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栄光の中年、ただ生きる  作者: vastum


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■第87話「エインが初めて褒められる」

 エインは、褒められ慣れていない。


 もちろん、まったく褒められたことがないわけではない。


 元気がいい。


 返事がいい。


 勢いがある。


 声が大きい。


 前向き。


 そういうことは言われてきた。


 だが、それはどこか、犬を撫でる時の褒め方に近い。


 悪い意味ではない。


 実際、エインは元気だ。


 返事もいい。


 勢いもある。


 声も大きい。


 前向きでもある。


 ただ、その褒め言葉は、冒険者としての実力や判断を認められたものではなかった。


 だからエインは、ずっと心のどこかで思っていた。


 いつか、ちゃんと褒められたい。


 元気だな、ではなく。


 よく見ていたな、と。


 いい判断だった、と。


 お前がいて助かった、と。


 そう言われたい。


 その気持ちを、エイン自身もはっきり言葉にしていたわけではない。


 ただ、胸の奥に小さくあった。


 誰よりも大きな声で返事をする裏側に。


 誰よりも勢いよく走り出す足の裏に。


 少しだけ、焦りのように。


 その日、エインはいつもより少し早くギルドに来ていた。


「おはようございます!」


 扉を開けて、いつも通り大きな声を出す。


「声が大きい」


 カイルがいつも通り言った。


「おはよう、エインくん」


 ミレナが受付から顔を上げる。


「今日は早いですね」


「はい!」


 エインは胸を張る。


「昨日、昔の依頼書を見て思ったんです!」


「何をですか?」


「報告書とか、依頼とか、ちゃんと残るんだなって!」


「いい気づきですね」


 ミレナは少し嬉しそうに頷いた。


 エインはさらに胸を張る。


「なので今日は、ちゃんとした依頼をちゃんとやりたいです!」


「いつもちゃんとやっていなかったんですか?」


「やってました!」


「では、今日もですね」


「はい!」


 勢いはある。


 だが、今日のエインはいつもより少し違った。


 掲示板へ走る前に、ちゃんと受付へ来た。


 依頼票を勝手に引き抜く前に、ミレナの前で待った。


 それだけでも進歩だ。


 リオは酒場側の椅子で茶を飲みながら、その様子を見ていた。


「エイン、今日ちょっと落ち着いてますね」


「そうか?」


 ガルドが隣でだらけながら言う。


「三割くらいは」


「三割ですか」


「元がうるせえからな」


「否定できない」


 リオは苦笑した。


 昨日、古い依頼書を見た影響は、エインにも残っているらしい。


 勇者パーティの依頼記録。


 達成と未完了。


 紙に残る過去。


 エインはあの後、珍しく静かだった。


 派手な英雄譚を想像してはしゃぐより、依頼の裏側にあるものを考えていたように見えた。


「今日は何か良い依頼ありますか?」


 エインがミレナに聞く。


「良い依頼というより、今のエインくんに合いそうなものならあります」


「本当ですか!」


「声が大きいです」


「あ、はい」


 少しだけ声を抑える。


 ミレナは一枚の依頼書を出した。


「南東の果樹園からの依頼です。果物を食べにくる小型魔物の確認と追い払い。被害はまだ軽微ですが、収穫前なので早めに対処したいそうです」


「果樹園!」


 エインの目が輝く。


「食べ放題ですか?」


「違います」


 ミレナが即答した。


「依頼です」


「はい!」


「果物に傷をつけないよう注意。追い払いが基本で、討伐は必要な場合のみ。あと、果樹園内で走り回らないこと」


「僕を見ながら言いました?」


「はい」


「正直!」


 リオは笑った。


「同行は?」


 ガルドが聞く。


「エインくん、リオくん、レオンさん、メイナさん」


 ミレナが言う。


「ガルドさんは」


「行かん」


「まだ言い切ってません」


「行かん」


「今回は若手中心で大丈夫です。危険度は低めですし」


「ほらな」


 ガルドが勝ち誇った顔をする。


「ただし、何かあればすぐ戻ること。無理はしないでください」


