■第69話「武器って高い」
冒険者になる前、多くの若者は大事なことをいくつか知らない。
魔物は思ったより速い。
森は思ったより暗い。
傷は思ったより痛い。
依頼の報酬は思ったより手元に残らない。
そして。
武器は、思ったよりずっと高い。
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「……え?」
リオは、鍛冶場の前で固まった。
目の前には、ロッドがいる。
無口で職人気質な鍛冶屋兼装備担当。
いつも通り無表情で、いつも通り必要なことしか言わない男だ。
そのロッドが、紙を一枚差し出していた。
「見積もりだ」
「……」
リオはもう一度、紙を見る。
剣の研ぎ直し。
柄巻きの交換。
刃こぼれ修正。
鞘の補修。
予備短剣の刃合わせ。
防具の革紐交換。
細かい項目が並んでいる。
そして最後に、合計金額。
「……高くないですか?」
思わず言った。
ロッドは表情一つ変えない。
「普通だ」
「これで普通なんですか」
「安い方だ」
「これで!?」
リオの声が裏返った。
⸻
昨日の依頼の後、装備にいくつか傷みが出ていた。
大型の牙猪と接触し、泥の中で動いたのだ。剣も防具も無傷では済まない。
だからロッドに見てもらった。
それ自体は当然だった。
問題は、その後だった。
修理費。
維持費。
交換費。
冒険者が“強くなる”以前にぶつかる、非常に現実的な壁。
金である。
「いや、でも」
リオは紙を持ったまま言う。
「報酬、ほとんど飛びますよね」
「飛ぶな」
「飛ぶな、じゃないです!」
「飛ばさないと次で壊れる」
「……」
それを言われると何も返せない。
武器が壊れれば命に関わる。
防具の紐一本でも、肝心な時に外れれば危険だ。
高いから直さない、では済まない。
「冒険者って、もっと稼げる仕事じゃないんですか」
リオが呟く。
「稼ぐ奴は稼ぐ」
ロッドが答える。
「壊す奴は減る」
「現実が重い」
「重い」
ロッドは頷いた。
軽く言うから余計に重い。
⸻
そのやり取りを聞いていたのか、後ろから声がした。
「お、見積もりか?」
ガルドだった。
いつものようにだらけた歩き方で、鍛冶場の入口に寄りかかる。
「はい」
リオは紙を見せる。
「高くないですか?」
ガルドは紙を見る。
数秒。
「安いな」
「どこがですか!?」
「ロッドにしては良心的だ」
「これで良心的!?」
ロッドは無言で頷いた。
「頷かないでください!」
⸻
「お前、昨日牙猪相手に前出たろ」
ガルドが言う。
「はい」
「そりゃ傷む」
「でも、そこまで無茶したつもりは」
「無茶したやつほどそう言う」
「……」
言い返せなかった。
昨日の失敗はまだ胸に残っている。
リオは少しだけ紙を下げた。
「まあ」
ガルドはそれに気づいたのか、少しだけ声を軽くする。
「装備が壊れるってことは、生きて帰ったってことでもある」
「そういう考え方ですか」
「壊れた装備は直せる。死んだ冒険者は直らん」
雑な言い方だ。
でも、妙に胸に残る。
「……はい」
リオは頷いた。
「でも高いです」
「それはそう」
「そこは変わらないんですね」
「金は現実だ」
⸻
ギルドに戻ると、同じように現実と向き合っている者がいた。
「嘘だろ……」
エインが机に突っ伏していた。
その隣でルーカスも青い顔をしている。
メイナは紙を見て、何度も計算し直していた。
「どうしたんですか」
リオが聞く。
エインが顔を上げる。
「リオ先輩……武器って高いんですね……」
「今まさに僕も同じこと思ってた」
「えっ、先輩もですか」
「先輩もです」
リオは向かいに座る。
三人の前にも見積もりが置かれていた。
ルーカスの剣。
メイナの弓。
エインの防具。
昨日の依頼で、それぞれ少しずつ傷んでいる。
「僕、冒険者になったら稼げると思ってました」
エインが言う。
「稼げると思いますよ」
リオが言う。
「ただ、出ていくお金も多いです」
