■第83話「セリアが怖い日」
優しい人ほど、怒らせてはいけない。
これは、冒険者ギルドに出入りする者なら誰でも一度は学ぶ真理である。
ミレナはよく怒る。
怒鳴るし、注意するし、机を叩くし、書類を雑に扱った冒険者を本気で睨む。
だから、ミレナが怒ることには皆それなりに慣れている。
慣れていると言うと語弊があるが、少なくとも「今は怒られる流れだな」と分かる。
アルは滅多に怒らない。
だが、怒ると空気が冷える。
薬草区画の件でそれを見た若手達は、アルが静かに立ち上がるだけで背筋を伸ばすようになった。
ガルドは怒るというより、面倒くさそうに文句を言う。
ただし、本当にまずい時は声が低くなるので、それはそれで怖い。
ナナは笑顔で刺す。
カイルは黙って圧をかける。
ドーガは一言で止める。
ロッドは修理代で黙らせる。
では、セリアはどうか。
セリアは優しい。
穏やかで、柔らかくて、治療棟にいると空気が少し落ち着く。
怪我をした冒険者がどれだけ騒いでいても、セリアが「大丈夫ですよ」と言えば、少しだけ大丈夫な気がしてくる。
薬を塗る手つきは丁寧で、包帯を巻く声は静かで、痛みに耐える者にはちゃんと声をかける。
ギルドの癒し枠。
若手達は、自然とそう思っていた。
だからこそ。
その日、誰もが思い知ることになる。
セリアを怒らせると、かなり怖い。
「治療棟の薬草棚、使った人いますか?」
朝。
セリアが治療棟から出てきて、そう言った。
声はいつも通りだった。
穏やか。
柔らかい。
けれど、リオはその瞬間、なぜか背筋に嫌なものを感じた。
ミレナが受付で顔を上げる。
「薬草棚ですか?」
「はい」
「何かありました?」
「薬草の束が三つ、場所違いで戻されていました」
ギルド内の空気が、少しだけ固まる。
薬草棚。
治療棟。
場所違い。
それだけで、まともな冒険者なら少し緊張する。
治療に使うものは、軽く扱ってはいけない。
リオはそのことを最近よく理解している。
薬草区画の件もあった。
装備と同じで、薬もまた命に直結する。
「場所違い、ですか」
ミレナの声が少し低くなる。
「はい」
セリアは微笑んでいる。
だが、その微笑みがいつもと違う。
「乾燥薬草と、止血草と、眠り草です」
「……」
リオは一瞬で嫌な予感が強くなった。
止血草と眠り草。
混ざってはいけないものだ。
もちろん、見た目は違う。
香りも違う。
だが、急いでいる時や暗い場所では間違える可能性がある。
「誰か、治療棟に入ったか?」
ガルドが椅子から言う。
いつもより少しだけ真面目な声だ。
「昨日の夕方から夜にかけてですね」
セリアは答える。
「私が少し席を外した時間があります。棚は閉めていましたが、鍵はかけていませんでした」
「治療棟に勝手に入るなって決まりありましたよね」
リオが言う。
「あります」
ミレナが即答した。
「緊急時は別ですが、薬草棚はセリアさんか許可を得た者以外触らない決まりです」
ナナが酒場側から顔を出した。
「これ、結構まずいやつ?」
「かなりまずいです」
リオが言う。
「薬草の種類によっては、間違えると」
「処置が遅れます」
セリアが静かに言った。
「止血が必要な時に眠り草を取れば、当然止まりません。逆に眠らせる処置が必要な時に別の薬草を使えば、患者さんが苦しむ時間が長くなります」
声は静か。
表情も穏やか。
だが、ギルド内の空気はどんどん重くなる。
エインがごくりと喉を鳴らした。
ルーカスは目を伏せた。
メイナは真剣な顔で治療棟の方を見る。
レオンはすでに姿勢を正している。
「昨日、怪我人多かったですよね」
リオが言う。
「はい」
セリアは頷く。
「山の地滑りの件で、作業員さんが一人。それとは別に、夕方に軽傷の冒険者が二人来ました」
「その時ですか?」
「まだ分かりません」
セリアは言う。
「なので、確認しています」
確認。
その言葉は普通だ。
だが、今日は妙に怖い。
「名乗り出てください」
セリアが言った。
「怒りたいわけではありません」
その瞬間、ナナが小さく呟いた。
「いや、怒ってるね」
誰も否定しなかった。
その時。
入口近くにいた新人冒険者の一人が、びくっと肩を揺らした。
名前はダリオ。
数日前に登録したばかりの若手で、剣を使う。
少し調子に乗りやすいが、悪人ではない。
