■第97話「掲示板が埋まる日」
ギルドの掲示板は、朝が一番うるさい。
紙なのに、うるさい。
依頼票が貼られる音。
冒険者達がそれを覗き込む気配。
誰かが報酬額に反応する声。
誰かが危険度に顔をしかめる声。
ミレナの「依頼票を勝手に剥がさないでください」という注意。
エインの「これ行けますか!」という元気すぎる声。
カイルの「声が大きい」。
レオンの「移動距離も確認すべきです」。
メイナの「報酬だけ見ない」。
リオの「まず内容を読もう」。
ガルドの「面倒そうだな」。
ナナの「朝から元気だねぇ」。
それら全部が集まって、掲示板前はいつも騒がしい。
けれど、その日の掲示板は少し違っていた。
「……多くないですか?」
リオが言った。
朝。
掲示板の前には、いつもの倍近い依頼票が貼られていた。
上段から下段までびっしり。
採取依頼。
荷運び依頼。
修繕依頼。
護衛依頼。
見回り。
倉庫整理。
農地の魔物避け。
古い道標の修理。
街道脇の倒木除去。
薬草棚の補充。
果樹園の再確認。
小さな橋の点検。
迷子の家畜探し。
そして、いくつかの討伐依頼。
危険度の高いものは少ない。
だが、数が多い。
貼られた紙が重なりそうなくらい多い。
「多いですね」
ミレナが受付で頷いた。
声は落ち着いているが、机の上にも追加の書類が積まれている。
「昨日の夕方から今朝にかけて、まとめて依頼が来ました」
「なんで急に?」
エインが目を丸くする。
「最近、街道や村の小さな問題が増えているようです。大きな事件ではありませんが、放置すると困るものが多いですね」
「小さな問題」
メイナが掲示板を見る。
「倒木とか、橋の点検とか、畑の見回りとか」
「雨の影響もあるだろう」
アルが奥から言った。
「豪雨の後、すぐには見えなかった傷みが出てきている」
「なるほど」
リオは頷いた。
あの豪雨の日から少し経っている。
その場では大丈夫に見えた道や橋も、後から不具合が見つかることがある。
「それに」
ナナが酒場側から言う。
「最近このギルド、頼みやすくなってるんじゃない?」
「頼みやすく?」
リオが聞き返す。
「ほら、手紙の配達とか、棚直しとか、果樹園とか、そういうのちゃんとやってるでしょ。魔物退治だけじゃなくて、細かいことも頼めるって広まったんじゃない?」
「それは……いいことなんですかね」
「いいことだよ」
ナナは笑う。
「忙しくなるけどね」
ガルドがいつもの席で水を飲んでいた。
まだ酒は禁止中である。
本人は不満そうだが、セリアが一言「駄目です」と言うだけで黙る。
「細かい依頼は面倒だぞ」
「ガルドさん、昔からやってますよね」
リオが言う。
「棚とか水路とか」
「覚えてねえ」
「昨日もそう言ってました」
「今日も覚えてねえ」
ガルドは水を飲む。
ナナがにやにやする。
「水、似合ってきたね」
「似合ってたまるか」
「健康的」
「うるせえ」
セリアが穏やかに言う。
「今日も水でお願いしますね」
「……分かってる」
素直だ。
まだ本調子ではないらしい。
「ガルドさん、今日は依頼出ないんですよね?」
エインが聞く。
「出ねえ」
「えっ、出ないんですか?」
「出ねえよ。セリアがうるさい」
「当然です」
セリアが笑顔で言った。
「熱が下がった翌日に依頼へ行くのは駄目です」
「だそうです」
リオが言う。
「お前まで」
「僕も風邪明けで追い返されたので」
「根に持ってるのか」
「学んでるんです」
ガルドは嫌そうにしつつ、反論しなかった。
ミレナが掲示板の前へ出てきた。
「今日は依頼の振り分けを慎重に行います。数が多いので、無理に全部受けようとしないこと。優先順位をつけます」
「はい!」
エインが元気よく返事をする。