「はい」


 リオが頷く。


 最近、軽い依頼ほど確認が重要だと身に染みている。


「リオくん」


 ミレナは少し声を落とした。


「今日は、エインくんに少し任せてみてください」


「エインに?」


「はい。もちろん危険があれば止めてください。でも、判断できる場面は任せてみてもいいと思います」


 リオは少し驚いた。


 エインに任せる。


 少し前なら不安しかなかった。


 勢いで突っ込む。


 声が大きい。


 格好つけて転ぶ。


 たぶんを使う。


 でも、最近のエインは少し変わってきている。


 倉庫整理で埃対策を学び、地滑りで足元を見て、豪雨の日には少し自分で動いた。


 まだ危なっかしい。


 だが、ずっと見守られるだけの新人ではなくなってきている。


「分かりました」


 リオは頷く。


「任せられるところは任せます」


「お願いします」


 エインはその会話には気づいていない。


 依頼書を受け取り、目を通している。


 ちゃんと読んでいる。


 そこがまず成長だった。


「えっと、追い払い中心。果樹を傷つけない。巣がある場合は場所を確認して報告。勝手に奥の森へ入らない」


 エインが声に出して読む。


「よし!」


「よし、じゃない」


 レオンが横から言う。


「必要な装備の確認も」


「あっ」


「煙玉、音を出す道具、ロープ、布、簡易薬、飲み水。果樹園なら足場がぬかるんでいる可能性もあるので靴も確認した方がよいかと」


「レオン、すごいな……」


 エインが感心する。


「普通です」


「その普通が強い」


 メイナが言う。


「エインも確認しよう」


「はい!」


 エインは荷物を開け、自分で確認を始めた。


 リオはそれを見ながら、少しだけ微笑んだ。


 ちゃんとやろうとしている。


 それが分かる。


 南東の果樹園は、街からそう遠くない場所にあった。


 なだらかな丘の斜面に果樹が並び、枝には色づき始めた果物が重そうに実っている。


 風が吹くと、甘い香りが漂った。


「うわ」


 エインが声を漏らす。


「おいしそう」


「食べない」


 リオが即座に言う。


「まだ言ってません!」


「顔が言ってた」


「食べたい顔でした」


 メイナが言う。


「リオ先輩とメイナさんが厳しい!」


「依頼中です」


 レオンが言う。


「許可なく収穫物を取るのは窃盗に該当します」


「急に重い!」


「事実です」


「食べません!」


 果樹園の主は、五十代くらいの男性だった。


 日焼けした顔で、手には剪定用の小さな刃物を持っている。


「来てくれて助かったよ」


 主は言う。


「最近、夜に果物がかじられてるんだ。最初は鳥かと思ったんだが、足跡があってね」


「足跡を見てもいいですか?」


 エインが聞いた。


 リオは少し驚いた。


 いつもなら「任せてください!」と勢いで畑へ向かいそうなところだ。


 まず足跡。


 いい。


「こっちだ」


 主が案内する。


 果樹園の端。


 一本の木の下に、落ちた果物がいくつか転がっていた。


 かじられている。


 小さな歯形。


 地面には小さな足跡。


「穴掘り鼬ですか?」


 エインが言う。


「前に見たやつ」


 リオはしゃがんで足跡を見る。


「似てるけど、少し違うかも」


 レオンも確認する。


「指の幅が広いですね。木に登る種類ではないでしょうか」


 メイナが枝を見る。


「上の方にもかじられた跡があります」


「木登りする小型魔物……木鼠かな」


 リオが言う。


「木鼠?」


 エインが聞く。


「見た目は大きな鼠に近いけど、木の上を走る。群れると面倒。果物をかじるし、枝も傷める」


「なるほど」


 エインは真剣に頷いた。


「追い払うには?」


「音と煙でいけるけど、木の上にいるなら方向を考えないと、果樹園の奥へ逃げ込まれる」


「奥の森に逃がすのがいいんですか?」


「そうだね。畑側じゃなくて、森側へ逃がす」


「じゃあ、音を出す位置はこっちですか」


 エインは果樹園の入口側を指した。


「木鼠を森へ追うなら、人が入口側と左右に立って、森側だけ空ける」


 リオは少し黙った。


 今の判断は悪くない。


 いや、かなり良い。


