北国の皇子4
「俺の妃となり、我が国と彼の国の未来を一緒に掴まないか?」
ユークリウス殿下はアーリアの手を掴んだまま、その爽やかで端整な顔にはそぐわぬニヒルな笑みを浮かべた。アーリアはその言葉の意味が全く理解できず、思考回路が故障したかのように停止してしまった。
「え……⁇」
首を傾けたまま固まったアーリアを、ユークリウス殿下は不思議そうに見つめた。
「どうした……?聞こえなかった訳ではないだろう?」
「ユリウス殿下……。しっかり聞こえておりますよ。ただ殿下の仰った言葉の意味が理解できなかったのでしょう」
「なに⁉︎」
ヒースの言う事が正しかった。
『北の塔』から突き落とされ湖に落ちた後、何故かエステル帝国の捕虜となってしまっていた先でその国の皇太子に『嫁に来い』などと言われるとは、アーリアにとって思ってもいない出来事だ。
アーリアにはユークリウス殿下の言葉の意味は理解できても、それを納得し受諾できる理由がなかったのだ。
「アーリア殿……」
「あ、え、ハイ!」
「殿下は貴女を『皇太子妃』に迎えたい、と仰られています……」
「え?何故……⁇ ユークリウス殿下は皇太子でいらっしゃるんですよね?その高貴なお方が、平民出の魔導士であり、しかもこのエステル帝国の者ではなくシスティナの私を……」
全てにおいて理解ができないとはこの事だ。
皇太子はエステル帝国の次期皇帝。帝国のナンバー2。その尊き血の繋がりは遥か何百年も遡る事のできるであろう由緒正しき家系だ。エステル帝国は1000年も昔から大陸随一の領土を誇る大帝国。更にその国の皇太子というのなら国の存続と繁栄の為、その尊き血を未来へ残す必要があるだろう。これはどの国においてもその位階を持つ者にとって大きな責務であり義務だ。
皇太子ならば正妃は元より側室や愛妾など、多くの妃を娶る事を仕事の一部として推奨されているのだ。現にシスティナ国の国王陛下も正妃の他に二人の側室を持っておいでだ。
その皇太子の位にあるユークリウス殿下が自国の姫ではなく、隣国システィナの平民魔導士を娶る必要などない。寧ろそんな事は起こり得ない。お伽話によくある『どこぞの王子に見初められた娘〜〜』というのはフィクションだ。作り話にほかならない。そんな事は五歳の子どもでも知っているではないか。
「何を心配している?ちゃんと『正妃』として迎えてやるぞ?」
「そういう心配はしていません!いや、そうじゃなくて……⁉︎ なんで『愛妾』ではなく『正妃』なんですか⁉︎」
「おお、言い忘れていた。『仮の妃』だ」
「は……⁇」
「殿下……余計に意味が分かりませんよ」
眉根を潜めたヒースが進み出て、ユークリウス殿下から説明役を引き継いだ。
「アーリア殿。貴女の力を貸して頂きたい」
「……どういう意味ですか?私は平民で魔導士。尊き血なんて一滴も流れていません。皇太子殿下の妃をお探しなら、何処ぞの公爵家の姫でもお探しになられたら宜しいのでは……?」
「ただの公爵家の姫ではダメなのです。いえ、勿論然るべき時が来たら血筋の良い姫も迎える事になりますが。ですが今、必要なのは貴女なのです」
「意味が分からないです!だから、それは何故なんですか?」
「こう言ってはなんですが……この先を聞いてしまえば、貴女はここからタダで帰る事ができなくなりますよ?」
「……」
ヒースの忠告にアーリアは押し黙った。理由を聞くことが頼まれ事を引受けることとは同意ではないのだが、聞いてしまえば抜け出せなくなる可能性の方が高い。
今のこの状況でも拒否権がないように見えるが、理由を聞いてしまえば知らなかった事にはできない。自分の身の安全を考えれば、リスクが上がる事は避けたいと考えるのは当然なのだ。
「ヒース、お前は余計な事を……!」
ユークリウス殿下は無許可でアーリアの隣に腰を下ろすと、その細い肩を強引に抱いた。突然の接触にアーリアは肩を震わせる。
「殿下!」
「お前の仲間の命が惜しくば、大人しく俺の命令を聞け」
「!」
「俺の妃となり俺の手助けをするならば、お前の仲間を五体満足で解放しよう」
ユークリウス殿下はヒースの制止を無視しすると、アーリアの耳元で囁くように脅迫した。その声音は先程までよりもずっと冷たく、アーリアの心に深く突き刺さる。
アーリアは震えを押さえて唇をより一層噛んだ。今ここにいないリュゼを想うと胸が押しつぶされそうになった。