ただ、目立ちたがりで、早く役に立ちたがるタイプだった。
リオはその反応を見逃さなかった。
セリアも見逃していなかった。
「ダリオくん」
優しい声。
だからこそ逃げ場がない。
「何か知っていますか?」
ダリオは顔を青くした。
「いや、その」
ギルド内の視線が集まる。
「昨日、俺じゃなくて、えっと」
言い訳の入口に立った声だった。
ガルドが目を細める。
カイルが腕を組み直す。
ミレナが無言で書類を置く。
セリアは変わらず微笑んでいる。
その微笑みが一番怖い。
「ゆっくりで大丈夫です」
セリアが言う。
「昨日、治療棟に入りましたか?」
「……入りました」
「薬草棚に触りましたか?」
「……触りました」
空気がさらに冷える。
「なぜですか?」
「友達が怪我してて」
ダリオは早口になる。
「セリアさんがいなかったから、俺が薬草くらい分かると思って。昔、村で少し手伝ったことあったし」
「それで、薬草を取りましたか?」
「はい」
「使いましたか?」
「いや、使う前に、友達が大丈夫だって言って、そのまま戻しました」
「どこに戻しましたか?」
「……棚に」
「元の場所に?」
ダリオが黙る。
答えはそれだった。
「分からなくなりました」
小さな声。
「すみません」
ギルド内に、ため息のような空気が広がった。
リオは額に手を当てたくなった。
やってしまったことは、たぶん悪意ではない。
怪我をした友達を助けたかった。
セリアがいなくて焦った。
少し知識があると思った。
だから勝手に触った。
そして分からなくなった。
小さな判断ミス。
でも、薬に関わる場所では小さく済まない。
「なぜ、その時に言わなかったんですか」
セリアの声は変わらない。
「分からなくなった時に、私かミレナさんに言えば良かったですね」
「……怒られると思って」
「はい」
セリアは頷いた。
「怒ります」
はっきり言った。
リオは背筋が伸びる。
セリアが「怒ります」と言った。
珍しいどころではない。
初めて聞いた気がする。
「でも、言ってくれれば、その時点で全部確認できました」
セリアは続ける。
「夜のうちに棚を整理し直せました。今日の朝、急患が来ても、迷わず薬を取れました」
ダリオは俯く。
「ごめんなさい」
「謝罪は受け取ります」
セリアは言う。
「でも、謝ったら薬草が元の場所に戻るわけではありません」
優しい声なのに、容赦がない。
ミレナの怒鳴り声とは違う。
アルの冷たい怒りとも違う。
セリアの怒りは、逃げ道を塞がない。
でも、事実を一つずつ置いていく。
その置かれた事実から、目を逸らせなくなる。
「ダリオくん」
セリアは一歩近づいた。
「怪我をした人を助けたいと思ったことは、悪いことではありません」
ダリオが少し顔を上げる。
「ですが、知識が曖昧なまま薬を使うのは危険です」
「はい」
「分からなくなった時に隠すのは、もっと危険です」
「……はい」
「治療は、善意だけではできません」
その言葉に、ギルド全体が静まり返った。
「助けたいなら、学んでください。分からないなら、呼んでください。間違えたなら、すぐ言ってください」
「はい」
「それができないなら、薬草棚には触らないでください」
静かな言葉。
でも、重い。
「……はい」
ダリオは深く頭を下げた。
「本当に、すみませんでした」
セリアは少しだけ息を吐いた。
「では、今から一緒に棚を整理します」
「え?」
「自分が動かしたものを、自分で確認してください」
「はい!」
それで終わり。
ではなかった。
「ミレナさん」
セリアが振り返る。
「治療棟の薬草棚に関する再講習を、全員に行いたいです」
「分かりました」
ミレナは即答した。
「対象は新人だけですか?」
「いいえ」
セリアは微笑んだ。
「ギルド内にいる全員です」
その瞬間、ガルドが露骨に嫌そうな顔をした。
「俺もか?」
「はい」
「俺は触らねえぞ」
「触らなくても、知っておいてください」
「面倒だな」
「命に関わります」
「……はい」
ガルドが負けた。
リオは衝撃を受けた。
ガルドが、セリアに、かなり素直に負けた。
ナナが口元を押さえている。
笑いたいが、空気的に笑えないらしい。
「ナナさんもです」
セリアが言う。
「え、私も?」
「はい。酒場で薬草酒を扱うことがありますよね」
「あー、あるね」
「混同すると困ります」