「夢が……」
「夢はあります」
ナナが酒場側から言う。
「ただし、維持費込みね」
「言い方!」
⸻
「でも本当に」
メイナが紙を見ながら言う。
「弓の弦ってこんなに高いんですね」
「質による」
ロッドがいつの間にか戻ってきていた。
「安いのもある」
「安いのでいいです」
「雨で伸びる。切れやすい。狙いもぶれる」
「……今のにします」
「そうしろ」
判断が早かった。
⸻
「防具の革紐くらい、自分で直せませんか?」
ルーカスが聞く。
ロッドは少しだけ彼を見る。
「直せる」
「なら」
「ただし、戦闘中に外れても自己責任だ」
「お願いします」
即答だった。
リオは少し笑ってしまう。
でも分かる。
装備は命に関わる。
素人修理で済ませていい部分と、そうでない部分がある。
「冒険者って」
エインが言う。
「戦う前にお金で負けそうです」
「割とみんな通る道だね」
ナナが言う。
「最初は特に」
「ナナさん詳しいんですか」
「見てきたから」
ナナはカウンターに頬杖をつく。
「稼いだ分だけ飲んで消す人とか」
視線がガルドへ行く。
「なんだ」
「何も」
「見ただろ」
「見ただけ」
⸻
「ガルドさんって、装備にお金かかってるんですか?」
エインが聞いた。
純粋な疑問だった。
リオも少し気になる。
ガルドは普段、あまり派手な装備をしていない。
剣も、見るからに高価な宝剣というより、長く使い込まれた実用的な剣だ。防具も必要最低限に見える。
「かかってねえな」
ガルドが答える。
「えっ」
新人達の目が輝いた。
「じゃあ安い装備でも強くなれるんですか!?」
「違う」
ロッドが即座に言った。
強い。
「ガルドのは、長く使えるように直し続けてるだけだ」
「つまり?」
「最初は高い。維持も細かい。無茶に壊さないから長持ちする」
「なるほど……」
エインの顔がしぼんだ。
「楽な道じゃなかった」
「そもそもこいつは」
ロッドがガルドを見る。
「武器の扱いだけは丁寧だ」
「だけ?」
ガルドが眉を上げる。
「だけだ」
「服も丁寧だろ」
「嘘をつくな」
即答だった。
⸻
「でも意外ですね」
リオが言う。
「ガルドさん、装備雑に扱いそうなのに」
「失礼だな」
「普段が普段なので」
「武器を雑に扱う奴は早く死ぬ」
ガルドはさらっと言った。
軽い口調。
でも、空気が少しだけ変わる。
「昔はな」
ガルドは続ける。
「壊れたら終わりだった」
「……」
「予備なんかねえ。金もねえ。直せる奴も近くにいねえ。だから壊さないように使うしかなかった」
リオは、何も言えなくなる。
「剣一本、刃こぼれ一つで次の日死ぬかもしれねえ。だから手入れは覚えた。雑に振ると刃が泣く。無駄に受けると欠ける。力任せに叩くと曲がる」
ガルドは自分の剣の柄を軽く叩く。
「武器はな、使い手が出る」
ロッドが静かに頷いた。
「そうだ」
その言葉には、職人の重みがあった。
⸻
「使い手が出る、ですか」
リオは自分の剣を見る。
昨日ついた傷。
刃こぼれ。
柄のわずかな緩み。
それは、自分の戦い方が出た結果なのかもしれない。
焦り。
無理な受け。
余裕のなさ。
そう思うと、少し苦い。
「僕の剣にも、昨日の失敗が出てるんですね」
リオが呟く。
ガルドは言う。
「出てる」
容赦がない。
でも、今はそれでいい。
「ここ」
ロッドがリオの剣を取り、刃の一部を示す。
「無理に受けた跡だ」
「……はい」
「こっちは泥を噛んだ後に振った跡」
「分かるんですか」
「分かる」
「すごいですね」
「仕事だ」
ロッドは短く言う。
「だが、悪いだけじゃない」
「え?」
「ここはいい」
別の傷を指す。
「浅く入れて止めてる。斬りすぎてない」
大型の牙猪の足を止めた時のものだろう。
「判断は悪くない」
ロッドに褒められると、妙に重い。
「ありがとうございます」
「勘違いするな。修理は必要だ」
「はい……」
現実は変わらない。
