十二章「塔を登る」
十二章「塔を登る」
玲凛は類雨が入っているビルの二階から四階に、特徴的な部屋割りでしつらえられていた。
二階は三部屋に分かれていて、男子部屋と女子部屋。それから共用のラウンジで構成されていた。
ラウンジには書棚がはめ込まれていて、いろいろな本が取り置かれていた。
大学生が勉強合宿をする時に、清流は玲凛の二階を提供する。飲み物が用意されていて、食事も類雨のスタッフに頼めば温かいものが提供されることから、系附の大学生の数グループは玲凛の太い顧客になっていた。
異性同性問わず、ちょっとした出会いの場として機能していることも、大学生の特別感をくすぐる。
二階のラウンジは四階、天井まで吹き抜けになっていて、天気のいい日はガラス越しだが空が仰げ、夜は月が真上に位置しているのを、お酒の缶を傾けながら指さすことができた。
三階には六つ小ぶりな部屋がある。宿泊客は多様で、宿泊料が安いことと、温かい夕食が食べられることから、地元の人も、遠方の人も、年齢問わず利用してくれている。海外からのお客さんも、外国語が堪能な清流や駿の存在に安心して、気軽に予約を入れてくれる。
そういう意味で、(多くは)系附の大学生がにぎやかに二階のラウンジで議論しているのを楽しそうだなと覗きに行くと、中国からの人だったら、大学生の少なくとも一人は中国語で一緒に輪の中に混ぜてくれるし、英語を話す人だったら、誰も彼もが自分の努力の成果をぶつけたいとばかりに、勉強中の英語を披露して場を和らげる。
四階は家族のための部屋で、二つ広い部屋が用意されている。
ベッドも広いものが二つあり、テーブルやソファも大きめのものが設置されている。
高級……ではないけれど、清流と駿にとっては自慢の建築だった。
「お姉さん。美人っすね」
遊びに来ていた妃梅が、大学生にナンパされていた。
「ありがと」
警察省に所属する妃梅は、いつもは制服に身を包んで日々犯罪捜査に当たっているが、今日は同級生を訪ねて、玲凛に宿泊していた。
妃梅は相変わらずのふんわりとしたボブカットで、スーツを着用していた。
「仕事ですか?」
「ううん。旅行。清流くんと同期なんだ。ほら、ここの玲凛とか類雨とかを管理している。鍵倉くんと一緒に。私も、彼らと同じ大学だったの」
「どこっすか?」
「古都の、西条大学。まあ、城街には城神があるから、古都の大学なんて気にしないんだろうけど。結構いい大学だよ」
「知ってますよ。西条でしょ。古都の」
「そうそう」
ちらりと駿が妃梅の方を見た。話しかけた大学生が見ていない瞬間に、妃梅は「大丈夫」と駿に合図した。
「何勉強しているの? 大学生さん」
「経済っす」
「いいねいいね。彼女はいる?」
「い、いないっす」
「そっかあ」
「おねえさんは、ッ」
「そんなの秘密だよ」
「すみませんっす」
店の奥から清流が顔を出した。
「あ、お話してた?」
「ん。大丈夫。行く?」
ブラウスのボタンを一つ開けて、風を入れる。スーツのジャケットに袖を通して、革靴の先をトントンと叩くと、清流の腕を取った。
大学生は夢破れた顔で、ギリギリと歯を喰いしばる。
「じゃあ、鍵倉くん。夜には帰ってくるから」
「はいよ。楽しんできて」
「じゃあね、大学生さん。結局我々は同級生が好きなのさ」
「はいっす」
***
「同級生が好き?」
清流は遠慮気味に笑った。
「方便だよ。ナンパされたの」
妃梅は清流の服をつまんで引っ張った。
「うん、知ってる。でも類雨で喫茶店ラブ、よくあるんだよ」
「喫茶店ラブ? 純文学でも聞かないくらい、すごいベタ」
「そうなんだけど……」
「清流くんは? 喫茶店で誰か気になったりしない?」
「…………」
「黙らないでよ。なに話していいかわからなくなるじゃない」
「いや、気になると言えば気になるんだけど、何が気になっていたのか、全然覚えていないんだ」
「女子高生はさぞかしみずみずし、い、で、しょう? うわっ、なんて顔」
「いや、年下って、何考えてるかもうわからんよね。故郷でずっと友達だった女の子も、今思うと全然理解できない」
「まるで私がわかりやすいみたい」
「妃梅はわかりやすいよ」
「な・ん・だ・と・ー・?」
「もちろん冗談だけど」
清流は駐車場に停めてあった車を出した。
「あら上品。きれいにしてあるのね」
「鍵倉くんは粗野であり、それを補って余りあるほど、繊細だからね」