 状況を見て、進路を考えている。


「そうだね」


 リオは頷いた。


「それでいいと思う」


 エインの顔が少し明るくなった。


 だが、すぐに引き締める。


「じゃあ、えっと、リオ先輩は右、メイナさんは左、レオンは入口側で音を。僕は中央で煙を」


「待って」


 メイナが言う。


「中央で煙を使うと、木の下にある果物に匂いがつかない?」


「あっ」


 エインが止まる。


「確かに」


「煙は風向きも見た方がいいです」


 レオンが言う。


「今日は風が北から南へ流れています。森側へ逃がすなら、煙は北側から流す方がよいかと」


「なるほど……」


 エインは考える。


 少し前なら、ここで焦って「じゃあどうすれば!」となったかもしれない。


 今日は違った。


 彼は一度深呼吸した。


「じゃあ、煙は使わずに、まず音で動かしましょう。木鼠が動かなかったら、森と反対側の端で少しだけ煙。風に乗せすぎないように」


 リオは思わずレオンと顔を見合わせた。


 レオンが小さく頷く。


 いい。


 かなりいい。


「それでいこう」


 リオは言った。


「エイン、指示して」


「えっ、僕が?」


「今考えたの、エインだろ」


「あ、はい!」


 声が大きくなりかけたが、果樹園の主がいるのを思い出したのか、少し抑えた。


「やります!」


 作戦は始まった。


 木鼠は、やはり数匹いた。


 枝の間に隠れている。


 体は小さいが、すばしっこい。


 メイナが目で追い、レオンが木の根元を確認し、リオは全体を見た。


 エインは中央に立ち、音を出す道具を手にしている。


「いきます」


 エインが言った。


 木の幹を強く叩くのではなく、足元の板を鳴らす。


 乾いた音。


 木鼠が動く。


 枝の上を走る。


「右!」


 メイナが言う。


「リオ先輩、そっち!」


「見えてる!」


 リオが布を広げて進路を塞ぐ。


 木鼠は向きを変える。


 レオンが入口側で音を鳴らす。


 木鼠達は果樹園の奥、森の方へ走った。


「いいぞ」


 リオが言う。


 だが、その時、一匹だけ別方向へ逃げた。


 若い個体なのか、動きが鈍い。


 畑側へ向かう。


「一匹外れた!」


 メイナが叫ぶ。


 エインが反射的に走り出しかけた。


 だが、止まった。


 足元を見る。


 果樹の根。


 落ちた果物。


 無理に走れば踏む。


 エインは走らず、近くの布を掴んだ。


「こっち!」


 声を出し、布を大きく広げる。


 木鼠が驚いて止まる。


 さらに、エインは果物を踏まない位置を選んで半歩進んだ。


 強く追わない。


 逃げ道を作る。


「リオ先輩、森側開けてください!」


「了解!」


 リオが動く。


 レオンが入口側を塞ぐ。


 メイナが木鼠の位置を伝える。


 木鼠は少し迷い、最後には森側へ走っていった。


「……よし!」


 エインが小さく拳を握る。


 小さく。


 いつものように大声で「やった!」とは言わなかった。


 果樹園の中だからだ。


 果物を落とさないためだ。


 それを見て、リオは胸の奥が少し温かくなった。


 ちゃんと考えている。


 ちゃんと抑えている。


 ただ勢いだけではない。


 その後、巣穴になりそうな場所を確認した。


 木鼠は果樹園そのものに巣を作っていたわけではなく、森の手前にある古い倒木の下に出入りしていたらしい。


 完全に討伐する必要はない。


 倒木の周囲に簡単な忌避剤を撒き、果樹園側へ来にくくする。


 果樹園の主には、落ちた果物をそのままにしないよう説明することになった。


「これ、僕が説明してもいいですか?」


 エインが聞いた。


 リオは一瞬考えた。


 少し不安もある。


 だが、今日のエインなら大丈夫かもしれない。


「いいよ」


 リオは頷く。


「ただ、分からないところはこっちに振って」


「はい!」


 果樹園の主の前で、エインは少し緊張していた。


「えっと、木鼠は果物の匂いに寄ってくるので、落ちた果物は早めに片付けた方がいいです」


「なるほど」


「あと、森側の倒木の下に出入りしていたので、そこに忌避剤を撒いておきました。でも雨が降ったら流れるので、また様子を見た方がいいです」


「雨の後か」


