■第80話「リオが休む日」
リオがいない。
その事実に、ギルドの誰もが最初は気づかなかった。
朝のギルドは、いつも通りだった。
ミレナが受付で依頼書を整理している。
ナナが酒場側で皿を並べている。
ガルドが椅子でだらけている。
カイルが壁際で腕を組んでいる。
エインが掲示板の前で依頼を眺めている。
ルーカスとメイナが装備の確認をしている。
セリアが治療棟から顔を出す。
ユーンが何か言い出しそうな顔をしていて、全員が少しだけ警戒している。
いつもの朝。
いつもの空気。
いつもの騒がしさ。
ただ一人。
リオだけがいなかった。
「……あれ?」
最初に気づいたのは、ミレナだった。
受付の書類を一束持ち上げたまま、ふと顔を上げる。
「リオくんは?」
その一言で、ギルド内の数人が周囲を見た。
「そういえば」
エインが言う。
「いませんね」
「珍しいな」
カイルも少し眉を寄せる。
「いつもならもう来ている」
「寝坊か?」
ガルドが椅子の背に体を預けたまま言う。
「リオくんが寝坊するのは珍しいですね」
セリアが少し心配そうに言った。
たしかに、リオは比較的きっちりしている。
ガルドのように「面倒だったから遅れた」と平気で言うタイプではない。
依頼がある日は早めに来るし、依頼がない日でも受付前で何か手伝っていることが多い。
だから、いないと少しだけ違和感がある。
だが、まだその時点では、大きな問題ではなかった。
「まあ、そのうち来るだろ」
ガルドが言う。
「昨日も遅くまでいたし」
「昨日、何してたんですか」
ミレナが聞く。
「猫見てた」
「猫?」
「酒飲んだ猫」
「ああ……」
昨日の酒消失事件の犯人、というか被害者というか勝者というか、とにかくあの猫である。
猫はセリアの治療を受けたあと、なぜかガルドの膝で爆睡し、その姿をリオが妙に真剣に観察していた。
「猫が酔うとどうなるのか気になったらしい」
ガルドが言う。
「真面目だな」
「真面目の方向がおかしいですね」
ナナが笑った。
「まあ、ちょっと疲れてたのかもね」
「最近ずっと動いてましたしね」
メイナも頷く。
失敗する日。
装備の修理。
洞窟依頼。
見張り小屋の修繕。
依頼人が強すぎる護衛。
酒場の事件。
リオはそのほとんどに関わっていた。
気づけば、若手のまとめ役のような位置にいる。
本人が望んだわけではない。
でも、自然とそうなっていた。
「少し休ませた方がいいかもしれませんね」
セリアが言う。
「そうですね」
ミレナも頷いた。
その時だった。
扉が開いた。
入ってきたのはマルクだった。
いつもの雑用係。
ただし、今日は少し慌てている。
「ミレナさん!」
「どうしました?」
「リオさんから伝言です!」
「伝言?」
「風邪で休むそうです!」
ギルド内が静かになった。
「風邪?」
エインが目を丸くする。
「リオ先輩が?」
「はい!」
マルクが頷く。
「朝、様子見に行ったら、顔赤くて、声が変でした!」
「なぜマルクさんが様子を見に?」
メイナが聞く。
「昨日、リオさんに貸した帳簿写しを返してもらう予定だったので!」
「なるほど」
「そしたら布団から“今日は無理です”って!」
想像できる。
かなり弱っているリオが、申し訳なさそうにそう言ったのだろう。
「熱は?」
セリアがすぐに聞く。
「ありそうでした!」
「見てきます」
セリアが即座に動こうとした。
しかしミレナが止める。
「セリアさん、午前中は治療予約があります」
「でも」
「私が薬を持って行かせます。昼に落ち着いたらお願いします」
「……分かりました」
セリアは少し心配そうに頷いた。
「無理して来ようとしてないでしょうね」
ミレナが言う。
「それはありそうですね」
カイルが真顔で言う。
「リオはそういうところがある」
「変なところ真面目ですから」
ナナが言う。
「熱あるのに“でも受付が”とか言いそう」
「言いそうですね」