「声は大きいですが、今日は悪くありません」
ミレナが言った。
エインが驚く。
「えっ、褒められた!?」
「返事自体は良かったです」
「やった!」
「ただし、依頼選びで調子に乗らないでください」
「はい!」
カイルが横から言う。
「今日の返事は少しだけ良い」
「カイルさんまで!?」
「少しだけだ」
「でも嬉しいです!」
朝からエインの調子が上がる。
リオは少し不安になった。
「調子に乗らない」
「はい!」
やっぱり少し乗っている。
ミレナは依頼票を順番に指差した。
「まず、街道脇の倒木除去。これは通行に影響があるので優先です。ベルクさんとトーマさんを中心にお願いします」
「おう!」
ベルクが胸を叩く。
「力仕事なら任せろ!」
「二日酔いは?」
ナナが聞く。
「治った!」
「本当に?」
「水飲んだ!」
「偉い」
「褒められた!」
ベルクが笑う。
ミレナは次の依頼へ移る。
「小橋の点検。これはドーガさんとレオンさん、お願いします。構造の確認が必要です」
「分かった」
ドーガが短く頷く。
「承知しました」
レオンも頷く。
「橋の状態、支柱、床板、流木の引っかかりを確認します」
「お願いします」
「えっ、レオンこっち?」
エインが少し寂しそうに言う。
「はい」
レオンは真面目に答える。
「橋の点検は重要です」
「分かるけど!」
「エインさんは別依頼でしょう」
「そうですね!」
ミレナは続ける。
「果樹園の再確認。エインくん、メイナさん、リオくんで」
「あ、俺!」
エインの顔が明るくなる。
「前回の続きですね!」
「はい。木鼠の被害が再発していないか確認してください。前回の記録がありますので、それを参考に」
「はい!」
「エインくん」
「はい!」
「前回の判断が良かったので、今回は確認作業を任せます。ただし、リオくんとメイナさんの指示を聞くこと」
エインが固まった。
「……任せる?」
「はい」
「僕に?」
「はい」
「また褒められた!?」
「調子に乗らない」
リオとメイナが同時に言った。
「はい!」
ミレナは少しだけ笑った。
「次、古い道標の修理。これはユーンさん」
「はい!」
ユーンが立ち上がる。
「普通に便利な看板修理ですね!」
「普通に安全にお願いします」
「はい!」
「レオンさんは別依頼なので、安全確認票は先に出してください」
「既に書きました!」
「早いですね」
ミレナが受け取る。
ユーンは胸を張った。
「今回は回転しません」
「当たり前です」
「発光もしません」
「しなくていいです」
「音も鳴りません」
「鳴らさないでください」
「ただ、雨に強い塗料を」
「それは良いです」
ユーンがぱっと明るくなる。
「良い!」
「普通に便利ですね」
リオが言う。
「普通に便利です!」
ユーンは嬉しそうだった。
少し前まで落ち込んでいた彼が、今はちゃんと方向を変えている。
それを見ると、リオも少し嬉しい。
「薬草棚の補充は、セリアさんとミレナさんで確認。ナナさんは昼以降、食料の手配を」
「はいはい」
ナナが答える。
「アルさんは?」
リオが聞く。
「俺はここに残る」
アルが言う。
「依頼が多い日は、連絡と判断が必要だ」
「そうですね」
アルがいるだけで、今日のような日は安心する。
アルがいない日の大変さを、皆もう知っている。
振り分けが終わる頃には、掲示板の依頼票が少しずつ剥がされ、受付で手続きされていった。
それでも、まだたくさん残っている。
「全部は無理だな」
ガルドが言った。
「ですね」
リオが頷く。
「でも、少しずつ片付きます」
「そうだな」
ガルドは空席にならなかった椅子に座り、水を飲む。
「急ぐなよ」
「はい」
「小さい依頼ほど、雑にやると後で増える」
「分かります」
「本当に分かってるか?」
