33,フロストス
朝、セバチャが地下の扉をノックした。
「カキンオー様、緊急のご報告があります」
俺は作業場から顔を上げた。
「フロストスが帝国領に入りました。現在、北東に向かって移動しています」
俺は手を止めた。
「帝国の軍が迎撃を試みましたが、全滅しました」
全滅か。
「近隣の村の避難は完了しています。ただ」
セバチャが少し間を置いた。
「このまま北東に進めば、明日か明後日には城の射程に入ります」
俺は頷いた。
「カキンオー様、どうされますか」
俺はしばらく考えた。
フロストスは俺のテリトリーを犯していない。
まだ。
でも、このまま来れば犯すことになる。
その時どうするか。
まあ、その時考えよう。
「様子を見る」
セバチャが頷いた。
「御意のままに」
───
城の廊下では。
ライラがレリスの手を引いて歩いていた。
レリスが南西の窓を見た。
「ライラ、そらがへんな色してる」
「そうですね」
「なんで?」
「フロストスという方が暴れています」
「フロストスって?」
「大きなドラゴンです」
レリスが目を丸くした。
「ドラゴン! みたい!」
「駄目です」
「なんで!」
「危ないからです」
レリスがむすっとした。
「おじさんはみるの?」
ライラが少し間を置いた。
「カキンオー様は、大丈夫です」
「なんで?」
「カキンオー様だからです」
レリスがよく分からないという顔をした。
アモンが廊下の隅から言った。
「強いからチュ」
「アモンもしってるの?」
「まあチュ」
「アモンはこわい?」
アモンが少し間を置いた。
「フロストスは古い存在チュ。強いチュ」
「おじさんより?」
「それはないチュ」
「なんで分かるの?」
「なんとなくチュ」
レリスが頷いた。
「じゃあだいじょうぶだね」
「まあチュ」
───
同じ頃、帝国の帝都では。
モブテキが執務室で頭を抱えていた。
机の上に報告書が山積みになっていた。
軍が全滅。
村が消えた。
住民が逃げている。
被害が拡大している。
モブテキが顔を上げた。
「カイトはどこにいる」
「現在、帝国の東の街にいると思われます」
「呼べ」
「はい」
伝令が飛び出した。
モブテキが窓の外を見た。
南西の空が、微かに光っていた。
「面倒くさいことになった」
独り言だった。
誰も答えなかった。
───
帝国の東の街で。
カイトは伝令を受け取った。
読んだ。
顔を上げた。
南西の空を見た。
遠く、山脈の方角から、何かが光っていた。
カイトは少し考えた。
モブテキに会いに行くべきか。
それとも。
カイトは荷物をまとめ始めた。
城に行こう。
モブテキへの返事は後でいい。
あいつのところに行かなければならない気がした。
理由はうまく言えないけど。
カイトは宿を出た。
───
翌朝。
城の南西の空が、白く輝いていた。
ブレスだった。
遠かったが、近づいていた。
タルドが城門の上から南西を見た。
でかい影が見えた。
翼を広げた、巨大な影だ。
「来ます」
セバチャが頷いた。
「ライラ、レリスを地下に」
「はい」
ライラがレリスを抱えて走った。
「みたい!」
「駄目です」
「みたい!!」
「駄目です」
声が遠ざかっていった。
セバチャがタルドに言った。
「タルドさんも城内に」
「セバチャさんは」
「私もすぐに入ります」
タルドが城内に駆け込んだ。
セバチャは空を見上げた。
巨大な影が、着実に近づいていた。
翼の一振りで、空気が揺れた。
セバチャは城内に入った。
扉を閉めた。
───
地下の作業場で。
俺は付与の練習をしていた。
なんか感覚が掴めてきた気がした。
そこに、轟音が響いた。
城全体が揺れた。
ブレスだ。
城の外に当たったらしい。
俺は作業台に剣を置いた。
まあ、出るか。
テリトリーを犯された。
仕方ない。
俺は指輪に意識を向けた。
装備が展開していく。
黒鎧が纏わりつき、兜が頭を覆い、マントが広がる。
石段を上がった。
城門を開けた。
外に出た。
───
フロストスは城の前に降り立っていた。
巨大だった。
城と同じくらいの高さがあった。
