■第81話「普通の新人」
普通、という言葉は難しい。
自分では普通のつもりでも、周りから見れば変なことはある。
逆に、周りが変すぎるせいで、自分の方が普通に見えることもある。
冒険者ギルドでは、特にそうだ。
剣を持った人間が歩き回り、魔法の話が日常会話になり、魔物の討伐報告が昼飯の横で語られ、猫が高い酒を盗み飲みし、元勇者が書類仕事をしていて、元裏方最強の中年が椅子でだらけている。
そんな場所で“普通”でいるのは、むしろ難しい。
その日、ギルドにやってきた新人は、まさに“普通”だった。
少なくとも、最初は。
「本日付で登録希望の方です」
ミレナが受付でそう言った。
リオはまだ少し風邪明けだったため、受付横の椅子に座って、軽い書類整理だけを任されていた。
ガルド曰く、
「動くな。座ってろ。倒れられると面倒だ」
だった。
優しさを雑に包むと、だいたいこうなる。
「新人ですか」
リオが顔を上げる。
そこに立っていたのは、背筋の伸びた青年だった。
年齢はリオ達と同じくらい。
短く整えた黒髪。
清潔な革鎧。
よく手入れされた槍。
表情は真面目で、目つきもまっすぐ。
荷物もきちんとまとめられており、靴も汚れすぎていない。
第一印象は、とてもまともだった。
あまりにもまともだった。
「レオンと申します」
青年は深く頭を下げた。
「本日より冒険者として登録を希望します。未熟者ですが、ご指導よろしくお願いいたします」
ギルド内が少し静かになった。
エインがぽかんとする。
ルーカスも目を瞬かせる。
メイナは少し感心したように見る。
ナナは笑いをこらえている。
ガルドは椅子で寝たふりをしている。
「……まともだ」
エインが呟いた。
「言うな」
カイルが小声で止める。
「でも、まともですよ」
エインはまだ驚いている。
「新人って、もっとこう、夢に燃えてるとか、勢いで突っ込むとか、変なこと言うとか」
「自分のことを棚に上げるな」
カイルが言う。
「俺ですか!?」
「お前だ」
即答だった。
レオンは少し困った顔をした。
「あの、何か失礼がありましたでしょうか」
「ありません」
ミレナがきっぱり言う。
「むしろ、とても丁寧です」
「ありがとうございます」
「丁寧すぎて、少し皆が戸惑っています」
「……丁寧すぎる、ですか」
レオンは真面目に考え込んだ。
その反応もまた真面目だった。
「いいんですよ」
リオが笑って言う。
「このギルド、変な人が多いので、普通に丁寧な人が来ると少し驚くだけです」
「変な人」
レオンが少しだけ周囲を見る。
まず、椅子でだらけているガルドが目に入る。
その横に、猫がいる。
酒場側にはナナがいて、受付にはミレナがいて、奥ではアルが書類を読んでいる。
ユーンはなぜか天井の梁を見上げている。
「……なるほど」
レオンは妙に納得した顔をした。
「おい」
ガルドが目を開ける。
「今、見て納得しただろ」
「いえ」
「したな」
「……少し」
「正直だな」
レオンはすぐに頭を下げた。
「申し訳ありません」
「謝るな。余計に俺が変みてえだろ」
「変じゃないと思います」
「思ってねえ顔だな」
リオは笑いをこらえた。
レオンは本当に真面目だ。
そして、真面目すぎる。
「では、登録手続きを進めます」
ミレナが書類を用意する。
「名前、年齢、使用武器、過去の訓練経験などを記入してください」
「はい」
レオンは即座にペンを取り、丁寧に書き始めた。
字もきれいだった。
「うわ、字が綺麗」
ナナが覗き込んで言う。
「ありがとうございます」
「リオくんより綺麗」
「比較しないでください」
リオが苦笑する。
「僕、そこまで汚くないですよ」
「疲れてる時の報告書、たまに暗号みたいだよ」
「それはすみません」
レオンは記入を終えると、紙を揃え、ペンをきちんと置いた。
完璧だった。
ミレナが確認しながら頷く。
「問題ありません」
「ありがとうございます」
「では簡単な説明を」
「事前に基本規則は読んできました」
「え?」
「冒険者登録の心得、依頼受注規則、禁足地への立ち入り制限、報告義務、素材管理、報酬分配、装備管理、以上は一通り確認済みです」
ミレナが止まった。
リオも止まった。
エインは完全に口を開けている。
「……すごいですね」
ミレナが言う。
「当然のことかと」
レオンは真顔で答えた。
「当然」
エインが胸を押さえる。
「俺、登録した時そんなに読んでない」