「はい。もしまた被害が出たら、すぐギルドに連絡してください。奥の森には勝手に入らない方がいいと思います」


 果樹園の主は感心したように頷いた。


「若いのにしっかりしてるな」


 エインの顔が一瞬で明るくなった。


 だが、すぐに引き締めた。


「ありがとうございます!」


 声が少し大きかった。


 果樹園の主が笑う。


「元気もいい」


「それはよく言われます!」


 そこはいつものエインだった。


 依頼は順調に終わった。


 被害は軽微。


 木鼠の追い払い成功。


 巣の位置確認。


 再発防止の説明。


 果樹への追加被害なし。


 完璧ではないが、かなり良い結果だ。


 帰り道、エインは妙に静かだった。


 リオは横を歩きながら聞く。


「疲れた?」


「いえ」


「静かだね」


「なんか……変な感じで」


「変な感じ?」


「果樹園の人に、しっかりしてるって言われました」


「うん」


「元気がいい、じゃなくて」


「ああ」


「それが、なんか」


 エインは言葉を探している。


 メイナが少し笑う。


「嬉しかった?」


「……かなり」


 素直だった。


 レオンが言う。


「本日は実際、良い判断が多かったと思います」


「レオン!」


「初動で足跡を確認したこと、追い払いの進路を考えたこと、果樹を踏まないよう走らなかったこと、依頼人への説明。どれも適切でした」


「そんなに言われると逆に恥ずかしい!」


「事実です」


 レオンは真面目に言う。


 エインは耳まで赤くなった。


 リオは笑った。


「レオン、褒め方が報告書みたい」


「申し訳ありません」


「いや、良いと思う」


「では続けます」


「続けるんだ」


「ただし、煙を使う場合の風向き確認はメイナさんと私の指摘があってからでした。次回は最初から含めるとよいかと」


「あ、はい!」


「また、依頼人への説明時に少し声が大きくなりました」


「そこも!?」


「果樹園内でしたので、驚いた木鼠が残っていた場合、再度動く可能性が」


「分かりました!」


 褒められて、指摘されて、また褒められる。


 レオンらしい。


 だが、エインは嫌そうではなかった。


 むしろ真剣に聞いている。


「でも」


 メイナが言う。


「今日は本当に良かったよ」


「メイナさんまで」


「走らなかったところ」


「あそこ?」


「前なら絶対走ってた」


「うっ」


「でも今日は止まった」


「……はい」


「それ、かなり大事だったと思う」


 エインは照れたように頭を掻く。


「ありがとうございます」


 リオはそのやり取りを見て、少しだけ自分のことも思い出した。


 自分が失敗した日。


 戻る判断が遅れた日。


 あの日、ガルドに言われた。


 失敗を全部真っ黒にするな。


 次に使えなくなる。


 今日のエインは、今までの失敗を少しずつ使っていた。


 走りすぎたこと。


 埃対策を外したこと。


 大丈夫と言ってしまったこと。


 全部が、少しずつ今日の判断につながっている。


 ギルドへ戻ると、ミレナが受付で待っていた。


「お帰りなさい」


「戻りました!」


 エインが言う。


 いつもより少し声を抑えている。


「報告をお願いします」


 ミレナが言う。


 普段ならリオが話す。


 だが、今日はリオが一歩下がった。


「エイン」


「えっ」


「報告して」


「僕がですか?」


「今日の依頼、エインが中心だったから」


 エインは一瞬固まった。


 それから、依頼書を握り直す。


「はい!」


 受付前に立つ。


 ミレナがペンを持つ。


 ガルドは椅子でだらけていたが、片目を開けている。


 ナナも酒場側からこっそり見ている。


 エインは少し緊張しながら話し始めた。


「南東果樹園の木鼠被害確認依頼、完了しました。被害は果樹三本周辺で確認。落果が六つ、枝の小さな傷が二か所。足跡と食害跡から木鼠と判断しました」


 リオは少し驚いた。


 ちゃんと整理されている。


「木鼠は合計五匹確認しました。音で森側へ追い払い、討伐はしていません。果樹への追加被害なし。森手前の倒木下を出入り口として確認しましたが、巣の完全確認はしていません。忌避剤を周辺に使用し、依頼人には落果の早期回収と雨後の再確認を伝えました」


