第26節 小さい公園
美咲が家に帰ってきたのは、俺が晩飯を済ませて部屋に戻った直後だった。
声を聞きつけて、玄関へいそいそと出迎えに行く。
「よう、練習おつかれさん」
美咲は軽くうなずくと、うつむき加減のまま、俺の横を通り過ぎざまにささやいた。
「あとで部屋に行くから」
おとなしく自分の部屋に戻り、勉強机の椅子に腰かけて、窓の外をぼんやり見つめていると、ドアが開き、制服から部屋着に着替えた美咲が入ってきた。
美咲は無言のまま、ベッドのほうへ歩いていき、腰を下ろす。
「それで……夏希のやつ、いつからああなんだ?」前置きをすっ飛ばして尋ねた。
「……ハッキリとはわかんない。でも先週の月曜日の時点では、もう様子がおかしかったと思う。練習中も心ここにあらずって感じだし」
やっぱり、彩乃の家に行ったあの日からか。
「じゃあ、試合は? 活躍してたんじゃなかったのか?」
美咲は小さく首を振った。
「ごめん、嘘。もうずっとボロボロで、ここまで勝ってこられたのは全部楓のおかげ。潤子ちゃんは次の試合、スタメンから外すことも考えてるって」
そんなヒドいことになってたのか……。
「なにか心当たりはないのか?」
しばしの沈黙のあと、美咲は絞り出す。
「……わかんない」
「なんだよ。ずっと一緒にいるくせに、薄情なやつだな」
「ハァ!?」
言った瞬間、しまったと思ったが遅い。美咲はキッと青筋を立てて睨む。
「アニキのほうはどうなのよ! 夏希ちゃんのことちゃんと考えたことあるの!? あたし、アニキにだけはそんなこと云われたくない!」
美咲は一気にまくしたてると、勢いよく立ち上がり、出ていこうとする。
「ちょっと待てよ。俺がなにしたってんだよ」
「知らないわよ。自分で考えたら?」
美咲は振り向きもせず、そう言い放ち――
バタン!
壊れるんじゃないかってくらい、思い切り強くドアを閉めて出ていった。
そして嵐が去ったあとのような静けさが訪れた。エアコンの送風音だけが部屋に響く。
な、なんだよアイツ。なんで俺があんな言われ方されなきゃいけねーんだ。心当たりがあったら、最初から訊いてねーんだよ!
椅子から立ち上がり、不貞腐れてベッドの上に寝転がる。
「あの日……夏希の様子におかしなところはなかったよな?」
軍師たちに尋ねる。
「なにかあったとすれば、紗南殿が聞いたという“急用”でしょうな」
「身内の急報か、あるいは――」
「クウ(夏希の家の飼い犬)が病気にかかったとか?」
「いや、その類なら美咲さまの耳に入っておるはず」
喧々諤々《けんけんがくがく》、結論は出ない。
ああーー! もう!
頭をかきむしりながら上体を起こす。机の上のスマホを掴み、夏希の番号を呼び出して通話ボタンを押す。
……出ない。呼び出し音は鳴るのに。「発信中」の画面表示が続き下唇を嚙む。ったく、無視してやがる。人の気もしらないで。
窓のほうに歩き、夏希の部屋をのぞくとカーテンが閉まっている。そういや、さっきから明かりが一度も点いていないな。
リビングにいるにしたって、一度は着替えに部屋に寄るはずだ。ひょっとして、まだ帰ってきていないのか?
胸がざわつく。
自分でもよくわからない焦燥感に駆られ、財布とスマホをポケットにねじ込み、スニーカーを突っかけた。
玄関のドアを開けた途端、もわっと生暖かい空気がまとわりつく。室外機が低く唸っていた。
――あいつ。どこをふらふらしてやがる。
勢いよく家を出たはいいが、当てがない。
歩きながらスマホを見る。20時。さすがにもう学校にはいない。
腹は減ってるはずだ。寄り道して買い食いでもしてるか。ここらでこの時間に開いてるのは、せいぜいコンビニ。
気づけば足は駅へのルートをたどっていた。改札で張っていれば、いつかは現れるだろ。コンビニもある。
蒸す夜気のなかを歩いていると、見慣れた公園が見えて、入口の前で足が止まる。街灯の白に小さな虫が集まっていた。
小学生のころ、よく夏希と遊んだ。ブランコ、ジャングルジム、鉄棒、砂場――いろいろ蘇る。
記憶に釣られて足を踏み入れると、砂の匂いがむっと立つ。
人影はない。……まあ、期待はしてなかった。
無駄足のまま駅前へ。ひとまずコンビニに入る。
ピンポン。自動ドアが開き、エアコンの冷たい風が出迎えた。
ガラス越しに改札を見張るとするか。
雑誌が並んでいるコーナーで立ち止まり、二度、三度と乗客の波を見送ったあと、
ようやく夏希が姿を見せた。ほっと溜息をつく。
いや、なんで俺は安心しているんだ。
自動ドアのセンサーが反応する寸前で足を止めた。待ち構えてたと思われたら気まずい。
――買い食い。そう、買い食いに来ただけ。
