第19話 聖騎士試験、開幕
聖騎士とは、聖なる力を使う騎士のことではない。
少なくとも、王国アルヴェリオンにおける正式な定義は、そこまで単純ではなかった。神殿庁の古い教本には、聖騎士とは「王樹の根に誓い、民の命を守り、災厄の前に立つ者」と記されている。王樹とは世界樹であり、王国がその根元に都を築き、王権と信仰と地脈管理を重ねながら発展してきた歴史そのものを示す言葉でもある。聖の字がつくからといって、全員が聖属性を扱えるわけではない。炎を操る者もいる。土の防壁を築く者もいる。風で矢を曲げる者、水で血を止める者、無属性の魔力で剣を強化する者、属性をほとんど持たず、身体能力と判断力だけで前線に立つ者もいる。聖騎士の聖とは、力の色ではなく、誓約の重さを指しているのだと、ゾロ・スネイブルは三ヶ月に及ぶ試験対策講義の中で、笑顔のまま五回ほど説明していた。五回も説明された理由は、とおるが三回ほど「つまり聖属性が必須ではないんですね」と確認し、ミレイユが二回ほど「隊長のような聖属性の純度が理想ではある」と勝手に付け加えたからである。
王国の騎士には段階がある。地方軍や都市衛兵、貴族家の私兵、ギルド契約の戦闘員、神殿の護衛修士、それらとは別に、王権直属の正式騎士として登録される者たちがいる。聖騎士試験は、その正式騎士への門であり、とくに王樹十二華騎士団の候補者となるには、通常の武芸試験より遥かに厳しい審査を通過しなければならない。剣や槍が振れるだけでは足りない。魔力が強いだけでも足りない。王国法、騎士規範、戦場判断、護衛対象の優先順位、魔物災害時の避難誘導、術式事故への応急処置、地脈異常の基礎知識、隊列行動、報告書作成、民間人との対話、上官命令の解釈、時には命令が民の命と衝突した場合にどう判断するかまで問われる。これを初めて知ったとき、とおるは「騎士というより、戦闘もできる行政職では」と思った。ゾロは「かなり近いわね」と微笑んだ。ミレイユは「聖騎士をそんな味気ない言葉で表すな」と怒った。とおるは反省した。ほんの少しだが。
聖騎士とは、剣を持つ英雄である前に、国家の末端神経でもあった。王都の命令を辺境へ運び、辺境の異変を王都へ戻し、魔物の爪と民家の戸口の間へ立ち、貴族の面子と農民の安全がぶつかる場所で書類に署名したのち、古い封印の前で退屈な見張りを何年も続けながらいざ災厄が目を覚ませば最初に死ぬ場所へ配置される。美談として語れば華やかである。現場目線で見れば、責任と危険と睡眠不足が綺麗な紋章を着て歩いている。とおるはその説明を聞くたびに、なぜ自分がこの職業の試験を受けることになったのかを考え、毎回「リディアさんに断り切れなかったから」という人間関係の敗北へ帰結していた。
試験当日の朝、王都アルヴェリオンは世界樹の葉から降る淡い光に包まれていた。季節は風の月の終わり。朝の空気にはまだ涼しさが残り、城壁の上を渡る風は、遠くの市場で焼かれ始めた黒麦パンの香りと、騎士団区画の馬房から立ち上る干し草の匂いを混ぜて運んでくる。世界樹の幹は王都のどこからでも見上げられる巨大な柱のようにそびえ、根は中郭の地下を通って王城と騎士団区画を支え、枝は雲の下へ緑銀の影を伸ばしていた。朝日が葉の層を抜けるたび、都市全体へ細かな光の粒が降り、石畳の上でゆっくり消える。その美しさだけなら、神話の一場面のようだった。現実にはその神話めいた光の下で、壁山とおるは受験票を両手で握りしめ、胃の中に冷たい石を三つほど抱えたような顔で白華隊の馬車に揺られていた。
「顔色が悪いぞ」
向かいに座るミレイユが言った。今日の彼女は、白華隊の軽装鎧ではなく、聖騎士試験の規定装備を身につけている。白を基調とした訓練用の胴衣に、胸と肩を守る薄い銀色の防具、腰には試験用の木剣と短剣、左腕には魔力反応を記録する腕輪。銀灰色の髪は普段より少し高い位置で結ばれ、菫色の瞳は朝から戦場のように澄んでいる。見た目だけなら、未来の聖騎士を象徴する清廉な候補者そのものだった。口を開けば「貴様、緊張で死にそうな顔をするな」と言ってくるので、清廉さに毒針がついている。