「知ってる」
カイルが言う。
「僕も、正直全部は……」
ルーカスが小さく言う。
「私も必要なところだけだったかも」
メイナも少し反省した顔になる。
レオンは慌てた。
「いえ、責めるつもりでは」
「大丈夫です」
リオが笑う。
「むしろ良いことです」
「はい」
「ただ、このギルドでは真面目すぎると疲れます」
「……そうなのですか」
「そうです」
ガルドが椅子から言った。
「真面目だけだと死ぬぞ」
「死ぬ、ですか」
レオンが真剣な顔になる。
「比喩だ」
リオが慌てて言う。
「たぶん」
「たぶんを使うな」
ガルドが言った。
もはや条件反射だった。
登録手続きの後、簡単な実技確認をすることになった。
レオンは槍使いだ。
ギルド裏の訓練場へ移動する。
リオは風邪明けなので見学。
相手はカイルが務めることになった。
「軽く見るだけだ」
カイルが木剣を持つ。
「よろしくお願いします」
レオンは訓練用の槍を構える。
その構えを見て、カイルが少し目を細めた。
リオも気づいた。
綺麗だ。
癖が少ない。
基本に忠実。
足幅、腰の位置、槍の角度。
ちゃんと訓練を受けている。
「いきます」
レオンが言う。
「来い」
最初の突きはまっすぐだった。
速い。
だが、素直すぎる。
カイルは半歩ずれて流す。
レオンはすぐに引き、二撃目。
これも綺麗だ。
だが読める。
カイルは剣の腹で槍を弾き、間合いを詰める。
レオンは後退。
悪くない。
でも、そこで少し足が止まった。
カイルの木剣が肩の手前で止まる。
「そこまで」
ミレナが言う。
レオンは息を整え、深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「基礎はかなりできている」
カイルが言う。
「ありがとうございます」
「だが、綺麗すぎる」
「綺麗すぎる、ですか」
「ああ」
カイルは木剣を下げる。
「訓練相手ならいい。だが魔物は教本通りに動かない。人間相手でも、汚い手を使う奴はいる」
「はい」
「型を捨てろとは言わない。ただ、崩れることに慣れろ」
レオンは真剣に頷く。
「分かりました」
「分かるのが早いな」
ガルドが言う。
「本当に分かるのは、たぶん一回転んでからだ」
「転ぶ」
「比喩だ」
リオがまた補足する。
「たぶんな」
「だからたぶんを使わないでください」
自然に言ってしまい、リオは自分で笑いそうになった。
実技確認の後、レオンに初依頼を割り当てることになった。
いきなり危険なものはやらせない。
最初は、近場の荷運び補助と周辺警戒。
同行はエイン、メイナ、リオ。
リオはまだ完全復帰ではないので、指示役として軽く同行するだけ。
「僕、行って大丈夫ですか?」
リオが聞く。
「無理はしない範囲で」
ミレナが言う。
「走らない、戦闘しない、重いものを持たない」
「それ、同行する意味あります?」
「指示役です」
ガルドが言う。
「座って見てろ」
「現地でも座るんですか」
「それでいい」
「本当に?」
「お前、病み上がりだろ」
「はい」
「なら偉そうに座ってろ」
「偉そうにする必要あります?」
「ある」
「ないです」
結局、リオは軽い荷物だけ持って同行することになった。
依頼内容は、街の東側にある小さな倉庫へ荷物を運ぶ補助。
魔物の危険は少ないが、道中に少しぬかるんだ場所がある。
荷物は壊れ物ではない。
ごく普通の依頼だ。
ただし、普通の依頼ほど、その人の癖が出る。
「よろしくお願いします」
レオンがエインとメイナにも頭を下げる。
「こちらこそ!」
エインが元気に答える。
「俺、エインです!」
「存じています」
「えっ」
「先ほど受付でお名前を聞いたので」
「すごい。覚えてる」
「普通では?」
「俺はよく忘れます!」
「胸を張ることじゃないよ」
メイナが言う。
レオンは少しだけ戸惑っていた。
まともな人間が、このギルドの空気に触れた時の反応だ。
リオは少し前の自分を思い出して、妙に懐かしくなった。
道中、レオンはとにかく丁寧だった。
荷物を持つ前に重さを確認する。
紐の緩みを確認する。
足場を見てから進む。
曲がり角では人がいないか確認する。
完璧に近い。
しかし、その丁寧さのせいで、少し遅い。
「レオンさん」
エインが言う。
「もう少し気楽で大丈夫ですよ」
「ですが、荷物を落としてはいけませんので」
「それはそうですけど」