システィナ国何十万人もの国民の生命より、たった一人の人間の生命の方が大切に思われたのだ。アーリアの大切な人間はごく限られている。師匠や兄弟子、姉弟子たちを除くと、後はもう数人しかいない。その中でも付き合いこそ短いが、アーリアの中でリュゼが占める割合はとても大きかった。
「リュゼ……」
「どうする?そのリュゼとやらの生命はお前の一言にかかっているぞ?俺の望みを聞くか、聞かぬか。サッサと決めろ」
冷徹なユークリウス殿下の言葉にアーリアは言葉を失った。
安易に答えの出せぬ問い。それがアーリアの心にのし掛かる。『塔』の管理者という立場ならこの誘いには決して乗ってはならない。だがリュゼを大切に想うアーリアとしては、この誘いに乗るしか彼を助け出す術がないのだ。
アーリアは知らずに涙を零していた。
ハラハラと透明な雫がアーリアの膝に落ちてシミを作る。
「ゆ、ユークリウス殿下の、望みを、お聞きします……」
やっとの思いで絞り出した言葉を、ユークリウス殿下とヒースはなんとも言えない表情で受け止めた。それはアーリアに酷い決断をさせた事に自覚を持っていたからだろう。
ユークリウス殿下はアーリアの頬を伝う涙を自分の服の袖で拭った。
「……悪かったな。この話をお前が受けてくれなければ、この先の話が成立しないんでな。強引に言質を取らせてもらった」
「許せ」と言うユークリウス殿下は先程とは違い、その声音に少量の後悔の色を滲ませていた。
アーリアは暫くすすり泣くと、ヒースに話の続きを目線で促した。脅されても何でも、アーリアは自国民の生命よりもリュゼの命を取ってしまったのだ。そしてユークリウス殿下の思惑に乗るしか後がなくなってしまったのは確かだった。
「……貴女と、貴女の護衛の命は必ず保証致しましょう。元よりそのつもりではございましたよ」
「ありがとう、ございます……」
アーリアはヒースの言葉に礼を述べると、ヒースは苦い顔をして話を続けた。
「貴女には皇太子ユークリウス殿下の仮の妃となっていただきます。そして殿下の行う大事業の助けとなって頂きたいのです」
「仮の妃……?殿下の行う大事業とは何ですか?」
「それは……」
「それは現皇帝陛下を帝位から退け、俺が次代の皇帝となることだ」
ヒースの言葉にユークリウス殿下が言葉を重ねた。ユークリウス殿下の瞳には燃えるような熱い決意が込められていた。
※※※※※※※※※※
「帝位簒奪……?でもユークリウス殿下はそんな事なさらなくても、帝位はその手中にありますよね?」
ユークリウス殿下は皇太子だと言う。皇太子は皇位継承権第1位だ。今代の皇帝が崩御ないし退位なされば、自然と次期皇帝の座が手に入る筈だ。それを急ぐ必要などない。寧ろユークリウス殿下が皇帝の弑逆目的なら、そのような事にアーリアが加担するのは流石に厳しい。
ユークリウス殿下の思惑は大罪人の汚名を着てまで為す必要のある事なのだろうか、とアーリアは脳内で何パターンかの可能性を試算した。
「そう。父ーー皇帝陛下が身罷られれば次の皇帝は俺だ。今のところ、な」
「今のところ?」
「ああ。俺には他にも3人の兄弟がいる。またこの国は継承権を持つ者も多い。その中からこの出来レースのトップを走れば良いだけだ……。だが、ここに来てこの皇宮には不穏な空気が漂っているんでな。それも分からなくなってきたが……」
「……?」
「断っておくが父上を弑逆したい訳ではない。そこは心配するな」
ユークリウス殿下の言う意味が分からない。アーリアは首を傾げるばかりだ。皇帝陛下を弑逆せずにその皇位を継承する。つまり穏便に退位して頂きたいのだろうか。
「えっと……そこに何故、私を皇太子妃になさる必要があるんですか?」
「これはお前の為でもあるんだぞ?」
「私の為……?」
アーリアはユークリウス殿下らに自身が両国の間者によって画策された罠に嵌った事を教えられた。システィナを手に入れたいエステルのある貴族官僚の思惑と、『北の塔』の魔女シルヴィアのある思惑により、アーリアはエステルに売られたのだと。
「お前は『北の塔』の魔女の思惑と皇帝陛下の腰巾着の思惑にハマって文字通り落ちてきた」
「シルヴィア様が……?」
「本来、お前は捕らえられた後、皇帝陛下に差し出されシスティナを嚇す人質とされた挙句にライザタニアとの交渉の道具に使われる筈だったのだ」
「ーー‼︎」
「そこを俺が掻っ攫った。運が良かったな!感謝しても良いぞ?」
「冗談じゃない!」とアーリアは掌を固く握った。あったかもしれない未来を想像し、想像身の毛がよだった。それもその筈、自分が戦争の道具にされようとしていたのだ。それもエステルとライザタニア、システィナの三ヶ国に跨って。
