第15節 第2回 彩乃はなぜ拓也に告白したんだよ会議
ようやく家に辿り着いたときには、もう8時近くになっていた。さっさとメシを済ませて部屋に戻り、ベッドの上にぶっ倒れる。
なんつーか、濃い一日だった……。
一昨日までは学校に行って、帰ってからはダラダラして一日が終わりだったのに。彩乃と付き合うことになって、俺の日常はすっかり変わってしまったんだなと実感する。
「……もう、いつまで寝ているのよ、起きてってば」
気づくと肩をぐらぐらと揺らされていた。うっすらと瞼を開くと、タオルで頭をターバンのように巻いた美咲が見下ろしている。
時計の針は11時を指していた。
「どうした? 何か用か?」
尋ねると美咲は呆れた顔をした。
「小早川さんのことに決まってるでしょ。ったく、人が苦労して調べ回ってきたってのに」
「そ、そうだった。スマン、ちょっと寝ぼけてた」
「もう、しっかりしてよね」
美咲はベッドに腰を下ろす。
「眠気覚ましにコーヒーでも淹れてくる。お前も飲むか?」
「うん、お願い」
台所に行き、コーヒーを二つ淹れて戻る。
部屋に戻り美咲にマグカップを差し出す。「サンキュ」と美咲は両手で受け取った。
隣に腰かけ、一口啜ってから「何かわかったのか?」と尋ねた。
美咲はお手上げと言わんばかりに肩をすくめる。
「全然ダメ。SNSもやってないみたいだし。同じ学校だった子もいない。高校からこっちに引っ越して来たんじゃないかな」
「いや、それはないな」
あの立派なお屋敷はいかにも先祖代々住んでいるって感じだ。
「じゃー、兄貴のほうはどうなのよ。何か進展はあったの?」
「進展? そうだな……。名前で呼び合うようになった。へへへ」
「そういう進展を聞いてんじゃないわよ!」
腹に手のひらでツッコミを入れられ、あやうくコーヒーをカーペットにぶちまけそうになる。
「わ、わりぃ。嬉しかったので、つい、自慢したくて」
「もう。ホントに何もわかんなかったの? 今日一日ずっと一緒にいたんでしょ?」
「んなことを言ってもな。彼女、自分のことはあんまり話さなかったし……。あ、そうだ。中学のときに授業で合気道をやっていたらしい」
「合気道?」
「な、めずらしいだろ? たぶん、私立だよ」
「それって、姫女じゃん!!」
美咲は立ち上がり叫んだ。
「その姫なんとかって学校はすごいとこなのか?」
「姫川女子! 幼稚園から大学までエスカレーター方式の超がつくほどのお嬢様学校よ!」
女子高のことなんてよくわかんねーけど、美咲の反応からいって有名な学校なんだろう。
「すごいなんてもんじゃないわよ。姫女出身って言ったら、どこにいっても通用する立派なブランドよ。一般入試で入ろうとしたら偏差値70くらい」
「そ、そうなのか?」
偏差値70。未知の数字だ。
「どーりで、同じ中学の子が見つからないわけだ。姫女への進学を蹴って、うちの学校に来るなんてありえないもの」
「ありえないも何も、現に彼女がうちの学校にいるじゃないか」
「だから、それがおかしいんだって!」
軽く反論すると、すごい勢いで言い返された。
「あの人、絶対、なにか訳ありなんだよ」
美咲はすっかり興奮気味だ。
有名私学への進学を取り止めてまでうちに来る理由ねえ……。
「たとえば――」
「バカじゃないの。そんなのありえないから」
「まだ何も言ってねえよ!」
「聞かなくてもわかるわよ。自分と同じ学校に通いたいからとでも言いたいんでしょ?」
まんまと言い当てられ舌打ちする。まあ、可能性はゼロに限りなく近いとは思うけど。
「じゃあ、ほかにどんな理由があるってんだよ」
「そうねえ……。たとえば、姫女ってかなりお金がかかりそうだから、親がリストラに遭って学費が払えなくなったとか?」
「違うな」
あんな大きな屋敷に住んでいるんだ、子どもの学費くらい余裕だろ。
俺たちは時間を忘れ、あーでもない、こーでもないと散々議論した結果。そんなの本人に聞かなきゃわからないという当然至極の結論にたどり着いたのだった。
「まあ、いいわ。出身校がわかっただけでも大収穫よ」
美咲はぐいっとコーヒーを飲む。
「どうするんだ? ツテでもあるのかよ」
「SNSを調べてみる、きっと有名だったと思うし」
「そっか。スマン、よろしく頼む」
「うん。任せといて」
美咲はそう言うと、飲み干したマグカップを軽く掲げた。
「じゃあ、明日も朝練で早いからもう寝るわ」
朝練で思い出した。ドアのほうに向かう美咲を呼び止める。
「何? まだ何かあるの?」
「まったくちがう話なんだがな。バスケ部の調子はどうだ? 1回戦くらいは勝てそうか?」
「へ? 珍しいわね。どういう風の吹き回しよ。そんなことを気にするなんて」
「まあ、いいじゃないか。それでどうなんだよ?」
「そうねえ。結構いいとこまで行くんじゃないかな」
「け、結構って、どのあたりだよ。3回戦か? 4回戦か?」
「そりゃあ、もち全国に決まっているじゃない」
美咲はサラリと言ってのけた。
「ぜ、全国? 去年は2回戦負けだろ? 目標高すぎじゃね。非現実的な目標を立てても意味ねーぞ」
焦りを隠し、努めて冷静に問いただす。
「いや、本気でいけると思うんだ。夏希ちゃんいるし。1年にもすごい子いるし」
「スゴイ子? へー。1年でスタメンなのか? そ、そりゃあ、大したもんだな」
動揺を抑えようと、震える手でコーヒーを口に運ぶ。
「そりゃあ、スゴイわよ。だって全中MVPだもの」
ブーー!