「試験当日に顔色がいい人は逆に信用できません」
「私は悪くない」
「ミレイユさんは例外です。たぶん緊張を白雷で焼いています」
「焼けるものなら焼いている」
「焼けないんだ」
「当たり前だ。私だって緊張くらいする」
とおるは少し意外そうに彼女を見た。“ミレイユが緊張する”というのは言葉としては理解できる。人間なので当然と言えば当然だ。とはいえ普段の彼女は訓練場で白雷をまとい、木剣を構えながら他人の姿勢と覇気と足運びを容赦なく裁く側にいるため、緊張というより周囲へ緊張を配布している印象が強かった。
「意外です」
「何が」
「ミレイユさんにも人間味が」
「殴るぞ」
「試験前の暴力は減点対象では」
「試験会場に着く前なら記録されない」
「発想が怖い」
馬車の前方では、ゾロが御者台の近くに腰掛け、今日も艶やかな笑顔を浮かべている。白華隊第三席としてではなく、指導役として二人を送り届ける立場らしい。移籍を控えた彼女にとって、これが白華隊での最後の大きな指導任務になる。黒と紅の髪が朝風に揺れ、耳飾りが小さく鳴るたび、とおるは三ヶ月間にわたる外周走、崖登り、筋力訓練、術式演算、夜間座学の記憶を思い出し、身体のあちこちが条件反射で痛む気がした。
「二人とも、いい顔ね」
ゾロが振り向かずに言う。
「一人は気合いが入りすぎて肩が硬く、もう一人は帰りたい気持ちが全身から漏れているわ」
「後者、俺ですね」
「正解」
「顔に出ていますか」
「顔、背中、膝、指先、魔力の揺れ。全部」
「情報漏洩が全身規模」
「試験では隠しなさいね」
「隠せるなら苦労していません」
馬車は王都中郭の騎士団区画を抜け、王樹練兵聖庭へ向かった。そこは聖騎士試験の本会場として使われる広大な施設であり、世界樹の根が地表へせり出した丘陵地帯を利用して作られている。白い石壁に囲まれた敷地の中には、武芸場、術式演習場、地形訓練区、模擬市街、神殿式の誓約堂、筆記試験棟、医務棟、記録塔が並び、それらを巨大な根が自然の回廊のようにつないでいた。単なる訓練場ではない。聖騎士という制度の理念を、建築そのものへ落とし込んだ場所だった。剣を振る者は石の広場へ、術式を学ぶ者は結界の張られた塔へ、民を守る者は模擬市街へ、誓いを立てる者は世界樹の根元に設けられた堂へ向かう。戦う力、学ぶ力、守る判断、誓約。その四つを分けて試し、最後には一つの騎士として統合する。とおるは施設案内の説明を聞いた時点で、試験という言葉が持つ気軽さを完全に失った。
会場には、すでに大勢の受験者が集まっていた。若き見習い戦士、術者、地方軍から推薦された兵士、神殿護衛修士、貴族家の従騎士、各華隊の候補者、都市衛兵から抜擢された者、ギルドで実績を積んだ民間出身者。年齢は十代後半から二十代前半が中心で、中にはもう少し上に見える者もいる。装備も多様だった。長剣、槍、斧、弓、杖、盾、鎖付きの短槍、魔導書、符束、短剣二本を交差して背負う者、片腕に大型の術式具を装着した者。魔力の色もさまざまで、炎の赤、風の緑、水の青、土の黄、聖の白、無属性の透明な揺らぎが、緊張と興奮によって会場の空気へ細く漏れていた。
とおるは、その場へ足を踏み入れた途端、帰りたくなった。
人が多い。
強そうな人が多い。
目が前向きな人が多い。
剣や杖の手入れをしながら自信に満ちた顔をしている人、仲間と拳を合わせている人、黙って精神統一している人、神官らしい祈りを捧げている人、試験会場を見上げて闘志を燃やしている人。全員が、何らかの目的を持ってここに来ている。正式騎士になる。家名を上げる。故郷を守る。部隊へ入る。自分の力を証明する。そういう前向きな動機が、会場のあちこちから湯気のように立ち上っていた。