「清流くんは乗らないの?」
「乗るよ。こういう時が、四年に一回くらいあるから」
「ほぼほぼ初めてということですね?」
「そういうこと」
清流はそれでも慣れた手つきで車を動かした。
車のスピーカーは流行りの洋楽を流していた。
海からの風がひんやりする秋。隣には年上に見える美人。もう、隣に女性がいても居心地悪くなったりしなくなった。
「最後に駅に着ければいいよね」
「そうよ」
助手席に座った妃梅は、リラックスしている。
「塔を登るのはどうかな」
「あら、いいじゃない」
城街の最大の建築、裾野は十キロ四方。高さは二千メートル。一般人も千二百メートルまではいくことができる。
「二つの大きな螺旋階段が、二千メートルもぐるぐる回っている」
「そうね。スカートみたいよね」
「そうだね。そんなうねりのパターンが面白い」
塔はただ「塔」と呼ばれている。城街の北西の山中にある。展望の要素は一部に限られていて、一つの国のように機能している。様々な物資が運び込まれ、血管のように張り巡らされた物流装置が、ほとんど自動で各部屋に「栄養」を運ぶ。
そこでは知的産業が盛んで、大学院博士課程を経た人材が、惜しまれることなく使い倒される。
出版、科学、ハイ・エレクトロニクス、証券、銀行、メディア。塔一つに集約される産業の集積体。
「見えてきた」
妃梅は嬉しそうに声を上げた。
「政治から最も遠い場所」
「そういう風に言うんだ。清流くんも立派な城街人ね」
「嫌だな。僕は、田舎者なのに」
入場門をくぐって予約票と身分証を見せる。
「デートですか?」
冷ややかな面持ちのゲートキーパーに清流はにこっと微笑んだ。妃梅は我関せず。そっぽを向いている。
車を進めると、案内板に駐車場への指示が出ている。
「来たことあるの?」
「いや、初めて」
「慣れてるね」
「そうかな」
立体駐車場の三階の一隅をあてがわれられる。首尾よく車を停めて、そこから塔の中まで…………歩いた。
動く歩道が用意されていたが、妃梅は清流の手を取って、その脇を歩いた。
低層階は天井が高く、はめこまれたガラス窓の外は、砂漠の国の空みたいに、途方もなく青かった。
エレベーターホールには人が列をなしていた。それでも空港のように広い空間が、人と人との間隔を自然に確保する。プシュウという音を立てて、十六機あるエレベーターがパイプの中を上下する。期待は立方体ではなく、円柱だった。
ヒューンというわずかな電子音の他は、音は何も聞こえなかった。静まり返った宇宙船を思い浮かべる。
宇宙船。ばかみたいだと清流は思った。開かれていない空間で人は生きられない。千二百メートルの高さまで上がるのに、四回エレベーターを乗り換えた。
妃梅は、無意識に強く清流の手を握った。背中にじんわりと汗をかく。それは清流も一緒だった。外の日差しと塔内の調整された気温が、不気味に乖離する。気圧が一定に保たれているのも、どこか気持ち悪さがある。
「私、シンガーソングライターって信じないの」
「どういうこと?」
梁の裏の影は一定のリズムを刻んで、ほとんど透明なエレベーターを通過していった。逆だ。エレベーターがいくつもある梁を追い抜いていく。エレベーターの中に何分もいる。すごいスピードで城街の概形が露わになっていく。海に面した港の形まで、手に取るようにわかる。実際に手のひらサイズだ。
「シンガーソングライターは、自分の世界を歌う。それは、あんたの世界だっつーの。思わん?」
「それがいいんじゃないの?」
「作曲家がいて作詞家がいて歌手がいる。三権分立の原則は、歌にも適用される。一人で強権を振るっても、いいものはできない」
「じゃあ妃梅は、檜山結以は嫌い?」
「嫌い。聞きたくないし、なんならそのファンも嫌い」
「それは初めて聞いたな。じゃあ家中初月は?」
「おぞけがする。ナルシストかよ」
ポーンとランプが点灯して、展望室への扉が開かれた。
地上付近の天井の高さを見ていたから、高い天井も低く感じる。極太の柱の他は、景色を遮るものはなくて、でもとりあえず「ここ」から見えるのは、青空だけだった。
今にもガラスをぶち破りそうなくらい、外の景色に惹かれている妃梅を見て、清流は嬉しくなった。妃梅の笑顔は特級で、そのスーツの後ろ姿からも、くびれた腰とタイトなヒップがくっきりと形を作っていた。
妃梅は小物入れから金縁の眼鏡を取り出した。清流の方を向いて笑う。白く小さい歯が並んでいる。