⸻
「で、金が足りない奴は?」
ナナが明るく聞く。
その場の若手が全員黙った。
リオも少し黙った。
「多いな」
ガルドが言う。
「笑えないです」
リオが言う。
「どうするんですか、こういう時」
「稼ぐ」
「それはそうですけど」
「節約する」
「それもそうですけど」
「飲まない」
ナナが言った。
ガルドが目を逸らす。
「目を逸らしましたね」
リオが言う。
「逸らしてねえ」
「逸らしました」
「酒は必要経費だ」
「絶対違います」
⸻
「分割にしてやる」
ロッドが言った。
全員がロッドを見る。
「え、いいんですか」
リオが聞く。
「新人は最初そうしてる」
「助かります!」
エインが頭を下げる。
「ただし」
ロッドは言う。
「踏み倒したら次から研がない」
怖い。
新人達が一斉に背筋を伸ばした。
「払います!」
「絶対払います!」
「踏み倒しません!」
「ならいい」
⸻
「ロッドさん、意外と優しいですね」
メイナが言う。
ロッドは無表情のまま答える。
「死なれるより安い」
「優しいのか厳しいのか分からないです」
「両方だな」
ガルドが言う。
「こいつは昔からそうだ」
「昔から?」
リオが聞く。
ロッドは答えない。
ガルドが少し笑う。
「俺の剣も、こいつに何度も直された」
「昔からの付き合いなんですね」
「こいつがまだ無口なだけの若造だった頃からな」
「今も無口ですけど」
「今は頑固が足されてる」
「悪口か」
ロッドが言う。
「事実だ」
「修理代上げるぞ」
「すみません」
ガルドが即座に謝った。
珍しい光景だった。
⸻
「ガルドさんが即謝った……」
リオが呟く。
「ロッドさん、強いですね」
「装備握ってる奴には逆らうな」
ガルドが真顔で言う。
「冒険者の基本だ」
「妙に説得力ありますね」
「実際そうだ」
ロッドも頷く。
⸻
その日の午後、若手達は装備の手入れ講習を受けることになった。
なぜか自然とそうなった。
ロッドが机の上に布を敷き、剣、短剣、弓、革防具、金具を並べる。
リオ、エイン、ルーカス、メイナ、新人二人。
ついでにライルも参加していた。
「なんでライルさんもいるんですか」
リオが聞く。
「俺も学ぶ!」
「いいことなんですけど、勢いが不安です」
「任せろ!」
「任せたくないです」
⸻
「まず、汚れを落とす」
ロッドが言う。
「泥を残すな。血を残すな。湿気を残すな」
「はい」
「刃を見る。欠けを探す。歪みを見る」
手つきは静かだった。
派手さはない。
でも、全員が見入ってしまう。
「力任せに拭くな」
ロッドがライルを見る。
「まだやってません!」
「やりそうだった」
「なぜ分かる!」
「分かる」
完全に読まれていた。
⸻
「弓は?」
メイナが聞く。
「弦を見る。湿気を避ける。張りっぱなしにするな。歪みを見る」
「はい」
「矢羽も見ろ。曲がった矢を使うな」
「分かりました」
メイナは真剣に聞いていた。
昨日の失敗もある。
自分の矢が牙猪の鼻先を逸らしたことも、逆に少しでもずれていたら危なかったことも、分かっているのだろう。
⸻
「防具は?」
エインが聞く。
「紐、金具、継ぎ目」
「はい」
「穴が開いたらすぐ言え。自分で誤魔化すな」
「誤魔化したら?」
「痛い目を見る」
「具体的で怖いです」
「昔、ガルドが誤魔化した」
ロッドが言う。
全員がガルドを見る。
「おい」
ガルドが嫌そうに顔を上げる。
「言うな」
「脇腹を裂かれた」
「うわ」
リオが声を漏らす。
「傷跡残ってます?」
「残ってる」
ガルドが不機嫌そうに言う。
「見せねえぞ」
「見せてとは言ってません!」
⸻
「装備の不備は、だいたい一番嫌な時に出る」
ロッドが言う。
「平時には壊れない。戦闘中に壊れる」
その言葉に、全員が静かになる。
「だから先に見る」
「はい」
リオは頷く。
昨日のことがまた少し胸に浮かぶ。
小さな確認不足。
小さなずれ。
それが重なる怖さ。