 ミレナのペンが止まる。


 少しだけ、表情が柔らかくなった。


「よくまとまっています」


「ありがとうございます!」


「報告書も書けますか?」


 エインは一瞬怯んだ。


 だが、すぐに頷く。


「書きます!」


「ではお願いします」


「はい!」


 エインは席に座り、報告書を書き始めた。


 字は綺麗ではない。


 文章も少しぎこちない。


 だが、今日は逃げなかった。


 レオンが横で書き方を少し助言する。


 メイナが地名の漢字を教える。


 リオは見守る。


 しばらくして、エインは報告書を書き終えた。


「できました」


 ミレナが受け取る。


 丁寧に読む。


「少し修正は必要ですが、内容は分かりやすいです」


「本当ですか!」


「はい」


「やった!」


 今度は声が大きかった。


 でも、ギルド内の誰も注意しなかった。


 そのくらいはいいか、という空気だった。


 夕方、ガルドがようやく口を開いた。


「エイン」


「はい!」


 エインが背筋を伸ばす。


 ガルドに名前を呼ばれる時、だいたい注意か、呆れか、面倒な話だ。


 だが、今日のガルドの声は少し違った。


「今日の判断、悪くなかった」


 ギルド内が静かになった。


 エインが固まる。


「え?」


「足跡見た。進路考えた。走らなかった。依頼人に説明した。悪くねえ」


 ガルドは酒を飲む。


「次もやれ」


 それだけだった。


 たったそれだけ。


 だが、エインは完全に固まっていた。


 目を瞬かせる。


 口を開きかけて、閉じる。


 また開く。


「……はい」


 声が小さかった。


 珍しいくらい小さかった。


「はい!」


 すぐにいつもの大きさに戻った。


 でも、少し震えていた。


「ありがとうございます!」


「うるせえ」


 ガルドが言う。


 だが、その顔は嫌そうではなかった。


 リオは胸の奥が温かくなるのを感じた。


 エインが褒められた。


 元気がいい、ではなく。


 悪くなかった、と。


 判断を認められた。


 ガルドに。


 それは、エインにとってかなり大きいはずだった。


 ナナがにやにやしながら言う。


「エイン、泣く?」


「泣きません!」


「目、ちょっと赤いよ」


「雨です!」


「今日は降ってない」


「心の雨です!」


「何それ」


 ギルドに笑いが広がる。


 エインは笑われながらも、どこか嬉しそうだった。


 その後、エインは妙に落ち着かなかった。


 報告書を何度も見直し、ミレナに「もう提出済みです」と言われる。


 レオンに「次回への改善点をまとめますか」と言われて、本気でやりかける。


 メイナに「今日はもう休んだ方がいい」と言われる。


 リオのところへ来て、何か言いたそうにして、結局何も言わずに戻る。


 完全に浮かれていた。


 だが、浮かれて暴走しないようにしている。


 それもまた、成長だった。


「リオ先輩」


 しばらくして、エインがようやく隣に座った。


「何?」


「今日、僕、少しは冒険者っぽかったですか」


 リオは少し考える。


 からかうこともできた。


 でも、今日はそうしなかった。


「かなり」


 そう答えた。


 エインは目を見開く。


「本当ですか」


「うん。今日のエインは、ちゃんと依頼を見て、判断して、報告した。かなり冒険者っぽかった」


「……」


 エインは俯いた。


「やばいです」


「何が?」


「嬉しいです」


「よかったじゃん」


「はい」


 エインは小さく笑った。


 いつもの勢いのある笑いではない。


 少し照れたような、噛みしめるような笑いだった。


「でも」


 リオは続ける。


「今日うまくいったからって、次も絶対うまくいくとは限らない」


「はい」


「今日できたことを、次もやる。できなかったところは直す。それだけだと思う」


「はい」


「あと、褒められたからって明日調子に乗らない」


「うっ」


「そこ一番大事」


「はい……」


 エインは真剣に頷いた。


「でも、少しだけなら喜んでいいですか」


「もちろん」