ミレナがため息をつく。
自分も倒れた時に同じようなことを言っていた自覚があるのか、少しだけ顔を逸らした。
「で」
ガルドが言った。
「今日はリオ抜きか」
その一言で、ギルド内が少しだけざわついた。
リオがいない。
それだけのはずだった。
でも、その意味を全員がじわじわ理解し始める。
ツッコミ役がいない。
新人の世話を見る人がいない。
ミレナの補助を自然にする人がいない。
ガルドに遠慮なく文句を言う若手がいない。
ユーンを早めに止める人が一人減った。
それは、想像以上に大きかった。
「……まあ」
ナナが笑う。
「なんとかなるでしょ」
その言葉が、すでに不吉だった。
最初の異変は、依頼選びで起きた。
「じゃあ今日は僕が依頼選びます!」
エインが元気よく言った。
普段なら、リオが横から「内容をちゃんと見ろ」「報酬だけで決めるな」「距離も確認しろ」と言う。
だが今日はいない。
カイルは近くにいたが、エインが自分で考えるなら見守ろうとしているのか、すぐには止めなかった。
エインは掲示板の前で胸を張る。
「成長したところを見せます!」
「誰にだ」
ガルドが聞く。
「リオ先輩に!」
「いないぞ」
「心の中にいます!」
「病人を勝手に心の中に置くな」
ガルドが呆れる。
エインは依頼票を一枚取った。
「これにします!」
ミレナが確認する。
「北倉庫の荷物整理ですね」
「はい!」
「内容は軽めですが、場所が少し遠いです」
「大丈夫です!」
ギルド内に不安が走った。
大丈夫。
またその言葉。
「エインくん」
ミレナが目を細める。
「ちゃんと内容を読みましたか?」
「読みました!」
「荷物整理ですよ?」
「はい!」
「重い箱もあります」
「はい!」
「埃も多いです」
「はい!」
「地味です」
「はい!」
「本当にいいんですね?」
「はい!」
勢いはある。
だが、どこか危ない。
普段ならリオが「じゃあ持ち物は」「人数は」「帰りの時間は」と確認する。
今日はそれがない。
ミレナが代わりに確認しようとするが、その前にエインは言った。
「ルーカス、行こう!」
「えっ、僕も?」
「メイナも!」
「え、私も?」
「成長を見せるぞ!」
「誰に?」
「リオ先輩に!」
「いないよ」
メイナが冷静に突っ込んだ。
リオの代わりにはなれないが、メイナも少しずつツッコミ力を身につけている。
だが、エインの勢いは止まらない。
「とにかく行こう!」
「待ってください」
ミレナが強めに言う。
「行く前に、作業用手袋、布、飲み水、簡易マスクを持ってください。倉庫整理なら埃対策が必要です」
「あっ」
エインが固まる。
「忘れてました」
「でしょうね」
ミレナがため息をつく。
「リオくんがいないからといって、確認を省かないでください」
「はい……」
まず一つ。
リオの不在が響いた。
次の異変は、ガルドだった。
普段、リオはガルドが受付前でだらけすぎると、わりと早めに突っ込む。
「邪魔です」
「椅子に沈みすぎです」
「依頼票の上に肘を置かないでください」
そういう細かい注意を、ミレナより少し柔らかく、でも遠慮なく言う。
今日はそれがない。
その結果、ガルドはいつもより一段階だらけた。
受付横の長椅子に寝転び、片足を椅子の背にかけ、茶を飲みながら完全に休む体勢に入った。
「ガルドさん」
ミレナが言う。
「そこは通路です」
「知ってる」
「どいてください」
「今、休んでる」
「通路で休まないでください」
「リオがいないから今日は注意が少ないな」
「私がいます」
「お前の注意は仕事っぽいからな」
「注意は注意です!」
ミレナが強めに言うと、ガルドは渋々起き上がった。
だが、数分後にはまた少しずつ沈んでいく。
リオがいないだけで、ガルドのだらけ具合がじわじわ悪化している。
ナナがそれを見て笑う。
「ガルド、リオくんいないと駄目だね」
「何がだ」
「叱ってくれる若手がいないと溶ける」
「溶けねえ」