その中で、とおるの動機は非常に特殊だった。
リディアに断り切れなかった。
王国に放置される立場ではない。
ノクスの研究対象になりたくない。
村を守る力は必要。
干し芋が切れる前に帰りたい。
並べると、志望理由書に書ける項目が少ない。最後の項目は特に駄目だろう。採点者が優しくても評価に困るだろうし。
「壁山、胸を張れ」
ミレイユが横から言う。
「胸を張ると、目立ちます」
「試験会場で目立つことを恐れるな」
「目立たず合格できるルートは」
「ない」
「ないかあ」
「貴様は隊長推薦の受験者だ。すでに目立っている」
「事前に詰んでいた」
実際、とおるはすでに目立っていた。白華隊の馬車から降り、ミレイユと並び、ゾロに見送られている時点で、周囲の視線は集まっている。さらに、星の塔封鎖任務に関わった臨時協力員、白華隊長と何やら因縁のある壁使い、白華隊内で妙な噂を次々生んだ男、という断片的な情報が王都騎士団区画へ広がっているせいで、一部の受験者は明らかに彼を観察していた。
「彼が例の壁使いか」
「白華隊長の推薦らしい」
「武器は盾だけ?」
「いや、木剣も持っている」
「姿勢が普通だな」
「普通より少し帰りたそうだ」
とおるは聞こえないふりをした。
聞こえている。
とても聞こえている。
耳にも壁がほしいくらいに。
受付は、世界樹の根を加工した巨大な門の下で行われていた。候補者は推薦状、受験票、身元記録、魔力測定証を提出し、腕輪型の試験記録具を装着される。この腕輪は、試験中の魔力出力、術式使用回数、心拍に近い魔力波の乱れ、危険行為、失格条件を記録するものであり、不正防止と安全管理を兼ねている。とおるは腕輪を巻かれた時、「試験用ウェアラブル端末だ」と前世の言葉で理解しようとした。もちろん誰にも伝わらないのですぐに黙ったけれども。
受付の女性記録官が書類を見て、少しだけ眉を上げる。
「壁山とおる。第九華隊長リディア・アルヴェイン推薦。臨時協力員。出身地、特例非公開。属性、無。固有スキル、壁」
「はい」
「備考欄が長いですね」
「俺もそう思います」
「読んでよろしいですか」
「できれば読み飛ばしていただけると」
「規定により確認します。古代遺構接触経験あり、星の塔封鎖任務参加、境界干渉系の疑い、王樹中枢院暫定管理対象」
「字面が重い」
「試験中、特殊な術式を使用する場合は事前申告を」
「壁を出します」
「それ以外は」
「壁を飛ばしたり、壁を足場にしたり、壁を矢みたいにしたり」
記録官の筆が止まる。
後ろでミレイユが小さく言った。
「それはもう壁ではない」
「会場でも言うんですか」
受付を終えると、候補者たちは大広場へ集められた。中央には世界樹の若い根が半円形にせり上がり、その前に試験官席が設けられている。試験官は各機関から派遣されていた。王樹十二華騎士団の複数隊から上級騎士、王宮魔導院の術式評価官、神殿庁の誓約審査官、軍務府の戦術教官、医務庁の回路管理士、記録院の黒白印記録官。顔ぶれを見るだけで、試験が単なる武芸大会ではないことが伝わる。受験者たちは列を組み、番号ごとに並ばされた。とおるはミレイユの少し後ろへ立とうとしたところ、彼女に肘で押し戻され、番号順の位置へ立たされた。
「隠れるな」
「隠れていません。自然な位置調整です」
「隠れていた」
「はい。すいません」
試験官長として壇上へ立ったのは、王樹十二華騎士団総務局の副総監グラウ・エーレンフェルトだった。白髪混じりの厳格な男であり、書類の不備を剣より鋭く見抜くという噂がある。彼が姿を見せるだけで、広場のざわめきが一段下がった。とおるはリディアから会議の話を少しだけ聞いていたため、この人が自分の扱いを暫定的に決めた一人であることも知っている。つまり、できれば視界に入りたくない相手だった。もちろん試験官長なので、全員が視界に入る。
「諸君」
グラウの声は、魔導拡声器を通さずとも広場へよく響いた。
