■第95話「ガルドが寝込む日」
ガルドは丈夫だ。
本人もそう思っている。
周囲もそう思っている。
怪我をしても動く。
骨にひびが入っても「動くから問題ねえ」と言う。
熱があっても酒を飲もうとする。
寝不足でも依頼へ行く。
昔、腹を斬られた状態で三人担いで戻ってきたことがあるらしい。
ベルク曰く、「あの時のガルドは血より酒の心配してた」。
セリア曰く、「本当に怒りました」。
つまり、かなり丈夫だった。
だからこそ。
朝、ガルドが起きてこなかった時。
ギルドは少しざわついた。
「……遅いですね」
リオが言った。
朝食の時間。
ガルドの姿がない。
別に珍しくない日もある。
依頼で早く出ている時もある。
外で寝ている時もある。
通路で寝ていてミレナに怒られている時もある。
だが今日は、違った。
「部屋にいる」
アルが短く言った。
「確認したんですか」
「ああ」
「起きないんですか?」
「起きる気配がない」
その言葉で、空気が変わった。
ガルドが寝ている。
それだけならいい。
だが、“起きる気配がない”は少し怖い。
「……セリアさん?」
リオが振り向く。
セリアは既に立ち上がっていた。
「見てきます」
静かな声。
そのまま二階へ向かう。
ナナが珍しく真面目な顔になる。
「ベルク」
「おう」
「昨日、変なもん飲ませてないよね」
「飲ませてねえよ!」
「本当に?」
「普通の酒だ!」
「お前が言うと不安だな」
「なんでだ!」
ベルクが叫ぶ。
だが、少し不安そうでもある。
ドタドタとエインが階段を見上げた。
「ガルドさん、大丈夫ですよね!?」
「声が大きい」
カイルが言う。
「すみません!」
でも、皆少し落ち着かない。
ガルドが弱るイメージが薄すぎるのだ。
しばらくして、セリアが戻ってきた。
「熱です」
全員が止まる。
「熱」
リオが聞き返す。
「はい。かなり高いですね」
「ガルドさんが?」
「はい」
ベルクが腕を組んだ。
「……珍しいな」
「かなり」
セリアは頷く。
「疲れが溜まっていたんだと思います。あと、朝まで飲んでいましたし」
「うっ」
ベルクが視線を逸らした。
「ベルクさんも原因側です」
「はい……」
珍しく素直だった。
「とりあえず、今日は完全休養です」
「ガルドさん、納得します?」
リオが聞く。
セリアが少し遠い目をした。
「しませんでした」
「ですよね」
「“寝てりゃ治る”と言っていました」
「言いそう」
「なので」
セリアが微笑む。
「寝かせました」
全員が少し黙る。
「どうやってですか?」
エインが恐る恐る聞く。
「治療師には色々あります」
「怖い!」
エインが震えた。
ナナがため息を吐く。
「まあ、あの馬鹿はそうでもしないと休まないからね」
「馬鹿とはなんだ」
二階から声。
全員が見上げる。
ガルドだった。
階段の途中。
ふらついている。
顔色が悪い。
髪も少し乱れている。
明らかにいつもと違う。
「戻ってください」
セリアが即答した。
「腹減った」
「戻ってください」
「飯食ったら寝る」
「駄目です」
「なんでだ」
「階段で倒れたらどうするんですか」
「倒れねえ」
言った瞬間、ふらついた。
全員が黙る。
「ほら!」
セリアが怒る。
「今ふらつきました!」
「床が揺れた」
「揺れてません!」
「揺れてた」
「ガルドさん」
リオが真顔で言う。
「見苦しいです」
「お前」
「弱ってる時くらい休んでください」
「……」
ガルドは嫌そうな顔をした。
だが、そのまま一段降りた瞬間。
「うおっ」
ぐらっと揺れた。
アルが即座に動く。
支えた。
「戻るぞ」
「離せ」
「戻るぞ」
「おい」
「戻る」
アルは強かった。
熱で弱ったガルドでは抵抗にならない。
そのまま半ば引きずるように二階へ戻される。
エインがぽかんと見ていた。
「……ガルドさん、負けるんですね」
「熱あるからな」
ベルクが言う。
「あと、アルは普通に強い」
「それもそうでした」
しばらくして、セリアが再び下りてきた。
「今日は絶対安静です」
「そんなに悪いんですか?」
リオが聞く。
「命に別状はありません。でも、無理すると長引きます」
「ガルドさん、絶対無理するタイプですよね」
「はい」
セリアが即答した。
「なので、監視します」
「監視」
「抜け出そうとするので」
「そこまで」
「そこまでです」
セリアは真顔だった。
皆、納得した。
そして問題が発生した。
「……静かですね」
リオが言う。
「静かだな」
ナナも頷く。
ガルドがいないだけで、酒場の空気が違う。