「もう半分溶けてる」
「うるせえ」
ガルドは茶を飲む。
だが、少しだけ気まずそうだった。
三つ目の異変は、ユーンだった。
「思いつきました!」
その声だけで、ギルド内が反射的に緊張する。
普段なら、リオがかなり早い段階で「やめてください」と言う。
ミレナも止める。
ガルドも止める。
だが、リオの初動がないだけで、ユーンの発言が一拍長くなる。
その一拍が危険だった。
「リオさんが休んでいるなら!」
ユーンが胸を張る。
「お見舞いを効率化するべきです!」
「嫌な予感」
ナナが笑いをこらえながら言う。
「効率化とは?」
ミレナが警戒しながら聞く。
「まず、薬、食事、冷たい布、応援の手紙を一括配送します!」
「そこまでは普通ですね」
「それを小型投射器で」
「やめてください」
ミレナが即座に止めた。
「まだ安全性の説明を」
「病人の家に物を撃ち込まないでください!」
「撃ち込むのではなく、正確に届けます!」
「同じです!」
普段なら、ここでリオが「病人に追撃しないでください」と言う。
いない。
誰もその言葉を言わない。
結果、ユーンはさらに続ける。
「さらに、窓が閉まっている場合に備えて、布団まで自動で」
「待て」
ガルドが起き上がった。
「今、布団って言ったか」
「はい!」
「何する気だ」
「布団ごと換気を」
「殺す気か」
「違います!」
「熱あるやつの布団を勝手に動かすな」
「はい……」
ガルドが止めた。
止めたが、いつもより少し遅かった。
ユーンの手元には、すでに小型のばね装置のようなものがあった。
「それは何ですか」
ミレナが聞く。
「試作品です!」
「没収です」
「まだ何もしてません!」
「する前に止めるんです!」
ミレナが装置を回収した。
ユーンはしょんぼりした。
「リオさんなら、もっと具体的に怒ってくれるのに……」
「怒られたいんですか?」
メイナが言う。
「いえ、でも、何というか、止め方に安心感が」
「安心感?」
「“それは絶対やめてください”って言われると、あ、これは駄目なんだなって」
「自分で気づいてください」
メイナのツッコミが少しリオっぽくなっていた。
昼前になると、リオ不在の影響はさらに広がった。
エイン達が倉庫整理から戻ってきた。
全員、埃まみれだった。
「ただいま戻りました!」
エインが元気よく言う。
「……真っ白ですね」
ナナが笑う。
「何があったんですか」
ミレナが聞く。
「倉庫の奥の箱を動かしたら、上から埃が」
ルーカスが咳をする。
「だから簡易マスクを持って行けと言いました」
「持っていきました!」
エインが言う。
「じゃあなぜそんな顔に」
「途中で邪魔で外しました!」
「意味がない!」
ミレナが叫ぶ。
「リオくんがいたら絶対外すなって言ったでしょうね」
メイナが言う。
「言いそう」
ルーカスが頷く。
「“埃対策のために持ってきたんだから外したら意味ないでしょう”って」
「言い方似てる」
ナナが笑う。
「リオ先輩の幻聴が聞こえる……」
エインが少し遠い目をした。
「なら従ってください」
ミレナが言う。
倉庫整理自体は終わったらしい。
しかし、帰ってきた若手三人は、リオがいない分だけ少し雑になっていた。
本人達もそれに気づいている。
「リオ先輩って、いつも細かい確認してくれてたんですね」
ルーカスが言う。
「はい」
メイナも頷く。
「いないと、自分達で気づかないといけない」
「それが普通なんですけどね」
ミレナが言う。
「でも、いつの間にか頼っていたのかもしれません」
「そうですね……」
エインが珍しく真面目に頷いた。
その数分後、また騒ぎが起きた。
「ガルドさん!」
エインが言う。
「リオ先輩のお見舞いに行きましょう!」
「嫌だ」
「即答!」
「病人は寝かせとけ」
「でも、心配じゃないんですか」
「心配だから行かねえんだよ」
ガルドが言う。
少し意外な言葉だった。
「どういうことですか」
