北国の皇子2
ー寒いー
芯から冷えた身体は悲鳴をあげている。指先は愚か、身体の感覚が麻痺しているかのように動かない。唇の隙間からカタカタと歯が擦れる音が漏れる。体内から吐かれる息も冷たく感じた。
するとフワリと身体を包まれた。
包まれた直後は寒さは消えなかったが、暫く経つとじわじわと暖かな温もりが生まれてきた。
「子猫ちゃん……」
どこかからリュゼの声が聞こえてくる。その声には怒気などなく、アーリアの身を案じる優しいものだ。その声音は心にじんわりと染み込んでくる。知らず瞼の端が涙で滲んでいった。
ごめんねリュゼ。また失敗してしまった。上手く立ち回れなかった。
こんな事なら『北の塔』になどに来なければ良かったのだ。周りの人間の顔色を伺って、状況に流され、遂にはこんな所にまで来てしまった。自分はーーいやリュゼもこの訪問には初めから否定的だったではないか。それなのにリュゼは自分に付き合ってこんな所まで一緒に来てくれた。にも関わらずリュゼを厄介事に巻き込んでしまった。
「ごめ……リュ……」
謝罪など意味のないことだと分かっている。でも今は心からリュゼに詫びたい。それしか、今の自分にできることはないのだからーー……
※※※※※※※※※※
扉のノックする音。次いで入室の許可を求める声に、室内にて執務机で大量の書類に目を通していた青年はすぐさま許可を出した。
「失礼します、ユリウス殿下」
「……どうした、ヒース?」
ユリウス殿下と呼ばれた青年は銀の髪を揺らし、目の前の書類からその美しい紫の瞳を入室した薄灰色の髪の青年ーーヒースへと向けた。
「あの男の息のかかった騎士たちに紛れ、システィナとの国境へと行っていたのではなかったのか?」
ヒースはユリウス殿下の命でシスティナ国との国境ーーユルグ大山へと向かっていた。大山から帝都ウルトまでは飛竜を翔ばしてで約半日。『精霊の道』を開けば一刻も掛からず帝宮へと着ける。
システィナ国との国境、大山で何らかの事件が起こるという噂を嗅ぎつけたユリウス殿下は、ある男の息のかかった騎士たちにヒースを紛れ込ませ、大山へと向かわせていたのだ。
「はい。実はそこで二名のシスティナ国の者を捕らえて参りました」
「『捕らえ』て……?システィナ国の者をか⁉︎」
ヒースの言葉にユリウス殿下は眉根を潜ませる。
「はい。どうやらあの男の手の者はシスティナ国の者と通じ、『北の塔』を落とそうと画策していたようなのです」
「ああ……その噂、耳にした事がある。『北の塔』の魔女に暗示をかける……とかなんとか?魔法のみならず魔術をも浸透しているかの国の魔導士相手に上手くいくものなのか、と思ってはいたのだが……。もしや捕らえたというのは『北の塔』の魔女なのか⁉︎」
北の大国ーーエステル帝国は『精霊信仰』が深く浸透する魔法国家だ。システィナ国のように『魔法』と独自に発展させた『魔術』を両方使い分け、魔宝具を生み出す『魔導士』なる者がいる国とは生活感そのものが異なる。
システィナ国は西方を広い外海に接し、貿易が盛んに行われている。その為他国との交わりが大変深い。そもそもの成り立ちが様々な民族と文化が寄り集まり建国した多民族国家なのだ。そういう建国の経緯もあり、魔法や魔術も文化同様、様々な地域から混ぜ合わさるように入り込み、その後独自に発展したのがシスティナだ。
一方エステル帝国は大陸の様々な国に侵略をかけては吸収してきた経緯があるが、システィナ国のように他国の文化や習慣、魔術等を取り入れることはなかった。その理由は『精霊』を神の使徒として崇める信仰が根強く浸透しているからに他ならない。エステルの人々は『精霊』を崇め、その力を貸りて使う『魔法』に盲目的なまでの信頼を寄せている。それに対し『魔術』などという人間の創りし術など、エステルの人々にとって到底受け入れられるモノではなかった。
エステル帝国がシスティナ国に対しこれまで侵略行為を渋って来たのには、そのような理由も多く含まれる。侵略した後、自国の信仰が崩れる可能性があるからだ。
「いえ……『北の塔』の魔女ではございません。『北の塔』の魔女が塔から湖へと突き落とした少女とその護衛です」
「突き落とした?あの塔の上からか……⁉︎ その口ぶり、一般人ではないのだな?」
「『塔』には関係者しか入れませんからね。まぁ会って頂ければ分かるかと……」
「会おう!その者たちは何処にいる?」
「牢です」
ユリウス殿下は立ち上がると、ヒースを伴って執務室を出た。ヒースは部屋を出ると執務室を守る二名の騎士に厳しい視線を向けた。ヒースの目線を受けた二名の騎士は固く頷くように合図を寄越した。
