第37節 彩乃の初体験
その日の放課後、俺たちは三人揃って駅前のファミレスまでやって来た。窓際のテーブルに、先生役の彩乃を頂点に、二等辺三角形になるように座る。
「本当に、ここで勉強するの?」
彩乃は落ち着かない様子で店内を見回す。こういう場所に慣れてない感じだ。放課後に制服姿のままでファミレスっていうこと自体が未体験なんだろう。
「図書館とかのほうがいいんじゃないかな?」
主婦グループが大声で井戸端会議中。たしかに勉強向きじゃない。
「図書館だと飲み物厳禁でしょ。今の時期、水分補給は大事だかんね。それに静かにしてないといけないじゃない」
主に後者がファミレスを選んだ理由と思われる。最初から雑談する気満々じゃねーか。
「ファミレスだと、ドリバだけで居座れるしね」
「ドリバ?」彩乃が小首をかしげる。
「ああ、ドリンクバーのことね」
ドリンクバーと聞いても彩乃はまだ腑に落ちない顔だ。
「あやのん、ひょっとしてファミレスは初めて?」
「そ、そんなことないよっ! わたしだって、ファミレスくらい来たことあるよ! ドリンクバーって、あれだよね、あれ……」
俺たちの反応を見て、彩乃はションボリと肩を縮めた。
「ごめんなさい。見栄を張っちゃった。こういうお店に来たのは初めてで」
ファミレス自体が初体験だったか。
「そ、そんな気にすることないって。たかがファミレスに来たことないくらい。ね、拓也!」
「そうだよ。五教科赤点のほうがよっぽど恥ずかしいから!」
「うんうん。そのとーり! うん? ちょっと! 余計なことを言わない!」
「テストの点数より、社会経験のほうがずっと大事だと思うけど……」
これが彩乃以外のセリフだったら、上から発言と受け取られかねないところだが、こと彼女の場合100パーセント本心だ。成績優秀、容姿端麗、品行方正、さらに家柄もいいというチートにも関わらず、彩乃は同世代の普通の子たちがするであろう経験をほとんどしてこなかったことに対してコンプレックスを抱いているのだ。
「ちょうどよかったじゃないか。何事にも初めてはあるもんだ」
「うん。そうだね。ドリバ試してみる」
百聞は一見にしかずということで、席に備え付けられたタブレットで、ドリンクバーを3つ注文する。
ドリンクサーバーに行って、俺はホットコーヒー、夏希はコーラ、そして彩乃は悩んだ末メロンソーダを選び、席に戻る。
ストローをくわえて飲む彩乃がもう反則級に可愛い。最近ときどき見せる子どもっぽい仕草がずるい。そのストロー、後でこっそり……いや、やめとこう。
「あやのん、ちょっとあたしにも飲ませてー」と、彩乃のグラスに手を伸ばす。
「えっ?」彩乃の返事も聞かず、ストローに口を当てる。「んー美味しっ」
夏希は俺をチラリと見てニヤリとした。な、なんて嫌なやつだ。人の心を見透かしやがって。
「ありがと、代わりにあたしのも飲んでいいよ」
彩乃は差し出されたグラスをまじまじと見つめる。こういう友達同士の回し飲みもまた初めてなのだろう。頬を赤くして、おずおずとストローに口を当てる。
ああ、俺も回し飲みしたい。恰好つけてコーヒーなんて選ぶんじゃなかった。
「でも、ドリンクバーだけで長居って、お店に迷惑じゃない?」彩乃が小声で店員の目線を気にする。
「右奥のテーブルにママ友の群れがいるでしょ」
「う、うん」
「あたしの見立てではお昼からずっといるわね」
だとすると、かれこれ三時間くらいはドリンクバーの注文だけで居座っているわけだ。
「ファミレスじゃ普通なんだよ。混む時間に占領しなければOK。むしろ人がいたほうが入りやすいし。それがあたしたちみたいな可愛い子なら集客力アップ間違いなし! 男子は可愛い子を見て喜ぶ、お店は客が増えて喜ぶ、あたしたちは快適で喜ぶ。つまりトリプルWINの関係ってわけ」
夏希は両手でカニみたいにVサインのマークを作る。
「そ、そうなのかな……?」
カランコロンとドアベルが鳴った。
「ほら! さっそく来たわよ。美しい花に吸い寄せられた虫たちが」
だが、現れたのはカップルだった。しかも、センター分けの髪型をした男の面には見覚えがある。って真田じゃねーか!? 二度も彩乃に手を出そうとした。
空席を探していた視線がこっちを捉えた瞬間、やつはギョッと後ずさる。
「わ、わりぃ。用事あったの忘れてた。じゃ、じゃあな!」
「ちょ、アキラいきなりどーしたのよー」
真田は連れの女の子を置いて逃げるように店を出ていった。残された彼女は悪態をつき、追うように外へ。
「なにいまの?」夏希が首をひねる。
マズイな。この前の仲間を呼びに行ったのかもしれない。
「場所、変えよう。やっぱここ、勉強向きじゃねーし」
「は? なに言い出すのよ。ぜんぜん元取れないじゃない」
「ジュース代くらい出すから。ほら行こうぜ」
テーブルに手をついて腰を上げかけたところで、彩乃がゆっくりと首を振った。
「大丈夫。ここで勉強しよ?」
鞄から教科書とノートを広げる。真田に気づいてる顔だ。なのに、まるで動じない。
そういや、さっきビビってたのは向こうのほうだった。彩乃のことだ、何か算段があるかも。そういえば前にもう二度と手を出せないって口にしていた。
「わかった。そうしよう」再び、腰を下ろす。
「なに、なに? あたしに内緒でなに通じ合ってんのよ」
「なんでもねーよ。ほら、始めんぞ。時間がもったいない」
「じゃあ、まず英語から。教科書とノート出して」
「むー」夏希は不満げに唸りつつも、おとなしく教科書とノートを取り出していく。
その間に、彩乃はシャーペンを取り出し、スラスラとノートに文字を書きつけて、俺に向けて差し出す。
《さっきの人のことは気にしないで。「ヤンチャな人たちの扱い」に慣れているおじいちゃんの知り合いに、あのときの太田くんの動画を渡して、あとのことはお願いしてます》
そういえば、彩乃の祖父は警察関係――真田のリアクションにもうなずける。
俺が顔を上げると、彩乃はウインクした。 彩乃、恐ろしい子!




