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栄光の中年、ただ生きる  作者: vastum


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■第70話「ミレナが休む日」

 ギルドには、いなくなると初めて分かる人間がいる。


 普段はそこにいて当たり前。


 朝になれば受付に立っていて、依頼書を整理していて、騒がしい連中に頭を抱えていて、誰かが揉めれば止めて、書類が増えれば片付けて、誰かが怪我をすればセリアを呼んで、酒場側がうるさければ睨んで黙らせる。


 空気みたいに自然にそこにいる。


 だから、いないと困る。


 ものすごく困る。


 その日、ギルドの全員がそれを知った。



「……え?」


 朝。


 ギルドへ来たリオは、受付前で止まった。


 誰もいない。


 正確には、受付に“ミレナが”いない。


 机はある。


 書類もある。


 整理された依頼票もある。


 でも、人がいない。


「珍しいですね」


 リオが周囲を見る。


 普段なら、もうミレナが座っている時間だ。


 だが今日は空席。


 しかも、静か。


 妙に不安になる静けさだった。



「おはようございます」


 セリアが奥から出てくる。


「あ、セリアさん」


「リオくん」


「ミレナさんは?」


 セリアは少し困ったように笑った。


「今日はお休みです」


 リオが固まる。


「……休み?」


「はい」


「ミレナさんが?」


「はい」


「……」


 想像していなかった。


 休むんだ、この人。



「熱が出た」


 ガルドが椅子から言う。


 すでに酒場側にいた。


「昨日起き上がろうとしてアルに止められてた」


「そんなレベルだったんですか!?」


「休めって言われて“でも仕事が”って言ってた」


「想像できる」


 リオは頭を抱えた。



「大丈夫なんですか?」


「熱だけです」


 セリアが言う。


「疲れが溜まっていたみたいですね」


 ギルド内が少し静かになる。


 思い返せば、最近ミレナはずっと動いていた。


 依頼整理。


 新人対応。


 報告書。


 トラブル処理。


 ライルへの説教。


 ユーンの暴走停止。


 ガルドへの小言。


 全部やっている。


 そりゃ倒れる。


 むしろ今まで倒れていなかったのが不思議だった。



「で」


 ナナがカウンターから顔を出す。


「問題はここからなんだよね」


「何がですか?」


 リオが聞く。


 ナナは、受付を指差した。


「今日、誰がやるの?」


 空気が止まった。



「……」


「……」


「……」


「誰かやるだろ」


 ガルドが言う。


「その“誰か”がいないんですよ」


 リオが即答した。



「アルさんは?」


「今朝から外だ」


 ガルドが答える。


「北側の視察」


「タイミング悪いですね」


「最悪だな」



「セリアさんは?」


「治療棟があります」


「ですよね」


 リオが頭を抱える。


「ナナさんは」


「酒場」


「ですよね」


「消去法でリオくん?」


「嫌です」


「早いな」



「いや無理ですよ!」


 リオが言う。


「受付って何するんですか!?」


「依頼整理、受付、報告確認、書類作成、緊急対応、連絡、金銭管理、あとお前らの監視」


 ナナが数える。


「多い!」


「ミレナ偉いだろ?」


「思ってたより偉かったです!」



「やるか」


 ガルドが言う。


「ガルドさんが?」


「嫌だ」


「なんで言ったんですか」


「流れ」


「流れで仕事しないでください!」



「じゃあ」


 ナナが笑う。


「リオくん、受付係ね」


「うわぁ……」


 リオは本気で嫌そうな顔をした。


 だが。


「お願いします」


 セリアが頭を下げた。


「うっ」


「今日は本当に人手が足りなくて」


「……やります」


 断れなかった。



 こうして。


 その日、リオは受付係になった。


 そして十分後。


「無理です」


 即座に泣き言を言った。



「まず依頼書どこに置くんですか!?」


「左」


 ナナが答える。


「報告終わったやつは!?」


「右」


「仮受付は!?」


「真ん中」


「多い!」



「おはようございます」


 冒険者が来る。


「依頼受けたいんだけど」


「あ、はい!」