「最近、少しずつ」
「ならいい」
その言い方が、いつものガルドらしくて、リオは少し安心した。
果樹園へ向かう道は晴れていた。
前回より空気が乾いている。
エインは先頭を歩きかけて、すぐに振り返った。
「先に行きすぎない!」
「自分で言った」
メイナが笑う。
「成長しました!」
「調子に乗らない」
「はい!」
リオは前回の報告書を手にしている。
木鼠の足跡。
出入りしていた倒木。
忌避剤を撒いた場所。
依頼人に伝えた注意点。
前回エインが自分で説明した内容だ。
「エイン」
「はい!」
「今日はまず何を見る?」
「落ちた果物の有無!」
「いいね」
「次に、前回の足跡があった場所!」
「うん」
「それから、倒木周辺の出入り跡!」
「完璧じゃない?」
メイナが言う。
エインは嬉しそうになる。
だが、すぐに両頬を叩いた。
「調子に乗らない!」
「自分で制御してる」
リオは笑った。
果樹園の主は、リオ達を見て笑顔で迎えた。
「また来てくれたのか。助かるよ」
「再確認に来ました!」
エインが少し大きめの声で言う。
だが、前より抑えている。
「前に言った落ちた果物の片付け、してくれましたか?」
「ああ。毎朝見回るようにしたよ」
「ありがとうございます!」
エインは畑の中へ入る前に足元を見る。
果樹の根。
落ちた枝。
湿った土。
ちゃんと確認している。
リオとメイナは少し後ろから見守った。
「なんか、本当に任せられる感じになってきたね」
メイナが小声で言う。
「うん」
リオは頷く。
「まだ危なっかしいけど」
「そこは変わらないね」
「でも、前よりずっといい」
エインは前回の出入り口だった倒木へ向かう。
しゃがみ込み、土を見る。
「新しい足跡は……少ないです」
「どうしてそう思う?」
リオが聞く。
「土が乾いてて、はっきりした跡がないからです。あと、果物のかじられ跡も新しくないです」
「いい判断」
エインの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「声」
「あ、はい」
少し抑える。
メイナが木の上を見た。
「枝の新しい傷も少ないね」
「じゃあ、被害は落ち着いてる?」
「そうだね」
リオは報告書と照らし合わせる。
「忌避剤の効果も残ってるかも。ただ、雨が降ったらまた確認した方がいい」
「依頼人に伝えます!」
エインは走り出そうとして、止まった。
歩く。
リオとメイナは顔を見合わせる。
「今、走らなかった」
「走らなかったね」
「かなり成長」
エインが振り返る。
「聞こえてます!」
「褒めてる」
「ありがとうございます!」
果樹園の再確認は無事に終わった。
大きな被害なし。
再発の兆候は少ない。
ただし雨後の再確認を推奨。
エインは依頼人にきちんと説明した。
「もしまた落ちた果物が増えたり、木の上に新しいかじられ跡があったら、ギルドに連絡してください。奥の森へは一人で入らないでください」
果樹園の主は感心していた。
「前よりしっかりしたなぁ」
エインの目が輝く。
だが、今度は胸を張りすぎなかった。
「ありがとうございます。前回、色々教わったので!」
リオは少し驚いた。
自分だけの手柄にしない。
ちゃんと周囲から学んだと言える。
それも成長だ。
帰り道、エインは嬉しそうだった。
だが、浮かれすぎてはいない。
「今日、報告書も自分で書きます!」
「いいね」
リオが言う。
「前回より分かりやすく書きます!」
「期待してる」
「はい!」
その頃、ギルドでは別の小さな騒ぎが起きていた。
リオ達が戻ると、ユーンが掲示板横に立っていた。
手には小さな道標の板。
表情は妙に誇らしげ。
「どうしました?」
リオが聞く。
「修理が完了しました!」
ユーンが胸を張る。