「本日より三日間、聖騎士試験を実施する。諸君の多くは、剣を磨き、術式を鍛え、各隊や各地で推薦を得てここへ来た。誇りを持つことはよい。自信も必要だ。ここで一つ、誤解を正しておく。聖騎士は、個人の強さを誇示する職ではない。王樹の名を負う者は、民の前に立ち、災厄の前に立ち、時には理解されぬ命令の前に立つ。剣を抜く判断だけでなく、剣を収める判断も問われる。仲間を進ませるために退くこと、守る対象を選ばざるを得ないこと、報告書一枚の遅れが村一つを危険に晒すこともある」
報告書一枚。
とおるは、その具体性に妙な重みを感じた。
騎士の試験で語られるのは、勇気や忠誠や力だけではない。書類の遅れ。護送路の選択。誓約と現場判断。そういう地味で逃げられない現実を含めて聖騎士なのだろう。彼は少しだけ背筋を伸ばした。隣のミレイユは、すでにまっすぐ立っている。悔しいくらい姿勢がいい。
「第一日は基礎測定と班別判断試験。第二日は武芸、術式、護衛行動。第三日は総合演習となる。班分けは既に記録院と試験官団が決定している。各班には異なる隊、異なる属性、異なる戦闘傾向の候補者を配置した。自分と似た者だけで戦える場など、現実には少ない。互いを見ろ。使え。補え。合格する者は、強い者ではない。守るために必要な判断を下せる者だ」
グラウが手を上げると、記録官たちが魔導板を起動した。広場の上空に淡い文字が浮かび、受験番号と班が表示される。とおるは自分の番号を探した。見つけたくないけど見つけないと困る。そういった複雑かつ挙動不審な気持ちで必死に文字列を追う。
第十七班。
壁山とおる。
ミレイユ・アスター。
アルセント・ラグナル。
カナデ・レーンベル。
バスティアン・グロム。
ネロ・ヴァン・クォーツ。
「ミレイユさんと同じですね」
「当然だ。ゾロ三席が試験官団へ訓練記録を提出していたからな」
「裏で何か調整されてません?」
「班は試験官団が決める」
「その試験官団へ資料を出した人の笑顔が脳裏に浮かぶんですが」
「考えるな。行くぞ」
第十七班の集合場所は、大広場の北側にある白い石柱の下だった。とおるとミレイユが向かうと、すでに四人の候補者が集まっている。それぞれがあまりにも個性的で、とおるは自分が地味枠として班のバランスを取る役目なのではないかと一瞬思った。次いで、いや自分は備考欄が長すぎる特殊枠だった、と気づいて少し落ち込んだ。
一人目は、金髪碧眼の青年だった。年は二十歳前後。背は高く、紺色の短外套に第一華隊〈金蘭〉の候補紋をつけ、腰には細身の片手剣、背には儀礼用にも見える美しい槍を担いでいる。身なりは整っており、立ち姿にも貴族的な品がある。本人もそれを自覚しているのか、世界樹の光を受けてやや斜めに立っていた。絵になる角度を知っているタイプである。青年はとおるたちを見るなり、爽やかに笑った。
「やあ、君たちが同じ班の候補者だね。私はアルセント・ラグナル。王都西区ラグナル伯爵家の三男で、第一華隊〈金蘭〉への配属を志望している。属性は風。槍と指揮補助が得意だ。よろしく頼む」
自己紹介の完成度が高い。
とおるは心の中で拍手した。貴族、爽やか、風属性、槍、第一華隊志望。あまりにも正統派で、逆に眩しい。第一華隊〈金蘭〉は王権護衛と儀礼戦闘を担う花形隊であり、王都の貴族社会との関わりも深い。そこを志望する貴族青年というのは、まっすぐな王道感がある。陽キャ専用装備の剣どころか、陽キャ専用人生を歩んでいそうだった。
「壁山とおるです。白華隊の臨時協力員です。無属性で、スキルは壁です」
「壁」
アルセントは目を輝かせた。
「噂の壁使いか。興味深い。ぜひ連携を見せてもらいたい」
「噂の内容によっては記憶を消してほしいです」
「安心したまえ。私は紳士なので、本人が嫌がる噂を初対面で広げたりはしない」
「ありがたい」
「ただし、後で確認はする」
「紳士の定義が揺らいだ」