エインが聞く。
「俺らがぞろぞろ行ったら休めねえだろ」
「……あ」
「薬と飯だけ届けりゃいい」
ガルドは面倒そうに言った。
だが、内容はまともだった。
ナナが少し笑う。
「ガルド、そういうとこはちゃんとしてるよね」
「そういうとこだけ、みたいに言うな」
「だって普段が」
「言うな」
「でも確かに」
セリアが治療棟から戻ってきた。
「大人数で行くのはよくないですね。私が薬を届けます。あとは消化にいい食事を少し」
「じゃあ私が作るよ」
ナナが言う。
「お粥でいい?」
「はい。薄めで」
「ガルドの酒より薄く?」
「比較対象がおかしいです」
セリアが苦笑する。
「じゃあ、お粥と薬と水、それから替えの布」
ミレナがまとめる。
「マルクさん、届けてもらえますか?」
「はい!」
「いえ」
セリアが言う。
「私が行きます。ついでに様子を見てきます」
「お願いします」
それで決まりかけた。
だが、ユーンがそっと手を挙げた。
「僕も」
「駄目です」
全員同時だった。
「なぜ!?」
「病人の家で何か作るから」
「作りません!」
「本当に?」
「……」
「沈黙した!」
結局、セリア一人で行くことになった。
リオはたぶん、それが一番休める。
午後。
ギルドは妙な状態になっていた。
大きな事件は起きていない。
だが、細かい不具合が続く。
ミレナが書類を探すと、リオがいつもまとめていた補助資料が見つからない。
エインが依頼報告を書こうとして、書き方が分からず固まる。
ルーカスが装備の手入れについて質問しようとして、ロッドのところへ行く勇気が出ず、リオがいないことに気づく。
メイナが新人二人に注意しようとして、言葉を選びすぎて失敗する。
ガルドは何度も「リオなら今ツッコんだな」という場面で誰も何も言わず、逆に落ち着かない顔をする。
ナナはずっと笑っている。
「リオくん、重要だったんだねぇ」
「笑いごとじゃありません」
ミレナが言う。
「いや、笑いごとだよ」
「どこがですか」
「いなくなって初めて分かるやつ」
ナナはグラスを拭きながら言う。
「前にミレナが休んだ時もそうだったじゃん」
「……それは」
「みんな、いないと困る人が増えてきたってことじゃない?」
ミレナは少し黙った。
たしかにそうだ。
昔なら、リオが一日いなくてもここまで違和感はなかったかもしれない。
でも今は違う。
リオは、ギルドの中の当たり前の一部になっている。
受付を少し手伝う。
新人に声をかける。
ガルドに突っ込む。
ユーンを止める。
ミレナの言葉を若手に噛み砕く。
セリアの手伝いをする。
ナナの冗談に反応する。
その一つ一つは小さい。
でも、全部なくなると、空気が変わる。
「そうですね」
ミレナが少しだけ笑う。
「リオくん、かなり染まってますね」
「本人が聞いたら嫌がりそう」
「でも事実です」
その時、ガルドがぼそっと言った。
「染めた覚えはねえんだけどな」
「一番影響与えてる人が言わないでください」
メイナが言った。
ギルド内が少し笑う。
「俺か?」
「ガルドさんです」
ルーカスも頷く。
「リオ先輩、最近たまにガルドさんみたいなこと言います」
「最悪だな」
「本人も最悪って言いそうです」
ナナが笑う。
「でも、ちゃんと良いところも移ってるよ」
「良いところ?」
ガルドが眉をひそめる。
「面倒くさがりなのに放っておけないところ」
「それは良いところなのか」
「たぶん」
「たぶんを使うな」
ガルドが言い、リオがいないのに全員が笑った。
夕方前、セリアが戻ってきた。
「どうでした?」
ミレナがすぐに聞く。
「熱はありますが、薬を飲んで寝ました。明日も休ませた方がいいですね」
「明日も?」
エインが少し不安そうに言う。
「無理して悪化するより、その方がいいです」
セリアが答える。
「本人は何か言ってました?」
ナナが聞く。
「“迷惑かけてすみません”って」
「言いそう」