「普通に便利な方向で!」
「どんな感じに?」
ユーンは板を見せた。
矢印が塗り直され、雨よけの小さな屋根がついている。
文字は見やすく、木材の角は丸く削られている。
裏には固定用の金具がついているが、過剰ではない。
ちゃんと普通だ。
ちゃんと便利そうだ。
「いいじゃないですか」
リオが言う。
「本当ですか?」
「はい。すごく普通に便利です」
ユーンは噛みしめるように頷いた。
「普通に便利……」
その横でレオンが橋の点検から戻ってきた。
「ユーンさん、道標の雨よけは良い構造だと思います」
「レオンさん!」
「ただし、固定部の釘は定期確認が必要です。木材が乾燥すると緩む可能性があります」
「なるほど。点検時期を書いておきます」
「それがよいかと」
「ありがとうございます!」
レオンとユーンが普通に技術の話をしている。
少し前までなら、止める側と止められる側だった。
今は相談になっている。
それが、なんだか良かった。
「橋はどうでした?」
メイナが聞く。
レオンは記録板を見る。
「小橋は通行可。ただし、東側の支柱に軽度の腐食があり、雨が続く場合は補修推奨。ドーガさんが応急補強しました」
「ドーガさんが?」
ドーガは無言で頷いた。
「木を当てた」
「それだけで分かるような分からないような」
リオが言う。
「でも、助かったんですね」
「助かった」
レオンが頷く。
「ドーガさんは、無駄がありません」
ドーガは何も言わない。
だが少しだけ、満足そうに見えた。
ベルク達も戻ってきた。
倒木除去は力仕事だったらしく、ベルクは泥だらけだった。
「終わったぞ!」
「お疲れ様です」
ミレナが言う。
「倒木は?」
「半分に切って脇へ寄せた! トーマが荷車出してくれたから、後で薪にできる!」
「無駄がなくていいですね」
「だろ!」
ベルクは笑う。
「水も飲んだぞ!」
「偉い」
ナナが言う。
「今日は褒められる日だな!」
「調子に乗らないでください」
セリアが微笑む。
「はい!」
ベルクまで素直になった。
午後が過ぎるにつれ、掲示板の依頼票は少しずつ減っていった。
全部ではない。
でも、朝の圧迫感はなくなった。
依頼が処理され、報告書が集まり、ミレナが分類し、アルが確認する。
ナナは戻ってきた者に温かい食事を出し、セリアは怪我人がいないか確認した。
ガルドは出られない代わりに、報告を聞いて口を挟んでいた。
「その橋、次の雨でまた見るべきだな」
「はい」
レオンがメモする。
「果樹園は落ち着いてるなら、一週間後でいい」
「はい!」
エインが頷く。
「道標は、固定が甘いと風で飛ぶぞ」
「点検します!」
ユーンが答える。
「お前は飛ばすなよ」
「飛ばしません!」
ガルドは水を飲みながら、面倒くさそうに皆を見ている。
でも、休んでいる間もちゃんとギルドの一部だった。
夕方。
ミレナが掲示板を見上げた。
「かなり片付きましたね」
「全部じゃないですけど」
リオが言う。
「はい。でも、優先度の高いものはほとんど処理できました」
アルが頷く。
「良い動きだった」
その一言で、全員が少し背筋を伸ばした。
アルの褒め言葉は短い。
だが、重い。
「今日は皆、役割がはっきりしていました」
ミレナが言う。
「それぞれが、自分の得意なことをしてくれたので助かりました」
「俺、得意なことできましたか?」
エインが聞く。
「できていました」
「やった!」
「ただし報告書をこれから書いてください」
「はい!」
エインは元気よく机に向かった。
レオンは橋の報告。
ユーンは道標修理の報告。
ベルクは倒木除去の報告。
メイナは果樹園補足。
リオは全体のまとめ補助。
ガルドは口を挟むだけ。
だが、その口出しが妙に役に立つ。