いつもの席が空いている。
そこでだらける人間がいない。
誰かに雑な言葉を投げる声がない。
たまに飛んでくる「うるせえ」もない。
「なんか変です」
エインが言う。
「落ち着かないですね」
メイナも頷く。
ガルドは騒ぐタイプではない。
むしろ静かな側だ。
なのに、いないと妙に空気が抜ける。
ベルクが腕を組んだ。
「……あいつ、思ったよりちゃんといたんだな」
「ひどい言い方」
ナナが言う。
「いや、でも分かる」
リオも苦笑した。
いるのが当たり前すぎたのだ。
昼頃。
事件が起きた。
「逃げた」
セリアが静かに言った。
全員が止まる。
「……誰がですか?」
リオが聞く。
「ガルドさんです」
「何やってるんですか!?」
エインが叫ぶ。
「声が大きい」
カイルが反射で言った。
「すみません!」
セリアは額を押さえた。
「少し薬を取りに行った隙に」
「逃げたんですか」
「窓から」
全員が黙った。
「熱あるんですよね?」
メイナが確認する。
「あります」
「窓から?」
「窓からです」
「馬鹿だ」
ナナが即答した。
「本当に馬鹿だ」
ベルクも頷く。
「でもガルドだな」
「納得したくない納得」
リオが頭を抱える。
「どこ行ったんですか!?」
エインが慌てる。
その時。
「……ここだ」
低い声。
全員が振り向く。
酒場の奥。
ガルドがいた。
椅子に座っている。
毛布を肩にかけたまま。
顔色は悪い。
でも酒を飲もうとしていた。
「駄目です!!」
セリアが即座に飛んだ。
酒を奪う。
「何する」
「何するじゃありません!」
「一口だ」
「熱があるんですよ!?」
「酒で消毒」
「消毒されるのはガルドさんの理性です!」
ギルドが吹き出した。
セリアが珍しく強い。
ガルドは不満そうだった。
「寝てろって言われても暇だ」
「暇でも寝てください」
「寝すぎると腰が痛え」
「知りません!」
「冷たいな」
「今のセリアさんは正しいです」
リオが言う。
ガルドはリオを見る。
「お前、最近俺に厳しくないか」
「ガルドさんが無茶するからです」
「昔はそんなこと言わなかった」
「昔より仲良くなったんですよ」
「……」
ガルドは少し黙った。
「気持ち悪い言い方するな」
「ひどい」
だが、少しだけ口元が緩んでいる。
セリアが毛布を引っ張った。
「戻ります」
「嫌だ」
「戻ります」
「ここで寝る」
「酒場で?」
「静かだろ」
「静かじゃないです」
エインがいる時点で静かではない。
「ほら」
ガルドが言う。
「賑やかだ」
「誤魔化さないでください」
「一階の方が落ち着く」
その言葉に、少しだけ皆が黙った。
ガルドは、ギルドにいるのが当たり前なのだ。
自室より、ここにいる方が落ち着く。
それはたぶん、本音だった。
ナナがため息を吐いた。
「……じゃあ、そこで寝な」
「ナナさん!?」
セリアが振り向く。
「どうせまた逃げるよ、この馬鹿」
「馬鹿って言うな」
「だから、一階で監視した方が早い」
全員が納得した。
「なるほど」
リオが頷く。
「確かに」
「じゃあ俺が見張ります!」
エインが元気よく言う。
「お前はうるさいから駄目だ」
ガルドが即答した。
「なんでですか!」
「寝れねえ」
「そんな!」
「実際そうですね」
メイナも頷く。
「エイン、途中で絶対話しかけるでしょ」
「……少しだけ?」
「駄目」
結果、ガルドは酒場の隅に寝かされた。
毛布。
枕。
水。
セリア特製の苦い薬。
そして監視付き。
ガルドは不満そうだった。
「大袈裟だ」
「病人が言う言葉ランキング一位ですね」
リオが言う。
「そんなランキングあるのか」
「今作りました」
「暇か」
「ガルドさんが寝込んだから」
「俺のせいみたいに言うな」
「原因です」
ミレナが即答した。
そこから始まったのは、“弱ったガルド観察会”だった。
「顔色悪いですね」
エイン。
「静かだ」
メイナ。
「いつもより発言数が少ない」
レオン。
「熱で消耗していますね」
セリア。
「珍獣扱いすんな」
ガルド。
全員が少し笑った。
だが、確かに珍しいのだ。
ガルドが毛布に包まって大人しくしている。
しかも反撃が弱い。
「ガルドさん」
リオが聞く。
「何だ」
「お粥食べます?」
「肉」
「病人が言う言葉ランキング二位です」
「だからそのランキングなんだ」
ナナが笑いながら、お粥を持ってきた。
「ほら」
「薄い」
「病人だから」
「味がしねえ」
「熱あるからだよ」
ガルドは嫌そうに食べ始めた。
妙に遅い。
普段のガルドなら、一瞬で食べ終わる。
「……」
リオは少しだけ不安になった。
