第14節 紗南ちゃん登場
「へぇ。拓也くんとなっちゃんって、そんな子どもだったんだ」
帰り道、彩乃はいつになくテンションが高い。俺と夏希の昔話について、あれこれと質問しては、答えを聞いて、いちいち楽しげに笑う。
なんてゆーか、無理して明るく振る舞っている感がありありだ。さっきの男のことで不安なんだろう。
それは俺にとっても同じで、つけられているんじゃないかと警戒し、彩乃としゃべりながらも、周囲の様子に注意を張り巡らせている。
誰かにつけられているような気配は感じられない。
結局、何も起こらないまま無事駅へと着いた。ちなみに俺たちの乗る電車は逆方向。
「――それじゃあ、拓也くん。また明日ね」
バイバイと手を振りながら、反対側のホームに向かう彼女を呼び止める。
「家の近くまで送っていくよ。さっきあんなことが遭ったばかりだしさ」
だけど、彩乃は首を縦には振らない。
「無理しないで。足、まだ痛むんでしょ? わたしのことなら大丈夫。まだ明るいし、それにわたし逃げ足には自信があるんだから」
エッヘンと彼女は胸を張った。
足のこと気づかれていたのか。顔に出さないようにしているつもりだったんだが。気遣うつもりが、逆に心配されていたわけか。
ダメだ、ダメだ。今は自分の不甲斐なさを悔いているときじゃない!
首を振って、ネガティブな考えを振り捨てる。
「今日は、俺、全然いいとこ見せられなかったからさ。最後くらいカッコつけさせてよ。俺の顔を立てると思ってさ、このとーり!」
両手を合わせ、拝み倒す。
「……うん。それじゃあ、お願いするね」
迷った末に彩乃はうなずいた。
それから電車に揺られること30分。さらに駅から歩くこと20分。彩乃が住む閑静な住宅街までやってきた。
これが、格差社会というやつか……。
持てる者と持たざる者のちがいを感じずにはいられない。どの家も塀が長々と続いていて、うちの何倍もの広さ。止まっている車も高級車ばかりで、アウェー感がすごい。
彩乃の家もすごい豪邸なんだろうなあ。戦々恐々としながら歩いていると、前方に際立って立派な、時代劇に出てくる武家屋敷のような大邸宅が見えてきた。
「見えたよ。あれがわたしのお家……」
彩乃はバツが悪そうにそのお屋敷を指差す。
マジデスカ……。
いいところのお嬢様なんだろうとは思っていたが、これほどとは……。
お屋敷の前まで来ると、ますますの威容ぶりだった。代々続いている名家ですってな雰囲気をそこら中から醸し出している。時代が時代なら門番が立っていて、俺なんかが近づこうものなら問答無用で叩き出されることだろう。
「さあ、入って。お茶でも淹れるから」
彩乃は門をくぐると、招き入れるように手を差し出す。
入る? 俺が? ここに? ムリムリムリ!
「きょ、今日はもう遅いからこれで帰るよ! じゃあ、また明日!」
返事も聞かずにくるっとUターンして駆け出す。
「あ、待って!」彩乃の呼び止める声がするが、どうにも足が止まらない。流れる平民の血が「恐れ多い」と言わんばかりに駆り立てるようだった。
無我夢中で走り続けること数分、そろそろ息が上がってきた。どうやら彩乃が追ってくる様子もない、このあたりで足を止めるか……。そう思ったときだった。
曲がり角からやって来た小さな子どもに、出会い頭でぶつかってしまった。
弾き飛ばされたその子は、「きゃっ」と小さな悲鳴を上げて、尻もちをつく。
「ごめん! だ、大丈夫!?」
見ると小学校5、6年くらいの、すんごく可愛らしい女の子だった。
「いったーい」その子は片手でスカートを押さえながら、もう片方の手でお尻をさする。
助け起こそうと手を差し出すと、女の子のクリクリとした大きな目とばっちり視線が合った。
「あーー!」
女の子が大きな声を上げた。ヤバイ。
――6月10日18時頃、戸有市内の路上で帰宅途中の女子児童が男に突き飛ばされ「大丈夫か」と声を掛けられる事案が発生。男は学生服姿で身長170センチくらい。特徴はなし。という脳内ニュースが駆け巡る。アカン、凶悪犯にされてしまう。
だが、女の子の口から出たのはまったく予想外なセリフだった。
「さとーくんだ!」
「へ? どうして俺のことを……?」
意外な展開に呆然と立ち尽くしていると、女の子は俺の手を取ることなく立ち上がり、パンパンとスカートに付いたほこりを払った。ぶつかったときに落としてしまった手提げ鞄を拾い上げると、てくてくと俺の前までやって来た。
「わたし、小早川紗南っていいます」
「小早川? も、もしかして!?」
「はい。小早川彩乃の妹です。初めまして、さとーくん」
女の子はにっこりと微笑んだ。
俺は彩乃の妹と名乗る少女に、駅前通りにある喫茶店まで連れてこられた。高校生と小学生の女の子という組み合わせのせいで、周りに不審な目で見られているような気がしてならない。
注文したストロベリーパフェとホットコーヒーを置いて、店員さんが離れていくのを見計らってから女の子のほうを向くと、彼女はやたら長いスプーンで一番上の生クリームをすくい取り、口に運んでいた。なんだかとっても幸せそう。
「えっと、紗南ちゃん……そう呼んでもいいかな?」
「ええ、いいですよ」
「じゃあ、紗南ちゃん。こんな時間に寄り道していて大丈夫なの? おうちの人が心配しない?」
時刻は6時を少し過ぎたところ。明るくなってきたとはいえ、小学生の女の子がひとりで出歩くには遅い時間だ。彩乃の家は門限とか厳しそうだし。
「大丈夫です。さっきお母さんに連絡しましたから。ピアノ教室が少し長引きそうって」
でっかいイチゴを口に放りこんで、頬張りながら答えた。
「そっか。ところで、紗南ちゃんはどうして俺の顔を知っていたの?」
「写真を見たからに決まっているじゃないですか。お姉ちゃんの部屋で見たんです」
まさか昼間の画像? いや、部屋ってことはちがう。
「……それってどんな写真だった?」
「なんだか盗撮っぽい写真です。さとーくんの居眠りしている写真や、女の子に鼻の下を伸ばしている写真とか色々です。お姉ちゃん、ストーカー予備軍なんじゃないかって、妹としてはちょっと心配です」
彼女の返しにギョッとする。そんなのいつの間に撮られたんだ?