「あと、道の左側に小石がありました」
「小石?」
「踏むと少し不安定かと」
「そこまで見てるんですか」
エインが驚く。
リオはそれを聞いて少し感心した。
レオンの観察は細かい。
ただ、少し細かすぎる。
「レオン」
リオが声をかける。
「はい」
「確認するのは良いことです。でも全部を同じ重さで見てると疲れます」
「同じ重さ」
「絶対に見逃しちゃいけないことと、多少流していいことを分ける感じです」
「なるほど」
レオンは真剣に頷いた。
「優先順位ですね」
「そうです」
「分かりました」
「でも一回で完璧にはできないので」
「はい」
「まずは荷物、足場、人の動き。そこを優先で」
「了解しました」
素直だった。
とても素直。
その分、少し心配になる。
素直すぎる人間は、変な人間に巻き込まれやすい。
このギルドには変な人間が多い。
まずい。
目的地の倉庫へ着くと、荷下ろしが始まった。
倉庫番の老人が、少し慌てた様子で出迎える。
「悪いねぇ、急がせて」
「いえ」
レオンが丁寧に答える。
「指定の場所へ運べばよろしいですか」
「ああ、奥の棚の横に頼むよ」
倉庫内は狭かった。
通路に木箱が積まれ、足元にも縄や布袋がある。
ここでレオンの丁寧さが役に立った。
「足元、右に縄があります」
「おっと」
エインが止まる。
「上の箱、少し傾いています」
メイナが見上げる。
「あ、本当」
「奥の棚、先に空けた方がいいかもしれません」
レオンが提案する。
倉庫番が驚いた顔をする。
「よく見てるねぇ」
「ありがとうございます」
丁寧すぎると思った確認が、こういう場面では強い。
リオは少し頷いた。
やはり、強みと弱みは同じ場所から出ることがある。
細かすぎるのは遅さになる。
でも、細かく見られるのは事故防止にもなる。
「レオンさん、すごいですね」
エインが言う。
「俺、絶対縄踏んでました」
「踏む前提なのがエインらしいね」
メイナが言う。
「でも助かった!」
レオンは少し照れたように目を伏せた。
「役に立てたならよかったです」
その時だった。
倉庫の外から、声がした。
「おーい! 追加の荷物だ!」
トーマだった。
荷車を引いている。
その後ろに。
なぜかユーンがいた。
リオは頭を抱えた。
「なんでユーンさんが」
「荷運びの効率化を!」
「帰ってください」
「まだ何もしてません!」
このやり取りに、レオンが目を瞬かせる。
「効率化?」
「気にしないでください」
リオが言う。
「だいたい危険です」
「危険なのですか」
「高確率で」
「高確率……」
ユーンは胸を張る。
「今日は安全です! 荷物を滑らせるだけです!」
「やっぱり危険じゃないですか」
「違います! 布の上に荷物を載せ、傾斜を利用して」
「倉庫内で傾斜を作らないでください」
リオが止める。
だが、ユーンはすでに板を持っていた。
「これを使えば!」
「使わない」
「まだ説明が!」
「使わない」
「レオンさん!」
突然ユーンがレオンを見る。
「あなたはどう思いますか!」
「えっ」
レオンは真面目に板を見る。
リオは嫌な予感がした。
この真面目な新人は、もしかしてちゃんと検討してしまうのではないか。
「荷物の重さ、床の摩擦、角度によっては滑走速度が制御できない恐れがあります」
レオンは真面目に言った。
「また、倉庫内の通路幅では左右への逃げ場が少ないため、事故時の被害が大きくなるかと」
ユーンが固まる。
リオも固まる。
メイナが目を丸くする。
「……正論で止めた」
エインが呟く。
「すごい」
リオも思わず言った。
「僕ら、だいたい“やめてください”で止めてたのに」
ユーンは板を抱えたまま震えている。
「ま、まさか理論で否定されるとは……」
「えっと、申し訳ありません」
レオンが慌てて頭を下げる。
「案自体を否定したいわけではなく、実施環境が」
「いや、完全に否定していいです」
リオが言う。
「むしろ助かりました」
「そうなのですか」
「そうです」
ユーンは少し考え込み、やがて言った。
「なるほど……では、角度と摩擦を再計算します!」
「改良の方向に行かないでください!」
結局そこはいつも通りだった。
依頼自体は無事に終わった。
レオンは荷物を落とさず、周囲をよく確認し、ユーンの危険な案を理論で止めた。
初依頼としてはかなり良い。
帰り道、エインはすっかりレオンに興味を持っていた。
「レオンさん、すごいですね!」