 リオが慌てる。


「えっと……どれですか」


「この薬草採取」


「はい!」


 紙を取る。


 だがそこで止まる。


「……え?」


「どうした」


「これ、どこに記録するんですか」


「そこからか」


 ナナが爆笑した。



「ミレナさんすごいですね……」


 リオが遠い目をする。


「今さら?」


「今さらです」



 問題は、受付だけではなかった。


「リオー!」


 ライルが入ってくる。


「なんですか!」


「報酬受け取り!」


「えっと……」


 リオは引き出しを見る。


 金貨。


 銀貨。


 銅貨。


「うわ」


「何その反応」


「怖いです!」


 金額管理。


 想像以上に怖かった。



「ライルさん、前回の前借り分引かれてます?」


「え?」


「え?」


 空気が止まる。


 リオは帳簿を見る。


「……引かれてませんね」


「マジか!」


「喜ばないでください!」



「ミレナぁぁぁぁ!!」


 ライルが叫ぶ。


「いないです!」


 リオが叫ぶ。



「待て」


 ガルドが言う。


「その前借り、俺も覚えてる」


「うっ」


「払え」


「ガルドまで!?」


「当然だろ」



 さらに問題。


「すみません」


 新人冒険者が来る。


「依頼の内容について質問が」


「あ、はい!」


 リオが笑顔になる。


 ここならいける。


 戦闘系だ。


 説明できる。


「どの依頼ですか?」


「この、街道護衛です」


「はい」


「“臨時検問協力あり”ってなんですか?」


「……」


 知らない。



「ナナさん!」


「なんで私!?」


「助けてください!」


「酒場店員だぞ私!」


「でも詳しそうなので!」


「偏見だなぁ!」


 だが普通に知っていた。


「街側の兵士が検問してる時、身元確認で少し時間取られるって意味」


「なるほど!」


 新人が頷く。


「ありがとうございます!」


「どういたしまして」


 ナナが笑う。


 そしてリオを見る。


「……ミレナ、これ毎日やってるんだよね」


「化け物ですか?」


「真面目の化け物」



 昼前。


 すでにギルドが崩壊しかけていた。



「リオくん!」


「はい!?」


「依頼票の順番違います!」


「えっ」


 セリアが指差す。


「討伐系と採取系混ざってます」


「うわぁぁぁ……」



「リオ!」


「今度はなんですか!」


「報酬の計算違う!」


「えっ」


 ベルクが笑う。


「銀貨一枚多いぞ」


「返してください!」


「冗談だ!」


「心臓に悪いです!」



「先輩」


 エインが来る。


「依頼受けたいんですけど」


「はい」


「どれおすすめですか?」


「今!?」


「今です」


「うぅ……」


 リオは掲示板を見る。


 だが、受付をやりながら依頼選定まで頭が回らない。



「これ」


 後ろから声。


 カイルだった。


「この辺が無難だ」


「あ、カイルさん」


「新人ならこの採取。帰り道も安全」


「なるほど!」


 エインが頷く。


「あとこっちはやめとけ」


「なんでですか?」


「報酬が妙に高い」


「……あ」


「理由がある」


 エインが真顔になる。


「勉強になります」


「助かった……」


 リオが呟く。



「お前」


 カイルが受付机を見る。


「大変そうだな」


「ミレナさん毎日これやってるんですよね?」


「ああ」


「怖い」


「分かる」


 カイルも頷いた。



「うおおおおお!!」


 突然。


 扉が開いた。


「なんだ!?」


 リオが叫ぶ。


 ユーンだった。


「新配送システムを思いつきました!」


「帰れ」


 リオが即答した。


「即答!?」


「今日は本当に余裕ないんです!」



「聞いてください!」


「聞きません!」


「荷物に滑車を」


「嫌な予感!」


「つけて」


「やめろ!」


「空中を」


「やめろ!」


「移動」


「もっとやめろ!」



「ユーン」


 ガルドが言う。


「はい!」


「今日はな」


「はい!」


「ミレナが休みだ」


「……」


 ユーンが止まる。


「つまり?」


「今暴れると、リオが死ぬ」


「……」


 ユーンが受付を見る。


 書類まみれ。


 汗だく。


 目が死に始めているリオ。


「……今日はやめます」