「ごめんなさい。嘘です」
紗南ちゃんはパフェに刺さっていたポッキーを咥えて微笑んだ。俺、遊ばれてる?
彼女は彩乃とはちがって、良くも悪くも世間ずれしている感じの子だった。
「たぶん遠足の写真だと思います。リュック背負っていましたし、紅葉が写ってました」
去年の遠足のやつに違いない。
紗南ちゃんはポッキーをカリカリとリスみたいに食べきると、不意に俺の目をまっすぐ見た。
「さとーくんはお姉ちゃんと付き合っているんですよね?」
「ま、まあね」
その邪気のない透き通った瞳に気圧されながらも肯定する。
「あの生真面目なお姉ちゃんのどこがいいんですか? 顔ですか? 胸ですか?」
前言撤回。邪気ありまくり、どストレートな質問が飛んできた。
「か、顔だけじゃないよ! そりゃあ、スゴイ美人だなあと思ったし、胸にも目がいったけど、それだけじゃないんだ! 可愛いし、チャーミングだし! 綺麗だし、可憐だし!」
「ふむふむ。やっぱり顔と胸が決め手と」
小さくうなずくと再びスプーンを手に取る。あ、あれ? 外見ばっかりになってる?
「いや、可愛いっていうのは外見だけじゃなくて! 性格も含めてのことだから!」
「いえいえ。そんな否定しなくても大丈夫です。容姿から入るのは当たり前のことです」
彼女はパフェの下のほうからアイスクリームをかき出しながら答える。
……なんていうか、えらく大人びたお子さんだ。
そうだ。この子なら彩乃が俺を好きな理由を知っているかも。
「ねえ。お姉ちゃんは俺のことをなんて?」
「優しくってすごく素敵な人だって言っていましたよ」
アイスクリームがたっぷり載ったスプーンを咥えた。うーんと幸せいっぱいの顔をする。嬉しいけどヒントにはならないな。カップを手に取り、ズズッと一口すする。
「ごめんなさい。月並みな答えで。でも、すごくお似合いだって思いますよ」
「そ、そうかな?」
たとえそれがお世辞だと分かっていてもやっぱり嬉しい。
「わたし、お姉ちゃんには真面目で誠実そうな人がいいと思うんです。軽い人はお姉ちゃんにはちょっと難易度が高い気がします」
紗南ちゃんは口のまわりについたクリームを指ですくい取ると、ぺろっと舐めた。
「少し安心しました。お姉ちゃん、せっかく共学の高校に行ったのに男の子の影がまったく見えないんだもの。ひょっとしたら、女の子のほうが好きなんじゃないかって疑いはじめていたくらいです」
おしぼりで指をぬぐいながら、紗南ちゃんは笑顔を見せる。
ハハハハ。コーヒーをまた一口すすると、苦笑いを浮かべ、ソーサーにカップを置いた。
「さとーくんにはすっごく期待しています。お姉ちゃんを変えてくれるんじゃないかって」
「変える? 彩乃は何ひとつ変える必要なんてないくらい完璧な子だと思うけど?」
紗南ちゃんはハッキリと首を振った。
「そんなことないです。お姉ちゃん、あのとおり生真面目で不器用で、見ていて危なっかしくないですか? あそこまでいくと痛々しいというか。周りまで息がつまりそうです」
「まあ、たしかにそういう面は少しあるけど……」
「ですよね!」
でも、そういうのも含めて彩乃なんだと思う。無理に変えることなんてないと思うけど。
「家のことなんて気にしなくてもいいのに……」
紗南ちゃんは消え入りそうな声でそう呟いた。
「家のこと?」
彼女はしまったって顔をした。でも、すぐにニュートラルな表情を取り戻す。
「なんでもないです。気にしないでください。こっちのことですから」
再びパフェに取りかかり、綺麗に全部食べ終えた。スプーンをそっとテーブルに置く。
「わたし、お姉ちゃんには高校生活を思い切り楽しんでほしいんです。だって人生のうちでたった三年しかない時間なんですから、楽しまないともったいないじゃないですか」
本当に小学生なんだろうかってなくらいに、考え方がしっかりしている。夏希なんか同じくらいの年で「一騎打ちだー!」とか言って自転車に乗りながら傘を振り回していたぞ。
感心しきりな俺をよそに、彼女は口のまわりを紙ナプキンで丁寧に拭くと、両手を膝の上に置いた。
「わたし、さとーくんのことをだんぜん応援しちゃいます。頑張ってくださいね。いつかこう呼べるように。『おにーちゃん』って」
紗南ちゃんは最後のところを強調して、にこーっと笑った。そして伝票をそっと俺のほうに差し出す。
この子は間違いなく、将来多くの男どもを泣かせる――。
そう確信しつつ、静かに伝票を受け取った。