「はい」
ナナも負けた。
「アルさんも」
「分かった」
アルは普通に頷いた。
珍しく一番素直だった。
「ユーンさんも」
「はい!」
「薬草棚に改造案は不要です」
「まだ何も言ってません!」
「不要です」
「はい……」
ユーンも負けた。
セリアが強すぎる。
その日の午前中、ギルドでは急遽、薬草棚講習が開かれた。
場所は治療棟。
ただし全員入ると邪魔なので、酒場側に簡易机を並べ、セリアが薬草の見本を持ってきた。
参加者は多い。
リオ、エイン、ルーカス、メイナ、レオン、カイル、ダリオ、その他新人達。
ガルド、ナナ、ベルク、トーマ、ユーン、マルク。
さらに、なぜかドーガも門番の休憩時間に来ていた。
「ドーガさんも?」
リオが聞く。
「知っておいた方がいい」
「真面目ですね」
「門で怪我人を見ることもある」
説得力しかない。
ロッドも腕を組んで壁際に立っていた。
「ロッドさんも参加ですか」
エインが聞く。
「刃傷の応急処置には関係ある」
「なるほど」
結局、かなり大規模になった。
セリアは机の上に薬草を並べる。
「まず、これは止血草です」
緑色の細い葉。
乾燥しているが、少し鉄に近い匂いがする。
「傷口の血を止めるために使います。ですが、直接詰めればいいというものではありません。傷の状態を見て、清潔な布と合わせて使います」
全員が真剣に聞く。
というか、真剣に聞かざるを得ない。
セリアの雰囲気が柔らかいのに逃げられない。
「次に眠り草です」
似ているようで違う。
少し丸い葉で、乾燥すると色が暗くなる。
「痛みが強すぎる時や、処置のために眠らせる必要がある時に使います。ただし量を誤ると危険です。勝手に使わないでください」
ユーンが手を上げた。
「眠り草を微量に使って、移動中の負担を」
「勝手に使わないでください」
「はい」
即座に沈んだ。
「次に解熱草です」
セリアは別の束を持つ。
「これはリオくんが先日お世話になりました」
「お世話になりました」
リオが頭を下げる。
なぜか皆が少し笑う。
「熱がある人は無理をして来ないでください」
「はい……」
また刺された。
ガルドが少し笑う。
「お前のことだな」
「ガルドさんも倒れたら休んでくださいよ」
「俺は倒れねえ」
「それ言う人ほど危ないんですよね」
セリアが微笑んだ。
「ガルドさん」
「……休む」
負けた。
完全に負けた。
講習は続く。
薬草の見分け方。
保存場所。
湿気の避け方。
使っていいもの、触ってはいけないもの。
緊急時に呼ぶべき人。
応急処置でやっていい範囲。
ダリオは最前列で真剣に聞いていた。
さっき怒られたばかりだから当然かもしれないが、その目は逃げていなかった。
リオはそれを見て、少し安心した。
やってしまったことは危ない。
でも、ここでちゃんと学べるなら、次につながる。
このギルドは、失敗をなかったことにはしない。
だが、ただ切り捨てるだけでもない。
アルが薬草区画の件で言ったように、自分が踏んだものを自分で直させる。
セリアも同じだ。
隠して終わりではなく、触ったものを自分で確認させる。
それがこの場所の厳しさで、優しさでもある。
「では、これは何でしょう」
セリアが一束を掲げる。
エインが勢いよく手を上げた。
「止血草!」
「違います」
「早い!」
「これは似ていますが、苦み草です。腹痛に使うことがありますが、止血には使いません」
「全然違うんですか!?」
「使い方は全然違います」
「見た目似てるのに……」
「だから勝手に使わないでください」
「はい!」
エインが勢いよく返事をする。
「返事はいいですね」
セリアが微笑む。
「知識も追いつけるようにしましょう」
「はい……」
次にレオンが答える。
「こちらは解熱草です。葉先が丸く、乾燥後も香りが残るため、保存中は密閉した方がよいかと」
セリアが少し驚いたように目を細める。
「正解です」
「ありがとうございます」
「よく知っていますね」
「登録前に基本的な薬草図鑑を読みました」
ミレナが小さく頷く。
「素晴らしいです」
エインが隣で震える。
「普通の新人が強すぎる……」
「普通とは」
メイナが笑う。
「レオンはもう普通じゃない気がする」
「そうなのですか?」
レオンは真面目に首を傾げた。
「このギルドに来た時点で、普通からは少し離れてるよ」