「いえ、私はまだ未熟です」
「でも丁寧だし、槍もできるし、字も綺麗だし」
「字は関係あるのでしょうか」
「あります!」
「あるかな」
メイナが笑う。
「少なくとも報告書では強いよ」
「報告書」
レオンの目が真剣になる。
「報告書も重要ですね」
「重要です」
リオが頷く。
「ミレナさんが喜びます」
「では丁寧に書きます」
「いい新人だ……」
リオはしみじみ言った。
「染まらないでほしい」
「染まる?」
レオンが聞く。
「このギルドにです」
「染まるとどうなるのですか」
リオは少し考えた。
「ユーンさんを早めに止めるようになります」
「なるほど」
「ガルドさんがだらけてると注意したくなります」
「なるほど」
「依頼名に“たぶん”が入ってると警戒します」
「……それは普通なのでは?」
「そうですね」
少し笑いが起きた。
ギルドへ戻ると、ミレナが報告を受けた。
「問題なく完了です」
リオが言う。
「レオンが細かいところをよく見てくれたので助かりました」
「そうですか」
ミレナの表情が少し柔らかくなる。
「初依頼としては良いですね」
「ありがとうございます」
レオンが頭を下げる。
「報告書を書きます」
「え?」
エインが驚く。
「自分から?」
「必要ですよね」
レオンが言う。
「必要です」
ミレナが力強く頷く。
「とても必要です」
「圧がすごい」
リオが笑う。
レオンはそのまま報告書を書き始めた。
丁寧だった。
内容も簡潔。
依頼の流れ。
荷物の状態。
倉庫内の危険箇所。
ユーンの滑走案については、なぜか“未実施。安全面の検討不足により見送り”と書かれていた。
ミレナが読んで、深く頷く。
「素晴らしいです」
「ありがとうございます」
「リオくん」
「はい」
「見習ってください」
「僕も最近頑張ってますよね!?」
「疲れてる時の字を」
「そこですか!」
ガルドが横から笑う。
「新人に負けたな」
「ガルドさんよりは書いてます」
「俺を基準にするな」
「低すぎますもんね」
「お前、風邪明けで口が戻ったな」
「おかげさまで」
リオは少し咳き込む。
すぐにセリアが近づく。
「リオくん」
「すみません」
「今日はここまでです」
「はい」
即座に負けた。
夕方。
レオンは正式にこのギルドで活動を始めることになった。
まだ真面目で、丁寧で、普通の新人だ。
だが、すでに少しだけこの空気に触れている。
ユーンの案を理論で止めた。
エインに懐かれた。
メイナに報告書を褒められた。
ミレナに字を絶賛された。
ガルドに「真面目すぎる」と言われた。
ナナには「どれくらいで崩れるかな」と笑われた。
「崩れる前提なんですか」
レオンが困惑する。
「このギルドにいるとね」
ナナが言う。
「最初の普通がだんだん変わるんだよ」
「そうなのですか」
「リオくんも最初はもっと普通だった」
「そうなんですか?」
レオンがリオを見る。
「たぶん」
リオが答える。
「たぶんを」
ガルドが言いかけたところで、リオが先に言った。
「使うな、ですよね」
「分かってるなら使うな」
ギルド内に笑いが広がった。
レオンはその笑いを少し不思議そうに見ていた。
だが、嫌そうではなかった。
むしろ、少しだけ安心したような顔をしている。
普通の新人。
真面目で、丁寧で、少し固い槍使い。
彼がこのギルドでどう変わっていくのか、リオにはまだ分からない。
ただ、一つだけ分かることがある。
この場所にいると、誰も最初のままではいられない。
リオ自身がそうだった。
エインも、ルーカスも、メイナも、少しずつ変わっている。
ガルドも昔とは変わったらしい。
アルも、セリアも、きっと何かを経て今ここにいる。
なら、レオンも変わるのだろう。
真面目さを残したまま。
丁寧さを武器にしたまま。
少しだけ、この変なギルドに染まりながら。
「レオン」
ガルドが呼んだ。
「はい」
「一つ教えとく」
「何でしょうか」
「ここで普通を保とうとするな」
「え?」
「疲れるぞ」
レオンは少し考えた。
「では、どうすれば?」
ガルドは茶を飲みながら言った。
「変なもんは変って言えばいい」
「……分かりました」
レオンは真面目に頷いた。
数秒後、ユーンが新しい図面を広げた。
「改良版です!」
レオンは図面を見た。
そして真顔で言った。
「変です」
ギルド中が爆笑した。
ユーンだけが叫んだ。
「早い!」




