北国の皇子3
幼い頃、兄と姉から沢山聞いたお伽話。その中に天使に関するお話があった。
天使は良い子の所へやってきて天の国へ導いてくれる。悪い子は天の国へは行けない。だから良い子になりなさい、という内容のお伽話。
良い子とは一体どんな子なのか。もし、あのお方にとっての良い子なら、それは自分ではない。そう幼心に思ったのを覚えている。
自分は出来損ないの欠陥品。姉や兄のような特別な『容姿』も『記憶』もないガラクタ。身体は『魔力』の入れ物にしか過ぎない。
外の世界も見た事がない。自分の瞳はただのガラス玉。明るいか暗いかしか判別がつかない。大好きな姉と兄の顔すら分からない。そんな自分が良い子な筈はない。
ーーそして遂には捨てられてしまったあの日。
あのお方から「お前など要らない」と告げられた。当然だろう。使えない道具などあのお方にとって残しておくと価値もないのだ、そう幼心にも理解できた。捨てられた悲しさはないが、もう姉と兄に会えないと思うと心が寒くて寂しくなった。
「さむい……」
行く宛もなくその場にうずくまり、寒さに手を擦り合わせながら空を見上げた。
空とは青いものだと聞いたが、青とはどんな色だろうか。空の上に天の国はあると兄は言っていた。自分はきっと、そこへは行けないのだろう。自分は良い子ではないのだから。
「わっ!」
空を見上げていたら明るく眩い光がガラス玉の瞳に射し込んできた。
「こんにちは、小さなお嬢さん」
「こ、こんにちは!わたしに何かご用ですか?」
「ふふふ、僕は君を迎えにきたんだよ」
「え?迎えに?でも、わたしは良い子じゃないし。あなたは、だぁれ?天使さんですか?わたしも天の国へ行けるのですか?」
それはとても柔らかな声だった。闇の中にぼうっと映るその光は眩しく、それでいて自分を包み込むように暖かく、『天の御使とはこのような存在なのか』と驚いた。こんなにも温かな光があるのかと胸が高鳴った。
壊れていった姉たちと同じ場所へ行くのか、それとも別の場所へ行くのか分からないけれど、もし、これから行く場所が天の国でないのであっても、この温かな光を持つ人が連れて行ってくれる場所なら、きっと素敵な場所に違いない。
「……ごめんね。私は天使ではないんだ。でも、これから行く場所には君のお姉さんとお兄さんもいるから、きっと寂しくないよ」
天使ではないと言った彼は少し寂しそうな声でそう言った。そして手を差し伸べて、自分をそっと抱き上げてくれた。
その手がとても温かかった。ギュッと抱きしめられた胸の中が温かかった。
※※※※※※※※※※
アーリアは懐かしい夢を見ていた。目尻から涙が零れ落ち、枕を濡らしていく。
「ししょ……リュゼ……ごめ……」
何に謝っているのだろうか。理由も分からないのに瞼の奥から一度溢れた涙はとめどなく、その心は不安定に揺れていた。
すると誰かの手が差し伸べられ、スッとアーリアの瞳と瞼を拭ってくれた。
「俺の腕の中で他の男の名を呼ぶとは……」
声の人物は優しくアーリアの頭を撫で、その白き髪を梳き流す。
「そのような事を仰られましても、このお嬢様に未だ貴方は自己紹介などなさっていないでしょうに……」
「おお!そうだったな!俺もこの娘の名を知らん」
「……時折、貴方はどうしようもなく大雑把になりますね?」
「そうか?こんなもんだろう……?」
微睡みの中、耳元で囁かれる言葉の応酬に、アーリアは重い瞼を押し開けた。涙で滲む瞳にぼんやりと光が入り込む。その光に再び瞼を閉めれば、逆に奥底に沈んでいた意識が浮上してきた。そして瞬きを繰り返しながら自分の置かれた状態を確認する。
「おっ、意識が戻ったようだな?」
「良うございました。リュゼ殿も心配しておいででしたし……」
