた時、私、怖かったです」
カキンオーは動かなかった。
「止めることができなかったし、ついていくこともできなかった。ただ待つしかなくて」
ライラが静かに続けた。
「でも、帰ってきてくださいました」
カキンオーは何も言わなかった。
「それだけで、十分です」
ライラが深々と頭を下げた。
「ゆっくりお休みください」
扉を閉めた。
───
カキンオーは一人でスープを飲んだ。
うまかった。
城の飯は、やっぱりうまかった。
ライラが怖かったと言っていた。
でも、行かなければならなかった。
うまく説明できないけど。
そういうことだった。
菓子を一つ食べた。
甘かった。
天井を見た。
静かだった。
カイトは今、どこにいるのだろうか。
───
同じ頃、帝国のどこかで。
カイトは一人でいた。
廃屋の隅に座って、膝を抱えていた。
暗かった。
静かだった。
断片的な記憶が、頭の中で繰り返されていた。
自分の手が、剣を振っていた。
命令通りに動いていた。
止められなかった。
カイトは頭を抱えた。
しばらくそのままでいた。
やがて、顔を上げた。
廃屋の壁に、小さな穴があった。
そこから、夜空が見えた。
星が出ていた。
南の方角に、星が一つ、特別に明るかった。
カイトはしばらくそれを見ていた。
カキンオーが叫んでいた。
あいつが、叫んでいた。
俺の名前を、叫んでいた。
カイトは静かに息を吐いた。
まだ、戻れない。
でも……いつかは。