「なるほど」
「納得するんだ」
講習の最後に、セリアは少しだけ声を落とした。
「皆さんに覚えておいてほしいことがあります」
全員が静かになる。
「治療棟にある薬草や薬は、ただの道具ではありません」
セリアは机に置かれた薬草をそっと撫でる。
「採ってきた人がいます。乾燥させた人がいます。選別した人がいます。保存している人がいます。そして、それを必要とする人がいます」
アルの薬草区画の時と、少し似ている。
でも、セリアの言葉はより近い。
目の前の患者の体温や、流れる血や、苦しそうな呼吸につながっている。
「皆さんが依頼で怪我をした時、ここにあるものが助けになります」
セリアは全員を見る。
「だから、雑に扱わないでください」
その一言は、とても静かだった。
でも、誰も茶化せなかった。
「分からなければ、聞いてください」
「はい」
「間違えたら、すぐ言ってください」
「はい」
「助けたい気持ちは、大事にしてください。でも、助けたいなら学んでください」
「はい」
若手達だけでなく、ガルドも、ナナも、ベルクも、トーマも、ユーンも、全員が返事をした。
その光景が少しだけ不思議だった。
セリアが怒った日。
でも、怒鳴り散らすわけでも、罰を与えて終わるわけでもない。
ちゃんと学ばせる。
それがセリアらしかった。
講習の後、ダリオはセリアと一緒に薬草棚を整理した。
リオも手伝いに入った。
「これ、こっちですか」
ダリオが慎重に聞く。
「はい。止血草はここです。湿気を避けたいので、下段ではなく中段です」
「分かりました」
「眠り草は奥です。勝手に取れないように」
「はい」
ダリオの手つきはぎこちない。
でも、真剣だった。
「セリアさん」
ダリオが小さく言う。
「本当にすみませんでした」
「はい」
セリアは頷く。
「さっき聞きました」
「でも、もう一回言いたくて」
「では、もう一回受け取ります」
セリアは少し笑った。
「次からは、すぐ呼んでください」
「はい」
「友達を助けたいと思ったことは、忘れなくていいです」
「……はい」
「でも、助け方を間違えないようにしましょう」
「はい」
ダリオの目が少し赤くなっていた。
リオは棚の整理をしながら、その会話を聞いていた。
優しい。
でも甘くない。
セリアの怖さは、そこなのだと思った。
怒りの奥に、ちゃんと命を守る意志がある。
だから逆らえない。
午後になると、ギルドの空気は少し戻っていた。
ただし、薬草棚には誰も不用意に近づかない。
ユーンが治療棟の前を通るだけで、リオとミレナが同時に視線を向ける。
「何もしません!」
ユーンが言う。
「本当に?」
リオが聞く。
「本当です!」
「薬草乾燥装置とか考えてません?」
「……」
「考えてますね」
「少しだけ!」
「駄目です」
そこへセリアが現れる。
「ユーンさん」
「はい!」
「まずは既存の保存方法を覚えてからにしましょう」
「はい……」
セリアが言うと、ユーンも素直だった。
強い。
ガルドが酒場側でそれを見ながら言う。
「今日はセリアの日だな」
「怖かったですか?」
リオが聞く。
「怖えよ」
即答だった。
「ガルドさんでも?」
「当たり前だろ。治療担当怒らせてみろ。怪我した時に気まずい」
「理由が現実的すぎる」
「あと、昔からああいう静かな怒り方する奴は怖い」
「セリアさん、昔からですか?」
ガルドは少しだけ目を細める。
「あいつは優しいが、命に関わることには甘くねえ」
「……そうですね」
「昔から、怪我人を雑に扱う奴には本気で怒ってた」
「想像できます」
「いや、今より怖かったぞ」
「今より?」
「聖女って呼ばれてた頃だ。笑顔で敵味方まとめて黙らせてた」
「何それ怖い」
リオは思わずセリアの方を見る。
セリアは治療棟の入口で、メイナに薬草の香りの違いを教えている。
穏やかに笑っている。
どう見ても優しい。
でも、今日のことを知った後だと、ただ優しいだけではないのが分かる。
「セリアさんって、やっぱりすごいですね」
リオが言う。
「今さらだ」
ガルドが答える。
「このギルド、すごい人多いですね」
「変な奴も多いけどな」
「それも今さらです」
夕方。
ダリオの友人が治療棟へ来た。
昨日、軽い怪我をしたという少年だ。
彼はダリオと一緒にセリアへ頭を下げた。