『リュゼ』の言葉にアーリアはハッキリと目を開けた。そして思い出していた。シルヴィアに『北の塔』の最上階にあるバルコニーから突き落とされ、冷たい湖へと落ちたこと。その自分を助ける為にリュゼが追って飛び込んで来たこと。湖の中で息もできず意識を手放したこと。意識のない間もリュゼの声が耳に届いてきたことを。
アーリアは己の置かれた状況がどうなのかも分からず、ただ反射的に重い身体を起こそうとしたが、それは叶わなかった。身体にのし掛かる逞しい腕が、アーリアをその場に繋ぎ止めていたからだ。
「え⁉︎ なに……」
アーリアが顔を巡らすと、真横に銀髪を煌めかせた美青年の顔があるではないか。端整な顔立ちを覆うきめ細やかな白い肌には美しい紫の双玉。その瞳は怪しげな光を放ち、口元には不敵な笑みを浮かべている。それは決して爽やかな微笑みではない。
「おはようとでも言えばよいか?寝坊助なお嬢さん」
「!」
肩に美青年の腕が乗っかっていて、アーリアの上半身はピクリとも動かない。
アーリアがその状況に混乱して辺りを見回せば、自分は大きな寝台に寝かされているのだと分かった。そしてその寝台には自分と共にこの麗しの青年も寝転がっている。右手で頬杖をつきながら、左手をアーリアの肩に添えたその美青年は目を一層細め、一見優しげな笑みをアーリアへと向けてくる。
「な、えぇっ、ど……えぇえ⁉︎」
何がどうなっているのか、アーリアにはサッパリ状況が掴めない。挙動不審な言動を起こしても仕方がないだろう。
そんなアーリアを面白がって観察してくるこの身なりの良い美青年は一体誰なのか。
アーリアは自由になる足をバタつかせると、その美青年は自分の長い脚でその動きをサッと封じた。そして肩を押さえていた左手で優しくアーリアの頬に触れた。
「そのように慌てる必要などないではないか。お前は俺の妃となるのだから……」
「ハァ?妃?一体どういう……」
「そこまでになさいませ、殿下。そのように嫁入り前の娘さんに御無体を働くなど、紳士の風上にも置けませんよ?」
アーリアの混乱もピークになった頃、助け舟が現れた。声のした方へ顔を巡らすと、殿下と呼ばれた美青年の奥に騎士服を身につけた青年が佇んでいた。
こちらの青年騎士の容姿も美しく整っている。涼やかな瞳は濃紺色。その青年騎士は薄灰色の長髪をツイと耳の裏へ流すと、アーリアの顔を見下ろしてきた。
「あぁ。顔色も随分と良くなっていますね?さすが殿下です」
「まぁな。これくらいは朝飯前だ」
「ですが。いくら治療の為とはいえ、このように清らかなお嬢さんの寝台に潜り込むなどいけませんよ」
「サッサとおどきなさい」と言われた銀髪の美青年は、渋々という体でアーリアの身体から腕と脚を退け、ギジリと音を立てて寝台から降りた。そしてさっと髪を整えると片手を胸に当て、もう一方の手をアーリアへと伸ばしてきた。
「初めましてシスティナの魔女。そして我が花嫁」
優雅に差し出された手を取ることなく呆然と身を起こすと、アーリはその大きな瞳で瞬きを繰り返した。
「えっと…………」
起きた拍子にハラリと落ちるシーツ。アーリアはそれを引き上げようとした時、シーツよりも自分の衣服に目が留まった。
アーリアは身につけていた白いマントは勿論脱がされていた。それどころか上着も脱がされ、白いブラウスは上から三つ分のボタンが緩められていた。そこから覗く生白い胸元……
「〜〜〜〜⁉︎ ぎ、《銀の鎖》‼︎ 」
「なんだ……⁉︎」
「やはり……!」
アーリアは胸元を押さえながら絶叫していた。次いでとばかりに簡易拘束魔術《銀の鎖》を解き放つ。アーリアの手元に展開した魔術方陣から魔力で編まれた鎖が飛び出して、美青年二人に逃げる暇を与えることなく拘束した。
ここがどのような場所か、この二人がどのような立場なのかなど、今のアーリアには関係がなかった。ただ、乙女の寝台に潜り込み、肌を淫らに触った女の敵に対して容赦してやる程、アーリアの人格はできていなかったのだ。恋愛力0であろうとも乙女はヲトメ。ジークフリードにも姉弟子にも、そのような輩には一切の容赦なく成敗すべし、と習っているのだ。