「そこ、雨後って書いとけ」
「はい」
「倒木の根元は残ってるなら、次の草刈りで邪魔になるぞ」
「追記します」
「果樹園の倒木はそのままでいいのか?」
「あ、確認忘れました」
エインが固まる。
「次回確認事項に入れろ」
「はい!」
ガルドは出ていないのに、報告書を締める役みたいになっていた。
「ガルドさん」
リオが言う。
「今日、かなり働いてません?」
「働いてねえ」
「口が働いてます」
「口だけなら病人でもできる」
「病人は寝てください」
「うるせえ」
セリアが微笑む。
「ガルドさん、そろそろ休憩です」
「もうしてる」
「本当の休憩です」
「……分かった」
素直になった。
ギルドの全員が少し驚いた。
「何だ」
ガルドが睨む。
「いえ」
リオが笑う。
「水が効いてますね」
「関係ねえ」
夜。
掲示板には、まだいくつかの依頼票が残っていた。
でも、朝のように埋まってはいない。
隙間がある。
その隙間が、今日一日の働きを示していた。
ナナが酒場に食事を並べた。
「今日はみんなよく働いたからね。少し多め」
「肉ありますか!」
エインが聞く。
「あるよ」
「やった!」
「でも先に報告書」
「はい……」
エインはしょんぼりしつつ書く。
その様子を皆が笑う。
レオンはきっちり報告書を仕上げ、ユーンの道標修理報告にも目を通していた。
「ユーンさん、今回の報告は分かりやすいです」
「本当ですか?」
「はい。危険機構がないため説明が簡潔です」
「褒めてます?」
「褒めています」
「ありがとうございます!」
メイナが言う。
「危険機構がないと、報告書も平和なんだね」
「真理ですね」
リオが頷く。
ユーンは複雑そうだったが、嬉しそうでもあった。
食事の時間、ミレナがふと掲示板を見た。
「こういう日が、これから増えるかもしれませんね」
「依頼が多い日ですか」
リオが聞く。
「はい。小さな依頼が増えるということは、それだけこのギルドに頼る人が増えているということです」
「忙しくなりますね」
「忙しくなります」
ミレナは苦笑する。
「でも、悪くないです」
ナナが頷く。
「町の人が、困ったらここに言えばいいって思うのはいいことだよ」
「ただし」
アルが静かに言う。
「受けすぎるな」
「はい」
ミレナが頷く。
「無理をして全部抱えれば、かえって失敗します」
「手が届く分だけ」
リオは思わず言った。
ガルドがちらりと見る。
「覚えてたか」
「はい」
「ならいい」
手が届く分だけ。
誰も知らない手紙を届けた時に言われた言葉。
今日の掲示板にも、その言葉が合う気がした。
全部はできない。
でも、優先順位をつけて、できることをやる。
そうやって、少しずつ町や村の困りごとを減らしていく。
「リオくん」
ミレナが言う。
「はい」
「今日のまとめ、助かりました」
「いえ」
「少しずつ、全体を見るのが上手になっていますね」
リオは少し驚いた。
「そうですか?」
「はい」
「自覚ないです」
「自覚がない方が、いい時もあります」
セリアが笑う。
「でも、無理はしないでください」
「はい」
リオは頷いた。
最近、自分が何かの中心になることが増えている気がする。
でも、中心というほど大げさではない。
誰かと誰かの間に立つ。
エインを見守る。
メイナと相談する。
レオンの言葉を少し柔らかくする。
ユーンを止めつつ聞く。
ミレナの手を少し助ける。
ガルドの言葉を若手に伝える。
そういう小さな役割だ。
それが少しずつ、自分のものになってきている。
「リオ」
ガルドが呼んだ。
「はい」
「考えすぎるなよ」
「顔に出てました?」
「出てた」
「すみません」
「謝ることじゃねえ」
ガルドは水を見て、少し嫌そうな顔をした。
「酒が飲めねえと、余計なことが見える」
