第08節 彩乃と夏希
「佐藤くん、大丈夫……?」
試合が終わり、グラウンドの片隅でサイバイマンにやられたヤムチャのようになって横たわっていると、小早川さんが心配そうな表情でやってきた。
「だ、大丈夫、全然平気さ」
上半身を起こし精一杯強がってみせる。
左足がありえない方向に曲がっている気がするが気のせいだろう。うん、気のせいに違いない。
「よかった……。すごい勢いでタックルされていたからビックリしちゃって」
彼女はホッと胸を撫で下ろした。
「それにしても、男の子の体育ってやっぱりスゴイね。女子とは迫力が全然違うもの」
ハハハ……。
相槌をうち、乾いた笑みを浮かべる。
今回は特別だと思う。ていうか、今回だけにしてください。こんなのが続いたら身がもたない。
「そ、それより、小早川さんの試合はもう終わった?」
「ううん、次の試合だからもうすぐだよ」
「じゃあもう行かないと、応援に……イテテッ!」
立ち上がろうとすると左足に激痛が走る。
「だ、大丈夫? やっぱり保健室に行ったほうがいいよ! わたし、付き添うから」
小早川さんは俺の腕をとり、腕と脇の間にその体を差し入れた。
ぷにゅ。
む、む、む、胸が、胸が、胸があたっとるーーーー!
「じゃあ、行くよ。せーの。んー!」
彼女は俺を立ち上がらせようと力をこめるが、肝心の俺が軟体動物みたいにふにゃふにゃになってしまい、立ち上がることができない。
ああ……この柔らかな感触が脳を刺激し、頭の中が蒸発しそう。
だ、だめだ……このままでは意識がとんでしまふ。
「す、少し休んだら回復するから。気にせず戻って」
「そんなのダメだよ。だって、いますごく辛そうな顔しているじゃない!」
顔がにやけそうになるのを必死にガマンしているだけだから!
「大丈夫。そいつは見かけによらず頑丈だから――」
顔をあげると夏希が呆れ顔で立っていた。
「瑞沢さん……」
突然の夏希の出現に小早川さんは困惑の色を浮かべる。
「試合始まっちゃうよ。ほら、みんな待ってるからさ」
夏希はバレーコートのほうを指さす。コート上では女の子たちが退屈そうにしていた。
「あ、ごめんなさい。で、でも」
「拓也は昔から無茶ばっかりしていたから、その程度の怪我どうってことないって」
その無茶をさせたのはどこのどいつだ! というセリフを飲み込む。
「もう、いい加減シャキっとしなさい。みっともない」
夏希は俺の額にデコピンを入れた。
「ちょっとは怪我人をいたわれよ!」
「そんな口がきけるなら平気でしょ。小早川さんは返してもらうわよ。さ、行こっ」
夏希は小早川さんに手を差し出した。彼女は逡巡し、俺の顔を心配そうに窺う。
「大丈夫だよ。行って。ここで応援しているから」
その言葉でようやく諦めがついたらしい。彼女は小さくため息をつき、そっと体を離した。ちょっと、いやすごく名残惜しい。
「瑞沢さん、ごめんなさい。お待たせしました」
「謝らなくてもいいって。拓也はそこでおとなしくあたしたちを応援していること」
「すぐに戻ってくるからね」
二人はそれぞれそう言い残すと、バレーコートのほうへ駆けていった。
すぐに戻ってくるとの宣言どおり、二人のチームはあっという間に勝利を飾った。
対戦相手であるうちのクラスのチームには、何人かバレー部員がいたのだが、正確無比な小早川さんのサーブと、女子離れした跳躍力から繰り出される夏希の殺人スパイクを武器に終始圧倒していた。とくに夏希の破壊力は凄まじく、総得点の八割近くをひとりで叩き出していたと思う。恐ろしいやつだ。
二人は肩を並べて、意気揚々と俺のもとに舞い戻ってきた。
「見た!? 見た!? あたしの大活躍を!」
夏希はどんなもんだと。ない胸を張る。
「ああ、なんか対戦相手が気の毒だったぞ」
「ホント、凄かったね。なっちゃんのスパイク。ブロックなんかお構いなしなんだもの」
「いや~、あやのんのトスがいいからだよ。欲しいタイミングでいいところに来るのよ!」
なっちゃん!? あやのん!? どうやら試合中に友情が成立したらしい。俺だって、あやのん、タクくんとか呼び合いたいよ!