一方、アーリアは涙目になって自分の魔術によって拘束された二人の美青年を睨め付けた。美青年二人は降参の程を表し、動く範囲の手をバタつかせている。
「降参だ!お前には指一本触れていない……いや、触れはしたが無体な事はしていない!神に誓って!精霊に誓って!えぇーい何でも良いッ!これを外してくれッ‼︎」
銀髪の美青年が《銀の鎖》に簀巻きにされながら情けなく嘆く。そこには美青年形無しの情け無い姿が見て取れた。もう一人の美青年はやれやれと首を振り、その様子を第三者のように眺めている。
アーリアは右手を突き出したまま油断なく魔力を高めると、いつでも次手が撃てる準備をした。
「ま、待て待て待て!早まるな!この場所で大事を起こせばお前も不利になるのだぞ!」
「!」
アーリアは銀髪の美青年の言葉に唇を噛み締めた。自分の置かれた状況も分からず本能のままに攻撃を仕出かせば、今後どのような事態になるかが想像がつかない。今だってさっぱり状況が分からないのだ。これ以上の混乱は避けるべきだろう。リュゼの姿がこの場に見えない事も心配の一つなのだから。
アーリアは一度冷静さを取り戻すと、この美青年が『殿下』と呼ばれていた事を思い出し、怪訝に眉をひそめた。
システィナ国に於いて『殿下』と呼ばれる立場の男性は三人。王太子ウィリアム殿下、第二王子ナイトハルト殿下、第三王子リヒト殿下、そのお三方だ。それ以外の男性王族の中に『殿下』と呼ばれる者などいない。
すると目の前の『殿下』は何処の殿下なのかという疑問と共に、嫌な予感がアーリアの脳裏に過ぎる。
「……殿下。脅してどうします?このお嬢様が取り乱すなど、仕方のない事ではございませんか?」
「し、しかし……」
「貴方は未婚の女性の寝台に、それも無断で入り込んだのです。平手くらい当たり前ではありませんか」
「攻撃魔術を食らえば平手どころでは……」
「何をおっしゃいます?彼女はシスティナの魔女なのですよ?最初にそうお教えしましたでしょうに……」
「だ、だが、こうもあっさり捕まるとは……」
銀髪の美青年と薄灰色髪の美青年の押し問答がアーリアの前で繰り広げられる。このような騒ぎになっても外部から誰も現れない事も、アーリアは気になってきた。高貴な身分の者ならば、複数人の護衛騎士がその近辺の警護に当たる筈だなのだ。
「彼女がお国に帰った後、その不貞を理由にお嫁に行き遅れでもしたら、どうするのですか?」
「そんなもの決まっている。このまま残って俺の妻になれば良いではないか」
「貴方はバカですか?親御さんが嘆きますよ?寧ろ怒り狂います」
「バカとはなんだ⁉︎」
「おや、聴こえてしまいましたか?」
護衛である筈の騎士に馬鹿にされた銀髪の殿下(どこの?)は、自分の隣で同じように簀巻きにされている薄灰色髪の美青年騎士に怒鳴りつけた。しかしその声を受けても、薄灰色髪の美青年は何事も無いようにサラリとかわしている。
しかし、先に折れたのは銀髪の殿下(仮)だった。
「何故だ?俺は皇太子だぞ?どこの親だとて否は言えぬはず……」
「彼女の保護者さんは彼の国の魔導士、あの『漆黒の魔道士』ですよ?貴方の持つ権威など何の役に立ちます?」
「お、おぉっ……⁉︎」
「それに。これでも彼女自身に初撃で縊り殺されなかっただけ、マシだったのですよ?」
「何だと?」
「彼女は『塔』の魔女。システィナの魔導士です。噂では等級7と言われております……え?9になった?それはおめでとうございます……。ほら!殿下、さっさと謝って!」
「す、すまなかった、な……?」
腑に落ちないという表情を前面に出しつつも銀髪の美青年殿下(?)はもう一方の薄灰色髪の美青年騎士に促されて、アーリアへと謝罪した。魔術の鎖で簀巻きにされながら、そこから自由になる頭を少しだけ下げた謝罪という間抜けな姿に、アーリアは何だか肩の力が抜けてしまった。