二人目は、淡い水色の髪を肩で結んだ小柄な少女――ではなく、近くで見ると童顔の青年だった。神殿庁の白衣に似た薄青の法衣を着ており、胸には第四華隊〈蒼菫〉の推薦符が揺れている。腕には小さな鈴のついた杖を抱え、視線はやや下向き。人見知りの気配が濃い。彼はとおると目が合うと、慌てて会釈した。
「あ、えっと、カナデ・レーンベルです。神殿庁の治癒修士候補で、第四華隊の補助術者枠を希望しています。属性は水と音です。治癒、鎮静、聴覚探知が少しできます。戦うのは、その、あまり得意ではありません」
「分かります」
とおるは思わず言った。
カナデはぱっと顔を上げる。
「分かりますか」
「戦いが得意じゃない側の人間なので」
「よかった……いえ、よくはないんですけど、同じ班に分かってくださる方がいて、少し安心しました」
ミレイユが横から言う。
「試験で安心を求めるな」
カナデの肩がびくっと跳ねる。
とおるはすかさず言った。
「この人、言い方は怖いですけど、わりと面倒見はいいです」
「誰が面倒見がいい」
「ほら、すぐ面倒を見に来る」
「貴様を黙らせる必要があるだけだ」
カナデは二人を見比べ、少しだけ笑った。音属性の術者らしく、笑い声が小さな鈴のように柔らかい。彼の杖についた鈴が、それに合わせるように一度だけ鳴った。
三人目は、明らかに大きかった。身長も幅もある。岩のような肩、太い腕、土色の髪、日焼けした肌。背負っている盾はとおるの丸盾とは比べものにならない巨大さで、人一人が隠れられそうな大盾だった。年は二十代前半ほど。彼はとおるを見るなり、豪快に笑い、片手を差し出した。
「バスティアン・グロムだ! 北方砦の地方軍から来た! 属性は土! 得意なのは守ることと、飯をたくさん食うことだ! お前も盾持ちか、いいな!」
「壁山とおるです。盾持ちというか、盾しか持たない時期が長かったです」
「分かるぞ! 盾はいい! 相手の攻撃を受けた時、ここにいるぞと言える!」
「俺の場合、できればここにいないことにしたいんですが」
「はっはっは! 面白いな!」
通じているのか通じていないのか分からない。けれど、悪い人ではなさそうだった。バスティアンの笑い声は大きく、周囲の緊張を少しだけ吹き飛ばす力がある。とおるは、こういう人が班にいるのはありがたいかもしれないと思った。前に立ってくれる盾役は心強いし、自分の壁と組み合わせれば、かなり守備的な連携ができそうだ。問題は、彼が声も足音も存在感も大きいため、とおるの目立たない計画には向いていない点だった。
四人目は、全員から少し離れた場所で、黒い手袋をはめた指を組み替えながら立っていた。灰色の髪を片側だけ長く伸ばし、片目を隠している。細身で、年齢はとおると近いか少し上。黒と灰の短衣に、第六華隊〈黒蓮〉の推薦印がついた細い首飾りをしていた。腰には剣ではなく、試験規定ぎりぎりの小型魔導具が複数下がっている。彼は周囲を観察するように見てから、薄く笑った。
「ネロ・ヴァン・クォーツ。黒蓮の推薦枠。属性は無、少しだけ影。得意分野は解析、罠、術式分解。正面戦闘は嫌い。面倒だから」
「今、かなり共感しました」
とおるが言うと、ネロは片目を細めた。
「君が壁山とおるか。第六華隊の局長が、非常に採取したがっていた人物」
「その言い方やめてください」
「安心して。僕は採取より観察派だから」
「安心できる言葉の形をしていない」
「黒蓮では比較的安全なほうだよ」
「黒蓮基準、怖い」
ミレイユが露骨に警戒した顔をする。
「黒蓮推薦か」
「そういう顔をされるのには慣れているよ。白華の人たちは、黒蓮を危険物置き場だと思っている節があるからね」
「違うのか」
「危険物を置くだけなら倉庫で十分。僕らは分類し、調べ、できれば利用する」
「余計に悪い」
ネロは肩をすくめた。ノクスほど濃い狂気はない。むしろ冷静で、皮肉屋で、面倒くさがりに見える。とはいえ黒蓮推薦である。油断はできないし、何ならとおるの中で「黒蓮関係者は距離を取る」という生活ルールが追加された。