装備も同じなのだと思った。
⸻
講習の最後に、ロッドはリオの剣をもう一度手に取った。
「少し預かる」
「修理ですか」
「ああ」
「お願いします」
「ついでに少し直す」
「何をですか」
「重心」
リオは目を瞬いた。
「重心?」
「今の使い方なら、少し前にした方がいい」
「分かるんですか」
「剣を見れば」
ロッドは短く言う。
「お前、最近受け流しが増えた。前より雑に受けてない」
「……」
嬉しいような、気恥ずかしいような気持ちになる。
「でも昨日は焦った」
「はい」
「だから剣も傷んだ」
「はい」
「直す。お前も直せ」
ロッドの言葉は短い。
でも、ちゃんと届いた。
「はい」
リオは頭を下げる。
「お願いします」
⸻
夕方。
若手達は少し疲れた顔で帰っていった。
財布も心も少し軽くなったような顔だった。
装備維持費の現実を知った顔でもある。
「みんな、明日からちょっと真面目に手入れしますね」
リオが言う。
「三日続けば上等だ」
ガルドが答える。
「短くないですか」
「人間そんなもんだ」
「でもリオくんは続きそうですよ」
セリアが言う。
「昨日の後ですし」
「そうですね」
リオは自分の腰を触る。
そこに剣はない。
ロッドに預けた。
少し不安で、少し軽い。
「剣がないと落ち着かないですね」
「いい傾向だ」
ガルドが言う。
「そうなんですか」
「大事なもんだって分かってる証拠だ」
「……はい」
⸻
ナナが小皿を置く。
「はい、お疲れ」
「ありがとうございます」
焼き菓子だった。
「装備代で落ち込んだ若者用」
「そういうメニューあるんですか」
「今日できた」
「やめてください、刺さるので」
リオは苦笑しながら食べる。
甘かった。
少しだけ、気分が楽になる。
⸻
「ガルドさん」
リオが言う。
「なんだ」
「昔、武器が壊れたことありますか」
「ある」
「どうなりました?」
「死にかけた」
「でしょうね」
「でも、その時に覚えた」
「何をですか」
「壊れる前に分かるようになった」
ガルドは自分の剣を軽く抜く。
刃は古い。
でも手入れされている。
「武器は急に壊れるんじゃねえ。だいたい前から言ってる」
「言ってる?」
「重い、鳴る、引っかかる、鈍る。そういうのを無視すると壊れる」
「人間みたいですね」
リオが言う。
ガルドは少しだけ黙る。
「まあな」
それだけ返した。
少し意味深だった。
⸻
リオはその言葉を覚えておこうと思った。
武器は急に壊れるんじゃない。
前から小さく知らせている。
人も、依頼も、たぶん同じだ。
小さな違和感を無視すると、どこかで壊れる。
昨日の失敗もそうだった。
布を忘れたこと。
前に出すぎたこと。
戻る判断を遅らせたこと。
全部、小さく知らせていた。
自分はそれを見逃した。
「次は」
リオは小さく言う。
「もう少し早く気づきたいです」
ガルドは酒を飲む。
「気づけ」
「はい」
「それでも気づけねえ時はある」
「はい」
「その時は帰ってきてから直せ」
リオは頷いた。
装備も。
判断も。
自分自身も。
直しながら、続けていくしかないのだろう。
⸻
夜になって、ロッドが剣を持ってきた。
「できた」
「早いですね」
「軽い調整だ」
リオは受け取る。
抜く。
少しだけ違う。
重さはほとんど同じなのに、手の中で前へ進みやすい。
「……すごい」
「振り回すな」
「あ、はい」
思わず動かしそうになって止める。
「ありがとうございます」
「金は取る」
「分かってます……」
現実は最後まで現実だった。
でも、不思議と嫌ではなかった。
高い。
痛い。
でも、それだけ大事なものを預けているのだと分かったから。
武器は高い。
修理も高い。
冒険者は思ったより稼げない時もある。
けれど、その一本が次の依頼で命を繋ぐ。
リオは剣を鞘に収めた。
昨日より少しだけ、自分の装備が重く感じた。
悪い意味ではない。
ちゃんと背負うべき重さとして。