口に含みかけたコーヒーを盛大に吹き出してしまった。
「やだ。汚い! もうサイテー!」
「ゲホッゲホッ。ス、スマン、気管にもろに入った……」
激しく咳き込みながら、ケースからティッシュを何枚も引き抜き、汚れた箇所を拭く。
「で、でも、どうしてそんな逸材がうちみたいな平凡な公立校に来たんだ?」
「夏希ちゃんと同じチームになりたかったんだって。なんでも中学時代に対戦して、1on1で唯一負けた相手が夏希ちゃんだとかなんとか――」
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。そんな子がいるなんて聞いてないぞ。
夏希クラスの化け物が同じチームに二人いるっていうのはとんでもないアドバンテージだ。一人なら囲んでしまえば終わりだが、二人の場合はそうはいかない。マンツーマンじゃ抑えられないし、かといって二人にダブルチームに行けば、他がフリーになってしまう。
昼間の夏希の自信満々な顔を思い出す。
あいつ、あえて隠してやがったな! ハメたつもりがまんまとハメられてたってことか!
ま、待て。お、お、お、落ち着け。ま、まだ、あわわわ、あわてるような時間じゃない。
「ち、ちなみにその子どれくらいすごいんだ? 高校レベルだと苦労しているんだろ?」
「いや、本当にすごいよ。この前の練習試合なんか夏希ちゃんと二人で70点とったもの!」
くそっ! 紛れもなく本物!
「どうしたの? そんな青い顔して」
「そ、それがな……」
賭けのことを話す――。
「はああああ!? バッカじゃないの! なんでそんな子どもみたいな賭けしてんのよ!」
返す言葉もございません……。黙ってうなだれる。
「まったく。夏希ちゃんも夏希ちゃんよ。勝負する相手がちがうじゃないの」
「相手がちがう?」
「なんでもない! 黙ってて!」
そんな青筋立てて怒らなくても……。
「ともかく! 今後、学校では赤の他人だからね。絶対に話しかけないこと! いい?」
「へ? なんで?」
「チアリーダーの格好をしたヘンタイの妹って、思われたくないからに決まっているでしょ!」
美咲は付き合ってらんないとばかりに、ぷいっと踵を返した。そのままドアのほうに大股で歩いていき、壊れるんじゃないかってくらい、大きな音でドアを閉めていった。
嵐の後のような静けさが訪れる。
ガックリと肩を落としたままベッドにうつ伏せに倒れた。
どうしよう。軽い気持ちで受けた賭けが、こんなことになるなんて、近い将来にやってくる己の不幸を思うと泣きそうだ。
泣いて許しを乞うか? いいや、そんなことをすればあいつを喜ばせるだけだ。
ドSな夏希のことだ、新聞部にリークするくらいのことはやりかねない。
チアリーダーのポンポンと振っている俺の姿が映った新聞部の号外を想像して、頭を振ってかき消した。
何気なくスマホのほうに視線を向けると、LINEの着信に気づいた。手に取って確認すると思ったとおり、彩乃からだった。
『今日はいろいろありがとう。脚の具合はどうですか?』
『さっきは無理して、家に送ってくれて本当にありがとう。
拓也くんが一緒にいてくれたから、帰り道が楽しくて、なにより、とっても、とっても心強かったです。今日はいろんなことがあって疲れていると思うので、ゆっくり休んでください。では、また明日、学校で』
彩乃らしい、優しく俺を気遣う内容だ。
なんか賭けがどうとか、どうでもいいやって気がしてくる。
紗南ちゃんに見透かされたとおり、付き合う前までは彩乃のことを綺麗な子ってことしか知らなかったけど。彼女の内面に触れるほどに、どんどん好きになる。
でも、同時に引け目も感じていた。俺なんかじゃ、まるで釣りあわない。彩乃はどうして俺を好きでいてくれているのだろう?
確かめればいいだけなんだけど、どうにも聞くのが怖かった。
聞いた瞬間、すべて夢だったみたいに覚めてしまうんじゃないかって。そんな気がするからだ。
それほどに彼女に想われているという自信が俺にはなかった――。




