39,北へ
夜、俺は天井を見ていた。
眠れなかった。
カイトが人を殺すかもしれない。
洗脳されたカイトが、帝国の兵士を、街の人を、殺すかもしれない。
それは止められない。
俺がここにいる限り、止められない。
そして、もし取り戻せたとして。
元に戻ったカイトは、何を思うだろうか。
自分が操られていた間に何をしたか、知った時。
あいつは、どんな顔をするだろうか。
俺には想像ができなかった。
でも、あいつのことだから。
笑わないと思う。
笑えないと思う。
ずっと、抱えるんだと思う。
一人で。
俺は体を起こした。
ベッドの端に座って、手を見た。
チャーム解除の練習を続けていた手だ。
まだ不安定だ。
でも、待っていてもカイトが殺す人間の数が増えるだけだ。
カイトが抱える重さが、増えるだけだ。
俺は立ち上がった。
今すぐ行かなければならない。
準備もない。
計画もない。
どこに行けばいいかも分からない。
でも、待てなかった。
俺は指輪に意識を向けた。
装備を展開しかけて、止めた。
今日は装備なしで行こう。
魔王の格好で行っても、カイトに近づけない気がした。
薄いローブのままでいい。
俺は作業場を出た。
廊下を歩いた。
城門に向かった。
誰にも言わなかった。
ライラに言えば止められる。
セバチャに言えば作戦会議になる。
タルドに言えば一緒に来ると言う。
全部、面倒くさかった。
それに。
これは俺が行かなければならないことだった。
城門を開けた。
夜の沼地に出た。
冷たい空気が肌に触れた。
星が出ていた。
俺は北を向いた。
とりあえず北だ。
カイトは帝国の方向に向かっているはずだ。
帝国は北だ。
それだけ分かっていれば、今は十分だ。
俺は歩き始めた。
───
沼地を抜けて、しばらく歩いた。
街道に出た。
夜の街道は静かだった。
人気がなかった。
月が出ていた。
満月だった。
昨日の満月で、カイトが洗脳された。
俺はそれを思い出した。
歩き続けた。
どこに向かえばいいのか、正確には分からない。
でも、北に行けばいずれ帝国に着く。
着けば、なんとかなるかもしれない。
なんとかなるかどうかも分からないけど。
まあ、歩こう。
そう思いながら歩いていると、後ろから声がした。
「どこに行くんだチュー」
振り返った。
アモンがいた。
街道の真ん中に、小さなネズミが座っていた。
赤い目が月明かりに光っていた。
俺は黙っていた。
「一人で出てきたチュ。誰にも言わずにチュ」
俺は北を向いた。
「カイトのところに行くチュ?」
俺は頷いた。
アモンが少し間を置いた。
「どこにいるか分かるチュ?」
俺は首を横に振った。
「だと思ったチュ」
アモンが欠伸をした。
「まあいいチュ。ついていってやるチュ」
俺は少し止まった。
アモンを見た。
「感謝するなチュ。面白そうだからチュ。それだけチュ」
俺は頷いた。
感謝はしない。
でも、ありがたかった。
二人で北の空を見上げた。
満月が空に浮かんでいた。
帝国は、あの月の向こうだ。
俺は歩き始めた。
アモンがついてきた。
街道が、北へと続いていた。
───
城では。
翌朝、ライラが作業場の扉をノックした。
返事がなかった。
扉を開けた。
誰もいなかった。
作業台の上に、剣が一本置いてあった。
昨日作っていた、付与剣だった。
その隣に、小さな紙が置いてあった。
一言だけ書いてあった。
「行ってくる」
ライラはしばらくその紙を見ていた。
やがて、紙を胸に抱えた。
目に涙が浮かんだ。
こぼれなかった。
ライラは振り返った。
廊下に走り出た。
「セバチャさん!」
───
執務室では。
セバチャが報告書を読んでいた。
ライラが飛び込んできた。
「カキンオー様が、城を出られました」
セバチャが顔を上げた。
「いつですか」
「昨夜だと思います。作業場に一人でいらっしゃらなくて」
セバチャが立ち上がった。
ライラが紙を差し出した。
セバチャが受け取った。
「行ってくる」
セバチャはしばらく紙を見ていた。
それから、静かに息を吐いた。
「カキンオー様が、自ら城を出られた」
「はい」
「初めてのことです」
「はい」
セバチャが窓の外を見た。
北の空を見た。
「カイト様のところに向かわれたのでしょう」
「たぶん」
セバチャが紙を丁寧に折った。
机の上に置いた。
「私たちにできることをしましょう」
「何をすればいいですか」
セバチャが静かに答えた。
「カキンオー様が戻れる城を、守ることです」
ライラが頷いた。
涙が、今度はこぼれた。
でも、すぐに拭いた。
「分かりました」
ライラが廊下に走り出た。
───
北の街道では。
俺とアモンが並んで歩いていた。
夜が明けて、空が白くなり始めていた。
アモンが言った。
「城の連中、気づいたチュ」
俺は頷いた。
「ライラが泣いてるチュ。たぶん」
俺は少し止まった。
「でも追いかけてはこないチュ。セバチャが止めたチュ。たぶん」
俺は歩き続けた。
「心配してるチュ」
分かってる。
「それでも行くチュ?」
俺は頷いた。
アモンが欠伸をした。
「まあいいチュ。俺も心配はしてないチュ。面白いから来てるだけチュ」
「……ありがとう」
思わず出た。
アモンが少し止まった。
「感謝するなと言ったチュ」
「まあ、そうだけど」
アモンが歩き出した。
「うるさいチュ」
俺も歩き出した。
北へ、北へ。
カイトのいる場所へ。
街道が続いていた。




