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「結婚して一緒に暮らさない?」


 私は答えられずにいた。


「やっぱり、私が結婚だなんて似合わないかな」

「どうして似合わないって思うの? 普通のことだよ」

「なんか女傑様と話してるみたい」

「俺はそんな人間じゃないよ」


 でも少し似ていて欲しいとも思った。そんな人に似ているのだとしたら、自分にもどこか高尚な人間になれる力が秘められているのではないか、なんて希望が残る。


 貴調は言った。


「一緒にこの子と暮らしたい。でも、私はどう暮らせばいいかわからない。母親がどんなものか知らない。自信がない」

「女傑は、母親のような存在じゃなかったの? 同じように接してあげれば?」

「わからないの。私の思う母親と、世間一般の母親が。だから教えて欲しいの」

「俺だって、父親しか一緒に暮らしてこなかったよ。おまけに、世間一般の父親じゃなかったし」


 彼女の言葉をことごとく否定するような話し合い。口調が空回りしていた。


「嫌? 私とじゃ」

「全然。一緒に居たいと思えるのは、多分、貴調ぐらい」


 そう言って彼女はまた、ブランコの上でぶらぶらと脚を動かす。


「もう屋敷を出てきたの?」

「うん。今日、追い出されちゃった」

「女傑はなんて?」

「出ていきなさい、ってそれっきり」

「それも愛だったりするんじゃない? また屋敷に戻ってもいいんでしょ?」

「うん。実際、外に出てまた戻ってきた人とか何人かいたし」


 それでもどこか、不満げな表情だった。脚をぶらぶらさせるのはもう癖になっているようだが、注意深く見てみるとそうでもない気もする。曖昧だからよくわからないというのが本音だが……。


「貴調はさ、もし家族がいたらどうしてたと思う? 父親もいて、母親もいて、姉弟もいる。そんな妄想したことある?」

「あるよ」


 どっと込み上げる鼓動を私は感じた。あの沸騰する血液が、今にも血管をはち切りそうなくらいに膨れ上がっているかの様。


 どうしたものか。私は無意識に血の気を部屋の隅に追いやっていたみたいだった。いつかは答えを出さなければならない問いに、私は壁を作って阻ませることで、遠い問いのように感じさせた。もう笑い話にでもできそうなこの(くだり)。だが、どこかでずっと機会を窺っていた答え。


 壁は思ったよりも(やわ)かった。私が手を触れずとも消え去った。見えたその向こうで身体を縮こまらせて座る存在――。


「姉さん」


 それは、屋敷の中で呼ばれたように感じただろうか。ありふれた言葉のように感じただろうか。


「結婚はできない。でも一緒に暮らすことはできる」


 笑い話に見せかけた切望の問い。彼女は何を感じ取った?


「それは、私が歪の血の繫がったお姉さんだからってこと?」


 貴重は一瞬で読み取った。部屋の隅に追いやっていたことを、薄々感じていたのだろう。私は唇を噛み締め、「そう」とおぼろげに頷く。


「なんで今頃言うの?」

「言えなかったんだ。ずっと悩んでて、友達だと思っていた仲のいい人を姉だと言われても……さ」

「歪もやっぱり私が汚らわしいと思うんだ」

「そういうことじゃない!」


 咄嗟に私は彼女の肩を掴んでいた。でもその力強くつかんだ握力は、すぐに緩んでしまう。


「そんな顔しないでよ」

「だって……」


 何かが溢れ出した。


「なんで今頃言うのよ。私だってずっと悩んでて、女傑様にまで相談してもらって、やっと歪に妊娠のこと話せて、やっと私がどうしたいか伝えられたのに、今度は私が姉だって言われて……。どうしたらいいの……。もう、わかんないよ」


 私は口を噤むしかなかった。


「私なんか悪いことした? 生まれたときからあの屋敷に居て、ずっとあの屋敷を掃除して、嫌味も言われて、身体が成長して、いろいろ我慢してやってきたこともあるのに、なんで? なんで私だけこんなに苦しまなきゃいけないの? それともこれは苦しみじゃないの? 他の人もこんな苦しみをしてるの? 乗り越えてるの? ねえ……」


 目の前で泣き出す彼女は、もうあの頃の何も知らないような彼女じゃなかった。私と同じように悩んでいる人。不遇の環境に置かれ、それでもそれを不遇だと思わない。これが私の生きる術。私が生きてきた証。部屋の隅に追いやっていた人間の尊厳を、今の彼女は持ち得ていた。


「家族への愛と、他人への愛って、同じじゃ駄目なの?」


 そんな泣き顔で言う貴調に、私は何も言ってやれなかった。ただ、そのそばにいて、泣き止むまで見守って、手を回してやることぐらいしかできなかった。



『愛されなきゃ価値なんてないんだよ。だからどんなときも愛してやれ』



 安泰の暮らしの中、父さんに昔そんなことを言われた記憶がある。まだあの頃は楽しかった頃。でもだんだんと父さんは父になっていった。初めてこの公園に来たあの日を境に。


 くたくたな日常の償いとして、私はここに来ていたのだと思う。土曜は私の褒美だった。でも最初は怠くもあった。段々とそれが別の感情へと移り始めて、やっとあの父さんの言葉が重んじられる。


 私に存在価値はないかもしれない。虐待を受け、日常は腐りかけ、底辺にいる人間。だが、そんな私でも誰かを愛してやることはできた。その対象が家族でも、血の繫がっていない誰かでも、そこに差異はないはずだった。


 誰かを『愛する』ことこそが、私に残された存在価値だった。


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