全身が白銀の鱗で覆われていた。
目が、赤かった。
城門が開いた。
黒鎧の存在が出てきた。
フロストスが見下ろした。
小さな存在だった。
しかし。
フロストスは動きを止めた。
何かを感じた。
この存在から、何かを感じた。
言葉にできない、しかし確かな何かを。
フロストスは動けなかった。
長い沈黙があった。
やがてフロストスが翼を広げた。
飛び上がろうとした。
その瞬間、フロストスの中で何かが弾けた。
自分が引いた。
この小さな存在の前で、自分が引いた。
それが許せなかった。
フロストスは翼を止めた。
振り返った。
喉の奥から、凄まじい冷気が溢れ出した。
全力のブレスだった。
山脈を吹き飛ばしたのと同じ力だった。
白銀の奔流が、黒鎧の存在に向かって放たれた。
───
俺はブレスを見た。
でかい。
かなりでかい。
まあ、いいか。
俺は右手を握った。
拳を振るった。
ブレスが、空に吹き飛んだ。
そのまま拳を引かずに、前に踏み出した。
フロストスの腹に、一撃を叩き込んだ。
轟音がした。
フロストスの巨体が、空に吹き飛んだ。
遠く、南西の空に、白銀の影が消えていった。
静寂が戻った。
俺は拳を下ろした。
少し痛かった。
鱗が硬かった。
まあ、なんとかなった。
俺は城門に向かって歩き出した。
入る前に振り返った。
南西の空に向かって、小さく言った。
「次はないぞ」
誰も聞いていなかった。
まあ、聞こえればいい。
───
城門の内側で、セバチャとタルドが息を呑んでいた。
ブレスが吹き飛んだ。
フロストスが吹き飛んだ。
黒鎧の存在が、何事もなかったように戻ってきた。
タルドが小さく言った。
「何をされたんですか」
黒鎧は答えなかった。
廊下を歩いて、地下への石段を降りていった。
セバチャがしばらく動けなかった。
タルドも動けなかった。
二人が顔を見合わせた。
何も言えなかった。
───
地下の作業場で。
俺は装備を解除した。
右手を見た。
少し赤くなっていた。
まあ、すぐ治るだろう。
作業台の剣を手に取った。
付与の練習の続きをしよう。
さっき少し感覚が掴めた気がした。
静かだった。
───
城の二階では。
セバチャが報告書を書いていた。
本日、フロストスが城に接近した。
カキンオー様が城門を出て対峙された。
フロストスのブレスを素手で吹き飛ばし、フロストスを殴り飛ばした。
セバチャはそこで一度ペンを止めた。
フロストスのブレスを、素手で。
フロストスを、殴り飛ばした。
セバチャは羽根ペンを置いた。
しばらく天井を見た。
カキンオー様の力の底が、まだ見えない。
いや、底などというものが存在しないのかもしれない。
セバチャは静かに結論を出した。
カキンオー様は、この世界の常識の外におられる。
それだけは確かだ。
なんと深謀遠慮な御方か。
セバチャは報告書の末尾に、震える手でそう書き添えた。
一切合切が、全力でズレていた。
───
夕方、レリスが作業場に飛び込んできた。
「おじさん! ドラゴンきたって! みたかった!」
俺は手を止めた。
「みた?」
俺は小さく頷いた。
「どうだった!」
俺はしばらく考えた。
鱗が硬かった。
それだけだ。
俺は右手をさすった。
レリスが目を丸くした。
「いたかったの!?」
俺は少し考えてから、小さく頷いた。
レリスが心配そうな顔をした。
「だいじょうぶ?」
俺は頷いた。
レリスが俺の右手を両手で包んだ。
小さな手だった。
「いたいのいたいのとんでいけ」
俺は固まった。
レリスが顔を上げた。
「よくなった?」
俺はしばらく動けなかった。
小さく、頷いた。
レリスがにこにこした。
「よかった!」
走って出ていった。
「タルドー! おじさんドラゴンとたたかったって! てがいたかったって!」
廊下の奥から、タルドの驚いた声が聞こえた。
「手が、痛かった? カキンオー様が?」
俺は剣を磨いた。
右手は、もう痛くなかった。
気のせいかもしれないけど。
静かだった。
まあ、なんとかなった。
それでいい。