城街が一つの城郭なのだと知った。
清流は自分がどこに住んでいるのかを、適当な目印を頼りに見つけた。妃梅とそれを共有しようと思ったけれど、妃梅は城街について何も知らなかったから、どうやって説明しても、同じものを見つけることはできなかった。
千メートルからでは、古都の楼閣は見えなかった。
「いいなあ。山の稜線も、河の滔々とした流れも、私は好き。絵巻物か、水墨画を見ているみたい」
「河の流れのままに、ここまで…………」
「どう? 故郷は懐かしくない?」
「もう、故郷がどうであったかも、僕は覚えてないよ」
「あ、上に上がれるみたい。漆塗りの階段。『百畳の和室』だって。あ、靴を脱ぐようにとのこと」
清流と妃梅は靴を脱ぎ、整えてそろえると、階段を上がった。
足元だけに明かりを置いた『百畳の和室』は、百畳ではきかないほどのおびただしい数の畳が敷かれていた。正式な入り口は階段だけ。足元を擦る畳の感触で、背筋に電流が走る。
四方に正方形の「窓」があり、開くことはない、はめ込まれた強化ガラスから光が差し込んでくる。飛行機の窓際の席に座っているみたいだ。
そのわずかばかりの光で、その空間が照らされることが、清流には驚きだった。
ふらふらと引っ張られるように、妃梅は窓に近づいた。そこでは下の展望室で見た広々とした景色ではなく、よりくっきりとその街路の筋を明らかにした城街の地図、切り立つ山々と、雲海が覆い隠す富士の山の様子それぞれ、一つの流れとして近景から遠景まで絵巻物になっていた。
飛行機雲が飛んでいった。小さな破裂音が、強化ガラスの向こうから聞こえた。
館内放送が、展望室の営業終了を告げた。唐突に。
展望室に降りて靴を履く。係員は笑顔で観覧者を案内している。
また小さな破裂音がした。振動する。
「戦争の音だね」
妃梅はブラウスのボタンを一つ締めた。
「軍靴の音を思い描いていた」
「どこから飛んでくるのかな? アメリカかな」
「大陸間弾道ミサイル」
「迎撃できる、はずだけど」
「そうなの?」
「知らないの?」
「全然知らない」
「死なないでね」
「死なないよ」
清流はその時、飛行機雲を描いて飛んだミサイルの行先が峡谷であることを、なぜか知っていた。
***
雨霰の如く、ミサイルは降ってきた。防空システムは今のところ正常に機能している。清流は外出禁止令と列車の運休で帰ることができなくなった妃梅をとりあえず玲凛に連れていった。清流は車を車庫に収めると、食事を作って、帰宅困難になった客に出した。
みんな笑顔だったが、作ったような表情だった。
「ああ、ああ。これから殺さなきゃなんねえのか」
駿が言った。清流は笑いで棹さした。
「嫌だねえ。でも、殺されたなら、やはり殺さないと」
殺すという言葉が、口に出るのも自然なことで、清流は誰にも憚らなかった。
ポンポンとミサイルが迎撃される音がする。破片で傷つく人かもしれない。外を歩く人はいない。
みんなでソーセージポトフを食べる。米を炊き、おにぎりを作るとなんだか戦中飯みたいだと、誰かが言った。
「古都は大丈夫かな…………」
妃梅は心配そうだった。
「しばらく使ってもらっていいですから。シーツの交換は少し間が空くかもしれませんけど。料理もうちで出しますし。バックギャモンでもしながら、リラックスしてください」
駿はいくつかのボードゲームを製図用の広いテーブルに置いていった。
囲碁、将棋、チェス、カタン、バックギャモン、麻雀。十人ばかりの宿泊客は、ふるまわれた酒を飲みながら、わいわいとボードゲームを楽しんだ。
清流と妃梅は囲碁をした。清流はほどほどに強かったが(よく恋夏とやっていた)、妃梅はそれに輪をかけて強かった。大石を取られて清流は負けた。
妃梅はシャワーから上がるとTシャツ短パンで階下へ降りてきた。カフェインレスの紅茶を清流は出した。
「少し寝たら?」
「鍵倉くんが先に寝る。だから僕は起きているんだ」
「少し寝たらと言っているの」
「だから…………」
「『だから』はこっちのせりふ。少し寝たら? 添い寝してあげてもいいよ。そう言っているの」
宿泊客が自室へと戻って、一人で玲凛と類雨の番をする清流に、妃梅は言った。
「添い寝のご提案は大変ありがたいのですが…………」
「わかった。もう寝る。おやすみっ!」
「おやすみ」
「清流くん。今日はありがとね。きれいな景色が見れた」
「うん」