「健康的ですね」
「うるせえ」
ナナが笑う。
「ガルド、水期間、しばらく続けようか」
「ふざけるな」
「でもよく見えるんでしょ?」
「見えなくていい」
ギルドが笑う。
その笑いの中で、リオは掲示板を見た。
朝は埋まっていた。
夕方には隙間ができた。
それは、今日皆が動いた証拠だった。
ベルクの力仕事。
ドーガの無駄のない補強。
レオンの記録。
ユーンの普通に便利な修理。
エインの再確認。
メイナの観察。
ミレナの振り分け。
アルの判断。
ナナの食事。
セリアの見守り。
ガルドの口出し。
そして、自分の小さな補助。
全部が合わさって、掲示板に隙間を作った。
それが、なんだか嬉しかった。
夜も深まり、皆が少しずつ帰っていく。
掲示板の前に、リオは最後まで残った。
まだ残った依頼票がある。
明日やるもの。
明後日に回すもの。
人手を確認するもの。
終わらない。
でも、終わらなくていい。
明日もギルドは開く。
誰かが来る。
誰かが依頼を貼る。
誰かがそれを読む。
誰かが受ける。
失敗することもある。
笑うこともある。
怒られることもある。
それでも、少しずつ進んでいく。
「何見てるの」
ナナが声をかけた。
「掲示板です」
「見れば分かる」
「今日、朝は埋まってたなって」
「うん」
「明日もまた埋まるかもしれませんね」
「そうだね」
「大変ですね」
「大変だよ」
ナナは笑う。
「でも、悪くないでしょ」
「はい」
リオは頷いた。
「悪くないです」
その時、二階へ戻るはずだったガルドが、少し離れたところから言った。
「明日も朝からうるせえんだろうな」
「ですね」
リオが答える。
「エインがいるので」
「声が大きいからな」
「カイルさんと同じこと言ってますよ」
「同じにするな」
「でも、戻ってきてよかったです」
「またそれか」
「はい」
ガルドはため息を吐いた。
「大げさなんだよ」
「そうかもしれません」
「俺はただ熱出しただけだ」
「でも、席が空いてると変だったので」
ガルドは少し黙った。
「……そうか」
「はい」
「なら、明日は座っとく」
「依頼には出ないでくださいね」
「分かってる」
「本当に?」
「セリアが怖えからな」
「正直でいいと思います」
ガルドは水の入った杯を持ち上げた。
「この水、明日で終わりだ」
「セリアさんに聞いてからですね」
「くそ」
ナナが笑う。
掲示板には、まだ少しだけ依頼票が残っている。
でも、ギルドの中は温かい。
明日もきっと騒がしい。
明日もきっと誰かが何かを忘れる。
ユーンは何か作ろうとする。
エインは声が大きい。
ミレナは注意する。
ガルドは文句を言う。
ナナは笑う。
それでいい。
この場所は、そうやって回っている。
掲示板が埋まる日。
それは、ただ忙しい一日だった。
でも、リオにとっては、少しだけ分かった日でもあった。
このギルドは、一人で動いているわけではない。
誰か一人が英雄みたいに全部片付ける場所ではない。
小さな役割を持った人達が、少しずつ手を伸ばし、届く分だけ拾っていく場所だ。
その結果、朝埋まっていた掲示板に、夜には少し隙間ができる。
たぶん、それでいい。
いや。
それがいい。
リオは最後に掲示板の端を整えた。
少し曲がっていた依頼票をまっすぐにする。
その紙には、明日の依頼が書かれている。
小さな橋の再点検。
道標の追加確認。
薬草棚の補充。
どれも地味だ。
でも、きっと大事だ。
「明日もやりますか」
リオが呟く。
「やるんだろ」
ガルドが言う。
「はい」
「なら寝ろ」
「はい」
ガルドの雑な一言が、今日の終わりの合図になった。
リオは笑って、掲示板から離れた。
明日もまた、紙は貼られる。
そしてまた、誰かがその前に立つ。