ガルドが言う。
「あと、“ユーンさんを見張ってください”って」
「病床でも!?」
ユーンが叫んだ。
「リオ先輩、熱あるのに僕の心配を……」
「心配の種類が違います」
ミレナが言う。
「でも、さすがですね」
メイナが苦笑する。
「自分が休んでもそこは外さない」
「それと」
セリアが少し笑う。
「“ガルドさんが通路で寝てたら起こしてください”とも」
全員がガルドを見る。
「おい」
ガルドが言う。
「あいつ、熱あるくせに余計なことを」
「通路で寝ないでください」
ミレナが即座に言った。
「寝てねえ」
「今日寝てました」
「少し横になっただけだ」
「それを寝ると言います」
リオがいないのに、リオの言いそうなことがギルドに残っている。
不思議な感じだった。
その日の夜、ギルドは少し早めに落ち着いた。
リオがいない分、騒がしさが少ない。
いや、騒がしい人間はいる。
エインもユーンもライルもいる。
でも、それを受け止めて投げ返すリオがいないので、騒ぎが妙に空回りする。
「なんか物足りないね」
ナナが言った。
「静かなわけじゃないのに」
「そうですね」
ミレナが頷く。
「ツッコミが足りない」
「リオくん、役割が増えてるなぁ」
「本人は否定しそうですが」
「でも明日はちゃんと休ませるんでしょ?」
「もちろんです」
ミレナはきっぱり言った。
「来たら追い返します」
「それ、ミレナが言うと説得力あるね」
「私も以前、追い返されましたから」
「学びがある」
ナナが笑った。
ガルドは酒を飲んでいた。
いつもより少し静かだった。
「寂しい?」
ナナが聞く。
「誰がだ」
「ガルド」
「別に」
「リオくんいないと文句言う相手減るもんね」
「文句は誰にでも言える」
「でも、リオくん相手だと楽しそうだよ」
「気のせいだ」
ガルドは酒を飲む。
だが、少しだけ視線が受付の方へ向いた。
リオがよく立っている場所。
依頼票を見たり、ミレナに声をかけたり、エインに注意したり、ガルドに呆れたりしている場所。
今日は空いている。
「まあ」
ガルドがぽつりと言う。
「あいつはよくやってる」
ナナが少し目を丸くした。
「珍しく素直」
「うるせえ」
「本人に言ってあげれば?」
「嫌だ」
「なんで」
「調子に乗る」
「リオくんは乗らないと思うけど」
「じゃあ照れる」
「それは見たい」
「俺は見たくねえ」
ガルドはそっぽを向いた。
だが、否定はしなかった。
翌朝。
リオは来なかった。
ちゃんと休んでいるらしい。
セリアが再度様子を見に行き、熱は少し下がったと報告した。
ギルドは二日目の“リオ不在”に入った。
初日ほど混乱はしなかった。
エインは持ち物確認を自分で行った。
メイナは新人への説明を少しうまくやった。
ルーカスはロッドのところへ自分で行き、装備の手入れを聞いた。
ミレナはリオがいつも補助していた書類の位置を整理し直した。
ガルドは通路で寝なかった。
ユーンは、なぜか大人しかった。
「ユーンさん」
ミレナが怪しむ。
「今日は何も作らないんですか?」
「はい」
「本当に?」
「リオさんが休んでいるので」
「はい」
「戻ってきた時に怒られるようなものは作らないでおこうと」
ギルド内が少し静かになる。
「成長してる……」
エインが言う。
「リオくんの不在が教育になってる」
ナナが笑った。
「失礼では!?」
ユーンが言う。
「でも、いいことです」
セリアが微笑む。
「誰かがいない時に、その人が普段言ってくれていたことを思い出せるなら」
その言葉に、全員が少しだけ頷いた。
リオはそこにいない。
でも、リオがいつも言っていたことは、ギルドの中に少し残っている。
それはたぶん、悪くない。
その日の夕方。
扉が開いた。
全員が振り返る。
リオだった。
顔色はまだ少し悪い。
マフラーを巻き、少しふらつきながら入ってくる。
「おはようございます……じゃないですね」
ギルド内が一瞬止まった。