ファミチキとスポドリをひとつずつ、会計して店を出る。
くそ、前のサラリーマンがカゴいっぱいに買って、待ったぶん、少し遅れた。
人波の向こうに、肩を落として歩くポニーテール。重い足取りだ。すぐ追いつける。直前でスピードを落として息を整え――
「よ、よう。偶然だな。今、帰りか」
スポドリを持ったまま手をあげる。
「なんだ。拓也か」
夏希はのっそりと振り返った。
「居残り練習か? 精が出るな」
「ちょっとシュートフォームが気になってね。あたしってほら、陰で努力するタイプじゃん」
夏希は前を向いたまま軽口をたたく。
夏希に追いつき、歩を並べる。
とりとめのない会話を続けながら考える。
こいつの不調の原因って結局なんなんだろうな……。こうして二人で話している分には普通に見えるんだが。
どうやって聞き出すか。ストレートに尋ねても、はぐらかされて終わりだろうし……。
紙袋の油が指をべたつかせ、冷えたスポドリの結露がそこを滑って、ぽたりと落ちる。
いい考えが浮かばないまま、さっきの公園が近づいてきた。
「なあ、そこの公園のベンチで休んでいかね? 暑くて疲れた」
入口で立ち止まる。
「は? もうすぐ家じゃない。我慢しなさいよ。あたしのほうがお腹減ってるんだからね」
「ほらファミチキやるからさ」
「ったく、だらしないわね。拓也も少しは運動したほうがいいんじゃないの? ま、貰えるものは貰っとくけど」
夏希は袋を受け取ると、公園のほうへ足を向けた。
「なつかしーー」
公園に一歩踏み入れた途端、夏希は嬉々として走り出した。
「この鉄棒こんなちっちゃかったんだね。うわ、これはもう使えないわ」
腰ほどの高さしかない鉄棒を両手で握りしめて回ろうとする。何度か試みたもののうまくいかず、諦めたのか、スポーツバッグをベンチ脇にどさっと置いて、今度はブランコのほうへと駆け出す。
疲れてるくせに落ち着きがない。普段通りといえば普段通りなんだが、わざとらしくも感じる。
ベンチに腰掛けると、背中にシャツがじわっと張り付いた。ペットボトルのキャップを開け、一口飲む。
さっき入ったときには気にならなかったが、狭い公園だな。ガキのころはちっともそんなふうには思わなかったけど。それだけ俺らが成長したってことなのだろう。
夏希に視線を向けると、ブランコを男子小学生みたいに猛烈な勢いで漕ぎまくっていた。まるで成長していない……。つーか、もうファミチキ食ったのかよ! 秒で食いやがった。
夏希はブランコから手を放して飛び上がり、K点越えで着地した。さっき置いたスポーツバッグを手に取って駆け寄ってくる。
「子どものころはこうやってどっちが遠くまで飛べるか競争したよね。懐かしい」
「俺的には競争じゃなく強制だったけどな。それにいい思い出風に美化すんな、俺のほうは顔面で着地して鼻血まみれで大変だったじゃねーか」
「そうだっけ?」夏希は目を細めてブランコを見る。
運動神経が全然違うのに自分と同じことを俺にさせるもんだから、夏希と遊んでいるときはけががつきものだった。
一緒に遊ばなくなったのはいつごろだったかな。なんかひどい最後に大けがして遊ばなくなったような気がする。
「あたしも喉が渇いたから少しちょーだい」
夏希は俺の手からスポドリを奪い取り、ごくごくと喉を潤した。
「あーーっ」
「なに、間接キスとでもいいたいわけ? そんなの気にしないから」
「俺が気にするんだよ」
「いいじゃん、ケチケチしない」
差し出されたペットボトルを受け取ると、もう半分くらいになっていた。
ペットボトルの中身を揺らしながら、ゴクリと喉を鳴らし、意を決する。
一気に最後まで飲み干して頭を上げると、俺が飲むとは思ってなかったのだろう、夏希は顔を紅潮させていた。
「なあ。なにがあったんだよ――」
「なにって?」オウム返しに言う。
「わかってるだろ。自分がヘンだってことは。弁当は残すし、口数は少ないし。美咲から聞いたぞ、練習だって身が入ってないって」
「……あたしだって、調子の悪いときくらいあるわよ」夏希の目が泳ぐ。
「体調がどうとかじゃない。問題はメンタルだろ。なにか心配事でもあるのか。言ってくれれば、俺――」
「ほっといて!」夏希は声を荒げた。
「あたしのことはあたしが一番知ってる。なんでもないから、関係のない他人が口を出さないで」
他人って……。
「じゃね。先に帰るから」
夏希はバッグの持ち手を握り直し、身を翻す。
呼び止めようとしたが、ズシッと胸に重いものを感じて、舌に言葉が出てこない。
どんどん小さくなっていく夏希の後ろ姿を、呆然と見送った。
あいつ……。マジで何悩んでんだ。
そして、どうして俺はこんなにショックを受けているんだろう――。