アーリアに頭を下げる二人の美青年は、アーリアよりも明らかに年上の成人男性。それに身なりやその所作が高貴で、身分でいえばアーリアの仕出かした事は『不敬罪』の一言に尽きるだろう。それなのに良い大人が揃ってアーリアのような魔導士風情の小娘に向かって、頭を下げているのだ。
それが分かると、アーリアは少し笑ってしまった。目の前の青年二人がイケメンなだけに、一連の行動が間抜けすぎる。
「……オイ。笑われているぞ?」
「お元気になられて本当によろしゅうございました」
「あ、すみません!あの……この状況を説明して頂くことははできませんか?」
肩を震わせ笑っていたアーリアはそんな場合ではなかった事を思い出すと笑うのを止め、二人の美青年に向き直った。
すると美青年たちも先程までとは全く違う真剣な表情を作り出した。
「勿論だ。その前にこの拘束を解いてくれると有難いのだがな」
「貴女を決して傷つけることはございませんよ?」
アーリアは二人の言葉を受けて魔術での拘束を解いた。青年たちを縛っていた鎖はその魔力を煌めかせて空中に霧散した。
二人の青年はその光景に一瞬目をやっていたが、身体が自由になるとアーリアへと向き合ってきた。アーリアは寝台の横に脚を下ろした。裸足のまま床へ降りようとしたアーリアを「履物を用意させる」と銀髪の美青年が制止した。
「先ずは自己紹介を。俺の名はユークリウス・ケイ・フィン・エステル」
「エステル⁉︎」
銀髪の美青年ーーユークリウスはアーリアの手を取ると、その甲に口づけを落とした。
「ユークリウス殿下はエステル帝国の皇太子であらせられます」
ユークリウス殿下の背後に控えた薄灰色の髪の美青年が捕捉説明を加える。
「ヒース・オースティンと申します。ユークリウス殿下の騎士。近衛に席を置いております」
薄灰色髪の美青年ーーヒースは軽く自己紹介を終えると徐に己の上着を脱ぎ、それをアーリアの細い肩へとかけた。それにか細い声で礼を言うと、礼など無用と逆に首を振られてしまう。
「……私は……私の名はアーリア。ご存知の通りシスティナの魔女です」
アーリアの掠れた声に、その言葉にユークリウス殿下とヒースの二人は意味深な笑みを浮かべた
先ほどまでの会話で、自身の素性はおおよそバレてしまってはいるのだろうという事はアーリアにも分かっていた。だが、それを鵜呑みにして自分から『アルカードの《結界》を形成維持している魔女は私です』などと馬鹿正直に答えるのは愚行だ。自分さえ肯定しなければ、相手も確信を得られず疑惑のままにしておくしかないのだから。
ここはシスティナ国と北の国境を跨いだ先にある大帝国エステルなのだ。そう、ユークリウスの自己紹介ではっきりと知れた所だった。
現在、エステル帝国とシスティナ国は『停戦中』であって『終戦』している訳ではないのだ。要は敵国の中枢にほいほい拉致されて来た『塔』の魔女に出来る事は、知らぬ存ぜぬを通して自己の存在を『黙秘』することのみ。自己の命にはシスティナ王国何十万人もの命がかかっているのだから。
「その聡明さには好感が持てる。アーリア殿、俺の妃となり俺に仕えよ」
「は?ええっ⁉︎」
「俺の妃となり、我が国と彼の国の未来を一緒に掴まないか?」
ユークリウス殿下はアーリアの手を掴んだまま、その爽やかで端整な顔には余程似つかわしくない、ニヒルな笑みを浮かべたのだった。
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エステル帝国は大国ですが、その割に皇太子殿下の性格はフランクですね。ヒースも主相手にいい性格しています。
皇太子殿下の発言、その先にある企みにアーリアはどう対応していくのか?
次話も是非ご覧ください!