本当にしんどいのだ。
ガルドが弱っている姿を見るのは、なんだか落ち着かない。
「リオくん」
ミレナが小声で言う。
「はい」
「心配してます?」
「……少し」
「皆同じですよ」
ミレナは静かに笑う。
「普段丈夫な人が弱ると、不安になりますよね」
「はい」
「でも、休めるのは良いことです」
その言葉に、リオは少し考えた。
確かに。
ガルドは無茶をしすぎる。
だから、こうして強制的に止まる日があってもいいのかもしれない。
夕方。
熱はまだ下がらない。
だが、少しだけ顔色は戻っていた。
その頃には、皆も慣れてきた。
「ガルドさん、水です」
エイン。
「薬です」
セリア。
「寝ろ」
ナナ。
「うるせえ」
ガルド。
いつもの流れである。
ただ、毛布付き。
ユーンは何か作ろうとしていた。
「病人用快適睡眠装置を」
「やめろ」
全員一致。
「まだ何もしてません!」
「お前は“まだ”が怖い」
ガルドが言う。
「ガルドさんがツッコめるくらい元気になってますね」
リオが言った。
ガルドは少しだけ目を閉じる。
「……まあな」
「安心しました」
「お前ら、大袈裟なんだよ」
「熱ある人が言うな」
ナナが言う。
そこへ、ベルクが近づいた。
手には何か包み。
「ほら」
「なんだ」
「果物」
「似合わねえ」
「うるせえ!」
ベルクが叫ぶ。
「病人見舞いって言ったら果物だろ!」
「誰に聞いた」
「ナナ!」
「私!?」
「昔教えただろ!」
「覚えてない!」
だが、ベルクは少し気まずそうだった。
「……悪かったな」
ガルドが目を開ける。
「何がだ」
「朝まで飲ませた」
「俺も飲んだ」
「でも止めなかった」
「止めても飲む」
「それはそう」
少しだけ静かになる。
ガルドはため息を吐いた。
「気にすんな」
「でもよ」
「お前、昔からそういう顔するな」
「何がだ」
「仲間が倒れると、変に責任感じる顔」
ベルクが黙る。
リオ達は、その空気を少し遠くから見ていた。
たぶん、昔の話が混ざっている。
もう戻れない誰か。
助けられなかった日。
そういうものがあるのだろう。
ガルドは少しだけ目を細めた。
「今回は熱だ。死なねえよ」
「分かってる」
「なら普通にしてろ」
「……おう」
ベルクは笑った。
少しだけ安心した顔だった。
夜。
ガルドは結局、一階で寝ることになった。
二階へ戻そうとすると逃げるからだ。
「ガルドさん」
リオが毛布を直す。
「何だ」
「子供みたいですね」
「殴るぞ」
「病人なので威力半減です」
「お前な」
でも、ガルドは本当に疲れているらしく、それ以上は言わなかった。
少しして、目を閉じる。
呼吸がゆっくりになる。
「……寝ましたね」
エインが小声で言う。
「静かに」
セリアが言う。
「はい!」
小声なのに元気だった。
ナナが苦笑する。
「ほんと、犬みたいだね」
「誰がですか!?」
「エイン」
「えっ」
「元気で、騒がしくて、でも懐く」
「褒めてます?」
「半分」
エインは少し考えた。
「じゃあ嬉しいです!」
「単純だな」
リオが笑う。
静かな夜だった。
ガルドの寝息。
暖炉の音。
ナナが皿を片付ける音。
ミレナが書類を閉じる音。
その全部が、妙に穏やかだった。
リオは眠るガルドを見た。
この人は強い。
でも、強いからって壊れないわけじゃない。
疲れるし、熱も出る。
無茶をすれば倒れる。
当たり前だ。
なのに、どこか忘れていた。
「リオくん」
ミレナが小声で言う。
「はい」
「少し安心しましたね」
「……はい」
「ちゃんと休めているので」
リオは頷いた。
ガルドはきっと、明日にはまた動こうとする。
うるさいと言いながら若手を見る。
雑に褒める。
通路で寝る。
酒を飲む。
いつものガルドに戻る。
でも、今日くらいは。
こうして寝ていてもいい。
その時。
「……水」
ガルドが寝ぼけて呟いた。
全員が止まる。
ナナが吹き出しそうになる。
「ガルドが自分から水って言った」
「奇跡ですね」
レオンが真面目に言う。
「記録します?」
ユーンが聞く。
「やめろ」
リオが笑いながら、水を渡した。
ガルドは半分寝たまま飲む。
そしてまた寝た。
「……本当に疲れてたんですね」
メイナが静かに言う。
「だろうな」
アルが短く答える。
その声は、少しだけ優しかった。
ギルドは今日も騒がしい。
でも、今日は少し静かだった。
毛布に包まった、大きな背中があるからだ。
それを見ながら、皆少し安心していた。
ちゃんと休んでいる。
ちゃんと生きている。
それだけで、十分だった。