牢へと向かう道すがら、ヒースはユリウス殿下にある『願い』を申し出た。
「殿下にお願いしたい事があるのですが……」
「なんだ?今日のお前は随分と歯切れが悪いな、ヒース」
いつもの怜悧な思考の持ち主であり、己の右腕でもあるヒースの歯切れの悪い言葉の数々に、さすがのユリウス殿下も疑問の声をあげた。
ユリウス殿下の釣り上がる眉根にヒースは肩を少しだけ潜めた。
「捕らえた者のうち一人は少女でもう一人はその少女の護衛なのですが、少女の方が湖に落ちた後、低体温症に陥り未だに意識が戻らぬのです。それでその者たちを捕える際に、少女の護衛に『娘の容体を診る』事と『娘を決して傷つけない』事の二点を約束したのです」
「ほう……で?」
「治癒に於いてはこの国で並ぶ者のない殿下に、その少女を診て頂きたいのです」
ヒースの言葉に裏がないのを読み取ったユリウス殿下は暫く考えを巡らせた。ヒースはユリウス殿下の乳母兄弟にして近衛に身を置く騎士だ。しかも近衛第8騎士団を率いる隊長でもある。
エステル帝国において第8騎士団は魔法と剣術とを合わせ持ちて闘う国唯一の『魔法騎士』だ。その実態は秘匿され、表面上は普通の騎士団と同じ扱いを受けている。が、しかしその実、所属人数や部隊編成、任務携帯等、その実態は限られた者しか知らぬ機密性の高い騎士団であった。そしてその第8騎士団の今代の主は皇太子殿下であった。
その騎士団に於いても頭脳派と呼ばれるヒースが、主を差し置いて捕らえた者と取引したという。そこに何の意味もない筈がない。
「……お前が何の計算も打算もなくそのような事を口約束してくる訳はないな。……その少女にはそれほどの価値があるのだな?」
「はい」
「よかろう。その娘を診よう」
ユリウス殿下はヒースの申し出に承諾し、足早に牢へと向かった。
帝宮の牢は騎士団の管理する石造りの建物内にあった。
昨今の牢は清潔感を保っている。一昔前のように埃に塗れ、下水の垂れ流す様な不潔な場所ではない。牢は一般的な屋敷の部屋のように広く、ある程度の家具も配備されている。掃除は行き渡り、水回りは特に清潔に保たれていた。
それは帝宮に捕らえられる罪人とされる者の殆どが政治犯ーーつまり貴族や王族だからだ。貴族は普段、多くの者に傅かれ何不自由なく生活を送っている。そのような者がいきなり身一つで清潔感皆無の牢などに入れる事はできない。また不潔な場所では病気にもかかり易く、それはすぐに蔓延する。その様な事態を防ぐ目的もあり、帝宮の牢はこのような造りとなっていた。
「ほう、これは……」
ユリウス殿下がヒースを引き連れて赴いた牢の中には二名の人物がいた。
一人は二十歳そこそこの青年だ。この青年が少女の護衛だろう。そしてもう一人はその青年の腕の中で力なく目を閉じている白き髪の少女だった。
青年の髪の隙間から覗く琥珀色の瞳は、射抜くようにユリウス殿下を見定めた。青年は殺気を隠そうともせずヒースを、そしてユリウス殿下に対し警戒心を露わにした。
ユリウス殿下はそれに別段気を悪くした様子もなく、青年の胸にぐったりと身体を預けている白き髪の少女に目を留めた。
「成る程な……」
「はい。間違いございません……」
ユリウス殿下は何かに気づいた様子で、眉根を上げると意味深な言葉を紡ぐ。それに対しヒースも同意を見せた。
「何が『間違いない』のかな?ヒースさん……」
琥珀色の瞳の持ち主ーーリュゼは自分とアーリアを捕らえ、ここまで連れてきた騎士ーーヒースに向かって冷ややかな目線を送った。
「何でもございませんよ。貴方のお嬢様を診察してくださるお方をお連れしました」
「へぇ……『お方』ねぇ。その如何にも高貴な雰囲気を纏ったお兄さんに『診察』なんてできるの?」
リュゼの言葉に「無礼な!」という類の叱責の声はない。寧ろヒースもその主であるユリウス殿下もリュゼの警戒心は最もだと感心したくらいだった。
リュゼはアーリアの護衛。その身に何があろうともアーリアを守る役目がその身には課せられている。それは騎士が主を何を於いてでも守る事と同一なのだから。
「我々に対して警戒するのは当然のこと。貴方はそのお嬢様の唯一の護衛なのですから」
ヒースの言葉にリュゼはアーリアを抱く腕に力を込めた。アーリアは相変わらず意識が戻らない。湖に叩き落とされてから既に半日が経とうというのにだ。弱々しいものだが確かに鼓動もあり、身体の温度も徐々に上がってきてはいるものの、未だに意識は混濁したままだった。
「この方はこの国で最も治癒に長けたお方です。安心してください。私は貴方に主に忠誠を誓う騎士として約束しました。『この娘を傷つけることはない』と……」
「それはヒースさんと僕との約束であって、そちらのお兄さんとした約束ではないでしょ?」
