第36節 夏希クライシス
『祝! インターハイ出場! 女子バスケットボール部』
屋上から吊られたデカい垂れ幕が、通学路の長い坂をのぼりきった俺の視界に飛び込んできた。風に吹かれてパタパタ揺れている。
「も、もう、こんなものが……。昨日決まったばかりなのに……」
戸有高校女子バスケットボール部は、優勝候補の天宮学園を倒した勢いのまま決勝リーグも全勝、見事インターハイ初出場を決めた。
死力を尽くしたあと嘘みたいにボロ負け……って展開を期待してたんだが。なんなんだよ、昨日なんか百点ゲームで相手をボコボコにしやがった。
「すごいね。もう学校中の期待の星って感じ」隣で彩乃が目を細める。
「美咲によると、来年の新入生募集のパンフに、天宮との試合での夏希のラストショットの写真を使うそうだよ」
「うん、なっちゃんから聞いた。すごいね」
『あたし目当てに多くの生徒が集まっちゃう。もう困っちゃうなー』スター気取りになって自慢してくる夏希の姿が目に浮かぶ。
「おっはよー。あーやのん」
悪魔の声が聞こえる。いつの間に……さては、俺がこの垂れ幕を見るのを見計らってやがったな!
「おはようございます。先輩方」萩原さんも一緒だった。試合の疲れなんて微塵もない爽やかな声。
「二人ともおはよう」彩乃はニコニコと返す。
「拓也もおはよっ」
「お、おはよう……」視線を合わせないように挨拶する。
「もーこんなすがすがしい朝だってのに元気ないなー。そんなんじゃ――」夏希は邪悪な笑み。
「チアなんて、つとまんないよ」
こ、この鬼!
「フリッフリの衣装を用意してあげるからさー。全国ではバッチリ応援してよね。気にしなくても大丈夫。いまは多様性の時代だから! 男がチアの格好したって全然オッケーだって。ほら、ついこないだもどっかの大学の助教授が女装で女子更衣室に侵入して捕まったってニュースやってたし!」
そのニュースのどこが大丈夫なんだ。
「ねえ、なっちゃん。やっぱりわたしじゃダメ? チアリーダーならわたしがするから……」
夏希はチッチッチと指を振る。
「ダメダメ。たしかにあやのんのチアリーダー姿は男子を大いに喜ばせると思うけどさ。自分の賭けの負けを彼女に負わせるって、それどこのダメ男よって話じゃない? まさか、拓也がそーんなことをあやのんにさせるわけないよね?」
「と、とうぜんだろ! この負けは俺の負けだ」
「うんうん。そーでなくっちゃ」夏希は満足げに笑うと、またねと手を振って校舎へ駆けていった。
「そんな賭けをしていたんですか?」
萩原さんが真顔で俺を見る。視線が痛い。
「ま、まあね……」
ちなみに昨日の結果を受け、美咲からは今後一切学内では話しかけないようにと厳命されている。登校時間もずらされているし。
「そういうことだったんだ。決勝リーグに入ってからの夏希センパイ、妙に相手チームのチアの子たちを気にしてて。“あの衣装どう思う、似合うかな”って何度も。てっきりチアをやってみたいのかなって。すみません、キュート系のコスを勧めちゃいました」
「いや、萩原さんが謝ることじゃないって」
手を横に振って見せる。
「拓也くん。やっぱり私がするって、もう一回お願いしてみるね」
「いや、彩乃にそんなことさせられない。これは俺と夏希の賭けの結果なんだから」
というか、俺は彩乃のチアリーダー姿を他の男どもに見せたくはないのだ。
こうなりゃチアでもメイド服でも、なんでも着てやろうじゃねーか! もう半ばやけっぱちだ。
――ところが二週間後の昼休み、奇跡が舞い降りた。
「えっ! チアをしなくてもいい!?」
「ま、まあ、ね。子どもじゃないんだから。本気でそんなことさせるわけないじゃん」
そうは言いつつも、夏希は苦渋に満ちた顔をしている。
「よかった。なっちゃんがそんなこと拓也くんにさせるわけないって信じていたよ」
彩乃は安堵の表情を浮かべる。
「何をさせるつもりだ? お前の性格は承知している。俺に情けをかけるわけがない」
「……さすが、話が早いわね」
夏希は鞄から四つ折りにした紙を数枚差し出した。
30、32、35、31、31。三国志ゲーの張飛の知力のような数字が並ぶ。期末テストの答案用紙だった。
「べ、勉強手伝って……」
夏希は屈辱にまみれた顔でうなだれた。
「なるほど、追試か」
「うん……。来週の追試で全教科クリアしないと、夏休み返上で補習だって潤子ちゃんが」
「潤子先生、ああ見えてキビシーからなあ」
何にしても助かった。こいつがバカで!
「でも、俺でいいのか? きっと彩乃のほうが教え上手だと思うぞ」
「だからさ、あやのんにも手伝ってほしいんだ。あやのん、いい?」
「うん、もちろん」
「ってことは科目で分担するわけか。なんか結果にバラツキが出そうだな」
どの科目とっても俺は平均点、かたや彩乃は学年トップ。
「ちがうちがう。一緒にあやのんから教わってほしいの」
「は? どういうことだ?」
「つまり。二人であやのんから教わって、拓也が理解できる問題はあたしも解く。拓也が詰まる問題は捨てる。それで平均点は取れるでしょ。あたし、拓也の平均点を取る能力だけは認めてるから」
「なんだよ、そのマヌケな役目」
「あたしには時間がないの! 考えてもわかんない問題に時間をかけらんないのよ!」
夏希は拳を固く握りしめ、力説する。
そーいうことを思いつく頭の一部でも勉強に使っていれば、答案がこんな真っ赤に染まらずに済むだろうに。
「わかったよ。手伝ってやる」
「サンキュ。じゃあ、さっそく今日の放課後からお願い。あやのんもいい?」
「うん。大丈夫だよ」
「部活はいいのか?」
「うん。しばらくは学業優先ってことで! ……ていうか出入り禁止」