六人が揃ったところで、班付きの試験補助官がやって来た。白い腕章をつけた中年の女性騎士で、名前はヘルガ・ランツ。第十七班の監督補助を担当するらしい。彼女は候補者全員を一瞥し、手元の板へ印を入れた。
「第十七班。構成確認。白華推薦二名、第一華候補一名、第四華補助術者一名、北方地方軍一名、黒蓮推薦一名。属性は風、水音、土、無、無影、火雷。前衛二、防御二、補助一、解析一。かなり癖の強い班ですね」
「試験官側から言われると不安ですね」
とおるが呟くと、ヘルガ補助官は無表情でこちらを見た。
「壁山とおる。備考欄が長い方ですね」
「今日それ二回目です」
「特記事項が多い候補者は、こちらも注意します。試験中の特殊術式使用は記録されます。無断で会場設備へ干渉しないように」
「会場設備には壁を出しません」
「人にも、必要以上に出さないように」
「努力します」
「努力ではなく遵守してください」
「はい」
ミレイユが小声で言った。
「初対面の補助官にも注意されている」
「実績が積み上がってしまっている」
「積むものを間違えているぞ。今更だが」
ヘルガ補助官は説明を続けた。第一日の午前は班ごとに基礎測定と連携適性確認を受ける。午後は、模擬市街での判断試験。与えられた状況に応じて、民間人役の誘導、魔物役への対応、術式事故の封鎖、負傷者の保護を班で行う。個人能力だけでなく、誰が何を担当し、どの判断を選ぶかも評価される。班の成績は個人評価にも影響するため、仲間を切り捨てて単独で目立つ行動は減点対象になる。
「単独行動は減点です」
ヘルガが言った。
ミレイユがとおるを見る。
「逃げるな」
「まだ逃げてません」
「逃げる前に言った」
「予防線が早い」
アルセントが爽やかに笑う。
「まあまあ、同じ班になった以上、協力しよう。私は全体の指揮補助と風による移動支援ができる。ミレイユ嬢は前衛突破力、とおる君とバスティアン君は防御、カナデ君は治癒と探知、ネロ君は解析。配置としては悪くない」
「君、自然に仕切るね」
ネロが言う。
「貴族家で育つと、会議で黙っているほうが失礼になる場面が多くてね」
「面倒な家だ」
「同感だ」
「同感なんだ」
バスティアンは大盾を地面へ置き、嬉しそうに言った。
「俺は前に立てばいいんだな! 分かりやすい!」
「分かりやすい人がいると安心します」
とおるが言うと、バスティアンは豪快に頷いた。
「壁山、お前も盾仲間だ! 一緒に守ろう!」
「はい。できれば後ろ寄りで守ります」
「はっはっは! 前に来い!」
「盾職の価値観が合わない!」
カナデが控えめに手を挙げた。
「あの、僕は音で周囲の動きや隠れたものを探れます。ただ、音を広げるには少し時間が必要なので、守っていただけると助かります」
「任せろ!」
バスティアンが即答する。
「僕も罠の解析ならできる。解除は対象による。面倒なものは壊したほうが早い」
ネロが言う。
「試験で壊していいんですか」
とおるが尋ねると、ヘルガ補助官が淡々と答えた。
「壊したものによります。不要な破壊は減点。必要な破壊は判断点。過剰な破壊は修繕費請求です」
「修繕費」
「公的施設ですので」
「聖騎士試験、現実的」
ミレイユが低く言う。
「貴様は、まず壊す前提で考えるな」
「俺の壁が絡むと、何か壊れがちなので」
「自覚があるなら抑えろ」
「はい」
班の顔合わせは、想像以上に情報量が多かった。正統派貴族のアルセント、人見知り治癒術者のカナデ、豪快盾役のバスティアン、皮肉屋黒蓮推薦のネロ、白雷のミレイユ、そして壁のとおる。戦力としては悪くないのかもしれない。性格の組み合わせとしては、試験官団が何を考えているのか少し聞きたい。おそらく「異なる傾向の候補者を配置した」という説明の通りなのだろうが、お互いの方向性が違いすぎる。もう少し味を近づけてもよかったんじゃないか?