エステルは未だしも『東の塔の魔女』がライザタニアなどに身柄を渡されでもしたら、システィナは窮地に立たされるだろう。前面戦争は免れない。そこにエステルまで加わればシスティナに勝ち目はない。
「俺としてはシスティナやライザタニアとの戦争などしたくは無いのだ。ましてシスティナを落とす為にライザタニアなどという蛮国と組むなどっ……‼︎」
ユークリウス殿下は己の身体を両腕で抱いて身震いした。その顔には苦虫を噛み潰したような表情を見せている。
アーリアがヒースへと顔を向けると、ヒースも首を竦めて「彼の国とは価値観が果てしなく合わないのですよ」と苦笑して言った。
アーリアには国家毎の特色の違いについては一般的な知識しか持ち合わせていない。ライザタニアについては『軍事国家』という面が強く、それ以外では遊牧の民がいること、乳製品の需要が多いこと、軍隊が政に幅を利かせていること、くらいしか知らない。
「兎に角、『俺は』ライザタニアやシスティナと事を構えたくはなかった。だから不穏な動きのある者をヒースにつけさせ、捕虜にされかけたお前を無理矢理引き取ってきた、という訳だ」
「しかも貴女には精霊を魅る瞳をお持ちでしたので、これは我々の計画にも実にピッタリな方だと……!」
「ついでに我々の計画に貴女を起用する事にしたのですよ」と続くヒースの言葉にユークリウス殿下は強く頷いた。
元々、ユークリウス殿下は自分の手足となるような姫を欲していたのだそうだ。その姫の条件は『精霊が見える瞳を持つこと』、『魔法士であること』、『殿下を決して裏切らないこと』、『実家に泣きつかないこと』などが挙げられていたそうだ。この条件を満たした者は殿下の共犯となって以降、皇太子宮から出ることはならず、不平不満を身近な者に漏らしてはならないという厳しい条件だった。
こうなってくると普通の貴族の娘、深層の姫では条件の合う者がおらず、自然と計画が頓挫していた所に降って湧いたシスティナの魔女。
「つ、ついで……」
皇太子が保護した機転は良いが、エステル帝国の者がシスティナの『塔』の魔女を拉致監禁した事実は変わらない。今後、何という名目でシスティナへ送り返すと言うのか。謝罪のみで済む訳はない。ギクシャク通り越してまともに交流など出来ず、その内戦争にまで発展しかねないではないか。
元より捕獲を命じていた何者かは皇帝陛下に差し出す事を前提としていたので、戦争する事は元より覚悟の上だったのだろう。そしてそれ以外の事態まで想定していなかったに違いない。
「全く、我が国の者が仕出かした事とはいえ、頭の痛い事です……」
「全くだ。……だからお前は俺の側以外、この国では生きて行けぬと思え。事が収まれば俺が何とかしてシスティナまで送り届けるから、それまでの期間、俺の力となってくれ!」
ユークリウス殿下はアーリアの頭をぽんぽんと叩くと、その顔にニヒルな笑みを浮かべた。顔の造形は美しく見た目だけなら『皇子様』であるユークリウス殿下は、このような表情をすると途端に悪戯を考える少年のように見えてしまうので不思議だ。
「ユークリウス殿下、助けてくださって、本当にありがとうございました。暫くお世話になります」
「なぁに、これからお前には色々働いて貰うからな。それに比べればどうと言うことはないさ」
湖で溺れ、低体温症で意識のないアーリアに治療を施したのもユークリウス殿下だとヒースに聞き、アーリアは再び頭を下げた。ユークリウス殿下はエステル帝国随一の治療系魔法士なのだそうだ。
アーリアと共に寝台で横になっていたのも治療の内だったのだろうか、とアーリアは首を捻ったが、すぐに深く考えないことを決めた。
「細かい打ち合わせは後にしよう。先ずはお前の騎士を引き取りに行こうか?」
「彼は未だ牢に入れられていますからね?急ぎませんと……」
ユークリウス殿下の提案にアーリアはその瞳を輝かせた。
「来い、アーリア」
「はい、ユークリウス殿下!」
アーリアの元気の良い返事にユークリウス殿下はニヒルな笑みを浮かべ、こう宣った。
「ユリウスと呼べ」
お読み頂き、ありがとうございます!
ブックマーク登録等、本当に嬉しいです!これからも、皆さんの応援を励みに頑張ります。
ユークリウス殿下とヒースの企みはまだまだ奥がありそうですね?鈍臭いアーリアが嵌ったのは湖ではなく底なし沼かもしれません。
次話もどうぞご覧ください!