「珍しい!」


 ナナが驚いた。



 午後。


 さらに地獄だった。



「報告です!」


「あ、はい!」


「依頼達成しました!」


「確認します!」


 書類を見る。


 だが。


「……あれ?」


「どうした?」


「この印、どれですか」


「え?」


「え?」


 印が分からない。



「それ仮確認印」


 マルクが横から言う。


「先に押すやつ」


「マルク!」


 救世主だった。


「助かります!」


「僕、雑用でずっと見てるんで」


「すごい!」


「地味にギルド全部把握してます!」


 実際そうだった。



「……」


 夕方。


 リオは完全に死んでいた。


 机に突っ伏している。


「終わった……」


「まだ閉め作業あるぞ」


 ナナが言う。


「嘘ですよね」


「本当」


「ミレナさん化け物ですよ……」



「お疲れ様です」


 セリアが茶を置く。


「ありがとうございます……」


「大変でした?」


「大変でしたどころじゃないです」


 リオは真顔だった。


「戦闘の方が楽です」


「分かる」


 ガルドが頷く。



「ガルドさんもやったことあるんですか?」


「昔、一回だけな」


「どうでした?」


「三時間で逃げた」


「早い!」


「向いてねえ」


「そこは正直なんですね」



「でも」


 リオは少し受付を見る。


 綺麗に整理された机。


 大量の書類。


 今日だけで頭がおかしくなりそうだった。


「ミレナさんって、本当にすごいんですね」


「今さらだな」


 ナナが笑う。


「でもこういうの、やってみないと分かんないよね」


「はい」


 リオは素直に頷く。


「戦うだけじゃ、ギルドって回らないんですね」


「そりゃそうだ」


 ガルドが酒を飲む。


「裏で回してる奴がいる」


 その言葉が妙に重かった。



 そこへ。


 扉が開く。


「……あれ?」


 全員が見る。


 ミレナだった。


「なんで来たんですか!?」


 リオが立ち上がる。


「熱下がったので……」


「帰ってください!」


 全員一致だった。



「でも仕事が」


「帰れ」


 ガルドが言う。


「今日は終わりだ」


「でも書類が」


「終わってる」


 リオが言う。


「え?」


「……なんとか」


 リオは遠い目をした。


「途中で三回くらい死にかけましたけど」


「なんでそこまで」


「ミレナさんが毎日やってるからです!」


 ミレナが少し黙る。


 そして。


「……ありがとうございます」


 小さく頭を下げた。



「いや」


 リオは苦笑する。


「こっちこそ、ありがとうございますですよ」


「え?」


「ミレナさん、毎日これやってたんですね」


「仕事ですから」


「仕事でも大変です!」


 リオは真顔だった。


「もっと休んでください」


「はい……」


 珍しく、ミレナが少しだけ押されていた。



「でも良かったですね」


 セリアが笑う。


「みんな、ミレナさんの大変さ分かりましたし」


「分からされた」


 ナナが言う。


「受付怖い」


「本当に怖いです」


 リオが頷く。



「だから」


 ミレナが少しだけ笑う。


「これからは、ちゃんと書類出してくださいね」


 ギルド内が静かになる。


 全員、目を逸らした。


「おい」


 ガルドが言う。


「なんで目逸らす」


「いやぁ……」


 ナナが笑う。


「ちょっと心当たりが」


「ありますね……」


 リオも小さく呟く。


「お前もか」


「報告書、後回しにしたことあります」


「全員あるな」


 ガルドが酒を飲む。



 ミレナはその光景を見て、小さくため息を吐いた。


 でも。


 少しだけ、嬉しそうでもあった。


 いつも自分がやっている仕事を、みんなが少しだけ理解した。


 そのことが、ほんの少しだけ。


 報われた気がしたのかもしれない。



 夜。


 ギルドはいつも通り騒がしかった。


 でも、受付机の上だけは、少しだけ丁寧に扱われていた。


 書類を雑に置かない。


 報告を後回しにしない。


 依頼票を曲げない。


 ほんの少しだけ。


 本当に少しだけ。


 全員の意識が変わっていた。


 そして、その変化を。


 ミレナはたぶん、ちゃんと気づいていた。

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