 リオは笑った。


「今日は喜んでいい」


「はい!」


 その声は、やっぱり大きかった。


 でも、今日はその大きさも少し心地よかった。


 夜。


 酒場でささやかな祝杯のようなものが始まった。


 祝杯と言っても、エインは酒ではなく果物水。


 ナナが気を利かせて、果樹園の主からお礼にもらった果物を少し切って出した。


「依頼達成記念」


 ナナが言う。


「エイン判断良かった記念」


「やめてください!」


 エインが赤くなる。


「照れてる」


「照れてません!」


「照れてるね」


 メイナが言う。


「かなり」


 レオンも真面目に言う。


「耳が赤いです」


「レオン、そういう観察は言わなくていいんだぞ!」


「分かりました。次から記録に留めます」


「記録もしないで!」


 リオは笑いながら果物を食べた。


 甘い。


 今日守った果樹園の果物。


 それを食べながら、今日の依頼の話をする。


 いい終わり方だった。


 ガルドはいつもの席で、薄くない酒を飲んでいる。


 エインは何度もガルドの方をちらちら見ていた。


 まだ、褒められた言葉を反芻しているのだろう。


 ガルドは気づいているのかいないのか、特に何も言わない。


 ただ一度だけ、エインが果物を落としかけた時に言った。


「浮かれすぎるな」


「はい!」


 それすら、エインには嬉しそうだった。


 リオはその光景を見ながら思った。


 褒められることは、大事だ。


 怒られることも、失敗を指摘されることも、もちろん必要だ。


 でも、ちゃんとできた時に、できたと言われること。


 それは、人を前へ進ませる。


 エインは今日、きっと少し進んだ。


 勢いだけの新人から。


 少し考えられる冒険者へ。


 まだまだ危なっかしい。


 明日にはまた声が大きくて、何かに突っ込みそうになるかもしれない。


 でも、今日のことは残る。


 足跡を見たこと。


 走らなかったこと。


 依頼人に説明したこと。


 報告書を書いたこと。


 そして、ガルドに「悪くなかった」と言われたこと。


 その全部が、エインの中に残っていく。


「リオ」


 ガルドが声をかける。


「はい」


「あいつ、明日調子に乗ったら止めろ」


「自分で言ってくださいよ」


「面倒だ」


「褒めるのはできたのに?」


「それも面倒だった」


「でも言ったんですね」


 ガルドは少しだけ目を逸らす。


「言わねえと分からん時があるだろ」


「そうですね」


 リオは笑った。


「今日のは、言ってよかったと思います」


「お前に言われるまでもねえ」


「はい」


 ガルドは酒を飲む。


「それと」


「はい?」


「お前も、見守るの少しはうまくなったな」


 リオは固まった。


「……え?」


「エインに任せてたろ。前なら途中で口出ししてた」


「見てたんですか」


「見てた」


「ガルドさん、来てないですよね」


「報告と顔見りゃ分かる」


「雑なようで鋭いですね」


「雑は余計だ」


 リオは少し照れた。


 まさか自分も褒められるとは思っていなかった。


「ありがとうございます」


「調子に乗るなよ」


「エインと同じ扱いですか」


「似たようなもんだ」


「ひどい」


 そう言いながら、リオは少し嬉しかった。


 誰かが褒められる日。


 エインが初めて、ちゃんと判断を褒められた日。


 そして、リオも少しだけ、自分の立ち位置を認められた日。


 ギルドの夜は、いつもより少しだけ明るく感じた。


 果物の甘い匂いが残っている。


 ナナが笑い、ミレナが報告書を整え、レオンが改善点をメモし、メイナがエインをからかい、エインが嬉しそうに怒っている。


 ガルドはだらけている。


 猫はその足元で丸くなっている。


 外は静かだった。


 山は動いていない。


 酒も消えていない。


 ユーンの装置も今日は発動していない。


 ただ、一人の若手が少し成長しただけの日。


 でも、リオにはそれがとても大事な一日に思えた。

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