「あ、それより、佐藤くん。怪我のほうは平気? まだ痛む?」
「気にしなくたって大丈夫、拓也は頑丈なとこだけが取り柄なんだから」
叩こうと伸ばしてきた夏希の手をヒラリと躱す。
「ほらね。大丈夫でしょ」
「お前なあ、少しくらい優しくできんのか」
「ダメダメ、すぐつけあがるから」
昨日は保健室に連れて行ってあげるとか言って散々構ってきたくせに。
こいつはいつだって気まぐれだ。その時の気分しだいでコロコロ態度が変わる。
「二人は仲がいいね。小さい頃からのお友達なの?」
「どこが!」
小早川さんの言葉に俺と夏希は一斉に叫んだ。
小早川さんはまったく動じず、下唇に指を当てて、俺と夏希を交互に見つめる。
「とっても仲よしに見えるけど。付き合いが長いんだなあって感じがする。それになっちゃんって、他の男の子には苗字にくん付で呼んでいるのに、佐藤くんのことだけは名前で呼んでいるし」
よ、よく見ている……。
「家が隣同士で付き合いが長いってだけで、特別仲がいいとかじゃないから!」
夏希はあたふたと手を振りながら反論し、俺もただの腐れ縁だと同調する。
「そんな照れなくてもいいのに。でも、うらやましいな。わたしには二人みたいに仲のいいお友達っていないから」
小早川さんはちょっと寂しげに笑った。
そう言われてみると、彼女が誰かと親しげにしているところって、見た記憶がない。遠足のときの写真もすべて一人。男からすると、彼女くらい美人だと、高嶺の花すぎて、ちょっと近づきがたいオーラを感じるのは確かだ。
俺自身、彼女のことをずっといいなあと思いつつも、昨日までは遠くから眺めていることしかできなかったわけだし。これが女同士の場合は、やっかみとかもあるだろう。女子の間でもちょっと浮いてしまう存在なのかもしれない。
「何いってるの。あやのんにはあたしがいるでしょーが!」
いきなり夏希が、ぎゅーっと小早川さんに抱きついた。
「ひぃあっ」
小早川さんは彼女らしからぬ素っ頓狂な声をあげた。
どう反応をしたらいいのかわからないといった様子で、耳まで真っ赤にして俯き、夏希にされるがままになっている。
夏希はその反応を見てますます調子にのった。さらにベタベタとくっ付き、あろうことか、彼女のふくよかな胸に手をのばした。
「ひゃっい!」
小早川さんが短い悲鳴をあげる。
「大きいとは思ってたけど。やっぱり大きい……」
夏希は芸術品でも扱うような顔つきで彼女の胸の感触を確かめる。
な、な、な、なんて、うらやまけしからんことを! まったく、これは眼福……。じゃなかった。目に毒すぎる。
「やめんか、このセクハラ女が!」
堪らず夏希の肩をつかんで引きはがす。
「なによ。女の子同士の軽いスキンシップでしょ。邪魔しないでよ」
「お前がやるとエロオヤジにしか見えねーんだよ!」
尚も取りつこうとする夏希の首ねっこを押さえつけ、小早川さんのほうに向き直った。
「こんなやつだけど、よかったら仲良くしてやって。悪いやつではないから」
「こんなやつとは、ひどい言いぐさねえ。あたし、これでも結構モテるのよ」
「女の子にはな」
俺たちの軽口の応酬を傍目に、小早川さんは喜びをかみしめるように唇をほころばせた。
「あ、ありがとう。とっても嬉しい……」
「も~、ありがとうなんて言わないの! あたしが仲良くしたいだけなんだから!」
夏希は俺の手をはねのけると、再び小早川さんに抱きついた。
「ご、ごめんなさい」
「ごめんもなし!」
「あ、うん」
「よしよし、よく言えました。ご褒美にモフモフしてあげよう」
夏希は再び小早川さんにベタベタしだす。小早川さんは、相変わらず真っ赤なままだったが今度は嬉しそうだ。
まあ、なんにしてもよかった。
夏希は一度自分が守ると決めればとことん面倒を見る親分肌なやつだ。クラスで小早川さんが寂しい思いをすることはもうないだろう。めでたしめでたし。
……なのだが。ちょっと、くっつき過ぎやしませんか?
「ええ~い。いい加減あやのんから離れろ!」
俺の言葉に小早川さんはハッとした。
「あやのんですって~?」
夏希はニヤニヤと嫌な視線を送ってくる。
「ご、ごめん。つい……」
ドサクサに紛れて言ってしまった……。だって付き合っているんだから、いつまでも小早川さんじゃ他人行儀じゃないですか!
頭をかくと、小早川さんは小さく首を振った。
「謝ったりしないで、嬉しいんだから。でも、佐藤くんには彩乃って呼んでもらえたほうが、もっと嬉しいな。そう呼んでもらってもいい……?」
「も、もちろん!」
首をぶんぶんと縦に振って答えると、小早川さんは、じゃなかった、彩乃は頬をほんのりと染め、長い髪をかきあげた。
殺人的だ。心臓が止まりかねない。
「じゃあ、わたしもこれからは拓也くんって呼んでいい?」
「ぜひ! ぜひともそう呼んでください!」
「何で敬語になってんのよあんたは……。焦りすぎだっての」
「う、うるさい! 外野!」
「が、外野ですって!? あんたなんかにあやのんは渡さないわよ!」
夏希はライバル宣言をすると、俺の視界から隠すみたいに、彩乃に覆いかぶさった。
「おい、彩乃が見えないだろうが!」
夏希の体をどかそうとするが、やつは見事なスクリーンアウトで俺を阻む。ふぬー!
「おっほん!」
激しいポジション争いを繰り広げていると、わざとらしい咳払いが背後からした。
振り返ると憮然とした顔の太田。
「お楽しみのところ悪りぃけどよ……。俺たちの次の試合が始まるぞ」
「そ、そっか。すまん。すぐ行く」
太田に声をかけ、再び彩乃たちのほうに向く。
「じゃあ、行ってくる。またお昼休みに」
「うん。試合がんばってね。応援しているから」
「あやのんをあたしに取られたくなかったら、いいとこ見せなさいよ~」
「おう。任せとけ」
拳を軽く上げて二人に応えると、太田の後を追って駆け出した。
さっきの試合はあまりの戦力差と敵の集中砲火により、活躍するどころではなかったが、次の相手は同じ文化系同士。俺にも活躍するチャンスは十二分にあると見た。いや! 今度こそ彩乃の前でいいところを見せてみせる!
……はずだったのだが。
なぜか、B組体育会系軍団が不敵な笑みを浮かべ、フィールドで待ち構えていた。
お前らさっき試合したじゃん!
一番でかくていかつい岩みたいな男が拳をポキポキ鳴らしながら静かに口を開く。
「さあ、第二ラウンドといこうか。タークーヤーくん」
ノーサイドにしません?