次の瞬間。
「帰ってください!」
ミレナが叫んだ。
「えっ」
リオが固まる。
「まだ休みです!」
「いや、だいぶ良くなったので」
「駄目です!」
セリアもすぐに近づく。
「熱は?」
「少しだけ」
「帰りましょう」
「いや、でも」
「帰りましょう」
笑顔だった。
逆らえない笑顔だった。
「リオ先輩!」
エインが駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「うん、大丈夫」
「ちゃんと休んでください!」
「えっ」
「僕達、何とかやってます!」
その言葉に、リオは少し驚いた。
「そうなの?」
「はい!」
メイナが頷く。
「昨日よりは」
「昨日は?」
「少し崩壊しました」
「崩壊したの!?」
「少しです」
ルーカスが苦笑する。
「でも、リオ先輩が普段言ってたこと、結構思い出しました」
「僕が?」
「はい」
「埃対策とか」
「報告書とか」
「ユーンさんを止めるとか」
「最後が大きいですね」
リオは少し笑った。
笑ったら咳き込んだ。
「ほら!」
ミレナが言う。
「帰ってください!」
「はい……」
完全に負けた。
その時、ガルドが椅子から声をかけた。
「リオ」
「はい」
「寝ろ」
「……はい」
「お前いなくても一日は回った」
「一日だけですか」
「二日は少し怪しかった」
「怪しかったんですか」
「だから早く治せ」
言い方は雑だった。
でも、リオは少しだけ嬉しそうに笑った。
「分かりました」
「あと」
ガルドが少しだけ目を逸らす。
「よくやってる」
ギルド内が静かになった。
リオも固まった。
「……え?」
「二度言わねえぞ」
ナナが口元を押さえる。
「おお」
ミレナも少しだけ目を丸くしている。
エインは感動した顔をしている。
リオは熱のせいか、それとも別の理由か、少し顔が赤くなった。
「……ありがとうございます」
「早く帰れ」
「はい」
セリアに連れられて、リオはもう一度帰ることになった。
扉が閉まる。
ギルド内に少しだけ温かい空気が残る。
「ガルド」
ナナが笑う。
「言えたじゃん」
「うるせえ」
「照れてる?」
「うるせえ」
「リオくん、嬉しそうだったね」
「病人だからだ」
「それ関係ある?」
「ある」
ガルドは酒を飲む。
だが、その横顔は少しだけ穏やかだった。
リオが休む日。
最初はただの風邪だった。
一人若手がいないだけ。
そのはずだった。
でも、ギルドは少しだけ崩れ、少しだけ気づき、少しだけ自分達で直した。
リオが普段やっていたこと。
リオが普段言っていたこと。
リオがいつの間にか、このギルドの空気の中に混ざっていたこと。
それをみんなが知った日だった。
そしてたぶん、リオ本人だけがまだちゃんと分かっていない。
自分がもう、ただの若手ではないことを。
このギルドで、ちゃんと必要とされていることを。
ナナは酒場の棚を拭きながら、ふと笑った。
「明日、来そうだね」
「来るだろうな」
ガルドが言う。
「追い返す?」
「熱があればな」
「なかったら?」
ガルドは少しだけ考えた。
「椅子に座らせて、軽い仕事だけさせろ」
「優しい」
「違う」
「違うの?」
「倒れられると面倒だ」
「はいはい」
ナナは笑った。
外は夕方だった。
ギルドの中は、いつも通り騒がしい。
でも、リオが戻ってきた時のために、少しだけ整っていた。
報告書は分かりやすくまとめられ、依頼票は曲がらず貼られ、ユーンの怪しい装置は棚の奥に封印され、ガルドは通路で寝ないように椅子に座っている。
完璧ではない。
たぶん明日にはまた何か起きる。
でも、それでいい。
このギルドは、そうやって少しずつ回っている。
誰かが休んで。
誰かが困って。
誰かが代わりに動いて。
そして戻ってきたら、いつものように迎える。
おかえり、と大げさに言わなくても。
そこにいつもの席が残っている。
それだけで、十分だった。