「俺も、止めなかったので」
友人が言う。
「怪我したの俺だし、ダリオが焦ったのも俺のせいで」
「怪我をしたことは責めません」
セリアは言う。
「でも、次は焦ったら呼んでください」
「はい」
「二人とも、明日の午前にもう一度来てください。簡単な応急処置を教えます」
「えっ」
ダリオが驚く。
「いいんですか?」
「助けたいなら、学んでくださいと言いましたよね」
「……はい!」
ダリオの返事は強かった。
それを見て、リオは少し笑った。
きっと、今日のことは彼に残る。
薬草棚に触って怒られた日として。
でも、それだけではなく。
本当に助けたいなら学ばなければならないと知った日として。
夜。
酒場はいつも通りの騒がしさに戻っていた。
ただ、今日はみんな少しだけ薬草の話をしている。
「止血草と苦み草、似てたな」
エインが言う。
「お前、最初間違えたもんな」
ルーカスが言う。
「もう間違えない!」
「本当?」
「たぶん」
「使うな」
リオとガルドとカイルが同時に言った。
ギルド中が笑った。
レオンは真面目に薬草の特徴をメモしている。
メイナがそれを覗き込む。
「レオン、それ報告書じゃないよね?」
「個人的な覚書です」
「真面目」
「必要かと思いまして」
「必要だけど、すごい」
ナナはカウンターで薬草酒の瓶を持ち上げる。
「これも雑に置いたらセリアに怒られるね」
「怒りますよ」
セリアがにこりと笑った。
ナナはそっと瓶を丁寧に棚へ戻した。
「怖い怖い」
「ナナさん?」
「丁寧に置きました」
「はい」
そのやり取りに、また笑いが起きる。
セリアは怖い。
でも、それは嫌な怖さではない。
命を大事にする人の怖さだ。
大切なものを雑に扱われた時に、ちゃんと怒れる人の怖さだ。
リオは、そのことを少しだけ羨ましく思った。
自分はまだ、そこまで何かを背負って怒れるだろうか。
怒ることはできても、今日のセリアみたいに、相手に学ばせるところまで持っていけるだろうか。
「リオくん」
セリアが声をかける。
「はい」
「どうしました? 難しい顔をして」
「いや」
リオは少し笑う。
「セリアさんって、すごいなと思って」
「そうですか?」
「はい」
「今日は少し怖かったでしょう?」
「かなり」
正直に答えると、セリアは少し困ったように笑った。
「怖がらせたいわけではないんですけどね」
「でも、必要だったと思います」
「なら、よかったです」
セリアは少しだけ治療棟の方を見る。
「薬や治療は、間違えると本当に怖いので」
「はい」
「だから、私も怖くなるんです」
その言葉に、リオは少し驚いた。
「セリアさんも怖いんですか?」
「もちろん」
セリアは静かに言う。
「毎回、怖いですよ。ちゃんと助けられるか。判断を間違えないか。薬を間違えないか。遅れないか」
「……」
「だから、丁寧にします。だから、雑に扱われると怒ります」
リオは黙って頷いた。
優しいから怒る。
怖いから丁寧にする。
守りたいから、甘くしない。
そういう強さもあるのだと思った。
「覚えておきます」
リオが言う。
「はい」
セリアは微笑んだ。
「でも、リオくんも無理しすぎたら怒りますからね」
「はい……」
「風邪明けで動きすぎた件、まだ終わっていませんよ」
「終わってなかったんですか」
「終わっていません」
笑顔だった。
怖かった。
リオは素直に背筋を伸ばした。
その様子を見て、ガルドが遠くで笑う。
「お前も怒られてるな」
「ガルドさんもですよ」
「俺は怒られてねえ」
「休めって言われてましたよね」
「それは助言だ」
「絶対違います」
セリアがにこりと笑った。
「ガルドさん?」
「……休む」
ギルドに笑い声が響いた。
その日から、治療棟の薬草棚には新しい札がつけられた。
『許可なく触らないこと。分からない時は必ず呼ぶこと』
その下に、ナナが小さく落書きしようとした。
『セリアが怖いので』
だが、書く前にセリアに見つかり、笑顔で止められた。
結局、札には正式な文だけが残った。
でも、ギルドの全員は知っている。
その札の裏にある、本当の意味を。
薬草を雑に扱ってはいけない。
命に関わるものを軽く見てはいけない。
そして。
セリアを怒らせてはいけない。
優しい人ほど、怒らせてはいけない。
その日、ギルドの全員が心からそう思った。