集合場所の近くで、鐘が鳴った。
第一試験開始の合図である。
王樹練兵聖庭の中央根門がゆっくりと開き、各班が順番に基礎測定区画へ案内されていく。空気が一気に引き締まり、候補者たちの表情が変わっていく。先ほどまで笑っていた者も、軽口を叩いていた者も、祈っていた者も、それぞれの武器を整え、腕輪の反応を確認し、前を向いた。
とおるも、丸盾の紐を握り直した。
…ああやばい。思った以上に手汗がひどい。
盾の革紐が少し滑る。
胸の奥では逃げたい気持ちがまだ元気に走り回っている。二ヶ月の訓練で体力はついた。魔力制御も改善した。剣の構えも最初よりはましになった。王国法と騎士規範も、ゾロの笑顔とミレイユの叱責に追われながら何とか頭へ詰め込んだ。それでも試験会場に立つと、自分が場違いに思える。周りの候補者たちは最初からここを目指してきたように見える。自分だけが、村の水路修理から話の流れでここへ流されてきた漂流物のようだった。
その横で、ミレイユが短く言う。
「とおる」
下の名前だった。
いつもなら「壁山」か「貴様」である。
とおるは少しだけ驚いて彼女を見た。
「何ですか」
「逃げるな。私の足を引っ張るな。勝手に妙な壁を出すな」
「応援の言葉かと思ったら三連注意」
「最後まで聞け」
「はい」
ミレイユは前を向いたまま、ほんの少し声を落とした。
「……貴様の壁は役に立つ。とにかく私が前へ出る。貴様は、私が見落とす場所を見ろ」
とおるは言葉に詰まった。
それは、信頼と言ってよかったのかもしれない。
かなり不器用で、命令形で、前半に罵倒に近い注意が三つついていたとしても、彼女は自分の壁を戦力として見てくれている。最初に訓練場で木剣を向けてきた時とは違う。隊長の敗北を否定したい相手ではなく、同じ班の一員として。
とおるは、小さく笑った。
「了解です。できるだけ、妙じゃない壁を出します」
「できるだけでは困る」
「善処します」
「その言葉は信用できない」
「王都に来て学びました」
アルセントが横から爽やかに言った。
「いい連携ができそうだね」
「今の会話でそう思えるなら、アルセントさんはだいぶ前向きです」
「前向きさは貴族社会で生きる技術の一つだよ」
カナデが小さく笑い、バスティアンは大盾を担いで「よし、行くぞ!」と声を上げ、ネロは面倒そうにしながらも腕輪の記録具を確認した。
第十七班が動き出す。
聖騎士試験。
王国の若き候補者たちが、己の力と判断と誓いを試される三日間。
世界樹の根元で始まるこの試験は、とおるにとって平穏からさらに遠ざかる大きな一歩だった。
それでも、足元には仲間がいる。
隣にはミレイユがいる。
前には未知の試験があり、背後にはリディアとゾロの訓練が積み上げた二ヶ月がある。
帰りたい気持ちは消えない。
緊張も消えない。
それらを抱えたまま壁山とおるは盾を握り直し、王樹練兵聖庭の白い石門をくぐった。
そして心の中で、いつものように非常に現実的なことを考えた。
試験が三日間なら、干し芋は足りる。
世界樹の葉が風に揺れ、聖騎士試験の第一試験が始まろうとしていた。