「確かに……ですが……」
「なんだ、貴様、俺が信用ならんか?」
ヒースの言葉を遮ってユリウス殿下はリュゼへと言葉を投げかけた。その口調は王族としてはやや砕けた物の言い方だった。
急に口を挟んできた高貴な身なりの青年に、リュゼはほんの少し眉を潜めた。
「そりゃあねぇ〜〜。ここは『敵国』エステル帝国だよ?」
リュゼの棘ある言葉に何故かユリウス殿下は口角を上げた。
リュゼはユルグ大山の麓の洞窟で捕らえられ、ココへ連れて来られる時に通った『精霊の道』について思い出していた。魔法士が精霊に呼びかけにより通じた『精霊の道』ーー通常は人間が利用する道ではないーーを人間が利用し、遠距離を一瞬で移動する術があるなど知らなかった。これには流石にリュゼも内心驚愕していた。
そしてその道を通ってきた先にあったのはシスティナ国の隣国、エステル帝国の帝都ウルトにある帝宮だったのた。
リュゼも洞窟で襲われた際、自国の騎士ではない事は薄々分かっていたが、まさかエステル帝国の近衛騎士だとは思うまい。近衛騎士は一般騎士とは存在意義がまるで違う。近衛とは王と王家専属の騎士なのだ。町や国を守る一般騎士とは役割が異なるのだ。
そのエステル帝国の近衛騎士は一個分隊を率いて、隣国システィナ国の国境付近でアーリアとリュゼを捕らえる為に待ち構えていた。このように可笑しな事などあるものか。それが意味する事とは、システィナ国の誰かが自国の情報をエステル帝国の上層部に流していたとしか考えられないという事なのだから。
そして囚われた先で近衛騎士を伴って現れた高貴な雰囲気漂う美青年。誰にだってこの人物が誰かなど予想つくというものだ。
「僕たちーーいや、この娘はシスティナ国からエステル帝国に引き渡された。誰かの思惑で。で、そこに現れた高貴なお兄さん。こんなに揃っていて警戒しないワケないよね?」
「そうだな。だが、俺はその思惑なんぞ知らんぞ?」
「トボけちゃって!」
「何故、貴様はそう思う?」
「お兄さんは思惑を『知らない』んじゃない。思惑に『確信を持ってる』んでしょ?」
「ほう……」
これだから貴族とか皇族ってヤツは!とリュゼは嫌味に呟いた。リュゼの思考の速さにユリウス殿下は笑みを浮かべた。それはそれは嬉しそうなその笑顔は、ヒースですら久しく見ていない類いのものだった。
「気に入った。貴様、混在のシスティナ産のクセになかなか頭が回るではないか?」
「馬鹿にしないでよね⁉︎ システィナは魔導士生産国だよ?『精霊信仰』が根深すぎて未だに魔法しか使ってない排他的なエステルの王族に言われたくないね!」
「言うじゃないかっ!それを盲目的な信者共に聞かせてやりたいところだ。さぞ面白い一幕になるだろう」
リュゼとユリウス殿下のやり取りに若干ヒヤヒヤした様子で見守っていたヒースは、苦笑しながらも頬をかいた。どちらの言い分にも理解できり点があったからだ。
「まあ、そんな魔法士に貴様は負けるのだがな?」
「何を……っ⁉︎」
リュゼがユリウス殿下の不穏な言葉に身構えようと動いた時、足が凍ったように地面に縫い付けられ、全く動かなかったのだ。足元に視線を送ると、なんと自分の足が氷の膜に覆われているではないか。しかもその氷の覆う範囲は足元、足首、脹脛、膝、とジワジワと広がりを見せている。
「くっそ……!」
「ーその姿は静にして動ー」
低い声が牢屋内に朗々と響き渡る。ユリウス殿下の言の葉に呼応するように、リュゼの足元を、そして腕をも凍らせていく。
「失礼しますね?」
「ーーーー‼︎」
ヒースはリュゼに近づくと、その凍った腕から滑り落ちそうになっていたアーリアを受け取った。リュゼは歯を食いしばり何とか身体を動かそうと動こうと試みたが、それは叶わなかった。
「心配するな。この娘を傷つけることはない」
ユリウス殿下は屈辱に顔を歪ませるリュゼにそう言い放つと、颯爽と牢から出て行った。その後をアーリアを横抱きに抱えたヒースが続く。
「ー水は大気より流れいでー」
扉の閉められた牢の外からユリウスの言の葉が謳われると、身動きできぬように留めていたリュゼを覆う氷がゆるゆると溶け出し、空気に蒸発し消え去った。
拘束を解かれたリュゼは、その表情を歪めて膝から床へと崩れ落ちた。
「くそッ……アーリア……!」
誰も居なくなった牢の中には、リュゼの悔しげな言葉が虚しくこぼれ落ちた。
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ユリウス殿下のご登場です!
彼はアーリアとリュゼの敵なるのか味方になるのか……?
次話もどうぞご覧ください!




